特別なごはんの日
研究の日々だった。
新しい記憶が上書きされていく中で、心の奥深くに根付いた思い出を頼りに探し続けた。
そして、ついに見つけたのだ。
故郷で食べていたカレーライスの、あの味の断片を。
聞きかじりの知識で、本格的なスパイスカレーにも用いられるスパイスが使われている事は知っていた。
どのスパイスがどんな風味をもたらすのか。
それさえ見つけられれば、再現は必ず出来ると信じていた。
図書室に入り浸り、カレーの作り方を片っ端から調べて、いくつか作って味も確かめた。食堂のカレーの作り方をシェフゴーストに訊いたりもした。
あとは、作ってみるだけ。
肉は扱いやすい鶏肉。ルーには欠かせない小麦粉。タマネギ、ジャガイモ、ニンジンの三種は外せない。細々した薬味や隠し味も抜かりなく用意した。
成功すれば、異世界生活がさらに充実し彩り豊かになる事は間違いない。
「さぁ……作るぞ!我が愛しのカレーを!」
「そんなに気合い入れる事か?」
ここにいないはずの人の声が後ろから聞こえた。
振り返ると、バイパー先輩が当たり前みたいな顔して立っている。
「…………この世界の人は不法侵入しないと気が済まないんですか?」
「誰と並べたか知らんが、俺はちゃんとゴーストに開けてもらったぞ」
『ユウがカレーを作るっていうから手伝いに来たって~……あれぇ~?』
「頼んでないんだよなぁこれが」
「頼まれたなんて最初から一言も言ってないぞ?」
バイパー先輩がにこやかに笑う。
『だ、騙したなぁ~!化けて出てやる~!』
「まぁまぁ落ち着いてくれ。カレー作りを手伝いに来たのは本当だしな」
「だから頼んでないですってば」
「そう言わずに。俺なら的確なアドバイスが出来る自信があるぞ?」
「僕が作りたいのは故郷のカレーなんですよ」
「故郷……つまり、異世界の、だな?」
興味深そうな視線を向けつつ、少しずつ近づいてくる。思わず後ずさる。
「バイパー先輩の……熱砂の国のカレーに近いものは多分、僕の元の世界の、僕の住んでるのとは違う国にもあるんですけど」
「ほう」
「多分、そこから伝わって、アレンジされて定着したモノが故郷のカレーでして」
「それを再現したい、と」
頷く。
ナイトレイブンカレッジに来てずいぶん経って、故郷の味の再現にそこそこ成功して内心は勢いづいていた。食べたいなら作ろう、と火がつくのも早かった。
「そして、僕は辿りついたのです……これに!」
買い物袋から取り出した缶には『カレースパイス』と書かれていた。バイパー先輩が真顔になる。
「……図書室に入り浸ってレシピを読みあさって、結局それなのか……」
「便利は正義です。というか、学食のカレーが一番近かったんですよ、味」
「だったら、わざわざ再現する必要はないんじゃないか?」
「でも……違うんです。あのなんか、ホテルカレーとかお高いところのカレーっぽいのじゃなくて!給食とか課外授業とか家庭科の調理実習で作りましたみたいなカレールーばりばり使ってる普通の庶民カレーが食べたいんです!!!!」
「……君、たまに物凄く面倒くさくなるな」
学校でもトップクラスの曲者に言われたくない。
「と、とにかくそういう趣旨ですので。今日はプロの手をお借りする必要はありませんから。お引き取りください」
「そうか、それなら仕方ない」
そう言いながら、バイパー先輩はごく自然にダイニングの椅子に腰掛けた。
「…………何してるんですか?」
「俺もカレーは好物なんでな。君の故郷の味というのも気になる。味見させてくれ」
キラキラと眩しい笑顔を向けられ、思わず頭を抱えた。
「あ、アジーム先輩のお世話はいいんですか……?」
「今日は軽音部に顔を出してるからな。いつもより遅くなるだろう。夕飯の支度は済ませてあるから配膳するだけだ。何時間もかかる事じゃない」
再び頭を抱える。
同じ二年生で助けを求められそうな人……ローズハート先輩はオンボロ寮が無事じゃ済まない。アーシェングロット先輩とブッチ先輩は後に請求される対価が怖い。なんなら前者は便乗しかねない。
じゃあシュラウド先輩……ダメだ、口で勝てても体圧で負ける。オルトはビームぶっ放しかねないから論外。キングスカラー先輩も便乗の可能性があるのでやっぱりダメ。シェーンハイト先輩は材料のサラダ油とバターの量を見て般若に変身しかねないから後を考えると頼れない。
結局やっぱり、ここは耐えるしかない。
「…………味の保証はしませんからね」
答える代わりににっこり微笑まれた。勝ち誇った様子が何とも憎らしい。
気を取り直し、食材に向き直る。
人生で今までに作ったカレーは、板状のカレールーありきのものだけだ。小麦粉をどう使うかはシェフゴーストに教わってきたけど、やるのは初めて。誰でも作れると親しまれてきた料理だからこそ不安は多い。
それでも、前に進むしかない。お米は炊いてるし。後ろの人怖いし。
具はなるべく大きめに、肉を炒めたフライパンは洗わずにカレールーに旨味を移す。バターで炒めたタマネギに他の野菜を合わせて煮込む。ニンジンとリンゴのすりおろしも加え、臭み消しのハーブも忘れない。
キッチンがどんどん懐かしい匂いになっていく。
食事を待つ誰かの視線を背中に感じながらカレーを作る。この感覚、いつぶりだろうか。
中学生の頃はレパートリーが少なかったから、困ったらいつもカレー作ってたなぁ。飽きたと言わなかった姉は今思えば我慢強かった。味の文句は容赦なかったけど。
焦がさないようにバターで小麦粉を炒めて、カレー粉を混ぜ込む。漂う匂いの懐かしさに浸りながらも、火加減は見逃さない。
見慣れているカレールーよりは明るい色。でも違和感のある色でもない。煮込んでいる鍋に移して、とろみが全体に回るのを確かめる。一度味見してみると、悪くないけど味があっさりしているように感じた。
冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出す。
「ちょっと待て」
後ろから物言いが入った。
「なんですか」
「……入れるのか、それ。カレーに」
「はい」
「正気か?」
「はい」
「嫌がらせじゃなく?」
「……先輩なら、今の状態で味見したらちょっと納得するんじゃないですか」
味見用の小皿に現在のカレーを入れる。席に運ぶまでもなく、キッチンにやってきて受け取ってくれた。焦げないように鍋をかき回しつつ、味見している様子を見守る。
「……なるほどな。ここにコーヒーの苦みと風味、牛乳のまろやかさと砂糖の甘みが一度に加えられると思えば……」
「そういう事なんでしょうね……」
「解らずにやってるのか君は!?」
「入れてみたら美味しくなった気がしたから入れるようになりました!!」
「雑すぎる!!」
「というわけで投入~」
「うわあああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
「……オマエラ、なにじゃれてるんだ?」
「あ、グリムお帰り~。もうすぐカレー出来るよ~」
「にゃはは、やったぁ!……でもアレだな、食堂のカレーとも、ジャミルのカレーとも匂いがちょっと違う気がするんだゾ」
「うん、そうなるように作ってるから」
こまめに味見をしながら、ソースやケチャップも混ぜていく。段々と自分の知っているカレーに近い味になってきた。懐かしい気持ちが胸を満たす。
「これでどうですか、先輩」
自分的には納得のところで、再度味見用の小皿を差し出す。先輩は真面目な顔で口に運び、小さく頷いた。
「……まぁ一時はどうなる事かと思ったが、よくまとまったんじゃないか?」
「ありがとうございます。……じゃあもうお帰りいただいて」
「いや、米と合わせて完成なんだろう?そこまで味わわないとな」
舌打ちしそうになるのをギリギリ堪えた。相手も涼しい顔で笑っている。
大きめの皿にご飯を盛って、カレーをかける。多めに作ったので予定外の配膳は問題はない。不本意ではあるけど。
三人揃って食べ始める。食べ慣れたカレールーの味はしないけど、でもカレーのそれっぽい味がする。
「ほぁ~、辛みは控えめだけど、色んな味がする!米にも合うんだゾ!」
「気に入った?」
「もちろん!なんだゾ!」
程なくグリムが食べ終わって、おかわりを要求される。自分の分のついでに取ってきた。
「いくらでも食べられそうな気がするんだゾ!」
「カレーはそういうトコあるよね~」
『でも食べ過ぎちゃダメだよグリ坊!』
『それ以上ぽっこりになったらユウが抱えられなくなっちゃうよ~』
「う、うるせぇな!オレ様は多分『セイチョウキ』なんだゾ!きっといっぱい食べれば大きくなれる!」
『限度があるじゃろうが』
ゴーストも交えてわいわい食事する僕らを、バイパー先輩は黙って見ていた。ふと視線を向ければ、いつになく穏やかな目がこちらを向く。
「どうかしました?」
「いや……こういう慌ただしさも悪くはないな、と思って」
「そう、ですか」
アジーム先輩の傍も相当慌ただしいと思うんだけど、何が違うんだろうか。
「はぁ~うまかった!」
「ねえ、グリム」
「うん?」
「カレーまだあるんだけど、明日はカレードリアとカレー麺ならどっちが良い?」
「ドリアと……麺!?」
「ご飯の上にカレーを乗せて、チーズと卵を乗せてオーブンで焼いたのと、薄切り肉とネギを出汁で煮た所にカレーを溶かして麺を入れて食べるのの二択」
グリムの目がキラキラと輝き出す。
「どっちも!どっちも食いたい!」
「うーん、どっちかひとつしか作れなさそうなんだよねー。どっちかは次のカレーの時だね」
「うううう、迷う!」
「明日の朝までには決めてね、買い物するから」
バイパー先輩がくすくす笑い出す。グリムと顔を見合わせ、ふたりして先輩の顔を見る。
「君たちは本当に楽しそうに食事の話をするな」
「そりゃあ、メシは学校生活のカツリョクだからな!」
「そんな事普段考えてないでしょうに」
「活力……か。それもそうか」
バイパー先輩は、おもむろに立ち上がりマジカルペンを取り出す。ペンを振れば光が溢れ出し、使い終わった食器に降り注いだ。
食器は独りでに浮き上がり、流しに向かっていく。洗剤の泡が踊るように汚れを落とし、スポンジが磨いて、水で流されて綺麗になって、水切り籠に綺麗に着地した。思わず拍手してしまう。
「夕食の礼には安いかもしれないが」
「いや素人の料理ですから、お礼なんていただけるもんじゃないですよ」
「違う文化に触れたようで面白かったし、味も悪くなかった。楽しい時間だったよ」
玄関に向かうバイパー先輩を追って歩く。玄関扉の前で、先輩は笑いながら振り返る。
「あんなに追い出したそうにしてたのに、見送りには来てくれるんだな」
「戸締まりのためですよ」
なんか前にも似たような会話したなぁ。
「今日はごちそうさま。よければうちの寮にもまた顔を出してくれ。君にも味は覚えてほしいからな」
「……味?」
「将来必要になるだろうから」
バイパー先輩は妖艶な笑みを浮かべる。何を言いたいのか、何となく意味が分かってしまって返す言葉に詰まった。それも察知した上で、先輩は畳みかけてくる。
「君はきっといい親になれる。その時、隣に誰がいるのか……楽しみだな」
それじゃあ、と言ってバイパー先輩は玄関を出て行った。扉が閉まってから鍵をかける。
……キングスカラー先輩もそうだけど、オーバーブロット中の記憶は無いとはいえ、殴り合った相手によくああいう事恥ずかしげもなく言えるよなぁ……。
「僕は元の世界に帰りたいんだっつの」
今のところ、実現のめどは立ってないけど。