特別なごはんの日




 うちの寮長のご機嫌取りは難易度が勝手に乱高下する。
 ちょっと前は早めの夕食をどこかで終えてきてご機嫌だったかと思えば、一昨日はスマホを見ながら眉間にすんごい皺を寄せていた。
 原因は様々あるが、最近彼の交友関係に増えた『草食動物』の影響も小さくない。むしろめちゃくちゃデカい。
 この『草食動物』ことオンボロ寮の監督生くん、眼鏡を外せば美少女、普段は礼儀正しく大人しい、魔法が使えないのにここぞという時は勇猛果敢、でとてつもなく同性にモテる。うちが男子校だからこのステータスだが、もしかしたら異性にもモテるのかもしれない。
 んで、うちの寮長もひょんな事から彼の虜になったひとりと言うわけだ。どこに惚れたのかなんて野暮なので聞いてない。でも惚れてる事は見ているだけで嫌でも解る。
 自分も含めた寮生はその恋路を影ながら応援しているわけだが、寮長の不器用さと相手の器用さが全く噛み合わない。たまにやらしい雰囲気にはなるくせに一線は越えないし。見守るこっちも焦れったい。
 そんなんだから、手料理を食べさせてもらえた事に浮かれ放題で帰ってきたかと思えば、他の寮の奴らとバーベキューしている事に嫉妬してご機嫌斜めになったりして、振り回されてこっちが忙しい。
「実は、キングスカラー先輩にお礼がしたいんですが」
 なので相談を持ちかけられた時は、正直どうしてくれようかと思った。
 獣人属と異世界人、王族と庶民の感覚と文化の違いでうまく噛み合わないのは仕方ない、という理解は出来る。
 でも振り回されている現実は変わらないし、相談を受けているこの状況を誰かに見られて誤解されたら、というモヤモヤとした不安もあった。
「うまい事お礼が返ってこないぐらいの、丁度いい感じのアイデアないですかね……?」
 下着姿でレオナさんのベッドに潜り込んどけばいい、という提案はギリギリ飲み込んだ。この距離では殴りかかられたら避けきれず当たる可能性がある。いくらなんでもこんな所で死にたくない。
「お礼、ねぇ……」
「お泊まりとかは無しの方向でお願いします」
 発想を見透かされた気がして思わず苦笑する。
「そうだ、弁当とか作れます?」
「弁当?」
「そ。ユウくんの作った弁当ならレオナさん喜ぶだろうし、オレもパシられなくて済むし」
 ユウくんの表情は明るい。嫌ではなさそう。
「キングスカラー先輩の嫌いな食べ物、って」
「野菜」
「ですよね……」
 ちょっと考え込んでいたが、ユウくんは思いついた顔になった。
「ご意見ありがとうございました!頑張ってみます!」
「頑張ってね~」
 相談に来た時とは打って変わって、元気に教室に帰っていった。途端に、そこかしこから不安そうな表情の寮生が出てくる。
「ユウさん大丈夫っすかね……」
「ま、お礼って言ってるんだからめちゃくちゃな事はしないっしょ。料理も下手ではないみたいだし」
「この事、レオナさんには」
「まだ言わない方向でいきましょ。確定じゃないッスから」
 寮生たちは一斉に頷いた。



 監督生くんから『お礼』の相談を受けた、三日後。
「ブッチ先輩すみませんお願いがありまして!!」
 教室に飛び込んできたユウくんは青ざめた顔をしていた。ただならない様子の下級生がやってきた事に教室中の注目が集まる。
「ど、どうしたんスかいきなり」
「その、キングスカラー先輩にお弁当作ってきたんですけど」
 と言いながら帆布の手提げ袋を差し出される。思わず首を傾げた。
「なら、昼休みに渡しに行ってくれりゃいいじゃないスか。だいたい植物園にいるし」
「それが……昼休みが魔法解析学の補習になっちゃって……いつ終わるか見当もつかなくて……」
 眼鏡の向こうに美少女の顔があると思えないくらい、みっともなく情けない感じの泣きそうな顔で言う。
 この子、眼鏡をかけて真面目そうにしているが、魔法のない世界育ちの上に勉強が得意じゃないので、体力育成以外の成績は平均以下だ。更にリズム感と音感が皆無で声がでかいくせに災害級の音痴という欠点もある。
「……代わりに渡しておけばいいんスね?」
「お手数おかけして申し訳ないです……僕の分の弁当はブッチ先輩が食べちゃってください」
「良いんスか?」
「僕、ご飯食べてる暇ないかもしれないので……帰る時間じゃ悪くなっちゃってるかもだし」
 弁当箱は洗わなくて大丈夫、放課後に回収に来る、と言い添えて、ユウくんは手提げ袋を押しつけると急いで教室を出ていった。
 袋の中を覗き込めば、包みは確かに二つある。どっちがどっち、とは言われていないけど、片方が安物のファンシーなハンカチっぽいのに対し、片方は明らかに洒落た布が使われているので、多分こっちがレオナさんの分だろう。
 わずかに香ってくるのは魚のような風味だが、多分それだけじゃない。肉も調味料もある、意外と複雑な匂い。
 これは昼休みが楽しみだ、とひとりほくそ笑んだ。



 昼休みは早速植物園に向かった。レオナさんは寝心地の良い日向で昼飯の到着を待つだけで良いのだから気楽なものだと思う。それを許してるのは他ならぬ自分たちだが。
 ユウくんから弁当を預かってる事は連絡しておいたので、レオナさんは変わりなくいつもの位置に寝そべっていた。
「お待たせしましたッス」
 ぱたん、と長い尾が地面を叩いて返事する。やがて起きあがると、睨むようにこちらを見た。
「はい、ユウくんからこないだのお肉のお礼、ですってよ」
 洒落た布の包みと、ついでに買っておいた飲み物を渡す。レオナさんは無言で受け取り、黙々と包みを開く。出てきた二段重ねの弁当箱は、シンプルで品の良いデザインながら、大きさも食べ盛りには申し分ない。
 ついでに自分も譲り受けた彼の分とおぼしき包みを開いた。万が一逆だったら、と思ったのだが、包みを開けばこっちは色気も何もない大きめのタッパーだった。なるほど、これは言わなくても判る。
 レオナさんの弁当は既に蓋が開いていた。卵とそぼろの二色ご飯、根菜の煮物、カットステーキとポークソテー、卵焼き。凄く茶色い。
 二つの弁当の中身はほぼ同じなのだが、決定的な違いとして、ユウくんの自分用はいろんな部分が不格好で雑だ。卵焼きの切れ端とか、ステーキのちっちゃい欠片とかが詰められている。もっと言うと卵焼きの部分以外には米が敷き詰められており、他の具は全部米の上に乗ってる。スプーン一本でがっつける作りだ。個人的には助かる。
 ありがたく食べ始める。味はしっかりしているが、不快な塩辛さはない。魚っぽい風味は不思議とそこかしこにあるが邪魔にはなっていなかった。具材のタレが絡んだ米と一緒に食べると丁度良いくらい。卵焼きの甘みもほんのりとしていて爽やかだ。
 ちらりとレオナさんの様子を見る。黙々と食べていた。不快そうに顔をゆがめる事もない。唯一野菜がメインの煮物さえ黙って食べている。まぁ、この人が好きな子の手料理について影でネガティブな感想を言うとか絶対ないと思うけど。
「ユウくん、別に料理が好きってわけじゃないらしいッスよ」
 独り言のように言う。遮られないので、多分聞いている。
「肉もいきなりいっぱいもらって、処分に困ってバーベキューする事にしたらしいッス」
「……うちに来りゃいいだろうが」
「それも考えたって言ってましたよ。突き返したみたいで失礼になるんじゃないか、って思ってやめたんですって」
 眉間に皺が寄っているが、尻尾は迷うように揺らめいている。自分以外を頼った事は気に入らないが、気遣われていた事自体は嬉しい、少なくとも嫌ではない、のだろう。多分。
「料理してたのは実家の味が恋しかったからで、自炊は必要でするもので好きじゃないんですって」
「……それで謝礼に弁当か」
「あ、それはオレがリクエストしました」
 ちょっと睨まれた。
「ユウくんの分を譲って貰ったのは偶然ッスよ。無罪を主張するッス」
 レオナさんは呆れた顔でため息をついて、最後のカットステーキを口に放り込む。
「その時に言ってましたよ。楽しい時間が過ごせたのはレオナさんのおかげだって」
「直接言いに来いってんだ」
「今頃、魔法解析学の補習で泣いてますから無理ッスよ」
 面白くなさそうな顔でそぼろご飯を頬張る。自分をもっと頼ればいいのに、とでも言いたげだが、言わないとわかんないんだよなぁ。
「ま、次にお礼する時は日持ちするようなものとか、期限を気にしないで良いものの方が喜ぶんじゃないスか」
 レオナさんの反応はない。少し考えるように手が止まったぐらいで、後は黙々と食事を進めている。程なく食べ終わり、包みを元の形に戻していた。
「あ、弁当箱こっちください。食堂の厨房借りて洗ってくるッス」
 投げ渡された包みをしっかり掴む。
 獅子は元の気怠げな体勢に戻ったが、きっと頭の中では『弁当の礼』の事を考えているのだろう。思考の邪魔をすると後が面倒だ。
 昼休みは短い。とっとと食堂の厨房に向かう事にした。



「はい、これ弁当箱。美味かったッス」
「お口に合ったなら良かったです」
 放課後、疲れ切った顔のユウくんに手提げ袋を返す。補習は大変悲惨な事になったようだ。
「……君はそんなんなのに、グリムくんってば元気ッスね」
「オレ様はユウが弁当を届けている間に早弁したからな!」
 教室移動の都合で、ユウくんだけ何か食べる時間が無かった、という事のようだ。
「本当に……今日は運が悪かったです……」
「そう。じゃあ、それを覆すようなラッキーがあっても良いよね?」
 オレの言葉に、ユウくんは首を傾げる。
 懐から取り出した分厚い封筒をユウくんの手に押しつけた。明らかにユウくんの顔が青ざめる。
「ま、まさか……」
「レオナさんから、今日の弁当のお礼ッス」
「う」
「受け取れない、はナシッス。うちのリーダーにもメンツってもんがあるんでね?」
 逃げ道を塞がれて哀れっぽく呻いた。グリムくんはそんな態度に憮然としている。
「貰えるもんは貰っとけばいいじゃねーか!」
「だってぇ……」
「まぁまぁそう言わないで。中身も一応確認してほしいッス」
 ユウくんは複雑な表情で封筒を開き、中から出てきた冊子の束を確認する。
 中身はミステリーショップ全店で使用可能なギフト券だ。一枚千マドル分の買い物が出来る券が十枚でひとつの冊子になっている。
 ユウくんは冊子の背表紙を数えて、更に悲愴な顔になっていた。
「ほぼ現金じゃないですか!?」
「足りなかったら言えって言ってましたよ」
「ツナ缶買い放題なんだゾ!!」
「や、や、やっぱり受け取るワケには……」
「いやいや、ちゃんと受け取ってください。全部手作りのお弁当の労力を軽んじたらダメッスよ」
 冷凍食品の総菜で手を抜く事だって出来ただろうにそれはしなかった。この子なら『プロが作ってる冷凍食品の方が美味しい』とか言い出しかねない所なのに。
 多分彼なりに、レオナさんはそういうのを好まないだろう、と考えての選択だと思う。その誠実さに報いたいとなるのも当たり前だろう。
 というか相手に気を持たせたくないなら、全部手作りとかしなきゃいいのに。この子、本当に変な所で抜けてるんだよなぁ。
「貰いすぎだって思っちゃうなら、また弁当作ってやってくださいよ。ユウくんの作った料理なら野菜も文句言わずに食べるし」
「……また、全部食べてくださったんですか?」
 野菜の煮物は、どうしても肉しかない弁当箱に耐えられなくて入れたらしい。曰く、『甘辛で米に合うからまだマシじゃないかと思った』との事。
「おかずを別の弁当箱にしておけば、おかずだけ誰かに渡すとか出来るかなと思って……」
「はぁ、なるほど」
 一応逃げ道も用意しておいたつもり、という事のようだ。
「少しずつ野菜の割合を増やしてもらったら、野菜を文句言わずに食べるようになってくれませんかねぇ」
「多分、そういう事したら食べてくれなくなっちゃいますよ」
 ユウくんが柔らかく苦笑する。
 そういう所だよ。
 どうしてレオナさんのアプローチは辛辣にスルー出来るのに、妙に理解度が高くて甘いんだこの子は。
「……そう思うならそれで良いッスよ。またお願いします、って事で」
「はい、まぁ……お礼にどこまで出来るかはわかりませんが」
「オレ様もまた弁当食べたいんだゾ!そぼろご飯が最高だった!」
「またサバナクローにも遊びに来てよ。バーベキューならうちでもやれるし」
「はい、キングスカラー先輩にもよろしくお伝えください」
 ユウくんは礼儀正しく深々と頭を下げた。直接伝えてやってくれませんかね、と言うと絶対に嫌な顔をするので飲み込む。
 オレの仕事はこなしたのだ、と割り切る事にして、寮への帰り道を急いだ。

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