真紅に想いを馳せて


 シェーンハイト先輩に手を引かれて連れてこられたのは、リュクスじゃなかった。
 クリスタル・ギャラリアの近くの、なんだかとてもお洒落な雰囲気の建物。比較的古いビルのようだけど、広くて大事に使われている様子だった。
 エレベーターの中もなんだかいい匂い。受付を済ませて連れてこられた奥には、リュクスの店員さんたちが待機していた。
「何度も悪いわね」
「いえ、ご依頼頂きありがとうございます、ヴィル様」
「それじゃあ時間も無いし、始めてもらえるかしら」
「かしこまりました。ユウ様、こちらへどうぞ」
「グリム様はこちらに」
 店員さんに手を差し出され、グリムは首を傾げた。
「ユウと一緒じゃねーのか?」
「ええ。こちらでブラッシングなどをさせていただきます。チョコレートもご用意しておりますよ」
「チョコ!……仕方ねえなー、くれるっていうならもらわないともったいないからなー」
 言いながら、グリムは店員さんに連れられ部屋に入っていった。
 僕はシェーンハイト先輩を振り返る。
「あの、これは一体……」
「今は何も言わないで、彼らに従って頂戴」
 いつもより特別甘い声で、お願い、と言われては何も言えない。ぎこちなく店員さんを振り返れば、笑顔で僕が部屋に入るのを待っている。
「よ、よくわかりませんけど、よろしくお願いします」
 挨拶しながら部屋に入ると、そこはリュクスのフィッティングルームと似たような部屋だった。大きな姿見に、ドレッサー。着替えのためのカーテン。応接セットは無いが、代わりに目を引いたのはドレスを纏ったトルソーだった。
 眩しいほど真っ白なドレス。生地はただの無地じゃなくて、細やかなレースがたくさん使われている。銀色の糸が所々に使われているみたいで、視線を動かすとキラキラ輝いて見えた。裾も床に触れるぐらいあるし露出はほぼ無さそう。
 だけど、どこからどう見ても女物。しかしここにある意味なんて一つしかない。
「……………………あの、これは一体」
「ヴィル様からのご依頼でお作りしたものでございます」
 ですよねー!!!!と思うものの内心は混乱の嵐が吹き荒れている。え、これどうしよう。金額を考えると断るのも申し訳ない。
 着るしか……ないのか…………?
「ティアラと共に輸送していたので、今回の事故で間に合わないかと不安もありましたが、先ほど無事に届けられたのです」
「ヴィル様からユウ様のプロフィールとイメージを頂き、チーフデザイナーが製作の指揮を執りました。ユウ様のお姿を拝見してから、チーフデザイナー自ら修正を行っております」
 なんかどんどん申し訳ないエピソードが積み上がっていく。
 改めてドレスを見た。
 シェーンハイト先輩が三人を追い払ってまで僕に着せたかった服。それは多分えーとつまり、……他の男に見せたくない、って事……でいいのかな。店員さんはさておき。
 照れくさいやら恥ずかしいやら感情がめちゃくちゃで忙しいが、ここまで来て逃げるワケにもいかない。ここまで心を割いて作ってくれたものを無碍にするのも申し訳ない。
 そう、善意。決して私欲ではなく、先輩に素直に従って可愛がられたいとかじゃなくて!善意で!人の仕事を無駄にしないために!僕はこれを着るんだ!!
 と、自分の中で言い訳が立った所で、店員さんたちを振り返った。
「よろしくお願いします」
 しっかりと頭を下げてから着替えに入る。
 リュクスクチュールのデータも使われたのか、ドレスは見た目に反してとても着心地が良かった。身体にぴったりとしているのに、動きを一切邪魔しない。たっぷりとしたパニエも不思議と足にはまとわりつかず、不慣れな丈だけど動きにくさは感じなかった。ストッキングの感触はちょっとそわそわするけど。……魔法少女の頃の衣装のせいでガーターベルトに慣れてるのが自分でも若干嫌だったぐらいかな。
 靴はガラスのパンプス……に、見えるけど多分違う材質の靴だ。ヒールが低めなのは僕が履き慣れてないからだと思う。見た目に反して履き心地は良い。見た目から想像できる感触に比べて、なのでまぁ落ち着かないは落ち着かないんだけど。
 ヘアメイクはリュクスクチュールの時と全く違う。メガネは当然外したし、このドレスに合わせたものという事で、当然華やかで女性っぽいメイクだ。髪型も前髪は残して、後ろは複雑な編み込みを入れつつ頭に沿わせるようにまとめられた。鳥の羽が花びらのように連なった髪飾りが添えられている。どこまでも白い。
 トルソーに着せられていた時点で気づくべきだったと思うんだけど。
 これ、所謂ウェディングドレスでは?
 頭の中が大混乱で上手くまとまらない。
 実質プロポーズでは!!??と浮かれ散らかす一方で、冷静で陰気な自分がうじうじと『元の世界に帰るんだろ』と釘を刺してくる。
「こちらへどうぞ。お足元に気をつけて」
 店員さんに導かれるまま、受付を通り過ぎて再びエレベーターに乗せられる。一番上の階に向かった。
 エレベーターが着くと、清潔感はあるけどなんだか質素なスペースが広がっていた。奥にやたら大きな扉がある。リュクスの別の店員さんが扉の前で待っていた。
「ヴィル様は中でお待ちです」
 店員さん二人がかりで、両開きの扉がゆっくりと開かれる。
 奥に広がっていたのは、とてつもなく広い空間だった。よく手入れされた飴色のフローリング、同じ色の木材が壁から天井まで張り巡らされ、細やかに彫刻がなされている。天井は格子状に渡された木材の間がすべてガラスになっていた。その向こうに夜に差し掛かった星空が見える。
 あまりの美しさに、部屋に入ってからもしばらく呆然としていた。壁際を見ればバーカウンターがあったりしてお洒落な大人の空間だし、空が見える天井はとても幻想的だ。
「…………来たわね」
 声にはっとして振り返れば、シェーンハイト先輩が立っている。その姿は普段の制服姿でも、リュクスクチュールでもない。
 上手く説明できないんだけど、王子様みたいな格好だった。すっきりしたシルエットで、飾りは煌びやかだけど上品。リュクスクチュールと同じ紫色だけど、全く印象が違う。メイクも当然違うし、心なしか歩き方まで違う気がした。
「せ、先輩。あの、これはどういう」
「あら。アンタってそんなに鈍い子だったかしら?」
 悪戯っぽく笑って言われた。口を噤むと満足そうだった。
「大変だったのよ。ここの貸し切り。映画祭の打ち上げのパーティーにもよく使われる所で、人気があるの」
「……そう、なんですね」
 人気も納得の美しさだ。
「だから、ここが使えるのは大人の時間が始まるまで。……十二時なんかよりずっと早く魔法は解けてしまう」
 とても寂しそうな表情だった。なんだか胸が苦しい。
「それでもどうしても、ここでアナタと過ごしたかった。……一時間も無い、短い夢でもね」
 先輩は微笑みを浮かべて、左手をこちらに差し出した。
「お手をどうぞ、プリンセス」
 少し迷ったけど、彼に向かって歩き出す。なるべくプリンセスらしく淑やかな動きを意識して、決して無様にならないように。
 そうして正面に立って、右手を差し出す。先輩はその手を取って、優しく口づけた。いつの間にか穏やかな音楽が流れ始めている。
 先輩の右手が僕の腰を抱き、身体が密着した。
「左手をアタシの肩に添えて」
 言われるがまま置けば、よくできました、と甘く囁かれる。
「あ、あの、僕、ダンスは」
「知ってるわよ。足を踏まない事だけ考えて、アタシに合わせなさい。激しい動きをするつもりはないから」
 それぐらいならできるでしょ、と言われてしまって何も言えない。心臓の鼓動が伝わりそうなぐらいの距離感で、考えている余裕も無い。
 星空の見えるダンスホールで二人きり。
 本来はこんなにロマンチックな光景なのだと、今更思う。
 目の前には好きな人の顔。いつか離れてしまうかもしれない、大切な人。
 一時間も無い、幸せな夢。
「そんなに不安そうな顔しないで。ちゃんと足踏んでないから大丈夫よ」
「しょうがないじゃないですか。先輩はこういうの慣れてらっしゃるんでしょうけど」
 不意に、シェーンハイト先輩の表情が消える。驚いてそれ以上何も言えなくなってしまった。
 先輩が耳元に顔を寄せてくる。
「名前で呼んで」
 そう囁かれて、心臓が跳ねた。耳に吐息がかかってドキドキする。
「……ヴィル、さん」
「『さん』もいらない」
「………………ヴィル」
 やっとの思いで声に出す。心臓がめちゃくちゃな鳴り方をしている気がした。緊張で手が震える。
 先輩の顔が耳元から離れる。花が綻ぶような、幸せそうな笑顔が見えた。見ていると胸が切なくなるのに、暖かいものが満ちて溢れそうな気がしてくる。
「ユウ」
 優しい声で名前を呼ばれる。泣きたくなるほど嬉しいのに、笑ってしまいそうなほど悲しい。
「……世界一かわいい、アタシのお姫様」
 額が触れ合う。お互いの顔が視界いっぱいにあって、星空は見えない。
「愛してる」
 嘘偽りのない言葉。演技が出来る貴方だからこそ、言葉に込められた気持ちまで、真っ直ぐに全て伝わってきてしまう。
「……答えは今はいらない。だけどどうしても伝えたいの」
 声音はどこまでも優しい。余計に何も言えない。
「どうか忘れないで。記憶を失ったとしても、魂に刻みつけて」
 手が解けて、僕の両頬を包む。愛に満ちているのにどこか哀しい視線が絡み合う。
「ここに、アナタを愛している男がいる事を」
 両手を先輩の手に重ねる。頷く事さえ出来ずに、ただ見つめ合う。卑怯な沈黙にも先輩は何も言わず、ゆっくりと手を離した。少しだけ身体も離れて、だからこそもう一度手を差し出された。
「さあ、時間が許す限り踊りましょう。……付き合ってくれるわね?」
「……僕でよければ、喜んで」
 ドレスの裾を両手で摘まみ、少しだけ膝を折る。そうしてから差し出された手を取り、やっと笑いかける事ができた。先輩も笑顔を見せてくれる。
 子どもたちに許された、ほんの少しの幸せで無邪気な時間。
 その価値を噛みしめるように、この瞬間が永遠に続けばいいと願った。
 終わりの鐘が鳴る、その時まで。

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