真紅に想いを馳せて
クインズ・フィルム・スタジオ。
世界的に有名な映画制作会社であり、アニメーション映画『Beautiful Queen』が作られた所だ。当時からこの規模だったかはさておき、建物の広さが見た目通りではないこの世界の中でも、とんでもなく広大な敷地を有している。
実写版の撮影もこのスタジオで行われたらしい。複数の撮影スタジオの他に、オフィス棟や各分野の専門職向けの施設がある。
本来、スタジオ内部には関係者以外入れないのだが、ヴェニューさんの計らいで見学許可が出たという。
シェーンハイト先輩も出演者として何度も来た事があるそうで、非日常に目を見張っている野菜どもと違って非常に冷静だった。
「まずはオフィス棟で受付をするわ。こっちよ」
大きな門を抜けて守衛さんに会釈などしつつ、割とすぐ近くにある綺麗なビルに向かう。スタジオらしき他の建物と遜色ない大きさだけど見た目は普通のビル。とはいえ、色彩やデザインには他の建物とも何となく統一感がある。長い歴史の中で増改築とかしてそう。自転車置き場とかあるし。
建物に入って先輩が受付みたいな所で話をすると、応接室みたいな場所に案内された。ソファふっかふか。
道中にはスタジオが手掛けた映画のポスターやオブジェが整然と並んでいて、来客が退屈しないような内装になっている。無機質な印象を受ける名称とは裏腹に、オシャレな空間だ。
「来たわね、ヴィルくん!待ってたよ~」
応接室に入ってきたのは、いかにも仕事できそう、みたいな感じの綺麗なお姉さんだ。着ているものも品が良く、笑顔は優しそうな雰囲気。
「久しぶり。今日はよろしくお願いね」
「ん?この姉ちゃん、ヴィルの知り合いなのか?」
「私はこのスタジオの職員で、ヴィルくんとは何回も仕事をしているの」
不躾なグリムの物言いにも気にせず、笑顔で答えてくれる。謝罪したけどニコニコと笑って気にしないで、と言われてしまった。見た目通り優しい人だ。
「そうね。アタシが子役時代からの古い付き合い」
フレンドリーな態度も納得、という所だ。きっと仕事ぶりも凄い人なのだろう。先輩が信頼してる感じするし。
「あの頃は入社したての新人スタッフだったけど、今回の実写版『Beautiful Queen』では、ライン・プロデューサーを務めているそうよ」
「ライン・プロデューサー?それって、プロデューサーのエリックさんのアシスタントみたいなカンジっすか?」
「アシスタントかあ~。そうねえ、広い意味では合っているかな」
子どもの無知なコメントにも大人は優しい。なんかこの街に来てからずっと、大人の優しさに甘やかされている気がする。
「プロデューサーの父は、今回の映画で作品全体を統括している。スタッフィングやキャスティング、資金調達やクォリティコントロールとかね」
その下には、実務をまとめたり現場の判断やスケジュールを管理したり、とにかく様々な役職の人がいる。更にその下にも多くの人がいて、大量の人の仕事がひとつに束ねられて、大きな作品が出来上がっていく。
大作映画だけに関わっている人の数が尋常ではない。そうだよね。映画のスタッフロールで出てくる人の名前って凄い量だもん。
ライン・プロデューサーという役職であるこのお姉さんは、かなりの重要ポジションという事になる。
「今日は私がスタジオを案内するわ。よろしくお願いしますね」
そんな偉さを感じさせないフレンドリーな笑顔。挨拶を返せば笑みを深めていた。
「それじゃあ全員の受付をするので、この入館書類にサインしてください」
そう言って差し出された書類は、びっちりと文章が書かれていた。一瞬意識が遠のきかける。
「ふなっ!?なんかめちゃくちゃ長い文章が書いてある!!」
「秘密保持契約書よ。このスタジオは一般公開されていないから、来場者の守秘義務も多いの」
そりゃそうだ、と思いながら書類を手に取る。
まぁでもこういう所の契約書に書かれている事は、有りえない行動を取る人間を抑制するためのものなので、常識的な人間なら破る事はほとんど無い。せいぜい、物品破損の責任がどうとか、写真撮影の可否とか、情報の守秘義務とかそういう所だ。現代ではSNSの取り扱いも明記されてたりする。来た事も喋っちゃダメ、とかそういうの。
「長くて読むのダル……こんなでっけースタジオの書類ならちゃんとしてるっしょ。サインしとこっと」
大体の人間はこれで済む。し、これでまぁ問題ない。
基本的には問題が起きてしまった時のためのものだし。問題になる事をしなければいい。
「いえ。こういった書類は一言一句読み飛ばしてはいけません」
しかしこの人はそうはいかない。
アーシェングロット先輩は丁寧に項目ごとに音読しながら内容を確認していた。時折、お姉さんに用語の解説まで求めながらゆっくり確実に読み進めていく。
その間、とっくの昔にサインを終えた面々が苦い顔をしていたのは言うまでもない。
「……これが最終条項ですね。なるほど」
やっと終わったか、と先輩たちが息を吐く。
「では、もう一度確認しながら読み直しましょう」
再び全員が目を見開く。
普通の人ならこの辺で空気を読みそうなものだが、アーシェングロット先輩が引く訳がない。それを全員が知っているので、再び音読を全員が聞く羽目になる。読み飛ばしていたのに、嫌でも内容が頭に入りそうだった。
「…………よし、問題ありませんね。サインしましょう」
「何回読み直してるんすか!」
たまらずエースが突っ込みを入れたが、アーシェングロット先輩は涼しい顔をしている。
「契約とは慎重に行うべきものですよ」
「慎重を超えている……深謀遠慮のスカラビア寮にいる俺でもうんざりするレベルだ」
「なんなら契約書の裏をかこうとしてなかった?ちゃっかり得しようとしないで頂戴」
シェーンハイト先輩に釘を刺されたけど、アーシェングロット先輩は愛想良く笑っただけだった。この人は本当にもう。
「さ、まずはアニメーション棟へ移動しましょう」
お姉さんが明るく言った。僕たちは素直に従って建物の外に出る。
建物に入った時には無かった車が正面にあった。遊園地の移動用みたいな、フレームに屋根と座席だけの車。
「この電動カートに乗ってください」
「えっ、歩きじゃないの!?」
「ええ。映画スタジオは敷地が広いから、電動カートや自転車での移動が多いのよ」
大人数ならカート、少数なら自転車、という感じで使い分けられているらしい。
オフィス棟が普通にビルだから違和感なくて見過ごしてたけど、建物脇に自転車置き場があるのはそういう事だったんだな。
「オレたちだったら、飛行術で移動した方が楽だよなあ」
「……それはやめておきましょう」
アーシェングロット先輩が珍しく弱った顔をする。苦笑で流しておいた。