真紅に想いを馳せて


 店の外に出てもまだなんだか夢見心地だ。
 リュクスクチュールを身に纏ったまま降り立つクリスタル・ギャラリアは、質の良い靴を通して床の上質ささえ感じられるような気がした。
 あれからアーシェングロット先輩が靴を買ったり、シェーンハイト先輩のコーディネートのアドバイスを見せてもらったり、なんだかんだとショッピングらしい雰囲気で過ごせた。
 学生相手でも店員さんの接客は全く嘲りが無く、シェーンハイト先輩の存在感が大きいとは言え、純粋に嬉しい。
 自分の服装の違いを意識したつもりはないけど、なんだかこの高級な街並みに少し溶け込めたんじゃないか、なんて錯覚しちゃいそう。
 ……店員さん整列でのお見送りはさすがに圧倒されたけど。シェーンハイト先輩って本当に凄い。
 その凄い先輩の威光で、本来なら絶対に体験できない非日常を体験させてもらえていると思うと、凄く幸運だなぁと思う。
「次はどこ行く?」
「なんか食いに行こうぜ!」
「えー、やだ」
 訊いておきながら、エースがグリムの提案をばっさり切り捨てる。
「腹減ってないし、せっかくリュクスの服着てるし、オレはまだ服見たい」
「メシだ!」
「服!」
 ……こいつら、僕たちに選択権が無い事をもう忘れてやがる。
「コスメショップに行くわよ」
 意見を全却下された小ジャガたちを、シェーンハイト先輩は冷ややかに見下ろす。
「何のためにアンタたちを同行させてると思ってるの?アンタたちは今日、アタシの荷物持ち」
 実際、シェーンハイト先輩の買った物はバイパー先輩が持ってるし。そのうち僕にも回ってくるかも。
「この街についてこれただけでも感謝しなさい」
 高圧的な言葉に、先輩たちは勿論と笑顔で返し、後輩たちは不服そうに了解を返す。温度差に苦笑いしてしまう。
 シェーンハイト先輩は華々しいパサージュを迷いなく歩く。普段とメイクの雰囲気が違うから気付かれてないのか、ファンが駆け寄ってくる事はないけど、それにしてもあまりの美貌に目を奪われる人も多い。とはいえ高級商店街という事もあって客も品が良いのか、無遠慮な視線というほどもない。ここの人たちにとっては、世界レベルの有名人が来る事も珍しくないだろうしな。
 先輩が足を止めたのは、宣言通りのコスメショップだ。店頭のディスプレイには植物と一緒に化粧品の瓶やグッズがオシャレに並べられている。
 中に入ればすっきりと整頓された印象を受ける。それでいて紫色や黒を貴重とした店内は高級感とどこか遊び心を感じる内装だった。
「えっ、ここって……『フェリシテ・コスメティックス』じゃん!」
 エースが声を上げる。こちらも有名なブランドという事らしい。
 薬学に長けた女王を慕って『美粧の街』に薬師たちが集い、その後の化粧品の発達に貢献したという話は聞いたが、ここはその歴史の一部と呼べるお店のようだ。
 いわゆる化粧品に始まり、香水などの香りを楽しむ製品、精油やアクセサリーなどの派生商品も豊富。今は『Beautiful Queen』とのコラボで内装までアレンジされているとの事。
 自然由来の原料にこだわり、昔ながらの製法を守りながらも、最新技術を取り入れた商品開発を行っている、とシェーンハイト先輩は説明した。
 ディスプレイされた商品は多種多様だけど上品な統一性があって、コラボの限定商品も通常のラインナップも分かりやすい。……多分、一般学生が普段遣い出来る値段ではないだろうな。
 よく見れば、『Beautiful Queen』とのコラボアイテムもある。女王の好んだ黒を基調に外装は深い色合いでまとまっていて、シックな雰囲気。それでいて香水瓶もポーチも可愛いシルエットに思えた。
 どんな世代の人が持っていても馴染みそうな親しみやすさも感じられる。きっと今回の映画の大作ぶりを考慮して、値段はさておき、誰でも手に取りやすいように作られているのだろう。
「これはこれはヴィル様!ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは」
 奥から出てきた店員さんがシェーンハイト先輩に恭しく一礼する。見知った仲であろう事は見れば分かる。多分お店の凄く偉い人なんだろうけど、シェーンハイト先輩は一切物怖じしない。
「やっぱり、このショップのスタッフとも顔なじみなのか。そろそろ驚かなくなってきたな……」
 バイパー先輩の感想に苦笑する。
「ご予約いただいていたコスメセット、ご用意しております」
「ありがとう。買わせて貰うわ」
「畏まりました。すぐにお包みいたしますね」
 こんなやりとりに、アーシェングロット先輩が首を傾げる。
「普段から買われているものなのですか?」
「いいえ。今回買うのは映画祭を記念して作られた新作。実写版『Beautiful Queen』とのコラボアイテムよ」
 展示されてるこれか。
「ここのアイシャドウパレットとアイライナーのセットは普段から人気商品なんだけど……今回、映画を記念して美しき女王をイメージしたセットが発売されたの」
 しかも限定店舗のみの発売。凄いプレミアつきそう。
「この新作を使えば、知的かつ美しさを兼ね備えた印象的な目元を作れるわ。しかもアイライナーは大雨にも耐える優秀なウォータープルーフ」
 どんな撮影でも活躍しそうでしょう?と笑みを浮かべる。
 可愛いパッケージだからコレクション目的で買ってるのかと思ったけど、がっつり使うつもりっぽい。ある意味、凄く先輩らしいと思った。
「濡れても落ちないのはいいですね。もしかしたら海の中でも使えるかもしれない」
「そうね。『フェリシテ・コスメティックス』のものなら人魚のアンタにもおすすめできるわ」
 海の中でも使えるって凄いなぁ。それだけ技術が高いって事なんだろうけど。
 そう思うと、海の中での化粧の文化って独特なものが発展してそう。確か、深海だと色の見え方が違うとかあったよね?
 海の魔女も石像でしか見た事ないけど、もしかしたら凄い色彩のメイクをしているのかもしれない。
「そんなにいいなら俺も自分用に買っていくか。部活で汗もかくし」
「えー、部活で使えるとか超いいっすね。んじゃついでにオレのもお願いします!」
「却下」
 調子のいい後輩の要望が即時切り捨てられる。さすがバイパー先輩。
「ジャミルが普段使いするならブラック……いえダークブラウンも捨てがたい……」
 先輩がアイライナーのラインナップを見ながら考え込み、小さく声を上げる。
「そうだ。ルークから、ここのコスメを買ってきてほしいと頼まれていたんだったわ」
 ちょっと意外。ハント先輩がシェーンハイト先輩に頼みごとするなんて。
 ……いや、友達なんだから別に変な事ではないんだけど、内容があまりに現実離れしている気がする。修学旅行のおみやげ楽しみにしてるとか、そういうレベルじゃないじゃん、ここ。
「ルークさんは『フェリシテ・コスメティックス』を愛用しているのですか?」
「ええ。アイツにメイクを教えたのはアタシなんだけど、アイツ好みのメイクを色々試しているうちに、結局このブランドに落ち着いたわ」
 そして愛用も出来る財力もある、と。下世話になるから言わないけど、本当に同じ高校生って言いたくないぐらい環境が違うよなぁ。
 ハント先輩がメイクしている印象はあまりないけど、そうした自然な印象さえ実現するほど質が高い、という事でもあるのだろう。
「ヴィルさんにメイクを教えてもらえるなんて、ルークさんは幸運な方ですね」
「へー、ルーク先輩って、昔からオシャレ上級者だったのかと思ってた」
「昔のアイツはジャガイモそのものだったわ」
「ジャガイモ……!?小ジャガですらなく!?」
 シェーンハイト先輩の野菜に例えるあだ名は一見すると意地の悪い揶揄なのだけど、ちょっと面倒な愛情表現でもある。野菜は美味しく調理すれば栄養満点な料理になるからね。視覚的な彩りとしても欠かせない。
 野菜に例えられている間は、まだまだ未熟ながら成長の見込みがある存在だと思っている、という事だと勝手に思っている。
「ねえ。このルージュも貰える?」
「畏まりました」
 店員さんに示したのは、店舗限定と印のついた口紅だ。あのハント先輩が頼むのだから、やっぱりそれなりの理由があるんだな。
「なあ、ココは映画のメイクはやってねーのか?宇宙人とか怪獣みてーになれるヤツ」
「それは特殊メイクの事でしょ?ここはコスメの店。やれるわけないじゃない」
 そう返されても、グリムは何となく納得できない顔になっている。
「メイクって言ってんだから、同じじゃねーのか?」
「まったく違う。特殊メイクはラテックスやシリコンのパテなんかを使って別の顔を作る技術だ」
「その通り。……まあ、美しき女王はそんな技術を使わなくても老婆になれる薬品を作ったそうだけど」
「ああ。それを飲んで顔や体、声まで変えたという伝承がありますよね」
 ポムフィオーレの寮長選出方法の逸話から、個人的には『毒薬作りの名手』というイメージが強い『美しき女王』だけど、他の薬品作りにも精通していたらしい。中には製法が現代まで伝わっていない、お伽噺じみた効果の薬も存在するようだ。
 だけどその再現を求めた結果、この街の映画産業の後押しを受けて、特殊メイクの発達に繋がったという。現在でも並みいる世界の映画スタジオのある街の中で、美粧の街の技術者は特殊メイクの精巧さが抜きんでているとか。
 映画の表現の必要に迫られて技術が開発されたのか、研究によって産まれた技術が映画の表現を光らせたのか。今となってはどちらが先かは分からないけれど、『薬学』と『映像表現』という一見すると全く繋がらない分野をこの街が繋げていて、世界に名だたる名作を生み出してきた事は間違いない。
「だからこの街の技術者なら、特殊メイクでエースの顔をグリムみたいにするのも簡単でしょうね」
「ゲッ、例え話でもやめてくださいよ。想像しちゃったじゃないっすか!」
「逆にグリムの顔をエースみたいにも出来るわよ」
「ふな!冗談じゃねーんだゾ!」
 ちょっと面白そうなので見てみたいけど、怒られそうなので黙っておこう。

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