真紅に想いを馳せて


 シェーンハイト先輩がモデル、いや表現者として提供する最高のプロモーション。
 壮大な企画を前に呆然としている野菜どもをよそに、店員さんがシェーンハイト先輩に近づいてくる。
「ヴィル様、お飲物はいかがなさいますか?」
「常温の水をお願い」
「こちらのチョコレートはいかがでしょうか」
「遠慮しておく」
 先輩は慣れた様子で答えているけど、ド庶民には馴染みがない。
「え、なにアレ。オレ、服屋に来てドリンクサービスなんて受けた事ないんだけど」
「こういう店では珍しくないサービスだ。ヴィル先輩ほどの相手なら、なおさらな」
 さすがにバイパー先輩は知っているらしい。アジーム先輩は間違いなくこういうサービスを受ける側だもんな。従者であるバイパー先輩も多く立ち会ってきた事だろう。
 子どもっぽくしている訳にもいかないので、とりあえず大人しく突っ立っている事にする。そういえばまだ用事があるのかな。
 とか考えてたら、ショップマネージャーの男性が奥から出てきた。手に仰々しいケースを抱えている。
「お待たせいたしました。ヴィル様、ご一緒にオーダーいただいていたバッグでございます」
 出てきたのは、巨大な黄金の林檎……の形をしたバッグだ。学校の石像で女王が手に持ってる林檎のオブジェっぽいデザイン。眩しい金色だが、アクセントに入っている深い赤がゴージャス感を出しつつ黄金の割合の多さを下品にしない。これもまた『女王』を表現するアイテムの一つなのだろう。
 ティアラにグローブにバッグ。衣装が深い色合いで控えめな色彩なのは、こうしたアイテムの煌めきを邪魔しない為なのかな。
 それでいて女王が好んだのは黒だというので、なかなかに奥深い、気がする。恐らく、女王の時代には宝飾品産業が発展途上だった事もあるだろうけど、新しく生まれた未熟な輝きよりも、林檎の炭から作られるような堅実な色を好んだという事なんだと思う。
 きっと先輩が女王の立場でも、そっちを好んだだろう。そんな気がする。
「美しき女王って、林檎と何か関係あるのか?」
「とある少女の願いが叶うように、女王が林檎を渡したという伝承があるの」
 女王の物語を綴った絵本でも描写されている大事なシーンなのだとシェーンハイト先輩は語る。しかしグリムは絵本や物語にはあまり興味がなさそうな感じ。
「食いモンがもらえるなんて、その少女ってのはラッキーだったんだゾ」
 これである。首輪が上等になっても通常運転で何より。
「伝承によれば、心が清らかな優しい女の子だったそうですよ。それで女王から魔法の林檎をもらえたんだとか」
「なら、グリムが林檎をもらえるわけないってことじゃん」
「ふな!なんだと!」
 グリムを僕が抱え、エースをバイパー先輩が抑えた。むぐぐ、と唸り睨み合う二人を完璧に無視して、アーシェングロット先輩はシェーンハイト先輩に営業スマイルを向ける。
「ヴィルさん。その林檎のバッグ、衣装にマッチしてとてもお似合いだ」
「そう?見る目があるわね」
 シェーンハイト先輩も小ジャガの小競り合いには無関心だ。おかげでグリムとエースも程なく落ち着いた。
「今回の衣装をオーダーした時に、このバッグもオーダーしたの。リュクスクチュールに合わせた特注品よ」
「デザインもきらびやかですし、作りもしっかりしていますね。さすがだ」
 目利きのバイパー先輩も納得の仕上がりのようだ。素人には『なんか凄く綺麗』としか分からない。ド庶民は隔たりを感じる。
「リュクスのバッグをオーダーメイド……すっげえなあ」
 多分、僕と立場が近いであろうエースが感慨深げに言う。
「オレらじゃ普通の既製品だって買えないってのに」
「ビンボーだからか?」
「はっきり言い過ぎだろ」
「それもあるけどさぁ~」
 エースは溜め息混じりに言う。
「リュクスのバッグって、そもそも生産数が少なすぎてほとんど店頭に並ばないんだってさ」
「レア商品を求めて、パトロールのように何度も何度も店舗を訪れる方も多いと聞きますね」
 アーシェングロット先輩も頷いている。
 ブランド品と言えば高品質ゆえの希少性も価値って事だろう。ファンは大変そうだ。
「ヴィル先輩ほど影響力のある芸能人になれば、発売前から新作の情報が届くかもしれないけどな」
 確かにこんな広い店を貸し切り状態だし、顧客の中でもVIP待遇だもんな。間違いなく。
 グリムはきょとんとした顔で、事も無げに言う。
「だったら、ヴィルに頼んで買ってもらえばいいんじゃねーか?」
「……ヴィル先輩、お願いできます?」
「なんでアタシがアンタたちの買い物に協力しないといけないの?」
 エースの目上に甘える時のキラースマイル(普段より若干押し弱め)を、冗談にしたって面白くない、とシェーンハイト先輩は切り捨てた。
「小ジャガは高いバッグを買う前にまず自分を磨きなさい!」
「予想してたけど正論すぎてキッツ!ですよね~」
 どのみちオレが買えるような値段じゃねーけど、と溜め息を吐く。そうだよなぁ。Tシャツ十万マドルの世界だもん。バッグなんかいくらするんだか。
「カリム先輩なら、値段も聞かずに買えちゃうんだろうな」
「値段を聞かないなんて信じられません……」
「お前はどんなに安い商品でも値段を気にするからな」
「僕は物の価値と支払う対価が見合っているのかを確認したいだけです」
 バイパー先輩の嫌味っぽい言葉に、アーシェングロット先輩は真面目な顔で返した。
「どんなに高価でも、それだけの価値があるのでしたら躊躇無く購入しますよ」
「うわー、アズール先輩って無駄遣いとか絶対にしなさそう」
「そう言うエースさんは……まあ、人によっては勉強代というのも必要でしょう」
「あっ。今バカにしましたね?オレだってお金はそれなりに計画的に使ってますしー」
 エースもちゃっかりしているタイプではあるけど、普通の高校生の範囲は出ないイメージある。ナイトレイブンカレッジだと高校生離れした境遇も珍しくない中で、良い感じの『普通』っていうのかな。たまにジョークグッズというか、ネタ的な浪費に乗ってくれたりするし。
「ジャミル先輩は……うーん、どうだろう。なんか高い買い物とかも慣れてそうっすけど」
「慣れているというのは否定はしないが……カリムの為のものをアジーム家の財布で買っているだけさ」
 さらっと返してるけど、さっきの目利きぶりを見るに品質を見る目は確かなものが身についている。
「俺自身のものは、自分の懐事情に見合ったものを買っている」
 こうは言っても品質が判別できるからこそ、その価値判断は相当シビアなんじゃなかろうか。それこそアーシェングロット先輩と同じぐらいに。
 どんどん共通点が増えるな、この二人。
「堅実っすね~」
「ま、おかげで自然と物の良し悪しが分かるようにはなったよ」
 言いながら、バイパー先輩は店内の服に目を向ける。
「例えばリュクスのシャツは確かに高価だが、素材も上質だ」
「高級品って大事に扱ってこまめにメンテすれば、長く使えるって言いますもんね」
「そうね。ただ難しいのは、高いものだけが良質とは限らないってところ」
 順当に良い物を作るにはお金がかかる。同時に、余分な費用を削って作られるからこそ良い品もある。
 輸送コスト、人件費、材料費等々、値段の言い訳はいくらでもあるのだ。
「安くて良い品もあるし、高くて悪い品もある。結局大切なのは、見る目を養う事よ」
「そうですね。価格によらず、良い品を集めていきたいものです」
「何か欲しい物があるのですか?僕がお手伝いいたしますよ!」
「結構だ」
 相変わらずアーシェングロット先輩に冷たい。
「それに自分で手に入れるからいいんだろ。質のいいライダースジャケットを何年もかけて大事に育てる……とか、憧れるじゃないか」
 感じ入るような言葉がなんだか微笑ましい。バイパー先輩そういうの好きそうだもんな。既存のヴィンテージ品を買うより自分で作りたい、みたいな。
 それを聞いたグリムが笑い出す。
「オイ、ジャミル。ジャケットなんて育てても大きくなんねーし、実もならねーんだゾ。どうせならウマい実がなる木とかを育てた方がいいに決まってるじゃねーか」
「長く使う事で身体に馴染ませたり、風味のある色合いにする事を、育てるって言うんだよ」
 バイパー先輩が呆れ顔で教えてるけど、グリムはやっぱり納得いかない顔だ。
 グリムのストライプのリボンも年季が入ってるけど、あれは別にボロにしたいわけじゃなさそうだもんな。新しいリボンを貰うと喜んでるし。
「それなら良いブランドをいくつか教えてあげるわ。はっきりとした目標があれば、張り合いもできる」
「あれっ。さっきのバッグと言ってる事違くないすか?」
「違わない」
 バイパー先輩に優しく微笑んでいたシェーンハイト先輩が、エースには厳しい視線を向ける。
「アタシは楽して良い思いをしようとする奴が嫌いなだけ。高い目標を掲げてそのための努力を惜しまないなら、アタシは否定しない」
「ヴィルさんは本当に志の高い方ですね」
 アーシェングロット先輩の感想に思わず頷く。むっとした顔のエースが僕を見た。
「ユウなんか服に全く無頓着のくせに、なーに訳知り顔で頷いてんだよ」
「シェーンハイト先輩の志が高いのも、エースが楽して良い思いをしようとしてたのも事実だし」
「まぁ、アンタはもう少し狡賢く立ち回ってでも見た目に頓着してほしいんだけど」
 シェーンハイト先輩が溜め息混じりに言う。うう、そんな事を言われても。
「こういうハイブランドとか、故郷でも全く馴染みが無いので……」
「え、でもユウの両親って国跨いで仕事してるんでしょ?そういう仕事の人って、ブランドとか詳しくなるんじゃね?」
「えー……聞いた事無いなぁ、そういうの」
「ユウさんのご両親はどんなお仕事を?」
「うーん、貿易関係って言えばいいんですかね。インテリアとか素材とか、会社の指示で色んな国に行って実情を調べたり関係を作ったり、得意先同士の橋渡しをしたりしてるらしいです」
「普通にエリートの仕事じゃないか」
「どうなんでしょう……確かに、不自由ない生活をしてたとは思いますけど」
「むしろエリートじゃないと思う根拠は?」
「なんか、変な所に行ってる事が多いんですよ。高山の集落とか、ジャングルの奥地とか」
「ジャングル!!??」
 皆が揃って素っ頓狂な声を上げた。やっぱり『貿易関係の企業に勤めていて海外で仕事してる』って言われて出てくる行き先じゃないよなぁ。
「スーツもダメになっちゃう事が多いから数がいっぱい必要で、あまり高いものを買えないとかなんとか」
「な……なるほど」
「取引先がマフィアの愛人で浮気相手に間違われて銃撃されそうになったとか、暴動に巻き込まれて下水道に逃げ込む事になったとか、トラブルに巻き込まれる事も少なくないみたいで」
「現実にそんな事あるんですか!!??」
「一回、帰国してきた時にぐっちゃぐちゃになったスーツ一式見せて貰った事ありますよ。未開の部族の生け贄にされそうになって煤だらけになった奴。縄の跡とか残ってました」
 ぽかんとしている。嘘みたいだよなぁ。気持ちは分かる。あれは実際に見ないとガチだって絶対に分からない。
「現地で必要に追われて服を買うと余計な出費になるからって、帰国したら家の買い物のついでに量産品のスーツを見に行ってるイメージがありますね」
「大変ですね……」
「まぁ、いつもそういう現場ばかりでもないらしいですけど。面倒な所ばかり押しつけられがちみたいで」
「未開の部族に生け贄にされかけて生還してるからな……」
「あ、もしかしてユウの両親もめちゃくちゃ強いとか?」
「ううん。格闘技やってるのは僕と姉だけ」
「逆に凄くね!!??」
「何て言うか、父さんは割と人に好かれるのが上手いらしいんだよね。すぐ得意先に顔を覚えてもらえるとかなんとか」
 深く考えた事無いけど、言われてみればうちの父親って絵に描いたようなコミュニケーション強者だ。『言葉が通じなくても何とかなる』っつって本当に何とか出来ちゃうんだから。
「ヤバいクレームの対応に出向いて、手みやげ貰って帰ってきたのが会社で伝説になってるらしいです」
「凄まじい対人スキルですね」
「でもなんていうか、君に通じる所があるな」
「そうですかね?」
 皆が真剣な顔で頷く。そ、そんなに?
「土壇場での度胸やアドリブの強さは役者根性の現れだと思っていたけど、今の話を聞くとお父様から素質を受け継いでるのもあるんでしょうね」
「そう言われるとちょっと嬉しいです。僕、見た目も性格も両親にぜんぜん似てないから」
 たまに血が繋がってないんじゃないの?とか冗談半分の嫌がらせで言われたりしたんだけど、信じてないにしろやっぱ嫌だったからなぁ。
 和やかな空気が流れる。
 そしてはたと気付いた。
「グリム?どこいった?」
 僕が声を上げると、みんなも気付いてなかったらしく辺りを見回した。こんな所で迷惑をかけたらヤバい。弁償費用、学園長が被ってくれるなんて絶対に無いもん。
 っていうか、お店広々として綺麗だしディスプレイも無駄がないから、隠れる所なんか無いはずなんだけど。
 と、思って顔を上げれば、カーテンのかかったフィッティングルームが目に入った。恐る恐る近づいてみれば、なんだか甘い匂いが漂ってくる。
「失礼します!」
 一応声をかけてから、カーテンを開く。案の定、フィッティングルームの隅っこにグリムがいた。さっきシェーンハイト先輩に出されていたチョコレートを食べている。高そうな箱が開かれて、中身がほとんど無くなっていた。
「いったいどこから……ああああ……」
「そこに置いてあったんだゾ」
 指さした先はフィッティングルーム脇の小さな棚。多分、シェーンハイト先輩に勧めた後、一時的に置いておいたんだろう。まさかこんな盗み食いをする輩がハイブランドの店に来る訳がないのだから、そういう動作になるのも無理はない。
「ど、どどどどうしよう……いったい幾らするの、これ……」
「ん?ヴィルにくれたんだからオレ様が貰ってもいいだろ?」
「良くないって!僕ら先輩のオマケなんだから!」
「ほら、子分も食え!いつも食ってるチョコと違うけどウメェんだゾ!」
 どう叱れば伝わるか考えている隙に、グリムが僕の口にチョコを押し込んだ。吐き出すわけにもいかないとかそういう事を考える前に、口の中をチョコの独特の風味と上品でとろけるような甘さが支配する。この世の幸せをチョコに包み込んでいるような、全ての悩みが瞬時にどうでも良くなるような美味しさだ。
「……だ」
「だ?」
「だめ、こんな高くて美味しいチョコの味覚えちゃダメー!!購買のチョコ菓子じゃ満足できなくなっちゃうでしょうがー!」
 僕がグリムの肩を掴んで揺さぶると、さすがのグリムもちょっとばつが悪そうな顔になった。
 そんな僕たちのド庶民丸出しのやりとりを、店員さんたちや先輩たちが和やかに見守っている。
「ねえ」
「はい。ショコラトリー・ルブランの新作のアソートチョコレートでございます。お持ち帰りになられますか?」
「いえ、店の場所は知ってる。ありがとう」
 すっかり空っぽになってしまった空き箱を手に店員さんを振り返ると、にっこり笑って手を差し出された。
「す、すみません。おいくらお支払いすれば……」
「こちらはサービスでお出ししているものですから大丈夫ですよ」
 微笑みを崩さず空き箱を受け取ってくれた。女神がいる。
「本当に申し訳ありません……」
 皆さんに頭を下げたけど、ぜんぜん気にしている気配がいない。みんなニコニコ笑っている。だから余計に恥ずかしい。
「うう、もうずっと抱っこしてた方がいいかなぁ……」
「なんだ?普段は重いから歩けって言うくせに」
「こんな所でも盗み食いするとか、本当に肝が据わってら」
「にゃはは、オレ様ハイブラ気に入った!うめぇもんが食えるのは最高なんだゾ!」
 僕たちだけで来てもこんな待遇ないんだぞ、という指摘は店員さんの手前飲み込まざるを得なかった。

8/26ページ