特別なごはんの日
突然異世界に招かれ、帰る方法も分からないまま数ヶ月。
運良く衣食住を与えられ、なんだかんだとトラブルに巻き込まれながらも健康に毎日を過ごしている。
幸いにして異文化を飲み込むのに忙しく、スマホが無くてもゲームが無くても何とか楽しく慌ただしく平気でいられた。
だけど、もう限界が来た。
僕は日本人だ。
元の世界でだって毎日食べていたワケではないとはいえ、まるでそこだけ空白にでもなったように食生活から失われた彼らを、忘れる事など出来はしない。
お世話になっているナイトレイブンカレッジの食事はどれもおいしい。食堂には洋食とかエスニックは充実しているし、生徒の中にもプロ並みの腕前を持つ人がいて、おいしいものには十分すぎるくらい触れている。元の世界で自炊していた頃より良いものを食べている自覚もあった。
それでも、彼らを恋しく思う気持ちは忘れられない。
そう……白米と味噌汁を求める気持ちは、消えないのだ!!!!
と、いう事で。
学園長から支給される生活費に加え、モストロ・ラウンジや購買部でのバイトを経て、貯めたお金が目標額に到達した。
これで料理のための材料を買う。
いろいろと調べた結果、この世界には微妙に日本の文化に似ている地域が存在しているらしい。納豆や味噌など、こちらでは馴染みが薄そうな食材も購買部で買える。
ただ、詳しい情報があまり伝わっていないようで、こと料理に関しては情報が少ない。売ってる商品も種類が豊富というワケではないし、値段もかなり高額だ。学園長からの生活費だけでは買うのが難しい。
僕もここに来る前は実質一人暮らしみたいなものだったので自炊はしていたが、顆粒だしも調理用ソースも使っていたし、当然それらの作り方を知らない。だしの取り方は家庭科で習ったからうっすら覚えている、程度。
つまり異世界転生モノでよくありそうな『大豆っぽい豆があるなら発酵させて味噌を作ろう!』とかは出来ないのである。当たり前だ。チート能力なんて何も貰ってないし。
現在の立場上、わざわざお金をかけなくても食べられるおいしいものがいっぱいあるのに物足りないなんて贅沢な悩みだとは自分でも思う。でもまぁ必要に追われてとはいえ自分も『美食同好会』なので、研究という名目でこういう事をしても許される、はずだ。
うきうきと弾む足取りで購買部へと向かい、必要な材料を揃える。必要経費を残して貯金はすっからかん。浪費はなぜこんなに楽しいのだろう。良くないなぁ。
ちなみにグリムに話をしたところ『子分だけおいしいもの食べるなんてズルイ!』と言われたので、グリムも今日は大食堂を使わず一緒に食事をする。作るの僕だからグリムにとって美味しいかはわかんないんだけど。まぁ、エーデュースも今日は寮で食べるらしいので丁度良かった。
うきうきとオンボロ寮に戻り、買ってきた材料をキッチンに広げる。白米に味噌、ハンバーグの材料一式、あと何故か売ってただしパック。どういう目的で売れてるかは不明だが、ミステリーショップでは一番流通しているものらしい。本格的に出汁を取るのは自信がないので助かった。
お米を洗って炊いて、出汁をとって味噌汁を作る。具材は豆腐とわかめ。合い挽き肉のハンバーグの肉汁を利用して、缶詰トマトでソースを作る。付け合わせまで凝れないので、適当に野菜を炒めよう。
『手際が良いね~』
「ちゃんと出来る人に比べたらまだまだだよ」
『でも慣れてる感じはするよ。元の世界でも料理はしていたのかい?』
「必要な事だからねー。いつも外食には出来なかったから」
日常では面倒でたまらなかった作業だが、今はどうにも愛おしい。ひとつ余ったハンバーグは焼いてから冷凍して後日こっそり食べるようにしようかな。
『家庭に入っても安泰だね!』
「入る予定はないけどね」
「ほう、美味そうじゃねえか」
後ろからいるはずのない人の声がしてひっくり返りそうになる。ゴーストたちもぎょっとした顔になっていた。反応を見て、緑の目が嬉しそうに細められる。
「キングスカラー先輩……な、なぜここに」
「購買部の前を通りかかったら、買い物袋を抱えたウサギがやけに嬉しそうな顔で脳天気に歩いてるのを見つけちまってなぁ」
「つ、ついてきてたんですか!?玄関の鍵は!?」
「かかってなかったぜ」
「嘘つけー!!」
焦がさないように火を切りつつ抗議するが、相手はどこ吹く風だ。ニヤニヤ笑いながらダイニングの椅子に堂々と座る。
「……なんで座ってるんですか?」
「ウサギが悪いケダモノに食われないように見張ってたら疲れちまったんだよ」
「誰も頼んでませんけども!?」
「一歩も動けねえんだ。メシぐらい恵んでくれよ、優しいプリンセス?」
そりゃあ、あるけど。ハンバーグも一個余ったし、白米は冷凍できるように多めに炊いたし、味噌汁を二人分だけ作れるほど器用でもないし。
この人を穏便に追い返してくれそうな人が思い浮かばない。シェーンハイト先輩は追い返した後に絶対メニューに対する説教が来るし、ブッチ先輩は絶対に引き取りにこないし、ジャックも丸め込まれちゃうだろうし、ツノ太郎やハント先輩だと何て言うか建物が危うい。
それだったら一食分食わせてでもどうにか穏便に追い返した方が良い、はずだ。そう信じたい。
「ただいまー、なんだゾ!」
そんな逡巡の間にグリムが帰ってきてしまった。
「めちゃくちゃいい匂いなんだゾ……って、なんでレオナがいるんだ?」
「夕食に招待されてな」
「勝手に入ってきて帰ってくれないんだよ」
「オレ様のハンバーグは渡さねえんだゾ!」
「大丈夫、グリムの分は確保してるから」
呆れつつ食器の準備を進める。もうどうにでもなれ。食いたいって言ったのはあっちだ。文句言ったら問答無用で叩き出してやる。
一応、米だけは洋食器でも食べやすいように平皿にするけど。不要な食器を各所から多めに譲ってもらっといて良かった。
食卓の準備が進むほど、グリムの目がきらきらと輝いていく。見慣れないスープである味噌汁にはちょっと首を傾げていたけど。食べ始めるのは全員揃ってから、という取り決めも今やちゃんと守ってくれている。大人しくなったものだなぁ。
僕が席に戻り食事が始まる。いただきます、と手を合わせて味噌汁を一口。厳密に言えば同じ味ではないんだけど、懐かしい風味が口の中に広がって泣きそうになる。
「んまい!胡椒のきいたハンバーグにトマトソースが合う!ミソシルってのも匂いが奥深いのに丁度良いしょっぱさなんだゾ!」
グリムは夢中になって食べてくれた。工夫とか何もしてないから褒められるのは落ち着かないけど、気に入ってくれるのはそれはそれで嬉しい。
一方、キングスカラー先輩は無言で食べている。不味い、わけではなさそう。付け合わせの野菜に文句とか言うかと思ったけど、意外にも残さず綺麗に食べてくれた。食べ終わった後の食器が自然に綺麗。本当に育ちが良いんだな。
「ごちそうさん!うまかった~!」
全員揃って食べ終わり、なんだかんだで食後のお茶まで飲んだ。その間もキングスカラー先輩は特に何も言わない。
「ご馳走さん」
「あ、はい。どうも……」
席を立ったキングスカラー先輩を追いかける。玄関まで来て、意地の悪い顔で振り返った。
「あんなに嫌そうだったのに、見送りには来てくれるんだな?」
「玄関の鍵を閉める必要がありますんで!!」
率直に答えると、嬉しそうに笑う。なんだよ。
「手料理の感想は聞かないのか」
「……全部食べてくれたのが感想、だと思う事にします」
「……そうだな」
いつになく優しい笑顔で僕の頭を撫でた。咄嗟に反応できない。
「……玄関の鍵だが」
「あ、はい」
「クルーウェルかトレインに相談しろ。今のままだと魔法で簡単に開くから意味がない」
「……やっぱり魔法で開けてたんじゃないですか!」
先輩は子どもっぽく笑ったかと思えば、あやすように僕の頬を撫でる。
「次の招待も待ってるぜ」
「ド庶民の食事なんて先輩のお口に合わないと思いますけど?」
「つれない事言うなよ」
じゃあな、と先輩は笑顔を残して身を翻す。玄関の扉が閉まってすぐに鍵をかけた。
……ここに最初に来た時は、戸の立て付けが悪く鍵も錆びていて開けづらく閉まりづらかったけど、今は修繕が進んで難なく動くようにはなっていた。
今となっては盗まれて困るものも増えたし、ゴーストだって四六時中見張ってくれるワケじゃないし、確かに防犯意識の向上は必要だろう。今度相談してみよう。アドバイスを聞き入れたみたいで癪だけど、事実は事実だし。
キッチンに戻って洗い物を始める。ちらりと横目で、まだコンロにある味噌汁を見た。明日の朝ご飯は卵かけご飯に味噌汁と心に決めている。それで丁度食べきれる、はず。グリムはエーデュースと大食堂に行くだろうから問題ないはずだ。
終わった所で、グリムがキッチンにやってきた。いつもなら食後は談話室のソファでダラダラしているのに、どうしたんだろう。
「グリム、どうしたの?」
「ユウ、次はいつ料理するんだ?」
「別に決めてないけど」
「オレ様、ユウの作った他の料理も食べてみたいんだゾ!」
グリムは食事している時と同じキラキラした目で僕を見上げている。なんだか気恥ずかしいけど、そう言われて悪い気はしない。
「機会があったらね」
「楽しみなんだゾ!」