真紅に想いを馳せて
輝石の国・美粧の街。
近代的な建築物と古い様式の建築物が調和しながら共存する、美しい街だ。
この街には生涯に渡って美を追求した美しき女王の伝承が数多く残されている。薬品作りに精通していた女王を慕って薬師が集い、その技術は高められていった。やがて女王の美しさへの憧れを下地に技術は化粧品作りへと転用されていき、コスメの街としての発展が始まったという。
すると美を求める各国のスターがこの街に化粧品を求めて集うようになり、映画制作の分野がその立地に目を留め、映画スタジオが設立された。映画に出演する俳優が滞在する高級ホテル、彼らの纏う衣服や宝飾品を扱う高級アパレルショップや宝石店、美食を扱うレストランなども集まって街は洗練されていった。個人の服飾店も時代の流れの中でブランド化され、今や海外のブランド店と共にアーケード街を作るまでになっているらしい。
人が集まればこそ動かせない建物がある一方で、人が集まるからこそ作られる建物もある。そうした都合の寄せ集めが、現在の古くも新しくも美しい建物の並ぶ景観を作り上げた。
今や映画関係者だけでなく、高級店を好むセレブやインスピレーションを求めたクリエイターも足を運ぶ『美』を象徴する街となっている。
鏡の設置された場所から街の中心へと向かう道すがら、雑談のように先輩達が語った美粧の街の歴史はこんな感じ。一年生は相づちを打ちながら聞くばかりだった。
「先輩たちみんな詳しいっすね。特にヴィル先輩!」
「ヴィルってここで生まれたのか?オマエにピッタリって感じのキラキラしたところなんだゾ」
「あら、グリムにしては気の利いた事言うじゃない」
グリムの感想にシェーンハイト先輩は笑みをこぼす。
「でも残念。アタシが生まれたのはこの街とは別の場所よ」
シェーンハイト先輩は仕事の都合で小さい頃からいろんな国を回っていて、特定の場所を故郷と思う感覚はないのだと話した。あの口振りだと親の仕事の都合だけ、という訳ではなさそう。
確かジャックと同郷という話だったけど、それもいつぐらいの事だったんだろう。
「ただ、美粧の街は映画産業の中心とも言える都市だから、昔は仕事で頻繁に来ていたわ」
シェーンハイト先輩は俳優だけでなく、モデルとしても活動している。美粧の街ではファッションショーも多く開催されており、そっちの方面でも仕事があったとか。更に入学後もショッピングで度々足を運んでいたらしい。
たまにシェーンハイト先輩が自分と同い年である事を忘れそうになる。マジで住む世界が違いすぎる。
「この街の事は隅々まで知ってる。心の故郷って言われたら、まぁこの街を思い浮かべるかしら」
そう言って微笑む姿は、とても優しい雰囲気だった。彼の信条や美学に寄り添う場所であり、そんなこの街を心から愛おしく思っている事が見て解る。
ナイトレイブンカレッジでは最も歴史あるポムフィオーレ寮の寮長であり、最先端の美と流行を発信するインフルエンサー。文化に親しみ芸術を愛し、広い視野で時に性別の垣根さえ超える表現者。
まるで先輩はこの街そのものだ。この街に幼い頃から表現者として育まれてきたのなら、その親和性にも頷けるというもの。
街の中心に近づいているのか、段々と人のざわめきが大きくなっていく。行く手の先に、明らかに大きな建物があった。通りの物陰から様子を窺えば、賑やかな様子が伝わってくる。
「おっ、あのでっかい建物はなんなんだ?」
「あれが映画祭の会場、『クインズ・パレス』よ」
言われてよく見れば、確かに城のような豪華な装いだ。古いと言うにはきらびやかで、新しいと言うには権威を感じる。重厚で壮麗な雰囲気だ。
「あ!ここ、テレビで見た事ある!自分の目で見られるなんて、けっこう感激かも」
「あそこで映画祭をやるのか。綺麗な建物だな」
「映画祭の他にも、ファッションショーとかも開催されるわ」
美粧の街でも最大規模、または最高クラスのイベントホール、という事だろうか。凄まじく格式の高いファッションショーになりそう。
「ん?なんかあそこの階段、赤くなってるんだゾ」
グリムが言っているのは、建物の中央から伸びている赤いカーペットの事だろう。
「あれが有名な『タピ・ルージュ』だよ」
「タピ……なんて?」
クインズ・パレスの『タピ・ルージュ』。
いわゆるレッドカーペットの事らしい。なんか凄い人は赤い絨毯の上を歩いているイメージが何となくある。映画祭でも定番、だと思う。テレビとかで見てても大体床赤いし。
「タピ・ルージュを歩く事が出来るのは、映画スターとして一流と認められた証と言われている」
つまり映画祭の時のみに使われる、って事かな。
改めて見れば、集まった観光客はクインズ・パレスを撮影しているらしい。映画祭の間だけ敷かれるレッドカーペットを、朝に赴いてまで無人の間に撮影したいという人もいるようだ。
俳優としての栄誉、かぁ。
…………こういうのには憧れた事ないかも。僕の場合はお芝居するのが好きなだけだし。……でも、子役を辞めなければ、そんな夢もいつかは見ていたのかもしれない。
きっとシェーンハイト先輩は、いつかここを歩くんだろうな。……いやむしろ今回のプロモーションで歩くかもしれない。歩かない理由がなくない?
「アンタも俳優として、歩いてみたくない?」
訊かれて目を見開く。ちょうどそんな事を考えていたのを見透かされたようなタイミングだった。
「僕にはちょっと想像つかないです」
「あら、そう」
「でも、先輩が歩いてる所は見たいです」
「アンタってばそればっかり」
「だって先輩の方が似合いますもん」
僕はこういう晴れやかな所は合わない気がする。
主役ってあんま柄じゃないんだよなぁ。名脇役とかの方が憧れる。数少ない台詞で強烈に観客の印象に残るような、そういうの。
シェーンハイト先輩は呆れたように溜息を吐く。そしてクインズ・パレスの方に身を乗り出す勢いの同行者たちに向かって歩き出した。
「いつか共演者として、一緒に歩きましょうね」
「え」
ぽつりと囁かれた言葉はどこか甘い調子だった。顔を見ようとした時には背中しか見えない。
「静かにしなさい。周りに注目されたらどうするの」
「はーい」
じゃれあっていた面々が戻ってくる。
「今日はタピ・ルージュに近づく事もできないわね……あんなに人がたくさんいるんだもの」
「アレ全部観光客なのか?タピなんとかの周りにうじゃうじゃ集まってるんだゾ」
「いま会場の周りにいるのは、今日の映画祭に登壇する役者や監督目当てのファンたちでしょうね」
「へえ、映画祭ってもう始まってるのか」
という事は、無人の会場の撮影はついでって事かな。まぁでも無人でもキレイだし、思い出にはなるよなぁ。
「ヴィル先輩は会場に行かなくていいんすか?」
「アタシがプロモーションする映画が上映されるのは明日の午後だから」
シェーンハイト先輩がさらりと答える。そういえば日程まで確認してなかった。予想外れてるかも。
「ヴィル先輩がここにいるのがバレたら、面倒な事になるな……念のため、移動した方が良さそうです」
「その通りね。そろそろ移動しましょう」
バイパー先輩の提案にシェーンハイト先輩が同意を示した。行かなきゃいけない場所もあるし、と呟く。
「あ、映画スタジオの見学ですか?」
「スタジオは明日の午前中。見学できる時間は決まっているからずらせない。これから行くのは別の場所」
という事は、美粧の街に赴いた理由の大半は明日に集約されている。……なら、今日は何をするんだろう?一観客として映画祭を見るわけでもなさそうだし。
ついてきなさい、とシェーンハイト先輩が歩き出す。慌てて後を追いかけた。
「そういやヴィルが宣伝する映画って、どんなヤツなんだ?」
「僕も気になっていました。事前に調べてみたのですが、わかりませんでしたから」
「ああ、ヴィル先輩の名前がクレジットされた映画はなかったな」
先輩たちも調べていたようだ。早速答え合わせが出来そう。
成り行きを見守っていたら、ちらりとシェーンハイト先輩が僕を見た。先輩たちも僕を見る。
「ユウさんはご存じなんですか?」
「えっ、いやそういうわけでは……調べて自分なりに予想はしてきましたけど」
「オレ様のレポート作りを監視しながらスマホをいじってたのはそれでか」
「だって暇なんだもん」
「全然手伝ってくれなくて、明け方近くまでかかったんだゾ」
「グリムが自力で書かなきゃいけないんだから、僕が書いたら意味ないでしょ。絶対筆跡でバレるもん」
そもそもグリムがもっと余裕を持って取りかかってくれていればあんな事にはなっていない。根拠の無い自信に振り回される方の身にもなってほしい。
「で、ユウの予想は?」
エースが脱線した話を戻す。
「えっと、映画祭の日程までは調べてないんだけど……僕は『Beautiful Queen』って映画かなと」
「え、超大作じゃん」
「確かに、今回の映画祭の上演作品リストにありましたね」
「理由は?」
「だって『美しき女王』が題材の映画なんて、シェーンハイト先輩にぴったりじゃないですか」
「つまり、ほぼ勘ね」
エースが呆れた顔で言う。なんだよ悪いかよ。
抗議しようとした矢先、先頭を歩いていたシェーンハイト先輩が唐突に足を止めた。よく見ると肩が小刻みに震えている。
「え、ヴィル先輩どうしたの?」
「ああ……もう、本当にアンタって子は」
機嫌を損ねたのかと思うぐらい低い呟きの後、こちらを振り返る。予想に反して満面の笑みだった。と思った瞬間に視界が遮られる。
「どこまでアタシのお気に入りになる気なの?」
強く抱きしめられ頭を撫で回される。力が強い。息が苦しい。
「と、いう事は」
「大当たりよ」
「マジかー……」
「さすがユウさん、と言うべきでしょうか。普段からヴィルさんに目をかけられているだけの事はあります」
「……ヴィル先輩。そろそろ離してやらないとユウが窒息しますよ」
バイパー先輩の指摘でシェーンハイト先輩の腕が緩んだ。ぜえぜえ肩で息をしているとシェーンハイト先輩に背を撫でられる。
「抱きしめられてるぐらいで息を止めなくてもいいのに」
「すいません、無意識で」
「どういう意味よそれ?」
「と、とにかくもう大丈夫です。バイパー先輩もありがとうございます」
一生懸命ごまかす。
だって凄くいい匂いするから緊張するんだもん。それを言うのもなんだか変態っぽくてやだし。
シェーンハイト先輩はちょっと拗ねた顔をしつつも、咳払いをひとつして調子を戻した。また通りを歩き始める。
「実写版『Beautiful Queen』と言えば、世界中で話題になっている作品ですよね」
「ええ、そうよ」
原作は約九十年前に作られた世界初のカラー長編アニメーション映画。ポムフィオーレ寮のシンボルでおなじみ『美しき女王』をモチーフとして奮励努力を描いており、現代でも世界中で愛されているという。
それだけの有名作品を原作とした実写版リメイクとあって、今回の映画祭での上演はどこでも騒がれていた。
何せ大作だけに制作決定の発表から結構な時間が経過しているが、キャストやスタッフも伏せられており、場面写真一枚流出した事がない。ネットの映画ファンの間では妄想混じりの予想が飛び交っているような状態だ。
その予想キャストの中にシェーンハイト先輩の名前を挙げる人も勿論いた。まぁどれも妄想混じりだったんだけど、中には芸能活動をセーブしてるのもこの作品に集中するためでは!?なんて考える人もいたりして、実情を知る身にはちょっと面白かったりもする。
「つまりすっげー有名な映画にヴィルが出るって事か?」
「映画に出る?まさか」
シェーンハイト先輩はさらりと否定する。
「学校に通いながら、こんな大作映画に出演してる時間は無いわ。ナイトレイブンカレッジにいる間は、学業に集中するって決めてるの」
映画の撮影、それも世界規模で話題の超大作ともなればスケジュールは長期間押さえる必要が出てくる。いくら移動は鏡があるとはいえ、撮影自体は試行錯誤あるわけで、魔法で短縮できる事ばかりではないのだ。
一応ナイトレイブンカレッジは名門校で、出てくる課題も仕事の片手間に出来るレベルじゃない。元の世界にだってタレント向けの学校が存在してたけど、そういう所じゃないとバックアップも満足に受けられないだろうし、両立は厳しい、と思う。シェーンハイト先輩ほどの地位ともなれば、仕事の負担も大きいだろうし尚更だ。
勉強を疎かにしない、と言い切る先輩に対し、勉強が好きではないコンビが複雑な顔をする。
「勉強を優先とか、信じられねーんだゾ」
「ああ。俳優の方が楽しそうだよなぁ」
それは時と場合によると思うなぁ。演技の勉強だって大変なんだぞ。
外見のイメージが重用視されると身体も気遣わなきゃいけないし、台本の変更が急に入って対応したり、主役級になると演技以外のプロモーション活動でいろんな所に行かなきゃいけなくなるし。
どっちもしんどい時はあるし、どっちも楽しい時はある。
とか語ると凄く面倒な人っぽくなるので黙っておいた。
「キャストもスタッフも非公開というのは珍しいですよね。現代では特に」
ツイステッドワンダーランドもネットが普及しているので、みんなの興味を集める情報は凄まじい勢いで広がる傾向にある。
なので一般的にはネットもテレビも駆使しての情報戦略が当たり前に使われている。
情報を広げるからこそ、公開まで秘匿されたサプライズが効く、なんて事もあるしね。
「ええ。公開直前まであえて情報制限する事で、話題性を高める広報戦略なんですって」
特大のサプライズで、お客に最大の感動を与える為。
言ってしまえば、大筋のストーリーはみんなが知っている。原作は既に多くの人が親しんでいる有名な映画なんだもの。だからこそ他の部分の情報を限る事でファンの期待を膨らませている。
「特異な戦略ですよね。面白い試みだと思っていました」
「でもさ、元がいくら有名な作品でも、そんなに情報伏せてたらみんな興味無くしちゃうんじゃね?」
みんなが詳しいことを知らなかったら、そのまま話題にもならずに大コケしそうな気もするんだけど、とエースは続ける。
まぁそのリスクも勿論ある。あるけど、今回の『Beautiful Queen』に関しては当てはまらなそう。現にネット上でも映画祭と一緒に話題になってるわけだし。
「だからこそ、この映画祭のプロモーションが重要なの」
シェーンハイト先輩は艶やかに笑う。
「一瞬で強烈に人々の記憶に残って、心を掴んで話さない、センセーショナルな何かが……ね。それが何か、わかる?」
「ア、ハイ。それはヴィル先輩です」
エースが困った顔で答える。シェーンハイト先輩は無言で笑いかけた。
「何百億という制作費をかけた映画の成否を決める重大な仕事を任されるとは、さすがです」
アーシェングロット先輩がしれっと褒め言葉を挟む。そしてさらりとプロモーションの内容を聞き出そうとしている。
「今回の仕事は、役者ではなくモデルとしてプロモーションに協力するスタンス。映画のテーマである『美』にふさわしい人物だから起用したってプロデューサーが言っていたわ」
そりゃそうだな。
世界的な大作映画のプロデューサーから作品の命運を握るプロモーションに抜擢されるような人が、現在は学校の先輩という不思議な状況がイマイチ飲み込みきれない。なんだか繋がりの認識がふわふわしている。
「なるほど、明日はあのレッドカーペット……タピ・ルージュをヴィルさんが歩くのですね」
「出た!いかにも映画スターっぽい憧れのヤツ!」
「ああ。その写真が色んなマスコミで取り上げられて、映画の宣伝になるというわけだ」
「そう」
当のシェーンハイト先輩は後輩たちの言葉をさらりと肯定する。その様子がまた大物らしいというか、大人びていた。
「まさにザ・芸能人!華やかだよなあ」
自分も一緒に撮られたい、とエースが口にすると、バイパー先輩が冷ややかに笑う。
「着飾ったヴィル先輩の横に立ちたいのか?勇気があるな、エース」
アーシェングロット先輩もいつもの善意っぽく見えなくもない笑顔をエースに向けた。
「引き立て役にさえなれるかわかりませんが、応援しますよ、エースさん」
途端、鼻っ柱を軽く折られた感じになったエースが肩を落とした。
「う……たしかに、それはマズいかも」
エースもイケメンだとは思うけどなぁ。いやそれを言い出したらナイトレイブンカレッジの顔面偏差値は明らかにインフレ起こしてるんだけど。
しかしエースもやられてばかりではいない。むすっとした顔で先輩たち二人を睨む。
「ってか、オレをからかう時イヤミなくらい息ピッタリだったんだけど、二人って実は仲良いんすか?」
「そんなわけないだろう」
「ええ、そうなんです」
バイパー先輩はしかめっつらになり、アーシェングロット先輩は嬉しそうな顔になった。
アーシェングロット先輩はバイパー先輩と仲良くなりたいみたいだけど、バイパー先輩はアーシェングロット先輩を信用していないんだよなぁ。まぁでもこの二人が仲良くなったらそれはそれで大変そうだ。知略で学校を牛耳りかねない。
多分、これぐらいの距離感でいてくれた方が学園は平和だ。アーシェングロット先輩には申し訳ないが。