3:探究者の海底洞窟




「ほう、ここがオンボロ寮。中には初めて入りましたが、なかなか趣のある造りですね。学校から近いですし、モストロ・ラウンジの二号店にぴったりの立地です」
「ここ、ゴーストが住んでるんでしょ。面白そうでいいなー」
 ゴーストたちは見慣れない人間を警戒してるのか出てこない。好き勝手に見回る双子を放置して自室に入る。確か冷蔵庫の中には日持ちするものしか入ってないので、三日ぐらいなら大丈夫のはずだ。
 鞄なんて通学用のものしかないから、持っていけるものは限られる。とりあえず学校に通うのに必要なものと、最低限身繕いに必要なものは無理矢理押し込んだ。野宿になるなら寝間着はいらないだろう。タオルもかさばるから小さいものしか入らない。
 後は、とクローゼットに視線を向ける。開けば花の香りがかすかに漂ってきた。貰ってからまだ一度も袖を通してない服もある。底の方には、あの人から貰った封筒とメッセージカードが一緒に置いてあった。せめてそれだけは持ち出す。
 大切なものはこれだけじゃない。冷蔵庫もガスコンロも、バスタブも、入浴用品だって大事な宝物だ。どれも手放したくない。
「大丈夫だって。三日後の日没までに写真を持ってこられたら全部返してあげるからさぁ」
 振り返ると部屋の入口に、双子がニヤニヤ笑って立っている。クローゼットを閉めて、鞄を持ち上げた。封筒をポケットに突っ込む。
「随分と衣装持ちでいらっしゃるんですね。外見には頓着がないものと思っていましたが」
「貰い物でしょ?小エビちゃん男にもてそうだもんね」
「あなた方には関係のない事です」
 部屋を出ようにも、出入り口がぴったりと塞がれている。戸口と同じくらい身長が高いのが二人も並んでいれば壁が出来たのと同じようなものだ。
「パトロンの方がいらっしゃるなら、是非教えて頂きたいですね」
「善意の頂き物です。どなたが贈ってくれたのか、僕は顔さえ知りませんよ」
「ふぅん、ホントに?」
「ええ、本当に。送り主を捜すのはご自由にどうぞ。僕には皆目検討もつきませんし」
「そうですか、残念です」
 ジェイドが興味を無くしたように離れれば、フロイドもそれに続く。双子の気配が遠ざかるのを確認して、僕も出入り口に向かった。部屋の中を一度見渡してから、外に出る。
 玄関には双子と、風呂敷代わりのタオルを背負ったグリムがいた。中身はツナ缶だけだろうな。
「おふたりとも、準備はよろしいですか?」
「……ひとつ、念押しさせてください」
「何でしょう?」
「浴室にある、シャンプーなどの空き瓶。あれも僕の宝物なんです」
「へぇ、変わってんね。そんなんゴミじゃね?」
「あなたたちにしてみればそう見えるでしょうけど、大事な大事な宝物なんです」
 だから、と言いながら心から殺意を込めて二人を睨む。
「三日後、契約違反が確定するまでに、僕たちの私物に手を出したら、泣いて謝っても許さないから、そのつもりで」
 双子は無表情になった。しっかりと気持ちが伝わったようなので、にっこりと微笑む。
「あなた方の支配人にも、そうお伝えください」
「……承りました」
「……じゃあね~、小エビちゃんとアザラシちゃん」
 とっとと出ろとばかりに玄関扉を開かれる。背筋を伸ばしたまま、未練を見せないように外に出た。慌てて追ってきたグリムが、玄関扉の閉まる音で我に返る。
「オイ、ちょっと待て!アザラシって?今のアザラシってオレ様の事か~!?」
 当然、答えは返ってこない。冬も間近の、冷たい風が肌を刺す。
「……うう、今日からこの寒空の下で野宿かぁ……辛いんだゾ」
「……誰のせいだと思ってるんだよ……」
 気の抜けた声が出た。
 いやまぁ、アズールのせいでしかないけども。
 グリムだけがイソギンチャクを回避したって、どうせオンボロ寮を巡る取引は行われていただろう。そうなったらやっぱり宿無し、最悪奴隷だったのは変わらない。
 それでも恨み言のひとつぐらい言わせてほしい。じゃなきゃ同居人の頭にイソギンチャクが生えてる苦しみをどこにぶつけろってんだ。
「おーい、ユウ、グリム!」
 門を出た所で、鏡舎の方から人が走ってきた。エースにデュース、寮に帰ったはずのジャックまでいる。
「ふなっ!オマエたち、もしかして助けにきてくれたんだゾ!?」
「んー、グリムはともかく、ユウが宿無しになるのは、まあ、オレたちにも原因はあるし?野宿して風邪でもひかれると寝覚めが悪いっつーか」
「オメー、ホント素直じゃねえなあ」
 エースがグリムの頭のイソギンチャクを引っ張って黙らせた。じゃれ合う二人を横目に、デュースが咳払いする。
「ローズハート寮長に話はつけてある。僕たち一年生の四人部屋でいいなら、雨風をしのげる場所は提供できるぞ」
「ちょっと待て」
 デュースの提案を聞いたジャックが驚いた顔になった。
「お前ら、四人部屋に更に一人と一匹を押し込めるつもりか?ハーツラビュルに空き部屋はねえのかよ」
「ウチの寮は退学者も留年者もいないから、常に満員状態なんだ」
 そういえばそうだったな、と思う。四年生向けのゲストルームも、今は満員のようだとの事。
 現状、雨風が凌げれば文句は無いし、警備のゴーストに事情を話して学園長への嫌がらせも兼ねて学園長室前を陣取るつもりでいたんだけど、ゆっくり休める場所があるならそっちの方が良いとは思う。お風呂とか借りたいし。
「……なら、サバナクロー寮に来るか?」
 ジャックの提案に全員が目を丸くした。当の本人は頭をかきつつ目を背ける。
「アズールとの交渉に付いてってやると偉そうに言っておいて、結局何もできなかったからな」
 エーデュースは訝しげにジャックの顔を覗き込んだ。
「……何だ」
「レオナ先輩への点数稼ぎか?」
「違う!!!!次のテストのために、ユウにはアズールとの勝負に勝って貰わないと困るだけだ!!」
「ちょっと、ウチの子嫁入り前なんですのよー。変な事されたらどうするんですかー」
「なんなんだその口調……」
「男に嫁入り前もクソもないでしょうが」
 思わずツッコミを入れたが、エースは口を尖らせる。
「だってサバナクローだぞ。肉体派の野獣の園」
「偏見にも程があるだろ」
「まぁ、殴れば話が通じると思えば気楽かな。ハーツラビュルはいろいろルールが多いし」
「そうだコイツ脳筋だった!!」
「でもまぁユウなら確かに……寮生も好意的な今ならサバナクローの方が、ゆっくり休めるかもしれないな」
 デュースもジャックの意見に傾いている。エースだけちょっと不満げなままだ。
「ウチの寮だと床に寝るか、僕かエースのベッドに一緒に寝る事になるからな」
「別に問題ないっしょ」
「あるだろ。これが」
 デュースが頭のイソギンチャクを指さす。エースがやっと気づいた顔になった。
「オレたちが頑張って寮長に許可を取り付けた意味は!?」
「気持ちは受け取ったよ。本当にありがとう」
「気遣われたら余計に悲しいっつーの!!」
「オンボロ寮取り返したら泊まりで遊ぼうよ。休暇入ったら会えなくなっちゃうみたいだしさ」
 エースは複雑な顔でため息を吐く。
「……気が変わったらいつでも言えよ。一度断ったから、とか思わなくていいからな」
 デュースも頷いて同調を示す。自分もほっとして自然に笑みが浮かんだ。
「ありがとう、ふたりとも」
「……話はついたな」
 ジャックがあくびをかみ殺しながら言う。
「じゃあ、さっさと寮に戻るぞ。もう十二時近いじゃねえか……」
 誰ともなく鏡舎を目指して歩き出す。他愛ない話をしながら、束の間の穏やかな時間を過ごした。
 鏡舎に入り、鏡の前で二手に分かれる。
「んじゃ、また明日な」
「おやすみ」
「おやすみ、二人とも」
「おやすみなんだゾ」
 挨拶を交わして、ハーツラビュルの鏡に入る二人を見送る。そしてジャックに続いて、サバナクローへの鏡をくぐった。


15/53ページ