3:探究者の海底洞窟




 案内された部屋は、十代の学生が使うには不釣り合いな印象だった。……モストロ・ラウンジからして、店の雰囲気はだいぶ不釣り合いだけども。多分、大人の世界への憧れみたいなものをくすぐるデザインにしているんだろうと思う。敵地でさえなければ、僕もカッコいいと思っただろうし。
 まず目を引くのは奥にある巨大な金庫らしき扉。映画やドラマでしか見ないようなものなので、ジャックが『金庫』と呼んで初めて気づいた。内装に海のモチーフは使われているけど、客席のように寮の外を見渡す窓はなく、壁を本が埋め尽くしている。
「なんだここ……本当に学校内か?」
「さあ、突っ立って入り口を塞いでいないで、奥へどうぞ」
 導かれるままにソファに腰掛ける。対面にはアズールが座り、程なく紅茶が運ばれてきた。双子はそのまま、出入り口の傍らに控えている。
「それで?僕に相談というのは?」
「みんなからイソギンチャクを外してほしいんです」
 とっとと切り出す。言い方を変えた所で何か変わるとは思えないし。
 アズールは予想通り、とでも言いたげに機嫌良く笑ってみせた。
「これはまた……突然、横暴なことを仰いますね。僕と契約した生徒、二百二十五人の解放ですって?」
「二百二十五人!?そんなに契約してやがったのか」
「今年はジェイドとフロイドが精力的に営業活動をしてくれましてねぇ……おかげさまで、たくさんのお客様と取引させていただきました」
 今年の方が噂が広まってしまった、というのは彼ら自身の営業の成果でもあったらしい。
「さて、ユウさん。あなたは生徒たちを自由にしてほしいと言いますが、僕は彼らに不当な労働をさせているわけではありません」
 暴力で人を支配しておいて何とも厚かましい言葉だと思うが、指摘した所で特に意味は無いだろう。そこを恥に思うような奴なら最初からこんな事はしない。
「彼らは契約書の内容に合意し僕と『契約』を交わした。『契約』は可哀想、だとか、そんな感情的な理由で他人が口を挟めるものじゃあないんですよ。つまり、一昨日お越しください。……という事です」
「つまり門前払いで当然、話を聞いてやる余地は無いと」
「あなたがそれで良いのであれば、そうなりますね」
 アズールはにこやかに微笑んでいる。ジャックは苛立たしげに睨んでいるが、効いた様子は無い。
 あくまでも、自分から取引を持ちかける事はせず『依頼人の願いを叶える』という前提を保つつもりのようだ。
「……代償と引き替えにどんな願いでも叶えてくれる、というのは本当ですか?」
「ユウ!?」
 ジャックの顔の前に手を出して制止する。
「感情的な理由では口を挟めないなら、理論的な理由……『契約』を経れば出来ると。そういう事ですよね?」
「ほう、僕と取引をしたいと?面白い事を仰る」
 面白い事も何も最初からそれが目当てだろうが。
 と、こちらが思っている事も向こうはお見通しだろう。出来るだけ涼しい顔を作る。
「小エビちゃん、度胸あるじゃん」
 はやし立てる声は無視をした。顔を見なくても双子がニヤついているのが想像つく。
「……あなたが僕と取引したいのはわかりましたが……しかし困りましたね。確かユウさんは魔法の力をお持ちでない。美しい声もなく、一国の跡継ぎというわけでもない。本当にごく普通の人間だ」
 容姿と戦闘能力を担保に求められたら、というのは多少考えたけどやはり無さそうだ。魔法が使える世界ではそんなものの価値は微々たるものだろう。
「それだけ大きなものを望むのでしたら、相応の担保が必要です。……例えばユウさんが管理しているオンボロ寮の使用権、とか」
 眼鏡の奥の目がキラリと光った気がした。ジャックも同じものを感じ取ったのだろう。
「てめーら、最初からそれが狙いで……!」
「その話、乗ったぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
 ジャックの声を遮るように扉が開かれた。全身泡だらけの謎の生物が飛び込んできたかと思うと、グリムの声で叫ぶ。
「も、もうこんな生活嫌なんだゾ!オレ様の毛は食洗機じゃねえってんだ!」
 テーブルに乗ってぶるぶると体を震わせて泡を飛ばすと、半泣きでアズールに向かって叫んだ。双子が静かにテーブル横まで歩いてくる。
「グリムくん。従業員が仕事をサボって立ち聞きとは感心しませんね。フロイド、つまみ出しておしまいなさい」
「はぁ~い」
「まあまあ、待ちなさい二人とも」
 問答無用でグリムを掴んだフロイドを、アズールが止める。私は慈悲深いでしょうとでも言いたげな視線を僕に向けた。
「ユウさん、唯一の寮生であるグリムさんがこう仰っていますよ」
 自分が綿密に編まれた罠の中にいる事を確信する。
 グリムが契約した事は偶然だと思っていたけど、噂の事を僕が知らずにグリムが知っていた時点で、もっと疑うべきだったのかもしれない。
「どうします?オンボロ寮を担保に、僕と契約なさいますか?」
「うう、ユウ~……助けてくれぇ……」
「おい、ユウ。やめとけ!どうせこっちが不利な条件での契約に決まってる」
 グリムを残したのは同情というダメ押しだ。そしてここで契約をしなかったとしても、学園長がオンボロ寮をアズールに譲ると決めれば、僕らは追い出される。もしかしたら学園長は、僕の身柄までアズールに引き渡すかもしれない。
 そうなってしまえば本格的に逃げ場はない。元の世界に帰れるかすら危うい。無一文で追い出されるより悪い状況だ。
 知らない世界に勝手に連れてこられた上に、自分の意志を無視して奴隷にされるなんて冗談じゃない。
「契約の条件は?」
「その潔さ、気持ちが良いですねぇ」
「おい!お前、本気かよ」
 ジャックを無言で睨む。ばつが悪そうな顔で黙った。視線をアズールに戻す。
「続きをどうぞ」
「契約の達成条件は『三日後の日没までに、珊瑚の海にあるアトランティカ記念博物館からとある写真を奪ってくる事』」
「写真?」
「美術品を盗んでこいって言うのか!?」
 双子のどちらかが息を飲んだ気配がした。支配人の提案に驚いている、と思うのだが今はどうでもいい。
「いいえ、美術品ではありません。奪ってきてほしいのは、十年前撮影された、リエーレ王子の来館記念写真です」
 アズールの表情は真剣そのものだ。
 価値のあるものを快楽で求めている顔ではない。でも、ただお遊びの条件にテキトーに選んだものでもないとも感じる。
「博物館の入り口近くに飾ってあるもので、歴史的価値など一切ないただの写真パネルです。拝借した所で、大事になったりしません」
「じゃあ、なんでそんなコトさせるんだゾ?」
「それなりに難題でないと勝負にならないでしょう?あまり簡単な条件では、僕が損をするばかりですからね。こちとら慈善事業じゃないんですよ」
 最後の言い方は完全にドラマに出てくるヤクザの台詞だ。この態度で『慈悲深い』とはよく言ったもんだ。過大評価が過ぎる。
「……アトランティカ記念博物館は、珊瑚の海の国宝などが収蔵されている、有名な観光名所です。海底で一粒の砂金を探すような話ではありません」
「そーいえば、オレたちもエレメンタリースクールの遠足で行ったっけ」
 双子が言葉を添えるが、ジャックが割り込んでくる。
「ちょっと待てよ。『珊瑚の海』って国は国自体が海の底にあるはずだろ。エラもヒレもない人間には滞在する事すら難しい。こっちの条件が厳しすぎるんじゃねえのか」
「そうだそうだ。オレ様、水の中じゃ息ができねえんだゾ!」
「その難問を自分で乗り越えてこそでしょう……と言いたいところですが、ご安心ください。君たちには水の中で呼吸が可能になるこちらの魔法薬を差し上げます」
 アズールが杖を振ると、テーブルの上に貝殻のような形をした瓶が出現した。そこそこ大きなガラス瓶で、蛍光色の黄緑の液体がなみなみと入って中で揺れている。……人が飲むものの色をしていない。
「海の魔女も、人間に恋した哀れな人魚姫に陸を歩ける足をつけてあげたそうですから。大切なのは慈悲の心……ですよ」
「盗みを働くというリスクを犯すのは僕たちですよ。住まいを取り戻しても牢屋行きじゃ意味がない。自分たちが譲歩している、みたいな顔はやめていただけますか」
「随分な言いぐさですね。ご自身の立場がおわかりになってますか?」
「奴隷になりたくなければ盗みを働けなんて発言こそ、不用意なのでは?ずいぶん強気なんですね」
「合意の無い録音に証拠能力はありませんよ」
「誰も録音してるなんて言ってませんよ?」
 にっこり笑ってやる。実際録音なんかしてないもん。ジャックも横で明らかに動揺してるからしてないだろう。
「僕は盗みを働くという行為に対し、責任の所在をきっちりしてほしいだけです。魔法薬の提供は条件の譲歩ではなく、あなたが取引条件を提案したという証拠として、あなたが負うべき責任でしょう」
 いつの間にかアズールから笑顔が消えている。
「先も言いましたけど、取り戻したけど牢屋行き、管理者がいなくなったらとっとと乗っ取って結局あなたがうまい汁を吸うなんて、到底許せないんですよ」
「ではどうしますか?イソギンチャクを見放しますか?」
 厳しく睨みながらも、笑みを口元に浮かべている。
「僕はあなたの願いに対し、妥当と考える条件を提示しただけの事。それをあなたが了承すれば契約が成立し、しなければ不成立となるだけ。僕としては、あなたがここで契約しなくとも何も困らない」
「ユウ~……」
 アズールの言葉は事実だろう。取引の相手が学園長に変わり、少々大人相手のシビアな取引になるだけ。そして僕の運命は最悪な方向に転がる事が確定する。
「どうします?僕と取引し、契約書にサインしますか?僕もヒマではないんです。早く決めてください」
「……わかりました。契約しましょう」
 アズールの表情が余裕の笑顔に変わる。勝った、と思ってるのが分かった。
 まぁ、今の所こちらに勝算は何もない。そういう顔になるのも当然だろう。
「ではこの契約書にサインを」
 アズールが杖を振ると、どこからか金色の契約書が現れ目の前に降りてきた。表面には大きく取引の条件が記されており、細々とした注意事項が下部に続いている。全部読むのに何分かかるだろう。そんな時間はくれないようだけど。
 渡された万年筆で名前を書く。紙に書いてるにしては不思議な質感だった。
「確かに頂戴しました。これで契約は完了です」
 契約書がアズールの手に渡る。
「三日後の日没までに、アトランティカ記念博物館から写真を奪い僕の元へ戻ってくる事が出来れば、僕の下僕である二百二十五名のイソギンチャクたちの自由を約束しましょう」
 得意げな表情から、更に笑みを深める。
「でも、もし奪ってこられなければ……オンボロ寮は僕のもの、そしてあなたもまとめて僕の下僕になってもらいます!」
 瓶を受け取って立ち上がる。何も言わない僕をジャックが心配そうに見ていた。
「グリムくん、君も寮に戻っていいですよ」
「ふなっ?」
「たった今から、オンボロ寮は僕の管理下となります。お二人には即刻退去して頂きますので」
「なっ!?そんなんアリかよ!?」
 アズールは当然という顔で肩を竦める。
「他の皆さんには契約時に担保として能力をお預かりしています。あなただけに例外を認めるワケがないでしょう?」
 言われてみれば納得、とは思わないが、他を引き合いに出されると居心地が悪い。
「大丈夫ですよ、身支度を整えるくらいの時間は差し上げます」
 もっとも、と言いながらアズールは目を細める。
「あの建物が正式に僕のものとなったら、中の私物は全て処分させて頂きますので、そのつもりで身支度なさると良いでしょう」
 怒り心頭のジャックの腕を掴み、縋るような目で僕を見るグリムに首を横に振る。
「ジェイド、フロイド。お客様のお見送りを。三日後を楽しみにしていますよ」


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