3:探究者の海底洞窟
オクタヴィネル寮は寮内に店舗を構えている都合上、他寮の生徒が寮内にいる事に慣れているようだ。僕はともかく、強面で警戒心バリバリのジャックまでスルー出来るのは凄いと思う。いやまぁ、サバナクロー寮の生徒だし、とか思われてそうだけど。
開店時間が放課後以降になるからか、営業時間は夜十時半までとなかなかに遅い。そして夜九時でも満席とかなり賑わっている。どの寮も門限けっこう緩いんだな。まぁ鏡舎まで行けば鏡は隣り合わせみたいなもんだし、抜け出すのも難しくないのかもしれないけど。
「あー、小エビちゃ~ん。いらっしゃ~い。それにウニちゃんも来たんだ」
「だからウニじゃねえっつってんだろ!」
揃って出迎えた双子をジャックが威嚇する。どうどう。
「おや……これはこれは。早速のご来店ありがとうございます。ようこそ、モストロ・ラウンジへ。当店のご利用は初めてでいらっしゃいますね?」
「昼から思ってたが……あんた、わかってて質問するのが趣味なのか?」
「ふふ、念のためですよ」
ジャックの睨みを物ともせず、ジェイドは涼しい顔で続けた。
「では僭越ながら、当店をご利用いただくための諸注意を説明させていただきます」
モストロ・ラウンジは紳士の社交場、とジェイドは前提を置く。他寮との揉め事は御法度で、どの寮の生徒もオクタヴィネルのルールに従う事となる。
つまり、ウチの縄張りで勝手したらぶっ飛ばすぞ、っていう割と当たり前の事を言っているわけだ。普通にお茶を楽しむだけならなんら問題はないが、トラブルになれば有用かつ分かりやすい内容。シンプルながら経営者側には融通の利く、都合のいい設定だ。
「ルールを守って、楽しくラウンジをご利用くださいね」
そんな事を感じさせる様子はなく、ジェイドはにっこりと愛想良く笑っている。
「さて……お客様、本日のご用件は?」
「支配人の方とお話がしたいです」
まっすぐに相手を見て言うと、笑みを深める。
「ふふふ……かしこまりました。今、支配人は別のお客様のご相談をお受けしておりまして。しばらく店内でお待ちいただけますか?」
そこまで言ってそうそう、と白々しく付け加える。
「当店はワンドリンク制です。必ずなにか一杯、ご注文くださいね」
ちゃっかりしてんな。いや世の飲食店は大体そういうもんだけど。取引相手は別、にはならないようだ。
「イソギンチャクさん、こちらオーダーお願いします」
「悪いが、ドリンクを運ぶのが先だ」
「混んでるんだし、注文くらいアンタが取れっての!なんでもかんでもオレらにやらせてのんびりしやがって」
イソギンチャク……もとい、エースとデュースがトレーを抱えて言い返す。しかしそれを許してくれる相手ではない。
「イソギンチャクの分際で、口答えとは良い度胸ですね」
ジェイドが少し指先を動かすと、見る間にイソギンチャクたちの表情が変わる。
「いででででで!」
「イソギンチャクを引っ張るのはやめろ!」
「僕はアズールに新人指導を言いつけられていますから。口答えする生意気な新人には躾をしなくては」
「あだだだだだだ!!わかった、わかったから!」
「……紳士の社交場が聞いて呆れる」
わざと聞こえるように声を大きくした。ジェイドが目を細める。
「客にスタッフの悲鳴を聞かせるなんて、とんだサービスもあったものですね。それとも、こちらの寮の方はそういうのがお好みなんですか?どうやらこの店の紳士の定義から、僕の知るものとは違うみたい」
「おや……不愉快な想いをさせて申し訳ありません。何分、不出来なイソギンチャクが多いもので」
「言う事聞かない困ったちゃんは、オレたちが絞めていい事になってるんだよねぇ~」
「新人いびりを見せられるなんざ気分が悪いってんだ」
ジャックが舌打ちしながら言うと、フロイドが不機嫌な顔になる。
「じゃあ、お前らがコイツらの代わりに店を手伝ってくれんの?」
それを聞いたエースがぱっと笑顔になり、話に割り込んできた。
「あっ、それいい。それでいこう!今からユウとジャックが、臨時で手伝いをするって事で」
「てめ、なに勝手に決めてんだ!」
「真面目に働いてくれるなら、僕らは誰でも構いませんが……」
エースは僕とジャックを引っ張って顔を寄せてくる。頭のイソギンチャクを気にしないように何とか堪えた。
「マジでしんどいんだって。裏でグリムも身体中泡だらけになって洗い物してるんだぜ?頼むよー」
「……しょうがねえな。早めにカタをつけて、さっさと帰って寝たい」
「寝るって、まだ九時だろ。お前、普段いつ頃寝てるわけ?」
「いつも十時にはベッドに入ってる」
「マジでただの良い子か、お前は!」
「睡眠時間はちゃんと確保しないと体に悪いよ」
ジャックがうんうんと頷き、エースが呆れ顔で肩を竦める。フロイドが苛立たしげに声をあげた。
「小エビちゃんとウニちゃんも店の手伝いするって事でいーのね?」
「でしたらユウさん。そのクソダサいメガネは是非外してください」
しれっと言われた。フロイドもジェイドの横でニヤニヤしている。
「お客様なら許せますが、臨時でもスタッフの身だしなみはきちんとして頂かなくては。紳士の社交場ですので」
明らかに喧嘩を売られている。僕もさすがにムカついた。でもここはオクタヴィネル寮の中であり、先の説明を受けた以上は殴りかかるワケにもいかない。挑発に乗らない、というのがこの先は重要だと納得した。
メガネを外して胸ポケットにかける。おお、という声がどこかから聞こえた気がした。ついでに髪も一つにまとめる。
「これでよろしいですか?」
「とても素敵です。制服のままなのが残念なくらい」
涼しい笑顔で返してくる。マジで腹立つ。
「さあ、お客様をお待たせしてはいけません。……ジャックくん、接客の時は愛想良くお願いしますね」
最後の言葉にはエースが吹き出していた。ジャックが睨んでたけど、エースはオーダーを取りに行くという顔で逃げていく。
「んじゃ、まずこのドリンクを三番テーブルに持ってって。番号はすぐ見えるトコについてるから」
「はい」
トレーを受け取って店内を見渡す。さっきのいざこざの間に入店待ちの客が若干増えたようだ。今は関係ない。
落ち着いてるカフェなんてイメージが湧かないけど、とりあえずちょっと愛想良くすればそれっぽくなるだろう。柔らかな表情を意識しつつ、背筋を伸ばして歩く。
「お待たせしました」
「は、はい!」
三番テーブルの二人連れがビクッと体を跳ねさせる。丁寧にテーブルに置いて、失礼します、と言って離れた。大体こんな所だろう。ちらっと見たらジェイドもフロイドもニヤニヤするばかりだ。言いたい事があればここぞとばかりに言うだろうし、気にしなくていいだろう。
「次はどれ?」
「あ、これ、八番にお願いします」
「はいどうも」
さっさと注文を届けに移動する。
「ここでバイトしてるんだ?」
「今日だけお手伝いなんです。ごゆっくりどうぞ」
「あの、追加のオーダーいいですか?」
「係の者が参りますので少々お待ちください」
「れ、連絡先を教えてもらえませんか?」
「スマホ持ってないので無理です」
「これ俺のアドレスなんで、よかったら連絡ください!」
「個人的な贈り物はお受け取りできません」
段々見慣れてきて欲が出てきたらしい客からの要求がうざくなってきたが、相変わらず助け船はない。長居している客を追い出し新しい客を入れる事に手間取っているようだ。
「はい、七番の料理できました!お願いします」
「はいどうもー。食器下がってくるんで置く場所空けてくださーい」
「十三番とテイクアウトの注文票置くぞ」
単純に人手が増えた事もあるが、ジャックの有能ぶりが半端ない。記憶力が良くてオーダーミスもすぐに気づくし、力持ちだから何でもさっさと運べる。そして見た目があの威圧感なので、面倒な客に絡まれる事がない。うらやましい。
イソギンチャクたちも不慣れながら頑張って働いているし、閉店が近づけば客足は鈍る。ラストオーダーを目前にする頃には、空席が半分となっていた。
「かなりいい感じに捌けたじゃん。手伝ってくれてありがとねぇ、小エビちゃんたち」
フロイドはずいぶん上機嫌に笑っている。無邪気に見えるけど底は知れない。
不意に、どこからか拍手の音が聞こえた。探して振り返れば、マフィアのボスみたいな格好の少年が立っている。とても満足そうな笑顔だが、こちらとしては癪に障る表情だ。
「あれだけの混雑を捌ききるとは、見事なヘルプです」
嫌味の一つも言い返したかったが、とりあえずは黙っておいた。ジャックも噛みつかないで睨むだけで我慢してるし。
「大変お待たせ致しました。VIPルームの準備が出来ましたので、どうぞこちらへ。ジェイド、フロイド。お客様にお茶のご用意を」
「かしこまりました」
双子が恭しく一礼し、笑った。その様子もまた含みがあっていちいち引っかかる。
アズールの後ろを歩きながら、髪を解いてメガネをかけた。無いと落ち着かない。
さあここからだ、と気を引き締めた。