3:探究者の海底洞窟
昼休みの大食堂は、いつもと変わらず大賑わいだ。
僕の身長じゃ埋もれちゃって、誰がどこにいるかなんてろくに見えやしないんだけど、ジャックは上背の高さと嗅覚ですぐに分かるらしい。
「アズールがいる」
耳打ちされ、視線を追う。ビュッフェに並ぶ列の先に、特徴的な髪型の後ろ姿が見えた。トレーの上にあるのはイカスミのパスタとサラダ。量は年頃の男子が食べるにしてはちょっと少なめに感じる。
偶然にも近い席が空いていたので座った。食べている姿も上品で、やっぱり非の打ち所がない。砂糖無しの紅茶まできっちりと味わうと、早々に席を立って食堂を去った。
「弱点なんてありませんけど?って感じだね」
「簡単に尻尾を出しそうにねえな」
「……お前ら、アズールの事調べてんの?なんで?」
エースが当然の疑問を投げかけてくる。
「ちょっとね。学園長のお願い事だよ」
「また?」
「アイツ、オレ様たちの生活を盾にしてこき使う事に味をしめてねーか?」
「まあ、学園長が援助を切ったらここで生活出来ないのは事実だからね。仕方ないよ」
答えつつ具だくさんのオムレツを口に運ぶ。口の中が幸せでいっぱい。
「……今回ばかりは断っても良かったんじゃねえの?」
エースが不機嫌そうな顔で言う。
「いまアズールを調べるって事は、イソギンチャクがうようよいるトコに行かなきゃいけないって事じゃん。お前耐えられる?」
「まぁ、出来る事と出来ない事はちゃんと考えるよ。前も言ったと思うけど、そもそも魔法が使えない、この世界の常識に疎い僕に任せる時点で、牽制ぐらいにしかならない事は学園長も解ってると思うんだよね」
「本当にそうか?」
デュースが首を傾げる。
「だって、マジフト大会の時は、なんだかんだで解決しただろ」
「なんだかんだで、ね。結果論だよ。ローズハート先輩たちの協力が無かったら情報だってろくに集まらなかっただろうし。僕の力じゃない」
「あー、でもそれを言ったら学園長が言ってたじゃん。お前には猛獣使い的な才能がある、って」
「別に僕が人を選んで助けてくれって言ったワケじゃないよ。人望があったわけでも取引が上手くできたワケでもない。状況が味方しただけだもん。完全に運だよ」
「運も実力の内、とは言うがな」
ジャックが最後の一口を食べ終わって言う。
「事実として、今やサバナクローの連中はほとんどがお前に一目置いてる。頼めば協力するヤツだって少なくないと思うぜ」
「それは、ハーツラビュルでもそうだと思う。ユウの事はみんな好意的に思ってるだろう」
「そうかなぁ……」
「寮長なんか、どんなお菓子ならお前が喜ぶかってトレイ先輩と相談してるんだぜ」
「それは初めて聞いたんだけど」
「れ、レオナ先輩だってお前の事は気にかけてるからな!」
「そこ張り合う必要あった?」
呆れて言うと、ジャックは恥ずかしそうに咳払いする。その様子をエースがからかうと、歯をむき出しにして唸っていた。
「この際だから聞くけど、エースたちから見たらどういう感じ?」
「どうもこうも、めちゃくちゃ人使いが荒えんだよ!」
イソギンチャクをつけられた生徒は何かと無理矢理呼び出され、寮の掃除や店の買い出しなどの雑用をやらされているらしい。逆らえば頭部のイソギンチャクから激痛がもたらされる。
「僕も朝六時から呼び出されてクタクタだ……寮長には『アズールと契約するなんて!』って怒られて反省文を書かされたし」
「今日も放課後呼び出されるんだろうな。マジお先真っ暗だわ」
「頭のイソギンチャクも取れねえし、ダセエんだゾ……」
三人は揃って深々とため息を吐いた。
まぁ、基本的には自業自得なんだけど、勉強が苦手なりに努力したであろうデュースには同情の余地があると思っている。こんな平均点上げられたら頑張っても全教科赤点とかあり得ただろうし、ある意味では自分の実力を冷静に考えた上での適切な判断だったのかもしれない。まあ補習と天秤にかける際に見通しが甘かったという落ち度はあるけど、そこまで責めるのは酷だろう。
あとの二人はもうちょっと反省してればいいと思うけど。
「お困りのご様子ですね」
後ろから声をかけられて身を竦める。
振り返ると、長身の双子が立っていた。左右対称の髪と目、対照的な着こなしと立ち姿。オクタヴィネル寮のアズールの腹心、リーチ兄弟だ。
奔放な着こなしでだらっとした印象の方が僕の顔を覗きこむ。
「なぁに、エビみたいにビクッとしちゃって。エビ……ん~、小さいから小エビちゃんかなー」
「先輩たちに比べればたいていの生徒は小さいと思います」
「このデカさで二人いると迫力ありすぎだよな」
エーデュースの呟きが聞こえていたかは判らないが、きちんとした着こなしでまっすぐな立ち姿の方が話を続ける。
「何か悩み事を抱えているようにお見受けしますが……」
「どっかの誰かさんたちにこき使われてちょ~困ってまーす」
「あはっ、契約違反したイソギンチャクがなんか言ってる~」
エースが憮然として遮ると、片方が楽しそうに笑った。かと思えば、その顔から表情が抜け落ちる。
「お前らは文句言える身分じゃねえんだよ。黙ってろ」
「ヒ、ヒェ……」
ドスの利いた声に、グリムは怯えた顔になって机の下に逃げ込む。向かいに座るエーデュースの間に潜り込んだ。二人もちょっとビビった顔になってる。
「僕が話しかけているのはイソギンチャクたちではなく、貴方ですよ。オンボロ寮の監督生、ユウさん」
二人の目が僕を見る。睨まれても一切気にした様子はない。
「ユウさんは先日、リドルさんたちと一緒にスパイごっこに勤しんでいたようなので僕らの事はよくご存知かもしれませんが……改めてご挨拶を。僕はジェイド・リーチ。こっちはフロイド」
「どーもぉ、フロイドでーす。よろしくねぇ、小エビちゃん」
「……ご丁寧にどうも」
一応会釈する。
以前の対面時には、こっちの成績まで把握していた。どんな情報を仕入れているかは解らないけど、不用意に隙は見せたくない。
「さて、話を戻しますが。もしかしてユウさんのお悩みは……このおバカなイソギンチャクたちについてではありませんか?」
ジェイドの白々しい言葉に、ジャックが鼻を鳴らす。
「もしかして、なんてよく言うぜ。ニヤニヤしやがって」
「なにコイツ。ツンツンしててウニみたい」
「なっ……ウニじゃねえ!オオカミだ!」
いまそれ大事なの?と言いそうになったけど面倒な事になりそうなのでやめた。
「もし、ユウさんのお悩みの種がイソギンチャクについてなら……直接アズールに相談するのが一番だと思いますよ」
「なんだと?」
「アズールはグレート・セブンの海の魔女のようにとても慈悲深いお方。きっと貴方の悩みを聞いてくれるでしょう」
「そうそう。アズールはどんな悩みも解決してくれるよ」
畳みかけてくるジェイドに、フロイドが言葉を添える。
「例えば……そこにいるイソギンチャクたちを自由にしたい、なんて願いでも」
フロイドの言葉に、イソギンチャクたちがはっとした顔になる。期待に満ちた視線が向けられてる気がするが、出来るだけ無反応を貫いた。
「もちろん、タダで……というわけにはいきませんが」
ジャックが舌打ちする。
「それが本題か。ユウにもあいつと契約させようってんだな」
「そんなに牙を剥き出さないで。陸の生き物は獰猛ですねえ」
「オレたちは親切で教えてあげてるだけだよ。ねぇ、ジェイド」
「ええ、フロイド。僕たち、悩みを抱える可哀想な人を放っておけないタチでして」
浮かべている笑みは、自分たちが優位にいると確信しているものだ。不快に感じている事すら表情に出したくない。それすら交渉材料にされそうな気がした。
「もし、このお話に興味がおありなら、夜九時過ぎにモストロ・ラウンジへおいでください。美味しいお茶を用意してお待ちしています」
「待ってるねぇ、小エビちゃん」
そんなこちらの意図を察する様子はなく、あるいは敢えて無視をして、双子は笑顔で去っていった。しばらく沈黙が流れる。
「えーっと、つまり……」
「もし、ユウがアズールと契約して勝負に勝ったら……結果によってはオレたち自由になれるって事!?」
三馬鹿がテーブルから身を乗り出す。
「頼む、監督生!アイツに勝ってくれ!!」
声を揃えた懇願に、ジャックが呆れた顔になる。
「調子のいい奴らだな……さっきは断っていいとか言ってたくせに」
「それはそれ、これはこれ!」
「イソギンチャクが頭についてないヤツに、この苦しみはわからねえんだゾ!」
ジャックの軽蔑の眼差しを、イソギンチャクたちはものともしない。
さっきの脳内発言、撤回。デュースももうちょっと反省しとけ。
「そもそもテストで楽しようとしたのが悪いんだろうが」
「それについては充分反省したってば~」
「ああ、もう二度としない。たとえ赤点になったとしても、結果を受け入れる……っ!」
「そこはもう赤点取らないよう努力するって言えよ」
呆れ顔で言われて、デュースはちょっと小さくなった。ジャックの視線が僕を向く。
「で、どうするんだ、ユウ。アイツらの口車に乗るのか?」
「んー……個人的には乗り気じゃない。けど、ここで僕たちがスルーしても、取引の標的が学園長に変わるだけだね」
それは学園長の依頼を無視した、と判断されかねない。ので、ここまで関わった意味も無くなる。
「学園長の依頼は『アズール・アーシェングロットの悪巧みを止める』事。イソギンチャクの身代金を学園長に要求され、彼がそれを飲んだ時点で不達成になる」
「介入するなら今しかねえ、って事か」
「……問題は。僕に契約を持ちかける意味だよ」
「意味って?」
「魔法の使えない僕が彼に支払えるものなんて何もない。僕と契約しても得しないと思う」
「数を増やしたいだけじゃないのか?」
「魔法が使える普通の生徒を百人単位で増やした後だよ。出来る事が限られる人間を増やすだけで、あの双子がわざわざ出てくる必要ある?」
「……アイツらやたら偉そうっていうか、アズールの秘書とか補佐とか、そういう感じあるよな。オレらは人伝に聞いた噂を頼りに行ったけど、連中が直接接触してくるって確かに妙かも」
エースの言葉にジャックも頷いている。
「もちろん、そうじゃない可能性もある。単なる気まぐれ、好奇心で接触してきた、とかね」
「……それもそうだな。あの二人の雰囲気からして、無いとは言いきれねえ」
「とはいえ、……これは直接相手の目的を探るチャンスかもしれない」
大量のイソギンチャク……もとい人質を確保してでも、学園長に要求したい事が、アズール・アーシェングロットにはある。それだけは今のところ間違いない。
「目的が分からないと交渉の材料も見つけられないもんね。……イソギンチャクが早く消えるに越したことないし、乗ってやるのも悪くはないでしょ」
「……オレ様、いま初めてオマエの事、監督生って認めてやってもいいって思ったんだゾ!」
「最強とまで言っておいて、そこは認めてなかったんだ……」
ちょっと悲しい。
「……仕方ねえ。俺もついていってやる」
「……ボディガード気取りでレオナ先輩への点数稼ぎ?」
「違え!俺はアズールのやってる事が気に入らないだけだ!他人の力で良い点取った奴らに負けるのは癪だからな」
「ありがとう。心強いよ」
お礼を言うとそっぽ向かれた。向こうの方で尻尾が揺れてる気がする。
苦笑していると突然、三馬鹿が呻いた。揃って椅子から立ち上がる。
「あ、頭のイソギンチャクが引っ張られるっ!」
「いででで!昼休みまでこき使う気かよ~!」
「頼んだんだゾ、監督生~!」
そして不自然な足取りで食堂を出ていった。他にも何人か、頭にイソギンチャクの生えた生徒が後に続いている。
「ったく……アイツらはどうしようもねえな」
「ホントにね」
「とにかく、今夜はモストロ・ラウンジに行ってみるか」
ジャックの言葉に頷く。
まさか早々に敵地に乗り込む事になろうとは。まぁ、後込みしてても仕方ない。面倒で難しい問題は、後回しにするより早く片づけた方がいい。
そう自分に言い聞かせ、人知れず気合いを入れた。