3:探究者の海底洞窟




 まずは、アズール・アーシェングロットという生徒がどんな人物なのかを探ろうと考える。……さすがのダイヤモンド先輩も彼とのパイプは無さそうだし、巻き込みたくないので協力要請はしないでおいた。
 定期試験とあらば、スカラビア寮と双璧を成すとされるオクタヴィネル寮。対策ノートの話を知った今となってはそのうちのどの程度が実力なのかは怪しい所だが、座学の優秀な生徒が多い、というのは何となく分かる。ハーツラビュルやサバナクローに比べれば大人しい生徒が多い印象で、魔法薬学の実験など授業でもたついた所をあまり見た覚えがない。
 大人しいとは言え、話しかけるほど仲良い生徒はいないし、あの寮長の下についてる人間がそう簡単に話してくれるとは思えなかった。ひとまず直接観察すべき、だろうな。
「ユウさん、おはようございます!」
 グリムを追って教室に入った所で、サバナクロー寮の生徒がでかい声で話しかけてきた。見上げるくらいの大柄で、よく知らないけど肉食獣らしき耳と尻尾がある。
「お、おはよう。……その、『ユウさん』っていうのやめてくれない?クラスメイトだし」
「いいえ!そういうわけにはいかないッス!レオナ先輩と対等な人ッスから!!」
 別に対等になってない、と言おうとしたけど、前にもこの会話をして全く変わらなかった事を思い出した。
 サバナクロー寮の生徒の大半は、寮長であるキングスカラー先輩の強さを認め従っている。そうじゃない連中は元からはみ出しものか、こないだの失敗にどうしても納得がいかないひねくれ者、らしい。
 目の前の彼は大半の寮生と同じくキングスカラー先輩派であり、先のオーバーブロット騒ぎの目撃者の一人だ。キングスカラー先輩と僕が殴り合うのを見て、魔法が使えない上に体格も劣る人間なのに、あの強い寮長に一歩も引かない僕を尊敬するようになった、らしい。前に話した時にそんな事を言っていた。
「えーと、何か用?」
「あの……ジャックのヤツが、さっき来まして。ユウさんが来たら『講堂で待ってる』って伝えろって……」
 ジャックは相変わらず寮で孤立している。が、オーバーブロット騒ぎの目撃者は、そのユニーク魔法の強さを目にした事で、彼に一目置いているらしい。
 サバナクロー寮に於いて『強さ』という物差しは普遍の存在だ。多分、頭の良さも運動神経も魔法の腕前も、同学年の寮生の中ではジャックが抜きんでている。目の前の彼もその認識はあるようで、ジャックの態度に対し不満を抱きながらも強くは出られないようだ。
「アイツ生意気ッスよね!?今度シメときましょうか!!」
「必要ないよ。……伝言ありがとうね」
「とんでもないッス!!!!」
 背筋を伸ばして恐縮する彼をそのままに、教室を出た。
 なぜジャックは講堂なんかに自分を呼びだしたのだろう。朝のホームルームが始まるまで凄く余裕があるというものでもない。話でもあるのだろうか。
 講堂の近くに到着すると、手前の廊下でジャックが手招きしている。
「どうしたの、ジャック。呼び出しなんかして」
「二年C組の一限目は音楽だ」
「……どゆこと?」
「アズールの事を調べるんだろ?」
 その顔を見つめると、居心地悪そうな顔になる。
「なんだ」
「手伝ってくれるの?」
「乗りかかった船だし、俺もヤツの強さの秘密を知れるなら知っておきたい」
 自分の好奇心を満たすためだから勘違いすんな、と言葉を添えた。思わず苦笑いする。
「面倒見いいんだね」
「だから違えって!」
「でも、今からでもジャックは戻りなよ。サボりなんて成績に響くよ」
「学園長から了解は取った。俺の事もお前の事も、先生たちには話しておいてくれるそうだ」
 い、いつの間に……。
 僕が驚いていると、ジャックはニヤリと笑う。
「これで俺を追い返す理由はなくなったな?」
「何で嬉しそうなの……」
「ほら、そろそろホームルーム終わって移動してくる。隠れるぞ」
 言われるがまま、人の気配がする方向から見えない場所に入り込んだ。程なく人がやってきて、講堂に吸い込まれていく。
 扉が閉まった所で、室内から見えないように身を低くして扉に身を寄せた。程なく授業が始まる。今日は歌のテストのようだ。
 アズールの番が来た所で、聴く事に集中する。素晴らしい歌声だ。明日にでも歌手になれそう。教室内から響く拍手もひときわ大きい。他にも何人か聴いたけど、曲調との相性かアズールが一番上手く聴こえた。羨ましい。
 その後は動物言語学、魔法薬学と授業を見ていったが、特に苦手そうだったりする事はなく、むしろ先生から褒められる事も多い。学園長の言う通り優秀な生徒のようだ。非の打ち所がない、と言うべきか。
「過去百年の問題を分析して対策ノートを作れるだけあるな」
「腹が立つほど優秀そう。コンプレックスとかあんのかね」
 見つからないように授業が終わる前に魔法薬学室を離れて本校舎に戻ってきたけど、次の授業まで見に行くかは迷う所だ。優秀さを見せつけられて終わるかもしれない。
 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴れば、生徒が次々に廊下に出てくる。
「おい、ユウ!どこ行ってたんだよ!」
 後ろから声をかけられて振り返ると、エースが猛然と駆け寄ってきた。デュースとグリムも追いかけてくる。思わずジャックの後ろに隠れた。
「……お前、昨日からその態度なんなの?」
「ご、ごめんちょっと……ちょっと距離取らせてくんない?」
「はあ?何それ。オレら用無しって事?」
「ち、違う、そうじゃなくて!」
 エースは苛立った様子で近づいてくる。一歩下がると更に表情が険しくなった。
「ふーん、そう。お前も真面目くんだもんね。そりゃズルしようとしたオレらより、ジャックとの方が楽しいだろうよ」
「そういうワケじゃないよ」
「ていうか、真面目コンビが揃って授業サボってどこ行ってたワケ?人に言えないような事でもしてたとか?」
「お前、なにキレて……」
 ジャックが言い掛けて黙った。僕を振り返る。
「説明してやれ。誤解を解いた方が早い」
「何お前偉そうに指図してんの?」
 エースがあからさまに突っかかったけど、ジャックは無視している。
「で、でも……」
「遅かれ早かれバレるだろ、その態度じゃ」
 確かにそれはそうだ。人目があるのは気になるけど、エースも収まりそうにない。
「……僕、その、イソギンチャクとか、苦手で」
「苦手?ふーん。それでオレらの事避けてんだ」
 エースの表情は変わらない。多分、信じてない。
「正直、あの、見るのも無理っていうか、本当にダメで……」
「そこらじゅうにいるのに?丁度いいじゃん、この機会に克服すれば?」
「おい、エース。いい加減にしろ」
 デュースがエースの肩を掴んで止めようとしたが、エースはそれを振り払う。足下にいたグリムを持ち上げて、その頭をこっちに差し出してきた。細かな触手が蠢いているのが視界に入り、背筋が寒くなってお腹が気持ち悪くなる。
「ほら、よく見たらかわいいじゃん。慣れれば平気だろ」
「エース、本当にやめてったら!」
「怖がってるフリなんてやめろって。今のお前がぶりっこしたって可愛くねーから」
 足が震えてうまく動かない。どうしたらいいか分からない。
 ぬるっとした感触が頬に触れた。頭が真っ白になる。
「………………やめろっつってんだろうが!!!!!!!!!!!!!!」
 喉から迸ると同時に、右拳が目の前の少年を全力で殴りつけていた。人の身体が廊下の先に吹っ飛んで、ぐったりと動かなくなる。
「え、エース!!!!」
 デュースとジャックが吹っ飛んでいったエースの方に駆け寄っていった。それを見ながら、足から力が抜けて座り込む。いま自分が何をしたのか、脳の処理が追いついていない。肩で呼吸してるけど全く落ち着く気配が無かった。
「子分……」
 グリムが心配そうに僕を見てる気がする。どうしてもそれを視界に入れられない。ジャックがエースを背負ってこちらに駆け寄ってくる。
「保健室に行ってくる。お前も……立てるか?」
「だ、大丈夫。すぐに追いかけるから、先に行って。早くエースの手当してあげて」
 ジャックはデュースと顔を見合わせ、保健室に向かって走っていった。僕も震える足に必死で力を入れて立ち上がる。壁に掴まりながら彼らの後を追いかけた。


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