3:探究者の海底洞窟
何となく周囲を警戒しつつ、無言で鏡舎まで戻った。オクタヴィネル寮の領域を一刻も早く離れたい、という気持ちは同じだったらしい。
「……頭にイソギンチャクをつけられた奴らは、テストで良い点数を取るためにアズールと契約してまんまと騙された……って事で間違いなさそうだな」
「そうみたいだね」
「あれだけ大量の生徒と契約していれば、ほとんどの契約者が五十位からあぶれる事になる。アズールは最初からそれを狙ってたって事か」
「グリムが八十点以上取るなんて、おかしいと思ってたんだよね……」
「ったく、他人の力で良い成績取っても何の意味もねえだろ。自分の力を周りに示せる機会を棒に振るなんざ、それこそバカだ」
「学園の生徒全員がハウルくんのように自意識強めで面倒くさい……いえ、真面目だったら、私も苦労しないんですがねぇ~」
後ろからいきなり学園長の声がしたので、ふたりして飛び上がってしまった。僕らの反応を見て学園長は穏やかに笑っていたが、すぐさま表情を曇らせる。
「今年もアーシェングロットくんの『商売』を止める事が出来ませんでした」
「……商売?どういう事ですか?」
オクタヴィネル寮長のアズール・アーシェングロット。ローズハート先輩と同様に二年生で寮長を務める非常に優秀な生徒だと、学園長は説明する。
「ですが、……少し、いえ、だいぶ問題がありまして」
「問題って、詐欺行為の事か?だったら学園長が命令して、やめさせればいいじゃないすか」
「それが……私が教師だからこそ、彼の行為を禁止できないのです」
「どういう事すか?」
「アーシェングロットくんが生徒たちにばら撒いたテスト対策ノートは、事前に出題用紙や解答を盗み見るなどの不正行為で作られたものではありません。ナイトレイブンカレッジ過去百年分のテスト出題傾向を徹底的に調べ上げ、自力で練り上げた『虎の巻』なんです」
「ひ、百年分!?」
僕がシュラウド先輩から貰った過去五年分の問題でも百科事典かと思うような膨大な量だった。単純にその二十倍。そんなデータが現在まで残ってる事も驚きだ。
「自分の力だけでそんなモン作るなんて……やるじゃねえか、アイツ」
凄いのはわかるけど……褒めていいのか?これ。
「ん?待てよ。つまり、不正じゃない事が逆に厄介……って事か?」
「ハウルくん、良い着眼点です。教師の立場として、いち生徒が合法的な努力でテストの対策ノートを作る事は禁止できません。そして、親切で友人に勉強を教える事もね」
対価は本人たちもその時は納得の上で差し出したわけだし、指定した順位以内に入るという約束を破ったのもノートをもらった生徒の方。それに十分な情報のあるノートを渡したアズールに過失はない、頼まれた立場なので悪意も立証できない、という事になる。
「……僕が先輩たちから勉強を教えてもらったのと同じ扱いになっちゃうんだ……」
「禁止したら『勉強するな』『ダチと協力すんな』って言ってるようなもんだな。……厄介だ」
「その通りです」
ん?不正じゃないなら、問題でもないのでは?
「そういえば学園長、さっき『今年も』商売を止める事が出来なかった、って言ってたッスよね。まさか去年もこんな事が?」
学園長は頷く。
「去年はまだ彼の対策ノートの評判が広まっていなかった分、これほど大きな騒ぎにはならなかったんですが、今年は『テストで良い点が取りたいならモストロ・ラウンジへ』という噂が学園中に流れていたようで」
「でも、契約違反をすればどんな酷い目に遭うかは、強固な守秘義務があって広まらなかった?」
「そのようです」
結果、今年は彼と取引する生徒が続出し、全学年の全教科の平均点が九十点を越える事態となった、と学園長は語る。
「つまり、ほとんどの生徒がズルをしたっていう……」
自分が真面目にやった事を馬鹿馬鹿しく思いそうになったが、赤点は回避できたのでまあいい。それは気にしないでおこう。
「じゃあ、去年アイツとの勝負に負けたヤツは、いまだにずっと能力を取り上げられたままって事か」
「それが……彼は去年、生徒たちから取り上げた能力を元に戻す事を条件に、学園内でモストロ・ラウンジの経営を許可するよう、私に交渉してきたのです」
学園長まで脅してるのか。どこまでやり手なんだ。
「学園長を脅して取引なんて……あのレオナ先輩が近づきたがらないのもわかるぜ」
「そ……そうなんだ……」
あの人なら互角にやり合えそうな気はするけど。性格の悪さ的に。
「しかも、売り上げの一割を学園に上納するという提案までしてきてもう……!」
「って、学園長もうまい汁吸ってるんじゃないスか」
「……学園長の事、よく理解してるんだろうね。向こうは」
「ああ、今年は一体何を要求されるか。バカな……いえ、可哀想な生徒たちのためなら、私はまた彼の要求をのんでしまうでしょう。私、優しいので」
僕とジャックの冷ややかな視線を完全に無視して、学園長は悲嘆に暮れた感じで大げさに言う。自分を肯定する事も欠かさない。
「アーシェングロットくんは真面目に勉強し、その知識を慈悲深くも他の生徒に教えているだけ……教師としてはやめるよう強く言えません。何でこの学園にはちょっと問題がある生徒ばかり入学してくるんでしょう!」
あからさまな泣き真似を始める目の前の大人に、引き続き冷ややかな視線を向けておく。嫌な予感がしてきた。
案の定、次の瞬間にはけろりとした顔で僕を見る。
「あー。そういう事ですので、ユウくん。こんな事はやめるよう、アーシェングロットくんを説得してくれませんか?」
「無茶振りやめてください」
「はぁ……最近、オンボロ寮の食費光熱費が非常にかさんでいるんですよねぇ……懐が寒いなぁ……」
学園長はおもむろに悩ましげな表情を浮かべる。
「誰かさんを元の世界に戻すためのリサーチをしているせいで、問題解決に割く時間もなかなか取れないし……あ、いえ。気にしなくてもいいんですよ。私、優しいので」
「……この教師にして、あの生徒ありって感じだな……」
「じゃあ、僕が学園を出ていけば万事解決って事ですね」
「いえ、何もそこまでは」
「魔力も無いのに手違いで連れてこられて、帰る手段が無いのを良い事に衣食住を盾に雑用を申しつけられて、言う事を聞かなければ用無しだと放り出されるんですね」
ジャックが複雑な顔で見守っている。
「でも世の中ってそういうものですよね。僕が外で騒いでもきっと誰も信じてくれないんだろうなぁ。大人はずるいなぁ」
「で、ですからね。是非協力してくれれば、その」
「トレイン先生に相談してみようかなぁ。クルーウェル先生も話ぐらいなら聞いてくれるだろうし。でもきっと学園長が決めたんじゃどうしようもない、ってあしらわれちゃうんだろうな。荷物をまとめておこうかな。みんなにお別れの挨拶もしなくちゃ」
「ええと、言い過ぎました。謝ります、だから大事にするのはちょっと」
「こんな僕みたいな魔力もない人間が、学園長のお役に立てるはずありません。どうか僕の帰り道を探すより、イソギンチャク生えちゃったみんなを助ける事に尽力してください。きっと、彼は今年も学園長が得するお取り引きを用意してるんじゃないでしょうか」
「わかりましたわかりました!事態解決の暁には、お小遣いも増やしてあげますから、ね?」
「荷物まとめてきますね。いままでお世話になりました」
「あーもう、私が悪かったです!今後一切、オンボロ寮にかかった費用に関して文句は言いません!!絶対に言いませんから、協力してください!!」
学園長が肩を掴んで叫ぶ。この人の言う事は信用ならないから、多分喉元過ぎたらまた似たような事を引き合いに出して、言う事を聞かせようとするだろう。それはそれとして。
「そもそも、僕が何を出来るっていうんですか?契約はオクタヴィネルの寮長とイソギンチャクたちの間で完結してるじゃないですか」
「そこはまぁ、ほら。マジフト大会の時も事件は解決できたじゃないですか。あんな感じでどうにか」
他力本願の上にテキトーにも程がある。
「……学園長から協力が頂けて、どんな結果になっても文句を言わないなら、努力だけはしてみます」
「もちろん、出来る事は協力しますよ」
では頼みましたよ、と一方的に話を終わらせて学園長は去っていく。勝手にため息が溢れた。
「……いいのか、結局やる事になっちまったけど」
「しょうがないよ。どう足掻いたって関わる事になるんだよ、どうせ。グリムがこき使われて、普通の学校生活を送れないんじゃ僕がいる意味ないし」
「その、出ていくって話は本気じゃないんだな?」
「…………まぁそうだね」
「イヤな沈黙を挟むな」
「決断しきれないからいるのは事実だけど、いずれ考えなきゃいけないとは思ってる」
学園長はああ言ってたけど、本当に帰る手段を探しているかは疑わしい所だ。成果がないならどこにいても同じ事。
だったら自分の足で外に出てどうにかして自立して、罪悪感無く帰る手段を探した方が、難しい勉強に頭を悩ませる今よりも気持ちは楽かもしれない。
ここは魔法士養成学校だから魔法が使えない事が完全に欠点だけど、この世界の世間一般では、魔法が使えない人は珍しい存在じゃないらしい。だったら開き直って外に出た方が生きやすい可能性は充分ある。
「グリムが一夜漬けとは言え一人で勉強して、赤点どころか僕より良い点取ったし、僕がいなくても生徒として成立するじゃんって安心した所にコレだからなぁ……」
「……何というか、同情するぜ」
「そりゃどうも」
「あと、もし万が一出て行く時は、レオナ先輩に行き先と連絡先くらい伝えてくれよ」
「君は何の心配してるワケ?」
思わず呆れた声を出すと、慌てて咳払いしていた。
「で、どうする?」
「とりあえず、情報を集めないとね」
ジャックの指摘した通り、対策ノートのバラ撒きは多数の人間が条件を達成できず下僕となる事を見越して行われたはず。その人質の数は、モストロ・ラウンジの開店許可を交換条件とした昨年よりも多い。
だったら、今年はそれ以上の要求をしてくるものと考えられる。その意図を掴む必要はあるだろう。
「あとは根本的に、イソギンチャクをどうにかしないとだなぁ……契約が完結してるなら、どうにかしてその契約を無効の状態にするしかない」
「契約書を破り捨てるのは不可能、って言っていたが」
「それなら破棄に値する別の交渉材料がいる、ってなるとやっぱ何をするにも情報収集からか」
「まぁ、相手を知るのは狩りの基本だからな」
いかにも狼らしい言葉で同調してくれる。ちょっとだけ心強い。
また関わった事自体に後悔する羽目になりそうだけど、もうこうなったら腹を括るしかない。
「平和的に解決できるといいなぁ」