3:探究者の海底洞窟




 イソギンチャクの群れは校舎を出て鏡舎に向かっていた。百名をゆうに越えるであろう人の列が、続々と一つの鏡に飲み込まれていく。
「あれは……どこの寮の鏡だ?」
 ジャックが首を傾げる。イソギンチャクの群れの中には上級生もいるらしい。恨み言や泣き言が鏡に吸い込まれて消えていく。列の最後の一人がいなくなった所で、鏡を改めて見る。蛸足や海産物がデザインされた鏡。なんか嫌な予感がする。
「行ってみよう」
 ジャックに再び襟首を掴まれ引きずり込まれた。
 通り抜けると、空気はひんやり冷たくもしっとりしている。秋から冬へと変わりつつある乾燥した空気とは違っていた。
 目を開くと、正面に変わった形の建物が見えた。岩を重ねて蛸足をあしらった塔や、巻き貝のような形の屋根もある。白っぽい岩のような質感で統一されており、見た目にも涼やかだ。
 それ以上に特徴的なのは、周囲が水で囲まれている事だ。鏡から続く人が歩くエリアは空気の層があり息が出来るし歩けるが、水が満ちた場所には海草が揺れ魚が泳いでいる。水中写真のように鮮やかな景色が広がっていた。
「水の中に寮があるなんてマジかよ!すげえな、ナイトレイブンカレッジって!」
 隣からはしゃいだ声が聞こえて思わず振り返る。目を輝かせていた少年が、咳払いしてむすっとした顔になった。
「仮にも別の寮の縄張りに入るんだ。お前も浮かれてねえで、用心しろよ」
「お前『も』、ねぇ……」
「う、うるせえ。ほら行くぞ!」
 ジャックと一緒にイソギンチャク軍団の後を追いかける。
 寮の廊下も海の中を望める絶景だ。観光地として人気がありそう。そんな事を言ったら、どの寮も見所はいくらでもありそうだけど。オンボロ寮以外。
 辿りついた先には、『モストロ・ラウンジ』と書かれた看板が掲げられていた。覗きこむと、喫茶店のような場所に大量のイソギンチャクが並んでいるのが見える。店内からも海の景色が眺められ、お洒落なインテリアに飾られた、ドラマに出てくるバーみたいな雰囲気だ。
「なんだここ。サ店か?」
「……そういえば、お店をやってる寮があるって聞いた事ある。ここの事かも」
 不意に店内が暗くなる。一層ざわめく中で、一カ所だけ照らされて明るくなった。スポットライトの下には人が立っている。
 フォーマルなスーツ姿にコートを肩にかけた少年だ。巻き貝をあしらった洒落たハットを被っていて、そこから覗く銀の髪は緩くウェーブを描いている。上部にフレームがあるタイプの細長い眼鏡、その向こうのつり上がった目は自信に満ちあふれていた。
 遠目から見ると洋画に出てくるマフィアみたい。
「これはこれは、成績優秀者上位五十名からあぶれた哀れなみなさん。ようこそ、モストロ・ラウンジへ」
 柔らかくしっとりと、しかし少年の質感を残した声が、静まりかえった店内に響く。
「みなさん僕の事はよくご存じでしょうが、改めて自己紹介を」
 少年は柔らかな微笑みを称えてイソギンチャクたちを見ていた。対するイソギンチャクたちは固唾を飲んで見守っている。
「僕は、アズール・アーシェングロット。オクタヴィネル寮の寮長であり、カフェ『モストロ・ラウンジ』の支配人であり、そして……今日から君たちの主人になる男です」
 最後、とびっきり性格の悪い笑顔になった。なんか全てを察した気分になる。
 あの人は多分、契約とか取引とか、素人がしちゃいけない相手だ。話を聞かずにダッシュで逃げるか無視をするのが正解のタイプ。
 それにしても、彼が『寮長』なら学生のはず。こんなヤバい学生がいていいのか、と思ったけど、世界で五本の指に入る魔法士が通っている学校だ。逆説的にこの程度ならゴロゴロいるのかもしれない。どこぞの国の王子様とか世界的インフルエンサーとかもいるワケだし。
 もうやだ。庶民は今すぐ元の世界に帰りたいです。
「君たちは僕と勝負をして、負けた。契約に基づき、これから卒業までの間、僕の下僕として身を粉にして働いてもらいます」
「ちょっと待った!こんなん詐欺だろ!」
 店内の照明が戻る中、聞き覚えのある声がアズールの演説を遮った。
「確か君は、一年生のエース・トラッポラさんでしたね。詐欺だなんて人聞きの悪い。僕は契約通り、君に完璧なテスト対策ノートを渡したはずですよ。しっかりこなせば、九十点以上は取れたはずだ」
 ジャックと顔を見合わせる。これが『平均点の異常な上昇』の原因らしい。
「ああ、確かに取れたぜ。でも、対策ノートを渡した相手がこんなにいるなんて話は聞いてねーよ!」
「エースの言う通りだ。これじゃ、いくら対策ノートをもらったって上位五十人に入れるわけないじゃないか!」
「みんなが九十点以上じゃ、八十五点取っても赤点の時と順位が変わらねえんだゾ!」
 エースたちの抗議の声に、ざわめきが戻る。それを聞いたアズールは呆れた様子で肩を竦めた。
「あなたたち、守秘義務という言葉をご存じですか?」
 楽して良い点を取りたい。
 落ちこぼれになりたくない。
 テスト前日まで遊びほうけていたい。
 誰とは言わず、対策ノートを求めた理由をアズールが例として列挙する。
「今回、期末テストで僕を頼ったバカ……いえ、みなさんの事情は様々でしたが、『誰が』、『どんな事情で』、『どんな契約をしたか』……などというプライバシーに関わる事を、僕が他人に喋ったりするわけがないじゃないですか」
 僕は誠実な男ですから、とも添える。
「ほら、契約書の百二十七ページ目に秘密保持契約についての約款があるでしょう?僕はそれを守っているだけのこと」
 アズールはどこからともなく金色の紙束を取り出し、ひらひら振っている。
 あの契約書、百ページ以上あるんか。読ませる気ないヤツじゃん。
「じ、じゃあ、テスト対策ノートの担保に預けたオレ様の火の魔法はどうなるんだゾ?」
 その場の生徒たちが口々に似たような質問をアズールに投げかけた。アズールはそれを鼻で笑う。
「おやおや、みなさん。契約条件をもうお忘れで?」
 期末テストの対策ノートを渡す代わりに、契約者は『自慢の能力』をひとつ、アズールに預ける。契約者が成績優秀者上位五十位以内に入れば担保とした能力は返還し、更に卒業まで全てのテスト対策ノートを提供する。
 ただし、契約者が上位五十位以内に入れなければ、卒業までの間、アズールに絶対服従の下僕となる。
 この場にイソギンチャクの生えた百人以上の人間がいて、どの学年にも利用者がいる事をふまえると、各学年百ぐらいずつ契約して対策ノートを配ったとして、彼らが全員同率一位でも取らない限り、絶対に誰かを下僕に出来る、という事になる。
 ただでさえ、そんなノートを使わなくても全教科満点を取るローズハート先輩みたいな存在がいるのだ。そういう優秀な人たちによって、絶対に順位の差は生じる。自分の能力を担保にしてでも成績を上げたい人間なんて、ほとんどが元は褒められた成績じゃないだろうし、ノートの出来にあぐらをかいて努力を怠る事もあり得る。
 更に守秘義務を盾にどれぐらいの人数にノートを渡したのかを隠せば、自分が負ける確率なんて分かりはしない。そもそも自分が負ける可能性を考えられる人間は、ほぼこんな契約をしない。
 相手があくどいのは否定しないが、正直言ってこの場の全員、自業自得だと思う。 
「契約上、すでにみなさんの身柄は髪の毛一本まで僕のものです。つまり、能力を返すも返さないも僕の自由だ」
 イソギンチャクたちが悲痛な声を上げる。
 話は分かった。これ以上関わる理由もない。
 そう思ってジャックを振り返るといない。再び店内に視線を向けると、入り口に入った所で仁王立ちしていた。
「さっきから聞いてりゃ……どいつもこいつも気に入らねえ!!!!」
 ジャックの怒声が店内に響きわたった。誰もが彼を振り返る。
「ジャ、ジャック!?どうしてここに?」
「君は……頭にイソギンチャクがついていませんね。今はスタッフミーティング中です。部外者はご遠慮いただけますか?」
「部外者だと?俺は自分の力で勉強した奴らと、真っ向から競い合って勝ちたかったんだ。それが、あんたのせいで台無しになった。充分に当事者だろうが!」
 確かに、あの上位五十人の中には、対策ノートを受け取って勝負に勝った人間も含まれている事だろう。実力勝負を尊ぶ彼からすれば、ズルして勝った奴という扱いになるようだ。
 …………めんどくさい事になってきた。
「ユウ、ジャック!オレ様たちを助けにきてくれたんだな!?」
「やめて、僕を含まないで。関係ないから」
「ユウ!?な、なんてコト言うんだゾ!!」
 絶望した顔になったグリムをほっといて、ジャックは鼻を鳴らす。
「勘違いすんな。俺はここにいる全員が気に入らねえんだ。アコギな取引を持ちかけたヤツも、他人を頼ったお前らも、どっちの味方をする気もねえ!」
「……お前、何しにきたの?」
 エースのツッコミが冴えわたる。ホントそれなんだわ。
「いや、オレ様……ジャックの言葉で目が覚めたんだゾ。実力で勝負すればいい!つまり、アズールから実力行使で契約書を奪って、破り捨てれば無効なんだゾ!」
「い、言われてみれば……」
「得意魔法がないとはいえ、こっちは人数がいるんだ!やっちまえ!!」
 こっちは意識が低すぎる。
 俄然殺気立つイソギンチャクの群れに対し、アズールは呆れたため息をつく。
「やれやれ……あまり手荒な真似はしたくないんですがね。ジェイド、フロイド。少し遊んであげなさい」
 アズールが言うと、長身の二人が奥から出てきた。鏡写しのような姿に対照的な着こなし。いつぞやに会った双子だ。
「かしこまりました」
「コイツら全員絞めていいの?あはっ、やった~」
 喫茶店の中で戦うのか、と思ったら勝負は一方的だった。得意魔法の封じられた烏合の衆では、抜群のコンビネーションを誇る双子に歯が立たない。アズールの魔法は店内を守るだけに見えて実に多彩で、防壁も反撃も自在にこなしている。契約書を破るどころか、その契約書の束が魔法を弾いているように見えた。
「どいつもこいつも弱ッ。絞めがいがねーなぁ」
 膝をつき実力差に絶望するイソギンチャクを、双子の片割れが嘲笑する。いやもう一人も何も言ってないだけで、イソギンチャクを見下して穏やかに笑ってた。
「みなさんはこの『黄金の契約書』にサインをした。正式な契約は、何人たりとも破棄できない。どんな魔法を使おうが、この契約書に傷一つつける事はできませんよ」
 アズールの言葉がイソギンチャクの群れにトドメを刺す。
「頭にイソギンチャクが生えている限り、君たちは僕の命令に従わざるを得ない。……まずはこのラウンジの清掃をしてもらいましょうか。次に食材の仕込みを。さあ、立ち上がってキリキリ働きなさい!」
 その言葉を合図に、イソギンチャクたちが悲鳴を上げながら一斉に立ち上がる。
「ジェイド、フロイド。新入りの指導は任せましたよ」
 双子はそれぞれ返事をし、イソギンチャクたちに指示を出していく。それを満足そうに見届けた後、アズールはこちらに歩いてきた。
「サバナクロー寮のジャック・ハウルくんに、オンボロ寮のハシバ・ユウさん……でしたね。君たちもどうぞお引き取りを」
 真面目な顔で言ってから、いかにも営業スマイルという感じの笑顔を浮かべる。
「次はぜひ、お客様として店においでください。いつでも歓迎しますよ」
「……それはどうも」
 軽く会釈して、ジャックと共に店を後にした。


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