0:プロローグ
朝食は昨晩と同じくおいしかった。どうやら学校の食堂からもらってきているらしい。下働きの僕を生徒と同じには扱えない、という事なのだろう。
水道設備は今日のうちに設備管理のゴーストにかけあってくれるとの事。キッチンでの洗い物や入浴が可能になるだろう、と話していた。とてもありがたい。
着ていたローブ型の制服は、出来る限り埃を払って綺麗に畳んでおいた。返すのならクリーニングをしてもらわないといけない、と考えてお金の使い道が増えたとちょっと落ち込む。
用意された衣装を広げて、固まった。あの仮面野郎、どういう趣味してんだ。
『早く着替えないと仕事が終わらないよ!』
とゴーストに急かされ着替えさせられる。窮屈で動きづらそうに見えたが、昨日の制服よりもずっと快適に動けた。長い裾は不思議と足にまとわりつかないし、ブーツも柔らかくて歩きやすい。
『髪の毛もちゃんと編んでやろう。使用人も見た目が大事だからね』
どういう仕組みになっているのか、ゴースト達は器用に髪をいじっていた。ひっぱられる感触はあるのに痛みはなく、かといって緩く不安定な印象は一切ない。
付属品のメガネについてはゴースト間でも意見が割れていた。
『こんなもんいらないよ!かわいいプリンセスの顔を隠す必要ない!』
『ダメだダメだ、不埒な輩が寄ってきたらどうするんだ!』
『式典で素顔は見せてるけどね~……』
これは僕が着用を希望して丸く収まった。昨日はすっかり忘れていたけど、顔を隠すアイテムとして長年伊達メガネをしているので、むしろ落ち着く。
身支度を終え、雑巾の入ったバケツと箒を手に、掃除する場所だというメインストリートに向かう。すでに登校途中と見られる生徒の姿がちらほら見えた。
広い学園の敷地に見合った、広くて長い道だ。メインストリートの名を冠するだけあって、綺麗で立派。丸一日かかっても終わる気がしない。
……それにしても、さっきから登校する生徒たちからの視線が痛い。
「……オマエ、めちゃくちゃ見られてるんだゾ」
「グリムもだから。僕だけじゃないから」
「……どう考えてもそのメイド服のせいじゃないか?」
グリムがスカートの裾をぺし、と叩く。たっぷりとした生地がゆらゆらと揺れた。
用意された仕事着は、どっからどう見てもメイド服だった。黒に近い紺色のワンピースに、編み上げの帯が付いた白いエプロン。ニーハイソックスをガーターベルトで留め、下着が見えないようになのか、カボチャパンツまで入っていた。頭巾型のヘッドドレスと度の入っていないメガネも付属品だ。ワンピースの内部にはエプロンのボタンに引っかけて裾をたくしあげるためと見られる機構があったけど、いつ使うんだこれ。
メイド服に添えられた手紙にはこう書かれていた。
『過去に学園祭で使ったものなのですが、処分に困っていたのです。身分を明確にするにもちょうど良いでしょう。替えはまだまだあるので、遠慮なく使ってください』
一年も魔法少女をしていたのだから、女装に慣れていないと言う気はない。
不意に連れてこられたワケわからん異世界でも強いられる事になろうとは思わなかった。
今すぐ消えてなくなりたい気持ちをぐっと堪えて、箒を構える。
「さぁ、グリム。ご飯と寝床のために掃除するよ」
「オレ様掃除なんてイヤだ」
初っぱなからやる気を叩き折られた。ブチギレたい気持ちをぐっと堪えて、しゃがんで視線を合わせる。
「お仕事しないと追い出されるって話したでしょうが」
「やなんだゾ。オマエ一人でやれ」
「……ならせめて、邪魔にならないようにしてくれる?これから人通りも増えるだろうし、登校する生徒さんの邪魔にならないようにね」
グリムは放っておいて、とっとと掃き掃除を始める。生徒たちは好奇心の視線こそ向けてくるが、声をかけてくるような事は無かった。正直その方が助かる。
日頃の手入れが行き届いているのだろう。思ったよりサクサクと掃除は進んだ。道も半ばにさしかかり、景色が変わる。両脇に立派な石像が並んでいた。片方に三体、片方に四体。合計七体。雑巾の用途はこれらしい。後で水を汲んでこないと。ギリギリ高さが間に合わないから、踏み台も探してこないといけない。
「この石像、昨日の夜見た時はブキミだったけど、今は怖くないんだゾ」
見れば結構デフォルメが効いたデザインのように思う。おとぎ話の登場人物みたいだ。よく学校で見かけるリアルな胸像とは毛色が違うように感じられた。
「昨日はよく見てなかったけど、こいつら誰なんだ?」
「ここにあるからには、偉い人とか、縁のあるものの像なんじゃない?」
台座に説明文が彫られているようだ。でも大概、学校で多くの人に見られる位置に掲げられているものは、多くの生徒にとってどうでもいいもので、由来なんてどうでもいいと思われてる。僕も気にした事ない。
「このおばちゃんなんか、特に偉そうなんだゾ」
グリムが奥にあるふくよかな女性の像を指さして言う。ドレスの裾を摘まんだポーズの中年女性の頭には王冠が乗っていた。ハート型の杖を手に胸を張り、澄ました表情をしている。
「ハートの女王を知らねーの?」
説明文を読もうとした時、背後から声がかかった。振り返ると、生徒の一人が僕たちを見てにこにこ笑っている。茶色にしては明るい、オレンジ色にしては暗い色の癖毛と、目元のハートマークのペイントが目を引いた。
チャラそう、という感想を飲み込む。
「ハートの女王?偉い人なのか?」
「昔、薔薇の迷宮に住んでた女王だよ」
規律を重んじる厳格な人柄で、兵の行進も花の色にも一切の乱れを許さなかった。くせ者ぞろいの国なのに、規律違反は即打ち首にする厳しさで、誰もが彼女に服従したという。
「コエーんだゾ!」
「クールじゃん。オレは好き」
まぁ、彼の目元のペイントもハートマークだしね。
「優しいだけの女王なんて、みんな従わないだろ?」
「確かに、リーダーは強い方がいいんだゾ」
グリムがうんうん頷いてから首を傾げる。
「ていうか、オマエは誰だ?」
「オレはエース。今日からピカピカの一年生」
ヨロシク、と屈託無く笑って見せた。
一年生、という事は……いくつになるんだろう。多分歳は近いはず。後でゴーストに訊いておこう。
「オレ様はグリム!大魔法士になる予定の天才だゾ。こっちはユウ。オレ様の子分だ」
「ユウ?珍しい響きの名前だね」
「ちょっと遠い所から来たもので」
苦笑しつつ会釈で流した。エースは首を傾げている。
「なあなあ、エース。それじゃ、あっちの目に傷のあるライオンも有名なヤツなのか?」
グリムが離れた場所にあるライオンの像を指さした。堂々とした佇まいで、右目には傷跡がある。
「これはサバンナを支配した百獣の王」
生まれながらの王ではなかったが綿密に策を巡らせ王となった努力家で、嫌われ者のハイエナも受け入れてどんな動物も分け隔てなく過ごせる国を目指したという。
「おお、ミブン?っていうのに囚われないヤツはロックなんだゾ!」
動物の世界の物語、つまりはお伽噺の類だろうか。でもエースの口振りからして、歴史上の事件ぐらいに過去にあった事とされていそうな雰囲気だ。もしかしたら魔法で動物達から聞き出したりしたのだろうか。人の社会で祭り上げられるほどの動物、というのがなんだかしっくりこない。グリムと同じく言葉を話せるモンスターだとしたら、石像が作られるほどの偉人がいるのにモンスターの扱いがさほどよくないのも不可解だ。
「手前のタコ足のおばさんは誰だ?」
グリムが指さした石像には、これまたふくよかな体型の女性がいた。髪は短く重力に逆らって上に伸びている。ドレスの裾なのか、腰から下にはタコの足のようなものが踊るようにうねっていた。手に持っているのは文字が彫られた紙のようだが、文字の内容は読む事ができない。
「深海の洞窟に住む海の魔女」
不幸な人魚たちを助ける事を生き甲斐にしており、対価さえ払えばあらゆる悩みを解決してくれたという。対価は高額ながら、叶わない願いは無かったと言われているそうだ。
深海に住んでいる、というのが本当なら、ドレスの裾だと思っていたタコの足は、本当に彼女の足なのかもしれない。想像して、ちょっとぞっとした。お伽噺の登場人物ならまだしも、現実にいたらお近付きにはなりたくない。
エースの説明に、グリムは目を輝かせている。
この世界で『何でも願いを叶えられる』というのはつまり、優秀な魔法士であった事を指すのだろう。それはグリムの言う『大魔法士』の姿に近いようだ。
「オレ様も大魔法士になればリッチになれるって事か!?」
……意外と俗っぽいなコイツ。今更か。
「じゃあじゃあ、このデカい帽子のおじさんは?」
グリムはぴょんぴょん跳ねて、反対側に並んだ石像を指さした。エースは笑顔で説明を続ける。
「砂漠の国の魔術師。間抜けな王に仕えてた大臣で、身分を偽って王女を誑かそうとしてたペテン師の正体を見破った切れ者!」
こちらの列は背の高い像が多い印象だ。魔術師の石像もすらりと細長いシルエットで、ゆったりとした衣装が身幅を広げている。手に持った蛇の杖は眼孔が鋭く、魔術師自身も堂々たる立ち姿だ。賢そう、と言えば聞こえは良いけど、ちょっと怖い印象も受ける。
「その後魔法のランプをゲットして、世界一の魔術師にのし上がった!さらにはその力で王の座まで手に入れたんだって」
つまり、称号は『魔術師』で有名だが、最終的には王になった人、という事らしい。……王としては有名になれなかったって事かな。
「やっぱ魔法士には人を見る目も必要、って事だな!」
エースの説明を聞いて、グリムは笑顔になっている。果たしてグリムにその目はあるんだろうか、と思うが答えは保留にしておいた。
「おおっ、コッチの人は美人だゾ!」
グリムは端っこの像に駆け寄る。
こちらもツンと澄ました顔の女性の像だ。先ほどの女王とはスタイルが見るからに違う。裾が長く体型を強調した服ではないが、それでもすらりとしたシルエットの美しさは『完璧』の一言に尽きる。石像にするからには多少のデフォルメはあるかもしれないが、それにしても綺麗だった。ただ、右手に物騒な雰囲気のオブジェを下げてるのが怖い。
「これは世界一美しいと言われた女王」
毎日、魔法の鏡で世界の美人ランキングをチェックし、自分の順位が一位から落ちそうになったら、どんな努力も惜しまなかった、と言い伝えられている。その意識の高さが祭り上げられている理由、という事だろうか。
「あと、毒薬作りの名手でもあったらしーぜ」
……それが知られてるって事は、裏で暗躍したとかじゃないんだろうけど、それにしてもおっかない。
「キレーだけどおっかねえんだゾ……」
「譲れないこだわりがあるのはカッケーじゃん」
「た、確かに、一本芯が通ってるのはカッケーな!」
グリムは素直な感想を述べつつ、エースの見解にも理解を示した。脳裏に『物は言い様』という言葉がよぎったが黙っておく。
「向こうの頭が燃えてる男は?」
見るからに怖い、とグリムが示したのは、長身の男の像だ。石像なのに、燃えているとすぐに気づいたグリムの観察眼に感心した。確かに指先に炎っぽいものが乗っている。古代人の着てそうなゆったりした服装で、この石像だけどうにも明らかに顔つきが邪悪に見えた。歯のギザギザした様子まで丁寧に描写した石像職人の技術の賜物だろうか。
「死者の国の王!」
ファンタジーかよ。ファンタジーだったわ。
まぁ、死者の国というのが通称の可能性もある。黙って話を聞く。
「魑魅魍魎が蠢く国を一人で治めてたっていうから、超実力者なのは間違いない。……コワイ顔してるけど、押しつけられたイヤな仕事も休まずこなす誠実な奴で、ケルベロスもヒドラもタイタン族もみんな、コイツの命令に従って戦ったんだってさ」
見かけに寄らず人望は篤いようだ。……ならもう少し、職人が手心を加えてもよかったのではないか。ぱっと見でそんな良い人そうに見えない。
「実力があるのに驕らない、ってのは大事な事なんだゾ」
グリムも気をつけなね、と喉まで出掛かったが黙っておいた。友好的な人が話しかけてくれてるのに、話に水を差したくない。グリムは人の気を知らず、最後に残った像の前に駆け寄った。
「最後に、この角が生えてるヤツは?」
杖を手にしたマント姿の女性だ。頭に大きな角が二本生えている。マントはおどろおどろしい切り口で、足下に飾られた茨もどこか拒絶を示しているように感じる。
「魔の山に住む茨の魔女。高貴で優雅、そして魔法と呪いの腕はこの七人の中でもピカイチ!」
とにかく魔法のスケールが超デカい、とエースは興奮した様子で説明する。巨大なドラゴンにも変身したらしい。『偉業を為して崇められた』というより『恐れられ崇められた』類かなと思う。腫れ物扱い、というのだろうか。
つい数ヶ月前の戦いの事を思い出す。
あの相手も強大な『魔女』だった。魔王とも呼ばれた、誰も打ち勝つ事の出来ない呪わしい存在。倒した後でさえ、本当に倒せたのかと疑問を抱いた。
彼女は孤独を理由に破壊を望み、道連れの命を求めたという。それ以上の詳しい経緯は知らない。戦う相手に同情するな、という事で教えてもらえなかった。
あの魔女も、この世界の魔女たちのように崇められ尊敬される世界があったなら、無理心中なんて考えずに済んだのだろうか。
「おぉ、ドラゴン!全モンスターの憧れだゾ!」
「クールだよな~……どっかの狸と違って」
エースの声の雰囲気が一気に変わった。見れば表情まで違う。
僕とグリムが揃って彼の顔を見ると、エースは爆笑し始めた。
「お前ら、昨日の入学式で暴れてた奴らだろ?手違いで闇の鏡に呼ばれた魔法が使えない奴と、お呼びじゃないのに乱入してきたモンスター」
明らかな嘲笑を含んでいる。思わず箒を握る手に力が入った。こいつのプライドをぶち折れるスイングのタイミングを計る。
「で、結局入学できずに、二人して雑用係になってまで学園にしがみついてるワケ?だっせー」
「にゃにおう!?」
「しかも『グレート・セブン』も知らないなんて、どんだけ世間知らずなんだよ。出身地も言えないとか、どんな秘境に暮らしてたワケ?」
どうやら口振りからして、この石像の人物たちを知っているのは一般教養の部類らしい。沸いていた怒りが少し下がる。代わりに、目の前の人間に軽蔑を抱く。
「ナイトレイブンカレッジに来る前に、幼稚園からやり直すのをオススメするわ。……モンスターは幼稚園にも入れねえかな?」
グリムは今にも飛びかかりそうだった。肩を掴んで制止を試みるけど、毛が逆立っているし怒りは明らかだ。猫の瞬発力じゃさすがに止めきれないかもしれない。
「ちょっとからかってやろうと思って声かけたけど、色々と予想を超えてたね。ダサメガネの女装とか、需要どこだよ」
「そんなもんこっちが訊きたいわ。てめえんとこの学園長に言えよ」
思わず口を突いて出た。一瞬ちょっと驚いた顔をして、すぐに表情を戻した。
「へえ、意外と言うじゃん。魔法も使えないくせに」
「名門って言うから頭は良いのかと思ったら、他人の事情を察して慮る事も出来ないような、おつむの足りないのもいるんだね」
「んなっ……」
「能力が高い人間は弱者にも寛容なものだと思うけど、まぁ、どこにでも例外はいるって事か。卑怯者の性根は学問じゃ矯正できないしね。さっきの事含め勉強になったよ、ご親切にどうもありがとう」
ひとつ言い返したら無限に文句が返ってくるタイプだと思うので、一気に畳みかけた。笑顔で言い切ると、相手の表情が苛立ちに歪む。
「お前、入学式とキャラ違いすぎだろ」
「は?」
「あの時はちょっと顔かわいいなって思ったけど、実際はこんなダサメガネで、しかも性悪なんてマジで詐欺だわ。化粧で顔変わるタイプって得だな」
どうやら、入学式で僕の顔を見ていたらしい。そういえば目元に覚えのない化粧が施されてたな。気づいた時にはすっかり落ちてたけど。
この手の言いがかりには慣れているつもりだけど、久々なのでめんどくさい。肉体言語は最終手段にしたいし、使った所で今後また突っかかってこられたら面倒だ。妙に諦め悪そうだし。
「顔面詐欺の性悪のダサメガネで悪かったね。希望に満ちた優秀な新入生くん。魔法も使えない無能な雑用係に突っかかってる暇があったら、早く大好きな学校行ったら?その足りないおつむがいっぱいになるように、せいぜいお勉強頑張ってねー」
「良いぞ、ユウ!もっと言ってやれ!蹴ってもいい!オレ様が許す!」
「おい、人の影に隠れて調子のんなよ、ダサ狸!」
「ふなっ!失礼な、オレ様はダサくねえし狸じゃねー!!」
グリムが手を逃れてぴょいと飛び出すと、エースは再び調子を戻した。
「ダサ狸だろ、ダサメガネの後ろに隠れてるダサ狸!」
「ぐぬぬぬぬ……もう許せねえんだゾ!」
ヤバい、と思った時には、グリムは火の玉をエースに向かって吹き出していた。
「あぶねえ!」
エースが避けたので、火の玉は誰にもぶつからずかき消えた。それはよかったんだけど。
周囲にはいつの間にか観衆の輪が出来ていて、睨み合う二人をはやし立てている。
「グリム、やめなよ。他の人に当たったら危ないし、揉め事起こしたら追い出されちゃうよ!」
「うるせぇ!オレ様はそんなヘマしねえ!あの爆発頭、もっとチリチリにしてやるんだゾ!」
「やれるもんならやってみろよ」
グリムは挑発に乗り、さらに火の玉を吹き出した。エースは胸ポケットから取り出したペンを振る。どこからともなく吹いた風が、エースに向かっていた火の玉を流してしまった。
「ふな?くっそー!」
むきになったグリムがやたら火の玉を吹くけど、一向に当たる気配はない。
「グリム、落ち着いて。アレ魔法使ってるよ」
「ぐぬぬぬ~……おとなしく当たれ爆発頭!」
「やなこった。実力で当ててみせろよ、ダサ狸」
「むっかぁぁぁぁ~~~~!!!!」
グリムの毛が一層逆立ち、ひときわ大きな火の玉を生み出す。エースはそれをさっきまでと同じように受け流した。多分、大きさの事まで考えていなかったのだろう。
行き先を逸らした火の玉は、ふくよかな女王の石像に思いっきり当たってしまった。
エースと観衆の悲鳴が重なった。石像は一瞬にして丸焦げだ。雑巾で水拭きしてどうにかなる範囲を超えている。
「コラーーーーーーーーッッッ!!!!!!」
タイミング良く、学園長の怒声が響きわたった。観衆は慌てた様子で離れていき、エースも逃げようとしたが、いつの間にか目の前に学園長が現れていて足を止めざるを得ない。
「学園内の私闘は禁止です。校則にも書いてありますよね」
学園長はいつになく厳しい表情だ。視線を黒こげの像に向けた瞬間、その表情が悲嘆に染まる。
「ああ、偉大な『グレート・セブン』の像が黒こげに……」
「違うんです、この狸が火を吹いてきて、オレは避けようとしただけで……」
「元はと言えば、お前が意地悪で突っかかってきたせいなんだゾ!」
「だまらっしゃい!!」
ピシャリと怒られ、二人は口を噤む。学園長の視線は僕に向く。
「騒ぎを起こさせないように、と言いましたよね」
「申し訳ありません、幼稚園生でも言わないような低俗な悪口を言われて、グリムが黙っていられなくなってしまいまして。一応止めたんですけど」
反省を露わにしょんぼりとうなだれてみせると、学園長は呆れたため息をついた。隣でエースが信じられないものを見るような目をしている気がするけど無視する。ユウだってボロクソに言い返してたんだゾ、というグリムの呟きは学園長の咳払いに遮られた。
「君、ハーツラビュル寮の新入生ですね。名前とクラスは」
「……一年A組、エース・トラッポラです」
「トラッポラくん。雑用係のグリムくんとユウくん。君たちには罰として、食堂の窓拭き百枚を命じます」
ええ、とか、うげえ、と声を出す二人を、学園長は睨んで黙らせる。
「本来なら退学ものです。反省する気が無いのならば、そうしてもいいんですよ」
退学、と言われてはさすがのエースもおとなしくするしかないらしい。途端にしおらしくなった。そしてその退学という言葉は、僕たちに対しては『追放』を意味している事を、グリムも察したらしい。ふたりしておとなしくなったのを面白く思う反面、最初からおとなしくしてろよ、とも思ってしまう。
「三人は放課後、食堂で仲良く窓拭きをするように。良いですね!」
はい、と三人の声が揃った。程なく学園長の姿が消える。
脱力してため息が漏れた。同時に隣からも聞こえた。思わず隣を見ると、向こうも忌々しげにこちらを見ている。しばらく睨み合った後、ほぼ同時にそっぽを向いた。