3:探究者の海底洞窟




「ごきげんよう、トリックスター!」
 一日の授業を終えて教室を出たら真ん前にいた。ずっこけそうになるのをギリギリで堪える。
「こ、こんにちはハント先輩。何かご用ですか?」
「今日の私はメッセンジャーなんだ。ヴィルが仕事で来られないのでね」
 そう言いながら、手に持っていた大きめの封筒を差し出してくる。
「……えーと、これは?」
「ヴィルの作った魔法薬学の対策ノートのコピーだよ。うちの寮生にしか渡していないものだが、キミには特別に授けよう」
「なんで僕に?」
「テスト対策に苦戦しているのだろう?ヴィルも心配していたよ。面倒を見てくれる先輩がいないのでは、クルーウェル先生のテストには太刀打ちできない、とね」
 ハント先輩は愛想良く笑っている。ポムフィオーレの寮長が作った魔法薬学のノートなんて、確かに心強い事この上ない。と思う。多分。
「とても有り難いですけど……その、お礼とか何も出来ないですし」
「そんなものはいいのさ。……そうだね、キミが赤点を取らない事がお礼に当たるかな?」
「そ……そういうものですかね……」
「先輩の厚意には甘えるものだよ。気にせず受け取ってくれたまえ」
「……ありがとうございます。シェーンハイト先輩にも、よろしくお伝えください」
 頭を下げると、ハント先輩はますますにっこり笑っている。
「ところで。……今日は肌艶が前より良いね?」
「あー……ちょっと貰ったものがあって……気が向いて、試しに使ってみただけなんですけど……」
「うん、とても良い。試しにと言わず、スキンケアは続けた方が良い。しかし相対的に髪が少し荒れて見える。日に日に空気が乾燥しているからね。ドライヤーは使ってるかい?」
「いえ、うちの寮には無いので……」
「それは良くない。最近、最新機器の試用を兼ねて備品を買い換えた余りがあるから、そちらを譲ろう」
「そ、そんな悪いです!」
「大丈夫、キミを美しく仕上げるためならヴィルも文句は言わないよ」
「……ポムフィオーレ寮の備品管理って、そんな緩いんですか?」
 思わず尋ねると、ハント先輩は意味ありげに目を細めた。なんだか居心地が悪くなった気がする。
「……いいや。我々は最新の美容を熱心に取り入れているけど、消耗品も含め備品はきちんと管理しているよ。高価な品が多いからね。不要となり物置に入れたものも全てリスト化して定期的に数を確認している」
「……そう、なんですか」
「だからね。……もし誰かに我々の寮の備品が横流しされていたとしたら、それはきっと管理する立場の誰かの仕業さ」
 心臓が跳ねる。悪事を指摘されたような気分だった。
「不要品は年に一度、まとめてチャリティーのバザーに提供しているから、眠りっぱなしという事もないけどね」
「それは何というか……凄いですね」
「どこの寮も似たようなものだと思うよ」
 いつのまにかハント先輩の様子は普段通りに戻っている。責められているような、追いつめられているような心地が錯覚だったんじゃないかと思うくらい。
「では、健闘を祈るよ」
「ありがとうございました」
 片手を上げ歩いていく背中に頭を下げる。廊下の角に見えなくなると、グリムがため息をついた。
「相変わらず得体のしれねえヤツなんだゾ」
「そうだね。……結局、僕としては助かったけど」
 寮外秘のノートなんて貰ってしまったんだから、さすがに図書室で開くのは良くないだろう。今日はオンボロ寮の談話室で、紅茶でも飲みながらやるか。
「グリムも一緒に勉強する?」
「オレ様には不要だ!せいぜい足を引っ張らないように頑張れよ」
 余裕の笑顔がなんだか腹立たしい。でも促した所でやらないだろうしなぁ。
 不安を感じながらも、とりあえず寮への帰路に就いた。


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