2:果てを望む砂塵の王
秋が深まり、オンボロ寮の庭先にも落ち葉が増える。
庭の草をちょっと刈って土だけの場所を作って、集めた落ち葉や枯れ草を積み上げる。購買で叩き売りされていたサツマイモをアルミホイルに包んで、その中に幾つか突っ込んだ。グリムの魔法で火をつける。
見上げた空はどこまでも青い。今日もよく晴れている。
そして帰る方法は見つかっていない。期末試験が刻一刻と近づいてきており、こちらの方が優先すべき現実になりつつある。
「いつまで続くんだかなー……」
寒さが肌を刺す度に、お風呂が恋しくなる。一般家庭の広くないバスタブだって癒されるのだ。姉の大好きなラメとか出てくる入浴剤に苦しめられなければ、なお良い。
石段に座って、最近修理が進んだ柵の向こうを眺める。風呂の事を考えていたからだろうか、こっちに向かって歩いてくる集団がバスタブっぽいものを担いでいるように見えた。いくらなんでもひどい錯覚だ。
集団の先頭は、見覚えのある人物だった。ブッチ先輩とジャックだ。オンボロ寮の門扉を開いて入ってきた。後ろには四人の獣人属の生徒がついてきているが、彼らは何故か一つのバスタブを力を合わせて担いでいた。
「……ブッチ先輩、ジャック。何のご用ですか?」
「なんなんだゾ、それ」
ブッチ先輩はさわやかに笑う。
「サバナクロー寮から、使わないバスタブの贈り物ッス!」
「…………は?」
ジャックの後ろから、設備管理課のゴーストが顔を覗かせた。
『レオナ・キングスカラーさんから、こちらのお風呂の設備交換の依頼を承りました~。中に入っていいですか~?』
「な、ええ!?」
『うちの風呂場に入るかなぁ』
小柄なゴーストが心配そうに呟きながら、玄関を開いて彼らを招き入れる。
「ど、どういう事?」
「レオナさんがね、倉庫で邪魔になってるバスタブをオンボロ寮に押しつけてこいって」
「なんそれ」
「その……エースたちからオンボロ寮のバスタブに大穴が空いてるって話を聞いて、俺が何の気なしにレオナさんの前でその話をしたら」
「何故かレオナさんったら、寮には合わないサイズのバスタブなんか注文しちゃって、倉庫に入れても邪魔になるし、丁度いいから風呂がぶっこわれてるって噂のオンボロ寮に押しつけよう、ってなったワケ」
何その露骨な話。
「…………何で事前連絡とか打診とかくれないんでしょうか」
「したら断ってたでしょ」
「はい」
「こっちだってそれぐらいお見通しって事ッスよ~」
「あ、あとこれもレオナさんから」
ジャックが手に持っていた紙袋を手渡してくる。やけに綺麗な紙箱が幾つか入っているが、ずっしり重い。
「何コレ」
「サバナクローの寮備品と同じシリーズの入浴セットと、夕焼けの草原王家御用達ブランドのスキンケアセット、ッス」
「…………………何で?」
「ユウくんが今使ってるの、ちょっと前までポムフィオーレで使われてたヤツでしょ?」
ガツンと後頭部を殴られた心地だった。
「そ、そう……なんですか?」
「そう。だからレオナさんもオレらも、キミがルーク・ハントの縁者じゃないかって疑って警戒してたんスよ。実際は的外れだったワケですけど」
「ええ……」
サバナクローでとんでもない疑惑がかけられてたんだなぁ……晴れて良かったけど。
でも同時にとんでもない事まで判ってしまった。
ミスター・ロングレッグスはポムフィオーレ寮の生徒の可能性が高い。
言われてみれば貰った手紙の雰囲気もそんな感じだ。ついていた匂いも寮で感じたものと近い気がする。
思い浮かぶのは、シェーンハイト先輩の顔。あの厳しい人の目をかいくぐって、入れ替えて不要になったとはいえ、備品を他寮の人間に無償で譲るなんて出来るんだろうか。もし難しい中で実行してくれたとしたら、ますます感謝しないといけない。
「そういうワケでね」
ブッチ先輩の声で我に返る。先輩はにっこり笑っていた。
「遠慮なく使っちゃってくださいよ。レオナさんも喜びますから」
「まあ……消耗品を譲っていただけるのは助かります。バスタブの事も含めて、よろしくお伝えください」
一応頭を下げる。ジャックがあからさまな咳払いをして僕を見る。
「あー……これは深い意味のない雑談なんだが」
「なに?」
「監督生は、恋人とかいるのか?」
たき火のはぜる音だけが響いた。ブッチ先輩が声を出さずに笑い転げている。
「ジャック、罰ゲームでもしてんの?」
「な、何でだよ!?ただの雑談だって言ってるだろうが!」
「いやキミこんな雑談しないでしょ。興味なんか微塵も無いでしょ。それともイジメられてるの?先輩たちに意地悪されてるの?」
「やめろ!本気で心配すんじゃねえ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけられた。涙を流して爆笑していたブッチ先輩が起きあがる。
「大丈夫ッスよ、そういうんじゃないッスから」
「本当ですか?」
「ホントホント。で、実際のトコどうなんです?」
ブッチ先輩が笑顔で迫ってくる。
「……いませんよ」
「へー、意外ッスね。ついでに結婚相手に求めるスペックと最低年収を参考までに訊いてもいいッスか」
「そんなもん考えてる十代の男子学生がいるわけないでしょ!!!!」
「オレは考えてますけど」
「ブッチ先輩は特殊例!!!!」
頭痛くなってきた。そうこうしている間に工事は終わったらしく、オンボロ寮からサバナクローの寮生たちがぞろぞろやってきてる。
「じゃあ理想の恋人像は?」
「……清楚で明るくて優しくてほっこりさせてくれるような、女の子が!いいです!!」
「女の子は、そういう好みなんスね。へー」
「変な言い方しないでくれます?」
話を聞いていたサバナクローの寮生たちが色めき立つ。
「顔が良くて耳と尻尾がキュートで声がセクシーなタイプはどうッスか?」
「一見けだるげでやる気なさそうに見えて、実は面倒見が良い人とかどうでしょう」
「頭がよくて運動もできて教養もバッチリな人とかいいですよね!」
「王族で桁外れのお金持ちなんて、そうそういませんよ!」
わいわいと口々に特定個人の特徴を並べ立てている。額に手を当てしばし黙り込んでから、大きく息を吸い込む。
「用が済んだなら帰れ!!!!!!!!!!」
全力で怒鳴ると、ブッチ先輩以外が飛び上がって鉄柵の所までダッシュで逃げていった。でかい図体を小さく丸めて震えながらこっちを見ている。
「おーこっわ。ホント、サバンナでも十分やってけそうッスね」
「やっていくつもりはありませんけどね!!」
「じゃあオレたちはお望み通り帰りますけど、最後にひとつだけ。スキンケアセットなんて、レオナさんの柄じゃないもんがプレゼントに含まれてるのは何でだと思います?」
「へ?」
ブッチ先輩はニヤリと笑って、僕の頬をつついた。
「キミを極上の状態で味わいたい、って事ッスよ」
「……………………………手の込んだセクハラじゃん」
「ま、そういう解釈も出来るってだけッスけどね」
それじゃあ、と言ってブッチ先輩は出口に向かっていく。縮みあがっていた寮生たちも彼に続き、こちらに会釈をしながら出て行った。
また庭は寒々しい秋の気配に包まれる。たき火のはぜる音が小気味よく響いていた。
『サバナクローの王様って、人を好きになるとこんな感じなんだ……』
『スペックに文句のつけようがない、本物の王子様が出てきちゃったね~』
『むむむ……し、しかしだな、求愛の仕方がけしからん!もっとこう、あるじゃろ!風情とか!!』
ゴーストたちの会話が他人事のように聞こえる。というか聞きたくない。現実から逃げたい。
「なぁなぁ子分、もう焼けたんじゃねえか!?」
グリムは芋が焼けるのを心待ちにしていて、さっきの話には全く興味が向かなかったらしい。キラキラした目でたき火の中の芋を見ている。その脳天気さが実に羨ましい。
たき火の中から芋を探り出す。一つ開けて割ってみると、柔らかく火の通った黄色い実から、ほっこりと湯気が立った。
「おほぉ~!美味そうなんだゾ!」
半分を渡すと、グリムは熱さに苦戦しつつ、嬉しそうに頬張り始めた。僕も一口かじる。甘くておいしい。おいしいものを食べてる間は幸せだ。
一旦とりあえず忘れよう。向こうの盛大な勘違いかもしれないし。そしたら、割とすぐ正気に戻ってくれるかもしれないし。
澄み渡る青い空に上っていく煙を見つめながら、そうであるよう心の底から祈った。