2:果てを望む砂塵の王




 誰かの話し声がする。消毒液の匂いが鼻についた。目を開けると、見慣れない天井がある。
「子分!目が覚めたか!?」
 すぐ近くにグリムの顔がある。自分がベッドに寝ている事にやっと気づいた。
「……ここ、どこ?」
「保健室。お前、試合中にグリムの投げたディスクが頭に直撃して気絶したんだよ」
 エースもデュースもほっとした顔をしてる。ジャックの姿まであった。
 起きあがってみると、頭に痛みが走る。後頭部を触ると痛い。頭に巻かれた包帯の範囲が広くなってる気がした。
「それはまあなんつーか……あー……試合はどうなったの?」
「お前抜きで無事に終わりました」
「大会自体も全部の試合が終わって、もう片づけが始まってる頃だと思う」
 つまり半日寝てたという事になるだろうか。
「サバナクローの人たちは?」
「ちゃーんと出場してボコボコにされてきましたよ」
「……あいつら、本当にディスクじゃなくて俺らばっかり狙いやがって……」
 振り返ると、隣とその向こうのベッドに、それぞれキングスカラー先輩とブッチ先輩が寝ている。僕に負けず劣らず、包帯や絆創膏まみれだ。
「……えーと、お疲れさまです」
「おう」
「ユウくんもお疲れさまッス。災難だったッスね?」
 ブッチ先輩はいつものように特徴的な笑い声を上げる。でも傷が痛むのか、すぐに顔が歪んだ。
「って事は、優勝は」
「ディアソムニアだよ」
 今年もやはり圧倒的な差だったようだ。ディアソムニア寮だけ、一人も保健室にかつぎ込まれなかったらしい。……逆にそんだけ大盛況だったのか。なんかベッドを占拠してたの申し訳ないや。
「……いやホント、マレウス先輩、凄かったわ。アレを見たら諦めたくもなるって」
 よほどの迫力だったのか身震いしているエースとは対照的に、ジャックは鼻を鳴らす。
「確かに圧倒的だったが、そんな事は関係ねえ。俺は鍛錬を続けて、いつかマレウス先輩に全力で挑んで勝ってみせる!!」
「……そうだな、やるなら悔いがないようにしたいもんな」
「出たよめんどくさい熱血コンビ」
「まあいいんじゃない?卑怯な手に出るよりは、めんどくさい熱血の方が無害かもよ」
「どっちもどっちだわ」
 今度はキングスカラー先輩が、心外と言いたげに鼻で笑った。
「卑怯も立派な実力のうちだろ?馬鹿には考えつかない事だからな」
「……あんた、まだそんな事を……!」
 怒りを露わにするジャックに対し、キングスカラー先輩の不遜な笑顔は変わらない。
「今年の俺は使えるもの全てを使って優勝を目指した。来年も、全力を尽くしあらゆる手段で優勝を目指すまでだ」
「うわぁ……」
「この人は本当に……」
「まあまあ、そうドン引きしないで。ユウくんを保健室に運んだのレオナさんなんスよ?」
「え」
 ブッチ先輩の言葉に、デュースたちが頷く。
「ああ、そうだったな」
「ユウがぶっ倒れて目の前にいたジャックがおろおろしてる間に、箒に乗ってスーッて来たと思ったら、お前を抱えてまたスーッて引っ込んでって、保健室に置いてきたっつって戻ってきた」
「まー迷いのないお姫様抱っこでしたねー。ウチではしばらく語りぐさッスわ」
「ラギー……!」
「あー……それはまたなんというか……えーっと……ありがとうございます……?」
 お礼を言ったら顔背けて舌打ちされた。向こうでブッチ先輩がにやにや笑っている。
「いいんスよ、もっと文句言っても。キミの右足の怪我に気づいてたくせに、試合始まっても言わなかったこの人が全部悪いッスから」
「右足?」
 ジャックがはっとした顔になって布団をめくった。デュースが足を掴んでエースが運動着を捲り上げる。何その無駄に素早いチームワーク。
 右足の足首近くに包帯が巻かれている。僕の雑な応急処置とは比べ物にならないくらい丁寧に処置されていた。
「あれ、誰か綺麗にしてくれてるや」
「綺麗にしてくれてるや~、じゃねえよ!!」
「何で黙ってたんだ!!」
「下手すりゃ歩けなくなるんだぞ!!!!」
「三人ともうるさい、ここ保健室!!」
 興奮した三人に油を注ぐようにブッチ先輩が言う。
「誰かさんが意識のないうちに怪我させた事に動揺してなきゃ言ってくれてたでしょうねー。それでさらに怪我させてりゃ世話ねーよなー」
 ついにキングスカラー先輩は押し黙ってしまった。三人の視線から目を背け壁を見つめている。
「……えと、重ね重ねありがとうございます」
 反応は返ってこない。居たたまれない気持ちになる。
「なぁなぁ、じゃあここにあるお見舞いも、レオナからなのか?」
 グリムの声で空気が緩んだ。前足で示したベッドサイドの机に、見覚えのない紙袋が置かれている。取ってキングスカラー先輩に見せると、首を横に振った。
「俺がお前を連れてきた時にはそんなもん無かった」
「購買の紙袋ッスね、それ」
「エキシビションの試合が終わって、僕たちが来た時にはもう置いてあったと思う」
 デュースが思いだしながら答えてくれた。エースたちも同じ印象らしい。
「何が入ってるんだ?」
 グリムに促されるまま開けてみると、出てきたのは液体入りの瓶が二本。飲み物っぽい。未開封を示すビニールフィルムが飲み口の部分にしっかり付いている。
「傷の回復を促す魔法薬か」
「すげー高い奴じゃん。二本も!?」
 改めて袋に視線を落とすと、底の方に白い紙が見えた。
 上質な白い紙に植物のような模様が箔押しされたメッセージカード。上品な印象の綺麗な字で『お大事に』と一言だけ記されている。名前は書かれていない。
 心臓がわずかに跳ねた。
「……ミスター・ロングレッグス」
 カードを覗きこんでいたエースがぼそりと呟く。
「なんて?」
「ほら、ユウにブランドものの洋服を山ほど送ってきた奴!!アイツじゃね!?」
 エースが言うと、デュースも思い出した顔になった。サバナクローの三人に話の流れを説明すると驚いた顔をする。
「き、キザったらしい奴がいるんスね~……」
「そいつ、随分ユウに入れ込んでるんだな。普段も接触してきてるんじゃないのか?」
「それが、心当たりが無いんだよね……」
「……なるほどな、道理でお前から気に食わない匂いがするワケだ」
 みんなが首を傾げる中、キングスカラー先輩が忌々しげに言った。思わず振り返る。
「キングスカラー先輩」
「何だ」
「だ、……誰かわかるんですか」
「まあな」
「教えてもらえませんか。誰なのか」
「知ってどうする?」
「お礼を言いにいきます」
 右も左もわからない生活の最初を支えてくれた人。贈られた物ももちろん助かったけど、自分を助けてくれる存在がいる事に心が救われていたと思う。感謝してもしきれない。
「お返しできる事はろくにないけど……せめて、言葉だけでも感謝を伝えたいんです」
 先輩は値踏みするように目を細める。僕は真剣な顔で見つめ返す事しか出来ない。みんなも固唾を飲んで見守っている。
 そんな緊張を、場違いなほど明るい声が吹っ飛ばした。
「おじたん、みーつけた!!」
 入り口から聞こえてきたのは子どもの声だった。太陽みたいな笑顔の子どもが、キングスカラー先輩のベッドに一直線に駆け寄ってくる。
「おじたんの試合、かっこよかった!今度帰ってきたら、僕にもマジカルシフト教えて!」
「お……、お前、お付きの連中はどうした?」
「おじたんに早く会いたくて置いてきちゃった!」
 ベッドに上半身を乗り上げ、人なつっこい笑顔で子どもは言った。キングスカラー先輩が頭を抱えている。
「今ごろ泡食って探してるぞ……面倒くせえ事になった……」
 深い深いため息をついた。その間も、子どもはきゃんきゃん何か言いながら嬉しそうに跳ねている。
「おじ……たん?」
 混乱のあまり復唱してしまった。睨まれて口をつぐむ。
 よく見たら、子どもの頭にはレオナさんと同じ形の耳があり、尻尾がある。
「……この毛玉は、兄貴の息子のチェカ。…………………俺の甥だ」
 空気が凍り付く。この人なつっこそうなきらきら輝く笑顔の子どもが、無愛想でぶっきらぼうで物騒なこの青年の、血縁者。
「って事は、これが王位継承権第一位の……」
「レオナ先輩の……悩みの種………?」
 愕然としたものの、なんだか納得もしてしまった。
 嫌われ者だと思って生きてる人間の慕われた過去例が、こんなフルスロットルな懐かれ方しかなかったら、そりゃうまいやり方わからんわ。不器用にもなるわ。
「ねえねえ、おじたん!次いつ帰ってくるの?来週?その次?あっ、僕のお手紙読んでくれた?」
「うるせえ。何度も言ったろ。ホリデーには帰る、ってぇ!おい、腹に乗るな!」
 チェカくんはついにベッドに登り、キングスカラー先輩の腹の上に馬乗りになる。うっとおしそうに下ろされても遊んでもらったと思っているのか、また突撃していく。
「あははは!こりゃ大物ッスわ!レオナさんが実家に帰りたがらないのは、こういう事だったんスね」
 ブッチ先輩は堪えきれずに笑い出し、傷が痛んだのかすぐにベッドに沈んだ。
 そこでやっと周りの人間の存在に気づいたのか、チェカくんが首を傾げる。
「みんな、おじたんのお友だち?」
 ぶふぉ、とエースが吹き出す。
「そうそう、おじたんのお友達。ねー、レオナおじたん!」
「テメエら……後で覚えてろよ……!」
 恐ろしいほどの怒りを感じるが、すぐに行動しない辺りが、目の前の子どもにちゃんと気を遣ってる感じがする。怪我をしてしんどいのが勝ってるだけかもだけど、そういう事にしておきたい。
「優しいんですね」
「うん!レオナおじたん、僕といっぱい遊んでくれるの!おじたんと遊ぶのが一番楽しい!」
 ぴょんぴょん跳ねる姿がとても愛らしい。キングスカラー先輩との対比で更に可愛い。
 なんだか心が暖かくなった。結局、キングスカラー先輩の善人っぽい部分は誰かしらに見つかっているのだ。
 この人は大丈夫。
 彼自身が地獄に落ちる事を望んでも、手を握って止めてくれる人がきっと何人もいる。
 助かって本当に良かった。
「なに嬉しそうに笑ってやがる、草食動物!……あーくそ、早く回収に来いってんだ……!」


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