2:果てを望む砂塵の王




 コロシアムに設けられた更衣室に人はいない。一年生でも魔法で着替えられる生徒が多いので、今の時期は頻繁に使われる場所ではないようだ。
 着ている運動着がほつれたり破れたり切れたりあまりにもボロボロだったため、着替えてくるように言われてしまった。ぐちゃぐちゃの運動着を丸めてゴミ箱に投げ込む。
 露わになった右足は足首の少し上の所が赤く腫れ上がっていた。触る事さえ躊躇われる。備え付けの救急箱に入っていた湿布を貼り、包帯でぐるぐる巻きにした。応急処置にしても雑だが、あまり時間をかけると気づかれてしまう。
 この世界の湿布は症状によって反応が変わるという便利な仕様らしい。常温で保管されていたものだが、貼るだけでひんやりと心地良かった。今はこれで十分。
 卸したてなのか、まだ固い感触の予備の運動着に袖を通す。サイズが少し大きくて丈が余るが、捲れば済む話だ。メガネは予備を取りに行く時間がないけど、左頬にでっかい絆創膏あるし頭にも包帯巻かれてるし、まぁ気にする必要もないだろう。包帯がずれないように気をつけて髪の毛を結び直す。
 今回のエキシビションはサプライズイベントという体になっているらしい。新しい寮が増えたお披露目、などと後付けされていたが、他寮から借りてきてるわゴーストもモンスターもいるわ魔法が使えない奴もいるわでまともなメンバーがいない。下手に話題にされないといいけど。
 控え室に戻ると、みんなが談笑していた。作戦会議、というにはずいぶん和気藹々としている。
「ポジション確認は大丈夫そう?」
「バッチリ」
『楽しみだね~まさか現代の選手と一戦交える日が来るなんて~』
『しかも相手はあの天才司令塔と名高いレオナ・キングスカラー!腕が鳴るわい!』
『一年生はまだ飛行術がおぼつかないみたいだから、上空のポジションはボクたちに任せて!』
「…………き、緊張してきた……」
「オメー、さっきからそれしか言ってないんだゾ」
 顔が青くなってるデュースに、グリムが呆れている。思わず笑いつつ、グリムの正面に回ってその顔をまっすぐ見た。
「寄せ集めのチームだけど、エーデュースともゴーストたちとも、全員と一緒に戦った事があるのはグリムだけだよ」
「ふな……」
「このチームの要はグリムになる。自分一人で戦わないで。グリムがみんなを繋いで、チームを導くんだ」
 わかった?と聞くと、グリムの目は一層輝いた。
「モチロンだ!キャプテンのオレ様がチームを引っ張ってやるんだゾ!」
「まあうまく乗せちゃって」
 苦笑するエースに歩み寄る。
「こないだは二人のサポートに入って前に出られなかったでしょ?今回はゴーストのみんなにアシスト任せて、存分に暴れちゃってよね」
「まぁよく見てますこと。……そうさせてもらうわ」
 そして、まだ青い顔で固まっているデュースの背を、平手で思いっきり打った。
「痛ってぇ!?」
「ビビってんなよ切り込み隊長!全国中継だろうが何だろうが、やる事は変わんないよ!」
「……ああ、そうだな」
 っしゃおらぁ!と気合い入れた声と共に立ち上がる。闘志を燃やす様子を、グリムとエースが呆れ顔で見ていた。
 ゴーストたちを振り返る。
「……こんな感じなので、アシストよろしくです」
『りょうか~い』
『まぁディフェンスを考えるより、ガンガン攻め込む方が向いてそうな子ばかりだもんね』
『後ろは任せてくれ、若いもんには負けんぞ!』
 ちょうど試合の内容を知らせるアナウンスが響いた。入場の合図でもある。
「行こう!」
 おう、と皆が応えてくれた。グリムが先頭を歩いていく。
 控え室からフィールドへ向かう薄暗い通路を進めば、向こうからサバナクローの面々が歩いてきた。先頭はキングスカラー先輩。ブッチ先輩やジャックがそれに続いている。キングスカラー先輩たちは本戦でも戦うトップメンバー、残りは控えですらない下級生だと聞いた。それでも寄せ集めのチームと戦うには十分すぎるくらいだろう。
 キングスカラー先輩はこちらを一瞥しただけで、すぐに前を向いた。ブッチ先輩はにやっと笑って手を振ってくれ、ジャックは微笑んでいる。
 フィールド場に入っていくと、選手の登場に対する歓声が上がった。出場選手の名前が読み上げられ、しかしモンスターにゴーストまでいる寄せ集めの紹介にはアナウンスも苦戦しているようだった。
「アレがオンボロ寮の子?メガネが無いからかな、雰囲気ちがくない?」
「顔に怪我してるからじゃね?」
「本当にゴースト従えてる……ゴーストプリンセスって、ガチなん……?」
「つか、魔法使えないのにどうやってマジフトすんだ?数合わせ?」
 比較的近い客席の声が聞こえてくる。周囲の声が大きくて聞こえないので、くだらない私語も大声で喋らざるを得ない。聞こえないフリをしておいた。
 キャプテン同士の握手を促されるが、キングスカラー先輩とグリムの身長差で届くわけがない。だがキングスカラー先輩は屈む気が全くない。気まずい沈黙が流れる前に、僕がグリムを抱えて差し出す。両者無表情で握手が終わったが、会場には微妙に和やかな空気が漂っていた。
 挨拶も終わったので、選手がフィールドに散っていく。
「相手が寄せ集めだからといって気を抜くな。魔法が使えない奴も侮るな。ウサギを狩るにも全力を尽くすぞ」
「相手は優勝常連のサバナクロー、天才司令塔付き!相手にとって不足はない!胸を借りるつもりで、全力で楽しもう!」
 ほぼ対称の位置で、ほぼ同時に振り返ったと思う。距離があるから相手の顔なんか詳しくは見えないけど、目が合ったと思うし、向こうは笑ってると感じた。僕も笑いかけておく。
 試合開始の笛が鳴る。グリムがディスクを持って駆け出すと、会場から歓声が上がった。やっぱあの姿は遠目からだと愛嬌がある。
 魔法が使えない以上、僕がディスクを持つ事はない。だからマークも必要ない。ので、僕の後ろに選手が回りこんでくる事もない。
 だから全員の動きが見える。向こうの飛行術担当の生徒は飛ぶ事はかなり上手だけど、ディスクの扱いにはまだもたつく所がある。逆に地上担当はディスクに関してはかなり上手だ。コントロールも良い。攻守どちらにも加われる位置にキングスカラー先輩がいるので、ミスを恐れない動きも目立つ。
 ブッチ先輩はあらゆる攻撃をうまくすり抜けてかわしていくし、こちらの隙を見つけるのがうまい。ジャックはとにかくパワーとスピードが抜きんでている。それでいてディスクの扱いも動きの読みも正確だ。一年生でこれなら、どんどん強くなっていくだろう。
 キングスカラー先輩はパスを回し、後輩たちに見せ場を譲るような動きをしている。無駄な温情ではない。それすら真っ当な作戦として成立していた。こちらの翻弄される様子を面白がるようにディスクを回していく。どんな凡庸な選手でも、彼の手にかかればスター選手のようだ。
 対するこちら側も善戦している。
 グリムは先ほどの言葉をちゃんと聞いてくれたようで、味方へのパスをするようになった。コース取りは甘いけど、そもそもあの体格でディスクを正確に操作できるのが攻撃においては強みになってる。
 デュースはガンガン前に出てディフェンスにプレッシャーを与えている。ジャックと睨み合いになっても気圧されないし、気迫と勢いだけなら勝てそうなぐらいだ。とはいえ技術的には足りない部分が多い。
 二人を補うのがエースのアシストだ。とにかく距離感の把握が正確で早い。こぼれ玉を見逃す事がないし、フェイントも豊富。三人の中では一番コントロールが正確だし、流れを読むのも上手い。こいつはパスしか回さない、と思わせてからのシュートが試合の初得点になったくらい。
 勿論、オンボロ寮の先輩たちも活躍している。ブランクがあるとはいえ、年季とデータ量が桁外れだ。キングスカラー先輩のアシストから逸れる生徒のミスは見逃さないし、ジャックやブッチ先輩のフェイントもあっさり読み切ってしまった。
 点を取り取られ、なかなか良い試合になっている。観客も異色の試合を楽しんでるようだ。
 これだけ対等な試合に仕上がってるのは、キングスカラー先輩の調整力もあるだろう。出るメンバーを考え、自分が前に出ない事で対等なパワーバランスを作って、ついでに新入生に経験も積ませている。天才司令塔は手加減も天才、という事のようだ。
 不意に視線を感じて上を向いた。サバナクローの飛行術担当の片割れが、こっちに向かって突っ込んでくる。ビビらせてやろうと思ってるような気配がした。
 僕はそれを見つめたまま動かない。箒の勢いは緩まない。段々と、乗り手の方が戸惑った顔になっていく。
 ギリギリの所で、身体を最小限捻って突進をかわした。やっと箒を止めようとしていたようだが間に合わず、地面に激突して転がっていった。
 審判の笛が鳴る。目を回して動かない飛行術担当の生徒が、他の寮生に引きずられてベンチに回収された。呆れた顔のキングスカラー先輩が指示を出し、自身が箒を手にして新たに入ってきた寮生に中間地点を任せる。
「キングスカラー先輩がディフェンスに入った!今まで以上にシュート通らなくなるよ、焦らないでね!!」
 エーデュースが手を上げて応える。グリムも気合いが入った様子だった。
 予想通り、こちらはシュートどころかゴール前にも近づきづらくなった。防御を固められると、デュースやグリムにジャックほどの突破力はない。しかしキングスカラー先輩が中間から後衛に下がったという事は、オフェンス担当の生徒への指示数が減る事にも繋がり、結果としてどちらも点が取りづらくなっている。
 膠着状態で前半が終了。数分の休憩を挟み、後半戦に勝負は続く。
『ナイスファイト~!その調子だよみんな~』
「実質一人少ないからやりづらいでしょ、ごめんね」
「こっちは声援少ないから、ユウの声があると励まされるよ」
「威嚇にもなってるし、でかい声も役に立つもんだね」
 明るく笑う二人とは対照的に、年嵩のゴーストは顎に手を当てて唸る。
『しかし、キングスカラーが後半も守りに入るとなると、打開は容易ではないぞ』
『オフェンスの三人の体力の問題もあるからね。まだいけそうかい?』
「ヨユー!」
「勿論!」
「いけるんだゾ!」
 元気よく応えた三人に、小柄なゴーストが頷く。
『それでこそナイトレイブンカレッジの生徒だ!』
『ユウ、後半はあの銀色の狼の小僧についてくれるか?』
「ジャックに?」
『あの子、反応が良すぎるんだよね~。頭が良いから裏も考えちゃって、関係ない小さな動きも無視できないんだよ~』
『多分、ユウが張り付いたら魔力が無いと解っていても気になるだろうね。耳が良いから大声も効果があるはずだよ』
『奴が鈍るなら、ワシらの誰かが少しオフェンス寄りに動いても防御には支障ない。超攻撃型で行くぞ!』
「よし、頑張ろう!」
 後半開始の合図の笛が鳴る。手を合わせ声を揃え、団結を確かめた。
 試合が始まって早速、ジャックの正面に移動する。ジャックは少し驚いた顔をしていたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。相手にとって不足はない、とでも言いたそう。いやディスク取れないんだから何の意味も無いんだけど本当は。
 ディスクをゴール手前でゴーストが取り返し、グリムにパスする。僕はグリムが向かうであろう正面のルートに、ブッチ先輩とエースが回り込むのを確認する。デュースが動き回ってパスルートを作ろうとしているのも見えた。ジャックはグリムより僕の動きを警戒している。
「いっくぞぉ、グレートグリムハリケーン!」
 グリムの声が聞こえた。エースとブッチ先輩の顔色が瞬時に変わる。
「ユウ!!!!」
 エースの叫び声が聞こえた瞬間、後頭部に強い衝撃が走り、視界が暗転した。


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