2:果てを望む砂塵の王
先輩たちの魔法が、隙間無くレオナに襲いかかった。レオナはそれを砂嵐で振り払い、咆哮する。
範囲の広い跳躍に、逃げ場を奪う砂の嵐。化け物の前足も黒い液体で出来た爪も、人の身体ぐらいあっさり壊せてしまうだろう。相変わらず湿度はどんどん下がっていて、呼吸をするのもしんどい。
戦力に数えられない状態の寮生をかばいながら、動き回る化け物を引き剥がすのは困難だ。それにローズハート先輩の時より、魔法士と化け物の結びつきが強いように感じる。
例えば、魔法士だけでも引き付けられれば。
思いついた内容を首を振って否定する。自分は魔法が使えないんだ。戦力外だ。だから逃げておけばいい。
エースたちと一緒に怪我人を助けながら、攻撃を予測して逃げていればいい。そういう人員だって必要だ。
でしゃばりだ。みっともない。どうせ解決するんだから、わざわざ目立つ必要なんかない。解っている。
それでもこのままでいるのは、悔しくてたまらない。
「……エース、デュース。お願いがあるんだけど」
「何?」
「いま出来る事か?」
「エースは、僕に魔法で頭から水ぶっかけて。デュースは背中叩いて。気合い入れる感じで」
「ユウちゃんどうしちゃったの!?」
たまたま近くで聞いていたダイヤモンド先輩が困惑してるけど、ふたりはニヤリと笑う。
頭から水がかかり、乾いた肌が少しだけ潤う。混乱していた部分も冷えた気がした。
バシッ、という派手な打音と共に、背中に熱が入る。わずかに残っていた躊躇いが、それで弾け飛んだ。
「行ってこいよ」
「背中は任せてくれ」
二人の声に続いて、肩に重みが飛び乗ってくる。
「オレ様も行くゾ!」
「グリム……」
「アイツを捕まえれば、マジカルシフト大会に出られる!天才のオレ様と最強のお前なら、レオナにだって負けやしねえ!」
「……そうだね、親分。頼りにしてるよ」
拳を握りしめ、レオナを睨んで歩き出す。
「ちょっとちょっとちょっと待って!?」
「ユウ、グリム、何をする気だい!?」
困惑している先輩たちを振り返った。
「レオナ・キングスカラーと殴り合ってきます!!」
「そういう事を言ってるんじゃなくて!!!!」
「先輩方は、後ろの化け物をお願いします!」
返事を待たず前に出る。まっすぐに獅子を見つめた。
『……殴り合う?俺と、お前が?』
獅子は静かにこちらに歩いてくる。化け物も後ろにぴったりと寄り添っていた。見ればたてがみから伸びたブロットが、レオナの両腕と繋がっている。
『身の程知らずの草食動物だな。命が惜しくないのか』
「当たり前に惜しいよ。でも死ぬ気はない」
体中、指の先に至るまで、全身に気力が満ちていく。全部の神経を目の前の獅子に傾けた。
「アンタに僕たちは殺せない」
『戯れ言をほざくな』
「冗談のつもりはないよ。バカにされたと思うなら、殺す気でかかってこいよ」
目の前の獅子から表情が消える。次の瞬間、咆哮が轟いた。砂嵐での中でも反響し、地面さえ震わせる。
真っ先にグリムが飛び出し、視界を奪うように火を吹いた。一薙ぎで振り払われたが、その隙に懐に飛び込む。
まず腹部を殴りつけたが、黒い液体は防具としても機能しているらしくダメージが通った感触がない。反撃の蹴りを身体を捻って避けて、そのまま身体を回して裏拳で横っ面を狙うが防がれた。
掴まれた手を力づくで解いて間合いを取ろうとすれば、今度は向こうから飛び込んでくる。鋭い爪へと形を変えた黒い液体を纏い、振り回される切っ先をどうにか避けた。運動着が何カ所か切り裂かれたけど、肌を薄くかすめた程度で済んでる。
大上段に振り上げられた爪を手首に腕を当ててギリギリで止め、右拳で相手の頬を殴りつける。横顔が不敵に笑った。お返しとばかりに左頬に衝撃が走る。足を踏ん張って倒れないよう堪えた。メガネが吹っ飛んでいったけど、拾ってる暇なんてない。更に続いた殴打を腕でガードしていると、僕の背中を駆け上ったグリムが飛び出す。
『同じ手が通用するかよ!』
「ふなっ!」
グリムが叩き落とされた。顎を狙った一撃も防がれる。
『お前が俺に敵うワケないだろ。いい加減諦めろ』
「やなこった」
『なぜそこまで構う?俺の身でも案じてくれてるのか?』
「そうだよ、悪い?」
一瞬、表情が抜け落ちる。信じられない、という顔がすぐに皮肉に歪んだ。
『それはそれは、プリンセスはお優しい事で!』
「えーそうですよ僕優しいので!悪人ぶってドツボにハマったアホな王子様もほっとけないんですよ!!」
どっかの誰かさんみたいな事を言ってしまった。獅子は楽しそうに笑っている。
『無意味なんだよ、何もかも。痛い思いして俺を助けた所で、お前が何を得られる?』
「さあ?やってみないとわかんないかな!」
同時に跳び離れて、また間合いを詰めて殴り合う。向こうは黒い液体を刃のように使ってくるから気が抜けないのに、更に殴られても蹴られても一撃が重い。体格の不利も能力の差も、時間が進むほどに痛いほど感じる。
でも僕が諦めるわけにはいかない。グリムが僕に合わせて一緒に戦ってくれている。裏切りたくない。
間合いを取ろうとする相手を追って跳ぶ。頭に向かって蹴りを放った。当たったけど代わりに右足を掴まれた。
『今のは、痛かったぜ!!』
まずい、と反射的に頭を守る。握りつぶされるんじゃないかってぐらい掴まれたまま、背中から地面に叩きつけられた。砂と土だからまだマシだけど、痛いもんは痛い。すぐには起きあがれない。
「ふなぁ~~~~!!!!」
グリムがレオナの顔面に飛びかかった。自分も傷だらけで疲れているだろうに、全く目から光が消えてない。
引っかこうとしたみたいけど首を掴まれ届かなかった。ならば火を吹こうと息を吸い込めば、叩きつけるように投げ捨てられる。地面に激突する寸前で、エースのものらしき風の魔法が受け止めた。追撃も素早く起きあがって避ける。
その間に何とか立ち上がれた。袖口で拭ってるものが、鼻水か鼻血か汗かもうよく分からない。右足がじんじん痛んでるおかげで意識だけはハッキリしていた。
冷静に見れば相手も消耗している。先輩たちの魔法も僕たちの攻撃も、ダメージが通ってるのは間違いない。
拳を通して何かが伝わるなんて、僕は信じてない。相手の事もまだよく分からない。
でも最短距離の手段を使っていない相手の甘さだけは理解していた。きっとトドメは、美学にこだわってくるだろうという事も。
『もう諦めろ。何回も言わせるな』
「……諦めてほしいと思ってないくせに」
『あぁ?』
「嫌われ者の第二王子なんて嘘っぱち。悪ぶってるだけの、人を信じきれない臆病者ってだけでしょ?」
『……臆病者だと?俺が?』
「嫌われ者を自称して一生懸命予防線張って、慕ってくれた人を裏切って嫌われて『あーやっぱりな』なんて安心してるのは臆病者だろ」
緑の目に怒りが宿る。
「お前なんかテッペン取れないのを全部どうしようもないもののせいにして逃げて、理想のために他人と一緒に地獄に落ちる覚悟も度胸もない、半端者のクソみてえなチキン野郎だよ!!!!」
理屈より内容より、とにかくムカついてくれそうな単語を選んだ。普段のレオナ・キングスカラーならこんな言葉に激昂しない。いや、侮辱されたって怒りはするだろうけど、理性は損なわないだろうし報復は効率的なものになる。
怒りに歪んだ顔は、彼の今まで見たどの表情より動物的だ。獰猛な獅子が獲物をしとめる際にそうするように、動物の一番の弱点を、喉笛を噛み切らんと迫ってくる。
だけど、獣人属は獣じゃない。耳があり尻尾があっても、ベースの骨格は人間のものだ。いかに整った顔で彫りが深かろうが、肉食獣のように首が前に突き出し鼻と口が出っ張った構造にはなっていない。
身長差を考えると、頭一個高い位置に顔がある相手が僕の喉を狙うなら、身を低くして飛び込むのが常道だろうけど予備動作が大きく隙が多い。それを避けると、押し倒すか掴んでくるかのどちらかは必要になる。
前者は自分も倒れる分、やや無防備になる。やはり人の身体では選びづらい。
逆に立ったまま掴む分には、僕を攻撃の盾に出来る。
動物的な感覚と人間的な判断のどちらが優位に立つか、それによりどちらを選ぶかは運だけど、後者に賭けた。
レオナの手が襟首を掴んでくる。
チャンスは一度きり。タイミングは一瞬だけ。
頭を引くと同時に、相手の肩をしっかりと掴んだ。一瞬だけ目が合う。開きかけた口から覗く牙が、イヤに綺麗に見えた。
相手の額に、思いっきり頭突きをかました。相手に引き寄せられる勢いも乗って、意識が飛ぶくらいの衝撃が自分にも来る。
『ガ、ァ……』
レオナの身体がぐらりと揺れる。
足を踏ん張って痛みで意識を覚醒させた。自分より大きな身体を掴んで支え、ゆっくりと降ろす。ちょっと時間はかかったけど何とか座らせられた。
「これで終わりだ!!」
砂嵐が止んでいく中、ローズハート先輩の放った炎が化け物を包み込んだ。ブロットが焼き切れ、ハリボテの獅子はマジフト場の端までぶっ飛ばされる。
切り離された化け物は起き上がり、吠え猛るように顔を突き上げた。一息で正面に迫ってくる。
「あげないよ」
正面を見つめて静かに、でもハッキリと言葉にする。
右前足が振り上げられた。明らかに殺気が自分を向いている。振り下ろされれば無事では済まない。
それでもインク瓶の顔を睨み、腕の中にいる青年をしっかりと掴む。
「地獄にはお前ひとりで落ちろ」
グリムが目の前に飛び出し、化け物に炎を吹きかけた。エースの風や、デュースの大釜が加勢する。
ほぼ同時に、振り上げられた前足が関節からぼろりと崩れた。身体の継ぎ目から一気に黒い砂が溢れだす。
起きあがろうと足掻くが、中身を失い崩れた手足では叶わない。残されていた皮もたてがみも黒く変色して砂になる。
やがてインク瓶の頭部がごろりと落ち、独りでに割れた。中身が溢れた先から砂へと変わり、風にさらわれて消えていく。