2:果てを望む砂塵の王




「クソが……ライオンであるこの俺に、首輪だと……!?」
 心底から忌々しげな声だった。苛立ちは、乱入してきた銀色の狼に向かう。
「ジャック!テメェ、変身薬なんてご禁制の魔法薬、どこで手に入れた!」
「……変身薬なんざ使ってねえ」
 銀色の狼が、ジャックと同じ声で応えた。一瞬の間をおいて、その姿が人間のものへと変わる。一年生にしては逞しく厳めしいが、どこか幼さの残る獣人属の少年がそこにいた。
「身体を狼に変化させる、俺のユニーク魔法だ」
「……魔法で本物の犬ッコロになれるって?そいつはユニークだ。本当にな!」
「レオナ先輩!……俺は、あんたに憧れてこの学園を目指した!俺の憧れたあんたは、どこにいっちまったんだ!?」
 ジャックの心からの嘆きの声に、レオナは表情を歪める。嫌悪なのか罪悪感なのか、遠くから見ても判断がつかない。
「……勝手に俺に夢みてんじゃねえ……」
 やっと吐き出した感じに聞こえた。ジャックの曇り無くまっすぐな言葉に、苦しんでいるようにも見える。
「……ボクも人の事を言えた義理ではないけどね。今のキミは見るに堪えない。謹慎部屋に入って、少し頭を冷やすといい」
「お前らに何がわかる。兄貴みてえに説教たれてんじゃねえよ……」
 口の減らないレオナの様子を見て、ヴァンルージュ先輩が鼻で笑った。
「お主のような男には、王冠よりその首輪が似合いじゃ」
 サバンナの王者のライオンが聞いて呆れる、と低い声が続く。
「お主は持って生まれた才や順序のせいで王になれぬと嘆いておるようだが、報われぬからと怠惰に生き、思惑が外れれば臣下に当たり散らすその狭量さ。その程度の器で王になろうなどと……我らが王、マレウスと張り合おうなどと、笑わせる」
 正論だ。とてつもなく真正面からぶん殴る正論だ。確かにその通りだ。
 だけど違う。ちゃんと説明は出来ないけど、策が失敗したから寮生を切り捨てたのは確かだけど、でも多分、彼らを傷つけて自分の苛立ちを慰めるために魔法を使ったわけじゃない。
「たとえマレウスを倒したとて、その腐った心根を捨てぬ限り、お主は真の王にはなれんだろうよ!」
「やめてください!!」
 思わず声が出ていた。先輩たちが驚いた顔で振り返る。
「……そこまで言う必要ないでしょう。どいつもこいつも悪趣味だ」
「驚いた。お主、自分を殺しかけた男をかばうのか?」
「死んでないからどうでもいいです。問題はそこじゃないんで」
 突如、大きな笑い声が響く。
 首輪をかけられ膝をついた獅子が、楽しそうに笑っていた。
「……ああ、そうだな。そうだろうとも。お前の言う通りだ」
 とても楽しそうな笑顔なのに、場にそぐわないその言葉には、何かがぽっかりと抜けてしまっていた。体中に寒気が走る。
「俺は絶対に王になれない……どれだけ努力しようがなぁ……!」
 心の底から、憎しみを絞り出すような声だった。溢れないように堪え続けて煮詰まりきった感情が、這い出てくるような気配。
「なんだ……全身の毛がゾワゾワするんだゾ!」
 グリムは毛を逆立てて震え、次いでローズハート先輩が苦悶の表情を浮かべた。
「急速に魔力が高まって……っ、魔法封じが、持続できない……!!」
「違う、これは魔力ではない……まさか!!」
「みんな、伏せろ!」
 ダイヤモンド先輩の声で、身を低くした。
 次の瞬間、レオナの魔法封じの首輪が弾け飛んだ。金属の欠片が地面に散らばり、光に変わって消えていく。
 再び砂嵐が巻き起こった。その風に、砂とは違う黒い粒子が混ざり始める。どんどん黒い色が濃くなっていく。
「俺は生まれた時から忌み嫌われ、居場所も未来もなく生きてきた。どんなに努力しても、絶対に報われる事はない」
 大きな魔力の放出によって地面が揺れていた。土が砂に変わって、風に巻き上げられる。
「その苦痛が、絶望が……お前らにわかるかぁぁぁぁぁっっ!!!!」
 獅子が吠えた。全てを吐き出すような咆哮。
 直後に、レオナは自らの首を押さえて前屈みになった。苦しげな呻き声と共に、服が黒く染まっていく。不要な布が溶けたかと思えば、黒い液体が皮やたてがみのような新たな造形物を作り宿主を飾った。
 寮服の濃い黄色は黒に侵され模様を書き換えられ、アクセサリーは薄汚れて光沢を失っていく。顔に残った液体が滑り落ちた後には、左目の傷さえ飾りにするように黒一色の化粧が施されていた。
 全身から溢れ出した黒い液体はレオナの足下で水たまりを作り、そこから巨大な影が這い出てくる。影は四肢で砂を踏みしめ、尾を振り、インク瓶の頭を振り上げた。肌には継ぎ接ぎしたような縫い目があり、まるでぬいぐるみのような、粗末な作り物めいた質感。見上げるような巨大さでなければ、且つ、顔が不気味なインク瓶でなければ、もう少し愛嬌も感じられただろう。
 レオナが再び咆哮した。溺れているような濁った声。ブロットの化身と同調しているのか、元の豊かな声は影もなく、人の声と判別できないものに変わり果てていた。
「立てる者は自力で退避!エース、デュースは怪我人を連れて外へ!」
 怯え愕然としていたサバナクローの寮生たちは、ローズハート先輩の声で我に返ったらしい。慌てた様子で出口へ向かって走っていく。
『……なんだ、お前らも結局逃げるのかよ。人の事は引き留めたくせに』
 意地の悪い笑い声の後、出口の方から悲鳴が上がった。ブロットの砂嵐が強まり、人が通れなくなっている。寮生たちの魔法では穴を空けられないようだ。
「リリア先輩!先生方に救援を!」
「あいわかった。シルバーたちが戻ればあれぐらい抜けられるであろう。しばし持ちこたえよ!」
 ローズハート先輩の要請を受けて、ヴァンルージュ先輩の姿が消える。
 獲物を取り逃がした事に、獅子は不服そうな顔をしていた。かと思えば、視線を身を寄せ合う寮生の方に向け、インク瓶の化け物と一緒に飛びかかっていく。蜘蛛の子を散らすように逃げまどう寮生を見て、楽しそうに笑っていた。
「やめろ!!」
 化け物の前足が寮生の一人を狙うのを、ローズハート先輩の防壁が防ぐ。ダイヤモンド先輩の火の魔法が続くが、跳躍してあっさり避けてしまった。まるで戯れのような気安さだ。
「はぁ、もう。なんでこんな怖い目にばっかり遭うんだろ。こういうの向いてないのになぁ」
「怖いなら下がっていてもいいよ」
「リドルくんを置いてったらトレイくんに後でボコられちゃう。お供しますよ、寮長」
 ダイヤモンド先輩が困ったように笑ってウインクする。あんな事言いながら、逃げる選択肢なんて最初から選ぶ気も無いんだろう。それを解っている、ローズハート先輩の信頼も言葉から感じられた。
「なんだありゃあ……何がどうなってる?」
 ジャックが困惑した様子で、異形を連れた獅子を見上げている。
「オーバーブロットしてんだよ!!」
「オーバーブロット?あれが?」
「僕たちも遭遇するのは二回目だし、正確な対処は知らないんだが」
「……よくわからねえが、レオナ先輩をブン殴って正気に戻せばいいんだな?」
 デュースの説明を遮り、ジャックは手のひらを拳で打つ。飲み込みが早くて何より。
「……オレも手伝うッス」
 ジャックの隣で、ラギーがよろよろと起きあがった。目だけは爛々と輝きレオナを睨んでいる。
「……あそこまで言われて、寝てられるかってんだ!」
 濁った笑い声が響く。どうやら一連のやり取りは耳に入っていたらしい。
『ハイエナ風情が俺に刃向かおうってのか?笑えねえ冗談だ』
 浮かんだ笑いが、あっと言う間に敵意に塗り変わる。
『全員、明日の朝日は拝めないと思え!』


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