2:果てを望む砂塵の王




 騒動のどさくさに紛れ、ラギー・ブッチは鏡をくぐり抜けていた。
 あの騒動では、入場行進などもう出来たものではない。それでも現場を離れ自分の寮に向かう行動は、他者から見て不可解に映るものだ。それを自覚しているから、彼の足取りは密やかであり、気配を巧みに避けている。
 ……もっとも、マジフト大会という大きなイベント中に、寮に引っ込む奴など他にいるはずがない。事実、鏡舎には誰もいなかった。
 サバナクロー寮の敷地に入り、真っ先にマジフト場へと向かう。報告すべき相手がそこで待っているのを知っているからだ。
 マジフト場の真ん中で、レオナ・キングスカラーはスマホを手に立っていた。周囲には寮生たちの姿もある。
「レオナさん、やりましたよ!中継見てたッスか?」
「ああ、上出来だ、ラギー」
 ひらひらとスマホの画面を振って、寮長は笑う。虚空に視線を向け、静かに呟いた。
「あばよ、マレウス。今年の王の座は俺がもらう」
「王様バンザイ!シシシッ!」
 ラギーが声を上げると、寮生たちがそれに続く。魔法などいらない、賛同し歓声をあげる。
「王様バンザーイ!ヒューッ!」
「話は聞かせてもらったよ」
 喜びの声が止まる。誰もが声の主を見た。
 金色の冠、白を基調に薔薇の赤を散らした衣装。高らかな靴音を響かせ、足を止めると同時に手に持った杖で地面を叩く。
 サバナクローの面々は驚いた様子でローズハート先輩を見ていた。しかし、寮長の顔だけが不敵な笑みに変わる。
「これはこれは、ハーツラビュルのみなさんがお揃いで」
 その視線が、エースたちと並び立つジャックに向けられた。
「それにそこにいるのはウチの一年坊じゃないか。ハーツラビュルに転寮したのか?」
「……俺はただ、今のあんたたちと肩を並べたくねえだけだ」
「……この裏切り者が!」
 吐き捨てるように呟く。そんな様子を、ローズハート先輩は冷ややかに見つめていた。
「伝統ある試合を汚す行為。……厳格をモットーとするハーツラビュル寮の寮長として、見逃すわけにはいかない」
 レオナはその言葉を鼻で笑う。
「あのなぁ、お坊ちゃんがた。正義のヒーローごっこはよそでやってくれないか?」
「へえ、自分たちが悪役だって自覚はおありなんですね。潔い事で」
 思わず口を挟めば、視線がこちらを向く。
「命知らずの草食動物には、忠告を理解する脳味噌も無いのか」
「忠告?予防線の間違いでは?」
「相変わらず口の減らない奴ッスねぇ」
 寮長の顔は変わらないが、ラギーの顔には少し焦りが見える。それを察しているかは不明だが、寮生たちが殺気を隠さず近づいてくる。
「レオナさん、やっちまいますか?」
「……少し遊んでやれ」
 その言葉を合図に、五人が一斉に飛びかかってくる。全員が狙いをローズハート先輩に定めていた。けれど先輩は焦る事なく杖を振るう。
「『首をはねろ』!!」
 特大の金属音と同時に、飛びかかってきた全員が撃ち落とされた。それはもう綺麗に、首輪のかかった負け犬の群れが出来上がる。
「なっ……そんなぁ……」
「う、嘘だろ……全く歯が立たねえ……」
「弱すぎて遊びにもならないね。口ほどにもない」
 首輪をかけられた連中は、ローズハート先輩の冷たい視線に耐えきれず下がっていく。レオナの舌打ちが聞こえた。
「……やっぱりコイツらじゃ無理か」
「でも、こんな事したって、どうせディアソムニアのヤツらはもう手遅れッス!」
「ほほう?それは興味深い話じゃ」
 低い男の声に、ラギーの顔が青ざめた。
 いつの間にか僕達の隣に、黒髪の小柄な少年が立っている。黒を基調に緑をあしらった、軍服のような衣装。しかし少年の衣装にはフリルのような柔らかな飾りも使われていた。
 そしてその後ろには、銀髪の少年と薄緑の髪の少年が立っている。どちらも黒髪の少年と同じ、黒を基調に緑をあしらった軍服のような衣装を纏っていた。
「この通り、俺たちディアソムニアの選手には怪我一つ無い。彼らのおかげでな」
 銀髪の少年の言葉に、ラギーは目を見開く。
「怪我ひとつ、って……だってお前らはさっき、群衆に飲み込まれたはず……!」
「ざーんねん!あれはオレのユニーク魔法『舞い散る手札』で増えて変装したオレくんたちでしたー!」
 これまたいつの間に来たのか、ディアソムニアの二人の後ろからダイヤモンド先輩が顔を覗かせて笑った。対照的に、ラギーからどんどん顔色が失せていく。
「オレ、ディアソムニアの寮服、ちょっと憧れてたんだよね~。着られてラッキー、みたいな?」
「なんじゃ。そういう事ならわしの寮服も貸してやったのに」
「うーん、リリアちゃんのはオレにはちょっとキッツいかなぁ……でも似合う子なら紹介できるかも!」
「……おい、この茶番はどういう事だ」
 空気の違う会話を遮るようにレオナが唸る。それを見たヴァンルージュ先輩はにっこりと笑った。
「リドルから話を聞いてな。一芝居打たせてもらった」
「じゃ、じゃあ……マレウスは……」
「勿論ご健在だ!」
 薄緑の髪の少年が高らかに言い放つ。
「先ほどの群衆の混乱も、全ての人間をコロシアムまで安全に魔法で誘導してくださった。感謝しろ!」
 つまり僕らが何かしなくても、世界で五本の指に入る魔法士には全く問題なかった、という事だろうか。怪我人の有無とか気になる事がないではないけど、混乱が収まっているという言葉には思わず安堵の息を吐いた。
「そ、そんなのありッスか!?」
「…………あー、もういい」
 慌てふためくラギーの動きを、レオナが遮った。
「やめだ、やめ」
「れ、レオナさん?それって、どういう……」
「マレウスが五体満足で試合に出るなら、俺たちに勝ち目があるわけねえだろうが」
 さっきまでの敵意も冷たい嘲笑もなく、無気力に言葉を投げ捨てる。
「そんな試合に出たって意味ねえよ。俺は降りる」
「そ、そんな!」
 立ち去ろうとするレオナにラギーが追いすがる。
「マレウスはともかく、他寮の有力選手はみんな潰してきたじゃないッスか。なのにレオナさんが出ないなんて、三位にだってなれるかどうか……オレたちの夢はどうなるんスか!」
 ラギーの声も表情も真剣だ。彼なりに、寮長に従ってやってきた事は希望を掴むための道だと本気で信じていたと感じられる。
 対するレオナの表情は複雑だ。
「どれだけ世界が注目していようが、所詮は学生のお遊びだ。お前らが目ぇキラキラさせて夢語ってんのが可笑しくて、少し付き合ってやっただけだろ」
 言葉だけ見れば、なんて情の無い奴だと思う。笑みのひとつも浮かべていれば、彼を憎む事も簡単だろう。でもその表情や声は、どこか苦しそうに見えた。
 言葉とは裏腹に、お遊びとも、可笑しいとも思ってない。
 何をしたいのかが見えてこない。でも確実に言える事が一つある。
 この人は、自分の目的のためだけに寮生を利用なんてしてない。正しい方法ではなかったけど、彼なりに寮生の期待に応えようとしただけなんだ。
 それに気づいているかはわからないけど、サバナクローの寮生たちは戸惑いと失望の視線を寮長に向けている。
「なんで……オレたちで、世界をひっくり返すんじゃなかったんスか!?」
 ラギーがレオナに掴みかかる。その表情が苦しげに歪んだ。
「キャンキャンうるせえな……じゃあ本当の事を教えてやるよ」
 そして逆に襟首を掴んで締め上げる。
「お前はゴミ溜め育ちのハイエナで、俺は永遠に王になれない嫌われ者の第二王子!何をしようが、それが覆る事は絶対にねぇ!!」
 怒鳴りつけ、突き飛ばす。ラギーは尻餅をつき、失望を怒りに変えた。
「ふ……ふざけんなよ!なんだよそれ!ここまできて諦めるなんて……!」
 ラギーの怒りに寮生たちが同調する。
「そりゃあんまりだ、レオナさん!」
「ぶん殴ってでも試合に出てもらうぜ!」
 寮生たちはレオナを取り囲み、じりじりと距離を詰めていた。
「……あぁ、めんどくせえ……黙れよ雑魚ども!」
 緑の目を見開いた瞬間、レオナを中心として強風が吹き荒れた。包囲していた寮生たちが足を取られ、あるいは吹っ飛ばされ倒れていく。風は尚も吹き続け、大量の砂を巻き上げ嵐を起こしていた。
 でも、それだけじゃない。マジカルシフト場のフィールドは土で出来ているけど、視界が煙るほどの砂嵐が起きるような質じゃない。
「な、なんだコレ……鼻が乾く……目が痛ぇ!」
 グリムの言葉通り、空気がさっきまでよりもっと乾燥しているように感じた。喉がつかえて声も出ない。
「レオナ先輩の周りが、砂に変わっていく……?」
 ジャックに言われて見れば、彼の周りだけ土の質が変わっているようだった。
 周囲の事など目に入らない様子で、レオナはうずくまっているラギーに近づいていく。
「……皮肉だよなぁ、何より干ばつを忌み嫌うサバンナの王子が持って生まれた魔法が、全てを干上がらせ、砂に変えちまうものだなんて!」
 自嘲の言葉だが、笑みなど浮かばない。
 レオナはラギーの細い腕を掴んだ。ラギーが苦しげに呻くと、見る間にその肌にひび割れが走る。
「まさか人間も干上がらせるってのかよ!?」
「それ以上はやめるんだ!『首をはねろ』!」
 ローズハート先輩の首輪がレオナの首元に輝いたが、形にならず光のまま弾け飛んだ。
「弾かれた!?」
「生憎、俺は防衛魔法の成績が良いんだ。年上をナメるなよ」
 魔法封じも防ぐ手だてがある、って事らしい。
 浮かんだ余裕の笑みが、そのまま酷薄にラギーへと向けられる。
「どうだ、ラギー。苦しいかよ。口の中が乾いちまって、お得意のおべっかも使えねえか?」
 ひび割れは増え続けている。このままにはしておけない。
 砂嵐の中に飛び込む。足を取られそうになるけど、踏み切るのは不可能じゃない。でも顔面を狙った蹴りが軽々と止められる。
「おいおい、この間のやる気はどこいったんだ?」
 振り払われる前に引く。反撃はないけど、こっちも攻めきれない。ラギーの手を離させたいのを理解していて、そこを重点的に守ってる。時間がかかる分にはラギーのダメージだけが蓄積していくから。
 顔面を狙った右拳があっさり避けられ、腕を掴まれる。
「なぁ、なんとか言えよ、プリンセス?それとも砂になってみたいってか?」
「お気に入りのおもちゃを砂にするのが好きなわけ?悪趣味なんだね、王子様?」
 不愉快そうに顔が歪むのが見えた。その隙に腕を振り払う。運動着の袖が、掴まれていた部分だけ繊維が崩れて肌が見えている。
「何でもかんでも腕力だけで解決はできないんだ、少しは賢くなれよ」
「……そりゃ、アンタは賢いんでしょうね。だから皆がアンタに憧れてた」
 整った顔立ちも恵まれた体格も豊かな声も高い能力も、人を魅了する部分ばかりが目立つ。
「嫌われ者って思ってるの、アンタだけじゃないの?」
「……黙れ、お前に何が分かる」
「分かんないよ。分かるわけない」
 レオナは黙り込んでいる。ちらりとラギーの様子を見た。相変わらず苦しそうではあるけど、ひび割れの進行が止まっているように見える。
「でも、アンタをこのまま一人にしちゃいけない、っていうのは思ってる」
「……なんだそりゃ」
「引き返せない所まで行かせたくない」
 このままだと取り返しのつかない事になる。それだけは間違いない。
 超えてはいけない一線が、彼のすぐ傍まで迫っている。
「これ以上進むべきじゃない」
 緑の目が一瞬揺れたように思った。本当に一瞬。
 次の瞬間には首を掴まれた。喉に鋭い痛みが走る。手首を掴んでもびくともしない。
「偉そうな口を叩きやがって……草食動物ごときが!」
 砂嵐が勢いを取り戻す。でもチャンスは出来た。後は誰かが動いてさえくれればいい。
「もうやめねえか!」
 そう思った瞬間に、ジャックの声がして後ろの方で何かが光った。レオナの目が驚きに見開かれる。後ろに目を向けると、銀色の狼がこちらに飛び込んでくる所だった。
 狼はラギーを掴む右手を狙ったらしい。レオナが避けようとした拍子に、僕の首を掴む手も緩んだ。一気に引き剥がして距離を取る。ラギーも狼が襟元を咥えて引きずっていった。
「『首をはねろ』!!」
 ローズハート先輩の声が砂嵐の向こうから聞こえた。瞬きの隙さえ与えず、首輪がレオナを捕らえる。途端に砂嵐が止んだ。
「やった!」
 後ろの方で喜びの声が上がった。エースたちが駆け寄ってくる。ディアソムニアの人たちが、倒れているサバナクロー寮生に駆け寄っていくのも見えた。
 だけど素直に喜べない。この後が問題だ。作戦の失敗で自棄になってるし、サバナクローの寮生たちとの間にある誤解も解かないといけない。
 じゃないと同じ事の繰り返しだ。次こそは犠牲が出るかもしれない。
 その時に傷つくのは、間違いなく彼自身だ。説得に一瞬でも目が揺らいだって事は、その覚悟はしていない、少なくとも望んではいない。
 伝えたい事は山のようにあるのに、とっさにまだ声が出せなくて、咳き込むばかりになってしまう。
「ユウ、もう大丈夫だ。後は下がって」
 ローズハート先輩が優しく声をかけてくる。首を横に振ったけど伝わらない。
「しっかりしろ、大丈夫か?」
「先輩が水持ってきてくれたぞ」
 エースがペットボトルを差し出してくる。一息に飲んでから礼を言う。残りは欲しがるグリムに譲った。
「止めないと」
「寮長の魔法封じは決まったんだし、もう大丈夫だって」
「違う。これ以上、あの人に何も言っちゃいけない。一度落ち着かせないと、悪い方向にしか行かない」
「……どういう意味だ?」
「追いつめたらヤバいって事?」
「何となく、だけど」
 再び咳き込む。まだ空気が乾燥してて苦しい。
「子分、もうちょっと飲んでいいゾ」
「ありがとう」
 こんなやり取りをしている間にも、先輩たちはレオナと睨みあいを続けている。


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