0:プロローグ
何もかも自分のいた世界と違う様子だが、見ればわかる事も少なからずあった。
建物は古いものも新しいものも手入れが行き届いている。建物同士をつなぐ道や、そこかしこにある植木も綺麗に整えられていた。名門、の名に恥じない外観をしている。
そんな中で、目の前にある建物は明らかに異彩を放っていた。結構近い所に本校舎らしき大きな建物があるというのに、これを置いておけるセンスが理解できない。
「趣のある建物でしょう?」
凄いですね、お化け屋敷なんですか?という感想を何とか飲み込んだ。
鉄柵も門扉も折れ曲がり今にも倒れそう。夜も更けてきたようだが、奥に見える建物に明かりなどは見られない。……明かりが無くても、割れた窓やボロボロの外壁は見て取れた。え、これ掃除でどうにかなるレベル超えてない?
近づけば近づくほどその感想は確信に迫る。玄関扉がちゃんと枠に留まっているのが奇跡じゃないかと思えた。建物そのものは、日本の一般的な住宅に比べれば大きい。『寮として使われていた』という事だから、複数人が生活できるくらいの部屋数はあるのだろう。
空がどんどん曇っているのも相俟って、さっきまでと別の不安が胸を占めていた。学園長が玄関の鍵との数分間の格闘を終え、やっと扉が開く。中は暗く、どんよりとした空気が漂っていた。途方もない期間、誰も立ち入っていない事が容易に想像できる。外観は雰囲気作りで中は綺麗、なんて事はなかった。
内部で見つけたろうそくの残っている燭台に、学園長が灯を点す。棚が倒れ、絵画の額が落ち、蜘蛛の巣がそこらじゅうに張り巡らされていた。足を踏み出す度に、床板はギシギシと不快な音を立てる。
自分で言うのもなんだが、都会育ちなのでこういう所には縁がない。学校行事で地方に行った時に、放置された古びた小屋を遠巻きに見た事はあるが、中に入った事は無かった。廃墟風のお化け屋敷だって、安全面の問題があるので当然だが、もっと綺麗で整理されていたな、と思い返す。
野宿とどっちがマシだろうと考えながら室内を進んだ。大げさな音を立てた扉の先はそこそこ広い部屋だった。大きなソファや暖炉が見える。
「ここが寮の談話室です」
そういう用途の部屋、と言われただけで機能は復活しない。玄関や廊下と同じく、どう見ても廃墟だ。窓ガラスが割れているのに空気がよどんでいるのが解せない。
「さて、私は少々用事を済ませてきますので」
「えっ」
「一時間ほどで戻りますから、くつろいでいてください」
一方的に言い放つと、学園長はそそくさといなくなってしまった。一人取り残され、思わずため息を吐く。
残り時間一時間。今すぐこの場所から逃げ出して野宿をするか、この建物の環境を少しでも改善するか。選択肢はふたつ。
と、考え始めた途端に、雨が窓を叩き始めた。あっという間に強まっていく。さすがにこの状況での野宿よりは屋根がある方がマシだろう。マシなはずだ。マシだと信じたい。
換気のために窓を少しだけ開けて、燭台を手に室内を見て回る。倒れたソファを起こし、ひっくり返ったテーブルを置き直す。落ちてるもので大きなものはテーブルに集めていった。薪も何本か見つけたので暖炉は使おうと思えば使えるのかもしれない。とはいえ照明や暖を取るには一人だと効率があまりよくなさそうので、最終手段と考えておこう。
確か廊下に箒が転がっていたな、と思い出して、燭台を手に来た道を戻る。
自分が談話室を出た音に続いて、別の扉が動いた音がした。恐らくは玄関だが、いくら自分が掃除に集中していたとしても一時間も経過していないはず。箒を拾い上げ、燭台を手に玄関に向かった。
「ふい~……ひどい雨なんだゾ。ボロ屋だけど建物があって助かった……ん?」
グリムは猫がするように身体を振るわせて水滴を飛ばしていた。こちらを見て青い目を丸くする。
「お、おおおおおおおおばけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!!!!!!!!!」
絹を裂くような絶叫だった。意図的に顔の下に燭台を持っていた事は否定しない。
「お、おおおオレ様を食う気か、おいしくないんだゾ、ホントだゾ」
「……モンスターっておばけ怖いんだ……」
「ひぃぃぃぃシャベッ…………ふな?」
思わず感想を口にしてしまった。その声でグリムも何故か我に返ったらしい。
「お、オマエ!魔法が使えないニンゲン!」
「敷地の外につまみ出されたって聞いたけど」
「アレぐらいでグリム様が諦めると思ったら大間違いなんだゾ」
呆れて物が言えない。さっきの様子を見るに、同じ事の繰り返しになると思うのだが。
「何て言うか……諦めが悪いんだね……」
「へへん、魔法を使えないオマエなら怖くないんだゾ!」
グリムはニヤリと笑ってふんぞり返った。
「オレ様は腹が減ったんだゾ。食い物を用意しろ」
「この建物にまともな食べ物があると思う?」
転がってる棚に腰掛けて、視線を近づけて顔を見る。見れば見るほど猫っぽいが、やっぱり耳の部分に青白い炎が揺らめいているし、しっぽの先も不自然な三つ叉になっているので猫ではない。
「そんな事知らねえ。どっかからオマエが持ってくるんだ。さもないと……」
「燃やす?この建物。屋根を無くして雨の中に逆戻りしたいの?」
「うっぐ……お、オマエ、さっきまでと態度が違うんだゾ。ネコかぶってやがったのか」
猫みたいな顔の生き物に指摘されるとは思わなかった。
「初対面の目上の人への礼儀を優先しただけだよ」
「お、オレ様はメウエじゃねーって言いたいのか!」
「だって、不法侵入のモンスターでしょ。礼儀を知らない人に礼儀を返す必要はないと思ってるから」
「ううう、もう怒ったゾ!良いからオレ様の言う事を……」
言い掛けた鼻先に箒の柄を突きつける。
「な、こ、こんなもの……」
火を吹こうとする前に、柄を喉に押しつけた。逃げようとすれば立ち上がってその後を追う。無言でその顔を睨みつけた。
「ふ、ふな……」
隅に追いつめられ、グリムは涙目で自分を見上げている。
『小さい子相手に大人げないんじゃな~い?』
「動物に上下関係を認識させるには最初が肝心でしょ」
『そうは言うがねぇ、ちょっと可哀想だよ~』
反射的に返事をして、気づく。いや誰だよ。
横を見れば、デフォルメした骸骨みたいな顔の白いもやがふわふわと浮いていた。思わず箒を振るがすり抜けてしまう。
『おぉっと空振りだ~イッヒッヒ』
『ひさしぶりのお客様だ』
『仲間が増えるぞ~』
「ほ、ほ、ほ、本物のおばけぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!!!!!!!!!」
グリムが再び絶叫し、玄関扉を引っかき始める。自分もドアノブを掴んだが、鍵は閉められていないはずなのにびくともしない。
「グリム、ちょっと離れて!」
反射的にグリムが飛び退く。入れ替わりのタイミングで、全力で扉を蹴った。こんなにボロい建物なのに、そこだけコンクリートの壁になったみたいにびくともしない。たわんだりといった、衝撃が伝わっている手応えがないのだ。何度蹴っても無駄っぽい。
「うわぁ……ホラー映画みたい……」
「そ、そんな……今のでダメなのかぁ……?」
『おぉ、良いキックじゃなぁ。アクションスターみたいじゃぞ』
思わず裏拳を繰り出したが、やはりすり抜けてしまう。
『お前さん、実体があったら顔が潰れておったぞ~』
『でも残念、ワシらには効かなぁ~い』
思わず舌打ちした。自分には打つ手がない。ちらりとグリムを見れば、怯えて涙目になっている。
……もしこれが、学園長が厄介払いに使っている手段なのだとしたら、迷い込んだグリムは完全にとばっちりだ。……いや学園長からしたら一石二鳥なのか?とにかく、この大きさなら窓から出られるだろうし、グリムだけでも先に逃がしてやるべきだろう。自業自得、ともいえるけど、巻き込まれるのはやっぱり可哀想だ。
そんな事を考えている時だった。
「ふ、ふ、ふ、ふなぁ~~~~~!!!!」
グリムの吹き出した炎が、お化けの白い身体をかすめた。
『うわちちち!危ないなぁ!』
その声で、効果がある事をグリムも察したらしい。お化けに吹き付けようとしているが、お化けも危険性を理解したらしく当たらない。
燃え移ったらどうしよう、と一瞬だけ思ったけど、それはその時考えよう。玄関扉を塞いだお化けの責任だ。
「グリム、ちょっとごめんね」
「ふなっ!?」
ひょいと抱え上げ、お化けの鼻先にグリムの顔を突き出した。反射的に炎を吹くグリムを、火炎放射器よろしく振り回す。
『うわわわわぁ!』
『こ、こらー!火で遊ぶんじゃない!』
「遊んでません、正当防衛です!」
「そうだ、セートーボーエーだ!」
「やっちゃえグリム!」
「ふなぁ~~~~~~!!!!」
火を吹き出すグリムを持ってお化けを追い回す。
『ひぃ~~~、こりゃかなわん!』
『撤退撤退~~~』
白いもやが薄れて消えていく。完全に気配がしなくなったのを確認してから、床にへたり込んだ。グリムも膝の上で脱力している。
建物に燃え移ってないか確認しなきゃ、と思いながらも、優先事項を先に片づける。
「グリム」
「うん?」
「ありがとう、グリムのおかげで助かったよ」
しばらくきょとんとした顔をしていた。そして胸を張る。
「ふふん、オレ様の偉大さが解ったか!」
グリムを抱え上げ、談話室に戻る。埃を払ったソファの上に自分の着ていたローブを広げ、そこにグリムを下ろした。
「これ、制服だろ。いいのか」
「今更だよ。もう埃まみれだもん。掃除するのに邪魔だから、ちょっと預かってて」
ふーん、と最初は興味なさそうにしていたが、僕が視線を外すとグリムはローブにじゃれつきはじめる。頭にかぶってみたり、袖に前足を入れたり、どこか楽しそうだ。
念のため、玄関や廊下の様子を確かめたが、焦げるような臭いや火の気配はない。時間を置いてもう一度確認してみて、やっぱり無ければ火事とかは、まぁ大丈夫だろう。
箒で埃を廊下に掃き出しながら、掃除の手順を考える。とりあえず水拭きしたい。外に出して干したい。照明が燭台しかないのめっちゃ困る。窓を塞ぐものもほしい。カーテンもいる。床の補強、壁紙の貼り直し。直したい場所ばかり増えていく。
……やっぱり野宿を検討した方がいいかなぁ。
「ユウさん、優しい私が夕食をお持ちしましたよ~!」
そんな事を考え出した頃に、学園長が脳天気な雰囲気全開で談話室に顔を出した。確かにトレーを抱えてはいるけど、あまりにそぐわない空気に呆気にとられる。
「……はて、どうかしました?」
「学園長。お聞きしたいのですが、ここは面倒な人間を事故死に見せかけて始末するために維持してる施設だったりします?」
「事故死!?始末!!??な、何て物騒な、そんなわけないでしょう!!」
「でもさっき、お化けに仲間にしてやる、って脅かされたんだゾ!」
「……ん?キミは、何でこんな所にいるんですか?」
グリムはしまった、という顔をしていた。
「また入り込んでしまったようですね。仕方ない、もう一度追い出してあげましょう」
「学園長、その前にハッキリさせたい事があるんです」
グリムと学園長の間に入ると、険しかった表情が少し和らいだ。
「な、なんでしょう?」
「ここに魔法が無いと対処できないお化けが住み着いているのをご存じだったんですよね?」
学園長はしばらく考え込む仕草をして、わざとらしい声をあげる。
「ここはゴーストが住み着いて悪さをするから使われなくなったんですよ。いやー……昔の事なので忘れてました」
「へぇ、そうですか」
「だからね、事故死に見せかけて始末しようとしたとか、そんな事は考えてませんよ。忘れてただけです、本当です、ね?」
凄い量の汗が顎を伝い落ちている。まぁその真実はこの際どうでもいいのだ。
「そうですか、知ってたんですね」
「いえあの、忘れてただけで」
「グリム、聞いた?僕、偶然グリムが入り込んでなかったら、お化けの仲間入りさせられてたかもしれないんだって」
「魔法が使えないヤツをゴーストが出るボロ屋に閉じこめるなんて、ニンゲンは酷い事するんだな~」
「ちが、本当に親切のつもりで!」
「そうですよね、学園長は良い人ですよね」
グリムを抱っこしながら詰め寄る。グリムも優勢な様子にニヤニヤしていた。
「だったら、命の恩人を無碍に出来ない、という気持ちも解っていただけますよね」
「………いえ、だって、それは」
「グリムは使い魔に見えるみたいだし、他の場所でもお話聞いてくれる人がいるんじゃないかなぁ?」
「当然だゾ。ここで見た事された事、ぜーんぶ喋ってやるんだゾ」
「……短い間に、随分仲良しになったようですね?」
「な、仲良しになんてなってねえ!」
「仲良くはなってないですが、でも、グリムがいなかったら、あのお化け達に何をされていたかわかりませんでしたから」
「……参考までに、どうやって追い払ったのかお聞きしても?」
グリムが語る内容に、僕が言葉を添えた。学園長は何事か考え込み、顔を上げる。
「なるほど、事情は解りました。……あなたには、猛獣使いのような才能があるんでしょうね」
「猛獣使い?」
「コイツに使われる筋合いねーんだゾ」
「そういう事でしたら、ええ。グリムくんにも一緒に仕事をしてもらうというのはどうでしょう。ここで働いてもらうなら、この先魔法が無くては不便な事も多いでしょう」
グリムにとっては住む所を得て、食べる物ももらえて、労働作業で魔法の実用的な訓練が積める。必要があれば図書館も利用してよいと学園長は添えた。授業こそ受けられないが、その様子を見かける機会もあるだろう。授業の邪魔さえしなければそれを見る事も強くは止めない、と学園長は言い切った。
「オレ様、雑用係なんてイヤなんだゾ」
「だったら、即刻出て行って頂きましょう」
「ふな!い、いいのか!全部バラすぞ!」
「よくよく考えたら、モンスター一匹の言うことを真に受ける人間なんていませんしね」
「こっ、こいつぅ……」
「ですが、キミに学ぶ志があり、魔法の技術があるのもまた事実でしょう。学園に有益な働きが出来るならば、温情措置の可能性も生まれる」
「ぐぬぬ……」
「グリムくん次第です。どうしますか?」
グリムはしばらく考え込んでいた。……まぁここでイヤだと突っぱねるならそれまでの縁。僕に出来る手伝いはここまで、だと思う。
あとは本人次第だ。
「……わかった、やる!」
学園長はにっこりと笑った。夕食のトレーを埃を払ったテーブルに置き、指を鳴らす。トレーがふたつに増えた。
「では明日からお仕事をお願いします。仕事内容は朝までに連絡しますね。……その制服は特別な式典の時以外着用しないものですから、お仕事のための衣服も用意しましょう」
「ありがとうございます」
「いいんですよ、ちょうど処分に困っていたものがありますので。仕事の連絡と一緒に、朝には届けさせましょう」
学園長は一気に真面目な顔になり、釘を差す。
「くれぐれも、グリムくんの事をお願いしますよ。入学式の時のような騒ぎを起こさせないように」
「……努力します」
僕の返事に学園長は微笑み、手に持った鍵を渡してきた。この寮の玄関扉の鍵だろう。使われなくなって久しいというのに、随分きれいな印象を受けた。
「では、よろしく頼みましたよ」
学園長は瞬きの間にいなくなっていた。小さく息を吐きつつ、僕のトレーにフォークを伸ばしてきたグリムの手を叩く。
「いでッ」
「人の物まで取らない、お行儀が悪い」
「そんなの知るか!寄越せー!」
トレーを真上に持ち上げて攻撃を避ける。振り返り、火を吐こうとした口に付け合わせのプチトマトを押し込んだ。ひっくり返ってもがいている間にとっとと中身を流し込む。こんなにおいしいのに、味わう暇がないのが悲しい。
「お、オマエ、ホントむかつくヤツだなー!!」
「グリムより僕の方が大きいんだから、食べ物もいっぱいいるの」
「オレ様は魔法が使える分、いっぱいおなかが減るんだゾ!」
「じゃあ、同じ量でちょうどいいね。プチトマト分、グリムの方がいっぱい食べたしよかったじゃない」
「ぐぎぎぎぎ……」
「火を吹いたらこの建物が燃えて、行くところなくなっちゃうから。出ていきたくないなら我慢してね」
ニヤリと笑って言うと、グリムは絶望の表情を浮かべる。
「お、鬼!悪魔!」
「モンスターに言われたくないなぁ」
「ぐぐぐぐ……」
「羽柴悠」
「うん?」
「僕の名前。羽柴が苗字、悠が名前。好きな方で呼んでいいよ」
「……ユウ。オレ様が親分だって事、今に思い知らせてやるんだゾ!」
「へー、そう。頼りにしてるよ、親分」
「オマエ、テッテーテキにムカつくんだゾ!!!!」
気づけば、ここに来てからの不安はどこかに吹き飛んでいた。
実際は、これから先の事の一切が不安定で、不透明。帰り道はない、生きていく術も藁みたいなもの。
それでも、この憎まれ口の尽きない同居人のおかげで、しばらくは考えなくて済むような気がしていた。