2:果てを望む砂塵の王
午後の授業も問題なく終わり、放課後。
僕たちはラギー・ブッチの所属する二年B組の前に向かい、先輩たちと合流した。
「エース、デュース、ユウとグリムを連れて廊下の角で待機しててくれ」
「何でまた?」
「んー、念のため?ごちゃって人がいると何かあった時に混乱するかもだから」
ダイヤモンド先輩は笑って言ってたけど、多分僕への攻撃を警戒してるんだと思う。とはいえ向こうの魔法が一瞬でも意識を奪うものならば、大勢いて混乱状態になるのを避けたいと言うのも解る。おとなしく従った。
詳しい会話は聞こえないけど、廊下に出てきたラギーは穏やかな様子だった。逃げようとしたり怒ったりもしていない。
そう思った矢先だった。ラギーがこっちに向かって走ってくる。手には赤い宝石のついたペンを二本握っていた。
「いや逃げられてんじゃん!!」
「捕まえるぞ、エース!」
「くっそ……おい止まれ!」
通り過ぎたラギーを全員で追いかける。放課後の人波なんて素知らぬ顔ですり抜けていく。
「ユウ、中庭で待機しといて!グリムはそのまま追っかけて逃がすな!デュース、挟み撃ちにすっぞ!」
「わかった!!」
エースの号令で散開する。グリムはラギーに追いつけるだろうけど、捕まえる手段がない。障害物があってもすり抜けるように走れる彼相手には分が悪い。
中庭に出て井戸の傍まで歩く。走っていった方向とグリムの声の動きから、出てくる方向を常に予測する。
エースは絶対に中庭まで誘導してくれるはずだ。そのつもりで僕を待機させている。やる事はひとつ。
そして、ほどなくラギーが中庭に飛び込んできた。後ろを見ているのが視界に入った瞬間に駆け出す。最高のタイミングで踏み切り、その頭めがけて足を振った。
ラギーはギリギリ身体を逸らして避ける。思わず舌打ちしていた。着地と同時に飛び込んだがこれも避けられる。
「ストップストップ!ここまでにしましょ、これは返すから、ね?」
一気に距離を取ってから、ひらひらとペンを振り愛想笑いを浮かべた。
「いやー、ハーツラビュルの連中なんてお茶会ばっかしてる軟弱モノばっかかと思ったッスけど、意外とやるんスね」
軽口を叩きながら、マジカルペンを足下に置いて、じりじりと下がっていく。
「つかさぁ、解ってます?もしここでオレを捕まえたって、オレが犯人って証拠はどこにもないでしょ?」
「なんだと?」
いつの間にかエースたちが横に並んでいる。
「だって、オレが魔法を使ってるトコ見たんスか?写真か動画にでも残ってます?」
「学校の揉め事程度なら、自白も十分な証拠になりますよね?」
「自白すればね。……脅迫でもする気?おーこわ」
冗談めかして震えるようなジェスチャーをするけど、目は全く笑ってない。
「次にオレを追い回す時は証拠揃えてから来てくださいッス。……んじゃ、今日の追いかけっこはここまで」
言うや否や、ラギーは中庭の出口に走り去っていく。両隣でへたり込む気配を無視して、とりあえずマジカルペンを回収した。
「くっそ~!腹立つ~!」
「ローズハート寮長に首をはねられる……」
「ごめんね、せっかくうまく追いつめてくれたのに」
「いやアレは予想外だししゃーないって。あんな避け方されたら、もうオレらにはどうしようもねえし。……あーでもムカつく!」
「僕から見ても完璧なタイミングだった。アレは仕方ない」
エースのフォローに、デュースも言葉を添えてくれたけど、後悔は尽きない。
意識があると面倒そうだから頭を蹴りで狙ったんだけど、やっぱり腹を狙うべきだったとか、蹴りじゃなくて殴れば良かったとか、欲張りすぎた反省点がたくさん浮かんでくる。
「捕まえさえすれば、喋りたくなるまで殴るくらいなら出来るのに……」
「……くらいなら、ってお前ね」
「僕もそっちなら協力できるんだが……」
「お前は陸上部でしょうが!暴力で役に立とうとすんな!!」
エースの律儀なツッコミのおかげで、段々と苛立ちが静まっていく。
「……うう、オレ様でも追いつけねえなんて、悔しいんだゾ……」
こちらは猫のプライドが粉々になっているらしい。撫でても文句が出ないくらいヘコんでいる。
相手が悪い、といえばそれまでだ。多分、あちらは人混みや障害物の多い場所で逃げるという行動に慣れてる。かといって障害物が無くても勝ち目は薄そうだ。罠を仕掛けでもしない限り、捕らえるのは難しいだろう。
「……お前ら、まだ犯人捜しなんかしてやがるのか」
頭上から低い声が降ってくる。顔を上に向けるとジャックと目が合った。
「……見てたのかよ、お前」
ジャックは答えない。どう答えたものか考えているようにも見えた。
「してたら困る事でもある?」
「そういうワケじゃねえ」
「じゃあどういうワケ」
「……何でそこまで必死になる?怪我した奴らの仇討ちか?」
尋ねる声は真剣だった。エースが鼻で笑う。
「んなワケねーだろ。オレらは手柄を立てたいだけ!」
「……手柄?」
「ああ。寮長に認められて、マジフト大会に出場させてもらうためにな!」
「オレ様も、事件を解決してマジフト大会に出るんだゾ!」
ジャックの視線が困ったような感じで僕を向く。
「んー、まぁ、突き詰めればただの好奇心だよ。あと学園長に協力しないと追い出すぞって脅されたし」
「あれ、オレにはなんかかっこいい事言ってなかったっけ……?」
「あれも嘘ではないよ。一応ね」
「…………何て連中だ」
呆れたように、でも楽しそうに笑う顔は年齢相応だ。身長とか声とか、外見の厳めしさで解りづらいけど、エースたちと同い年なんだもんな、一応。
その表情がきゅっと引き締まる。というかいつもの顔に戻った。
「お前ら、俺と勝負しろ」
「この流れで!?」
「半端な奴に協力したくねえ。俺が負けたら、知ってる事を全部話す」
エースとグリムが僕を見る。
「何で僕を見るの」
「いやだって……」
「子分の得意分野だろ」
ジャックも頷いている。
「相手にとって不足はない。俺も、あんたの本気を見てみたい」
「本気を見てみたい、って?」
「レオナ・キングスカラーと正面から睨み合えるアンタが、半端に弱いはずがない」
「買いかぶりすぎだよ。少し肝が据わってれば誰でも出来るハッタリじゃん」
「さっきの蹴りもスゴかった。アレを食らったら確実に昏倒してただろ」
「あんなもん当たってないからノーカンですよ、ノーカン」
僕の言葉に、ジャックは少し表情を険しくした。
「……なんであの人といいあんたといい、力のある奴は出し惜しみしたがるんだ」
「君の言うあの人がどうかは知らないけど、僕は勝てない喧嘩はしない主義だから。僕の格闘技は自分を守るためのもので、人を殴るのが好きなワケじゃない。しなくていい喧嘩はしません」
「……さっき、喋りたくなるまで殴れるって言ってなかったっけ?」
「手段ね!手段の話!僕にはそれしか出来ないってだけ!」
そうこうしている間にも、ジャックの表情が失望に沈んでいく。
……申し訳ない気持ちがないわけではないけど、やっぱりやりたくない。ルールのある試合ならともかく、ルールが明確になってない喧嘩なんて、彼の身体に不具合が起きるような怪我をさせてしまいかねない。運動神経抜群、スポーツ分野での活躍が期待されている生徒に、だ。
というかコミュニケーションとしての喧嘩なんてした事ないんだよこっちは。ナメ腐った態度で喧嘩を売られて、正当防衛を盾に相手をへし折る事しかした事ないんだもん。
同じ事を、こちらの実力を推察した上で正々堂々と挑んでくる彼には出来ない。彼の高い志に応じる覚悟が僕には無い。
「……わかった!」
「何が?」
デュースが突然声を上げ、エースが首を傾げる。
「ジャック、僕が相手になる」
ジャックはぽかんとした顔でデュースを見ていた。エースもちょっと呆気にとられている。
確かにデュースなら喧嘩慣れしてるし、かなり強い。体格差も僕よりは少ないし、良い勝負になるかもしれない。
「お前で相手になるのか?」
「心配しなくても、デュースかなり強いから。ナメてると痛い目みるよ」
「言われてみればそうだな!デュース、やっちまえ!」
ジャックは少し考え込むような顔をしていた。
「……分かった。ただ、手加減なんざしねえぞ」
「上等だ、本気で来いよ!」
デュースが手のひらを拳で打つ。雰囲気が違う事を察して、ジャックの表情も引き締まった。
「なぁ、本当にデュースで大丈夫なワケ?」
エースがこっそり耳打ちしてくる。
「大丈夫、不良二人相手でも無傷だったもん」
「そうなの!?」
「デュースは絶対負けないよ」
こちらの空気を無視して、重い打撃音が走る。
二人はほぼ同時に殴り合っていた。あらかじめルールを決めているワケでもないのに、拳のみで互いの力を比べている。
体格ではジャックが勝るが、デュースも一歩も引いていない。殴り殴られ、でもどちらも楽しそうな顔をしている。話の通じる奴に遭った喜びを噛みしめてるような印象だった。
隣のエースを盗み見ると、理解不能という顔をしている。無理もない。こういう世界に理解無さそう。気持ちは分からないでもない。憧れはあるんだけど、僕は根が小心者なのか、つい相手を行動不能にする方法ばかり考えてしまうのでどうしても向いてない。
何度か殴り合った後、ジャックが膝をついた。デュースは肩で呼吸しながら構えを解き、ジャックに手を差し伸べる。ジャックはそれを迷い無く握り、手を借りて立ち上がった。見つめ合う二人の目には、満足の二文字が見える。
「やるじゃねえか、デュース」
「お前もな、ジャック」
がっしりと握手した二人の間には、間違いなく固い友情が結ばれている事だろう。夕暮れに染まりつつある背景も相俟って感動的なシーンだ。
「これが……男の友情ってヤツか……!」
「……ねえ、そろそろ本題入っていい?」
グリムまでもがドラマのような光景に見入る中、エースが冷めた目で声をかける。ジャックは我に返り、咳払いした。
「これでケジメはつけた。……知ってる事を話してやる」