2:果てを望む砂塵の王




「おいおい、不満そうな顔だなぁ?」
「寮長が初心者の相手をしてやってるんだぜ?ありがたく思えって」
 三下がニヤニヤ笑って頭を小突いてくる。睨みつけても尚、笑っていた。
「見てるだけじゃ暇なら遊んでやろうか?」
 三下の一人が言うと、二人が僕の両腕を抱える。ちょっと、とダイヤモンド先輩の抗議する声が聞こえたが、選手や寮生が行く手に立ちはだかっているようだった。
「止めなくていいんスか、レオナさん」
「……ラギー、よく見とけ。面白いもんが見れるぞ」
 ニヤニヤ笑っているラギー・ブッチに対し、寮長は笑顔を崩さない。
 拳が僕の腹部を捉える。衝撃が身体を駆け抜けた。下を向いた僕の態度をどう思ったのか、三下は髪を掴んで顔を上げさせる。
「痛くて泣いちゃったかな~?顔見せてくれよぉ」
 下品な笑顔に対し、こちらもにっこり笑ってやった。
「これで正当防衛成立ですね。ありがとうございます」
「……は?」
 三人揃って固まった隙に両腕を引き抜き、一歩踏み込んで正面の生徒の鳩尾を殴りつけた。
「……ぉ、ご……」
 腹を抱えてうずくまる。しばらく動けないと思うので後ろを振り返った。
 残り二人は尋常じゃない仲間の様子に焦っている。
「遊んでくれるんですよね?おひとりで終わりですか?」
 片方が雄叫びを上げて飛びかかってくる。見え見えのパンチを最小限の動きで避けて、相手が疲れた頃合いに懐に入って鳩尾を殴った。数歩よろけて、ひっくり返って動かなくなる。
 最後の一人は後ろから襲いかかろうとしていたので、振り返らずに後ろに蹴りを放った。避けもせずしっかり腹に食らって吹っ飛んでいく。
 最初の一人がよろよろと立ち上がり、何か叫びながら駆け寄ってきた。殴りかかってきた腕をとって足を払う。勢いを利用してそのまま地面に叩きつけた。大の字に広がって動かない。
 運動場がしん、と静まりかえる。僕が手足の埃を払う音だけが間抜けに響いた。
「嘘だろ……三人がかりだぞ……」
「全員ほぼ一撃じゃねえか……」
「マジかよ……何者だアイツ……」
 見ていた寮生たちがどよめき、ラギー・ブッチでさえこぼれ落ちそうなくらい目を見開く中で、寮長だけが楽しそうに笑っていた。
「なあ、言っただろ?面白いもんが見れるって」
「アレを面白いと思うのはレオナさんだけッスよ」
 寮長は笑顔のままこちらに歩いてくる。
「お楽しみ頂けたようで何よりですね」
「ああ、最高だった。それに免じて、お前のウチの寮生への暴力行為は不問にしといてやるよ」
「へえ、別に良いんですよ?いーっぱい広めて頂いても」
 わざと挑発的に返すと、ぴくりと傷のある瞼が動いた。
「魔法士としても有能な運動神経も抜群のサバナクローの寮生さんが、魔法も使えない草食動物一匹に暴力を振るわれて伸びちゃいました、って」
 ビリッとしたものが空気に走る。目の前の獅子は笑顔こそ崩さないものの、明らかに殺気を滲ませていた。
「安い挑発だな」
「事実を言ったまでですよ。僕は正当防衛を主張しますし、納得させる自信もありますから」
「……クロウリーはとんでもない手駒を手に入れたもんだ」
 くつくつと楽しそうに笑ったかと思えば、次の瞬間には鋭く僕を睨む。重圧すら感じる殺気を向けられていた。
「命知らずも大概にしろ。目障りだ」
 大抵の相手は、これで萎縮し逃げる。
 そういう確信を持った威嚇だと、肌で感じた。屈するのは簡単だ。目を背けて怯えた顔のひとつもすれば、この場は相手も満足して収まるだろう。
 そんな気は毛頭無い。相手の目を睨み返す。
 今にも喉笛に噛みついてきそうな相手に対し、いつでもその首をへし折るつもりでいた。空気の揺らぎすら感じるほどに神経を研ぎ澄まし、その瞬間を待つ。
「アンタら何やってるんだ!」
 一触即発の空気を破ったのは、低いながらもよく通る誰かの声だ。とはいえ、外野の声に睨み合いは揺るがない。異様な光景だろうに、乱入してきた彼は気にしていないようだ。こちらにまっすぐ向かってこようとして、誰かに止められている。
 詳しいやりとりを気にする余裕は無い。目の前の獣は目をそらせばいつでも飛びかかってくると感じる。相手に油断を見せたくない。
 どのくらいそうしていたのかは分からない。
 先に動いたのは獅子の方だった。静かに目を閉じ、開いた時には先ほどまでの殺気は消えている。
「興ざめだ。引き上げるぞ」
 言うが早いか踵を返し、途中にいる人物には目もくれず出口に歩いていく。それにラギー・ブッチを含む寮生たちが追従していった。伸びていた連中も回収されていく。
 寮長の姿が階段に消えるまで睨み続けた。たまにこちらを睨んでくる寮生がいたが、睨み返すと怯えた顔になって目を逸らす。
 寮生が全員引き上げた後で、やっと一息つけた。
「あー疲れた。なにアイツちょーめんどくさー……」
 いつの間にか傍にいたエーデュースがコントのようにずっこけた。
「め、めんどくさ、って……それで済む奴だったか今の!?」
「っていうか、お前から喧嘩売ってただろうが割と!!」
「えー。だって自分が止めなかったくせに恩を売ってやるって顔してたからむかついちゃって。僕は困らないからどうぞ、って事実を言って譲ってあげただけだよ」
「ホント、いい性格してるんだゾ……」
「マジギレのレオナくん相手に一歩も引かないんだもん、ひやひやしたよ~。っていうか、お腹は大丈夫?」
「あ、それは大丈夫です。慣れてるんで。……先輩たちの方が大変では?」
「はは、カッコ悪いトコ見せちゃったなぁ……」
 ダイヤモンド先輩は困ったように笑って頭をかいている。先輩のプレーに問題は無かったように思うけど、そんな事を言っても慰めにはならなそうなので黙っておいた。
「ジャック、助けてくれてありがとう」
 デュースに言われて、さっきの空気が読めない乱入者がジャックだった事に気づいた。ジャックの方は憮然とした感じで腕を組んで僕らを見てる。
「別に助けたワケじゃない。奴らのやり方が気に入らないだけだ」
「でもお前が止めに入らなかったら、サバナクローの寮長とユウが殴り合ってたかもしれないし」
「あははははー」
「笑ってごまかすなよ」
 殴り合いで済めばいいけどね、という言葉はギリギリ飲み込んだ。ちょっと今は冗談で言える言葉じゃない。
「寮長とあれだけ睨み合える奴が弱いとは思わねえが、……本当に殴り合うような事にはならない方が良い」
「それはそうだね。正直言うと勝てる自信はないし、出来たらそうしたいかな」
「ナニ言ってんだ!サバナクローの奴ら、三人もいたのにボッコボコにしちまったじゃねえか!あのレオナって奴にも勝てるに決まってるんだゾ!」
「アレは明らかに三下のザコだったもん。あの人は多分、別次元だよ」
「別次元って?」
「なんつーのかな……出来たら正面からやり合いたくない。言葉で説明するのは難しいんだけど、とにかく強いのは分かる」
 僕の言葉にジャックが頷く。
「あの人は魔法士としても優秀だし、運動神経もずば抜けてる上に頭が切れる」
 顔がイケメンで声も良い。体格にも恵まれてる。スペックの差が大きすぎて涙も出ないわ。
「ま、今後何かあってもサバナクローの人に協力を仰ぐのは無理そうだね」
「思い切り揉めちゃったからねー……」
「ひとまず今日はもう寮に帰ろうぜ」
「賛成だ……さすがに疲れた」
「オレ様、腹減ったんだゾ……」
 エースの提案を皮切りに、ぞろぞろと出口に向かって歩き出す。立ち止まったままのジャックを振り返った。
「怪我には引き続き気をつけてね!」
 返事は待たず、急いでエースたちを追いかける。
 帰り道は何事もなく、寮に帰った後は活躍できなかったとふてくされるグリムの愚痴を夜まで聞く事となった。


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