2:果てを望む砂塵の王
寮の部屋割りは学年によって異なるらしい。一年は四人部屋、二年は二人部屋、三年は一人部屋。寮長も個室が与えられる。四年生は在籍しているけど校外実習でほとんど寮では生活せず、実習の合間の滞在時などはゲストルームを使うらしい。
という話を聞くと、オンボロ寮は現在のナイトレイブンカレッジの各寮に比べて手狭だな、と思う。校舎や寮の建物に感じる外観と間取りの不一致もないし、二人で暮らすには大きいけど九十人いたら確実に狭い。個室とか取れそうにない。
相変わらずハーツラビュル寮は綺麗に手入れされた豪華な建物という印象だった。内部の通路は複雑で、家具や壁の模様が歪んで錯覚を起こすようになっている。絶対に迷うから離れるな、と二人に念押しされたのも納得だった。
扉をノックすると、クローバー先輩の声でどうぞ、と返答があった。
「あれ、エーデュースコンビじゃん。それにグリちゃんにユウちゃんまで勢ぞろいで」
僕らを見て声を上げたのはダイヤモンド先輩だった。勉強机の椅子をベッド横まで引っ張り出して座っている。クローバー先輩はベッドに腰掛けていた。
「怪我をしたとお聞きしたものですから」
「クローバー先輩、大丈夫ですか?」
デュースが尋ねると、クローバー先輩はいつものように微笑んだ。
「階段から足を踏み外してな、受け身を取り損ねて右足を派手にやっちまった」
さも大した事ないように言っているが、右足には痛ましいくらいに包帯が巻かれている。さっきの捻挫の生徒より重傷に見えた。実際、ベッドの横には松葉杖が立てかけられている。
「今年のマジフト大会、俺は見学になりそうだ」
「もー、マジ勘弁。主力選手のトレイくんがいないのしんどいよ~」
ダイヤモンド先輩が言うと、クローバー先輩は困ったように笑っていた。
「……かすり傷だったら渡すのやめようと思ってたけど……」
グリムがおずおずと前に出て、クローバー先輩にツナ缶を手渡した。
「ぐ、グリムがお見舞いを用意してる!?」
「明日、槍でも降るんじゃねーの」
「ゴーストが持ってけって言ったんだゾ。怪我したり病気したヤツに喜ぶものを渡すのが優しさ、なんだろ?」
寮を出るまでの短い間にゴーストとそんな話をしていたのか。どんな気持ちで用意したのかは解らないけど、でもゴーストの助言を素直に受け止めてくれた事は随分な進歩のように思う。
「オレ様のとっておきのツナ缶やるんだから、元気出すんだゾ!」
「はは、ありがとな」
クローバー先輩は嬉しそうだ。その反応を見たグリムも笑顔になっている。部屋の空気も和んだ。
「……トレイくんのせいじゃないけど、正直まいっちゃうよね。うちで一番のアシスト上手っていうか、代わりなんていないし?」
「そう言うなよ。俺がいなくても、今のリドルならうまくやってくれるさ」
「んん~、そう期待したいけどねぇ……選手選びもまた振り出しになっちゃったしなぁ……」
「選手選び!?」
エースとデュースがダイヤモンド先輩の発言に表情を変える。と、直後に扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼するよ。……なんだいキミたち、怪我人の部屋にどやどやと集まって」
部屋に入るなり、ローズハート先輩は呆れた顔で言った。全くもってその通りなので反論もない。
「おこりんぼリドル!!」
「……キミたちがルール違反をしないなら怒らないよ」
グリムが反射的に声を上げると、ローズハート先輩は更に呆れた様子だった。とはいえ以前ならカチンとした顔ぐらいはしていたと思うので、全く反応が違うとも思う。
「トレイ、具合はどう?何か食べたいものや飲みたいものはある?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だって言ってるだろ?」
「でも、その怪我はボクのせいで……」
消え入りそうな声だったけど、確かに聞こえた。怒らなかったのはそんな元気もないほど落ち込んでいるから、という事らしい。
「何かあったんですか?」
デュースが尋ねると、ローズハート先輩は少し迷った後、話し始めた。
怪我をしたのは昼休み。
ローズハート先輩が三年生の教室を訪ねた帰り、階段近くまでクローバー先輩と一緒に歩いていた。話が終わり、自分の教室に帰るため階段を降りようとしたローズハート先輩はそこから落ちかけて、それをクローバー先輩が庇って負傷した、という事らしい。
「お前なら飛行術で受け身が取れてたと思うぞ。俺が勝手にしくじっただけだから、もう気にするなって」
「でも……」
ローズハート先輩の表情は暗い。誰の目から見ても明らかに責任を感じてるし、落ち込んでいる。その様子は見ていて痛ましいくらいだ。
「……ユウ、これってさ」
エースが小声で話しかけてきたので、無言で頷いておく。詳しい話を聞くにしても、クローバー先輩の前では話しづらい。
今回はうっかりを起こした人間と怪我をした人間が一致していない。つまり犯人がいるのなら、狙われたのはローズハート先輩だ。彼にまだ危険が及ぶ可能性がある。そしてそれを知ったら、クローバー先輩は絶対に無茶をする。そうしたら治るものも治らない。
「まーまー、そんな暗くなってもしょーがないって!トレイくんの怪我は残念だったけど、その分リドルくんが超頑張ればいいじゃん!」
「あ、ああ、そうだね」
ダイヤモンド先輩が笑顔で話して、ローズハート先輩はやっと少し表情を緩めた。
「ささ、もう怪我人はゆっくり休ませてあげよ。退散、退散~」
言うが早いか、ダイヤモンド先輩は僕たちの背中を押した。僕たちも挨拶して部屋を出る。
そのまま誘導されるがままに複雑な廊下を歩き、辿りついたのは談話室だった。生徒の姿はあるが、寮長に会釈するぐらいでこちらに興味を向けてくる事はない。
隅の一角を陣取った所で、ローズハート先輩はダイヤモンド先輩を見た。
「それで?トレイの前では話しづらい事があるんだろう?」
「うん、……ユウちゃんたち、トレイくんの怪我について何か知ってるんじゃない?」
あの短い間のやりとりでも気付かれていたらしい。この学校の先輩たち怖い。
「実は、校内で負傷者が多発している事について、学園長から調査を命じられてるんです」
現在持っている情報を話すと、ダイヤモンド先輩は困ったような呆れたような顔をした。
「やっぱりね。グリちゃんたちがただお見舞いに来るわけないと思った」
「そ、そんな薄情に見えます?」
「ううん。怪我したなら下手な事せず休ませよう、って思ってくれるタイプかなって」
「実は、ボクも何か変だと思ってすぐケイトに情報を集めてもらっていたんだ」
階段に不備は無い。誰かが背中を押したわけでもない。
「それなのに、身体が勝手に動いたような感覚があったから」
「他の怪我したヤツも、似たような事言ってたんだゾ!」
「リドルくんに言われて調べたら、怪我してるのがリドルくんやトレイくんみたいな有力選手候補ばかりって事がわかってね。リドルくんへの報告直後にユウちゃんたちが来たからアレ?って思って。エースちゃんと意味割りげな目配せもしてたし?」
ダイヤモンド先輩はニヤニヤ笑っているが、苦笑で流しておいた。ローズハート先輩が咳払いする。
「故意に選手候補を狙った犯行と見ていいと思う」
被害者のローズハート先輩が断言すると、その重みは違う。魔法士としての実力があるからこそ思う所もあるのだろう。
「マジカルシフト大会でライバルを減らすために、強そうな選手を狙って事故らせてるって事?」
「世界中が注目する大会だ。試合での活躍が将来のキャリアに繋がる以上、手段を選ばない人間がいても不思議じゃない」
敵の、時には仲間の足すら引っ張ってでも活躍したい、というのが犯行動機。
あり得なくはない、そして、それが動機なら本当に許せない。
「そんなワケで、犯人捜しにボクたちも協力するよ」
ローズハート先輩は当然、という調子で言った。ダイヤモンド先輩も頷いている。
「ほぁっ?オマエらが協力?……なに企んでるんだ~?」
「人聞き悪いなぁ。ウチの寮生がやられたんだから当然でしょ」
相変わらずの笑顔だが、言葉には妙な凄みがあった。
ハーツラビュルの被害者は既に二名。
しかも候補だけでなく、選抜ほぼ確定の主力選手も負傷している。報復の理由には充分だろう。
「そういう事なら、オレらも犯人捜し手伝うぜ」
「クローバー先輩のお礼参りっすね!」
エースとデュースが申し出ると、ローズハート先輩は首を傾げる。
「キミたち、やけに張り切ってるね?」
「あ、わかった。さては空いた選手枠を狙ってるな~?」
「へへ、バレた?」
「い、いや、僕はそんな事は!同寮として当然です!」
デュースは慌てて否定したけど、さっき選手選びやりなおさなきゃ、って先輩が言った時、明らかに目が輝いてたんだよなぁ。まぁエースみたいに下心隠す気無いよりはマシか。
「まぁ、犯人捜しでの活躍によっては考慮してもいいよ」
「やった!」
二人の声が揃う。デュースは慌てて咳払いしていたけどもう遅い。ローズハート先輩が呆れた顔で溜め息を吐いた。
とりあえず話を元に戻そう。
「あの、ダイヤモンド先輩。念のため確認したいんですけど、被害者の所属寮に偏りはない……ですよね?」
「うん、割とどの寮もまんべんなく、って感じ。授業中に怪我したって生徒もいたよ」
所属寮と学年くらい絞れないかと思ったけど、そうするにはちょっと例が少なすぎる。仮に授業中でも、例えばトイレを理由に離席して犯行に及ぶ、という可能性はある。
「例えば魔法をかけていた人がいたとしても、怪我をした人に目が向いて、周りの人間の様子までは目が向かないよなぁ……」
「そうそう。犯人の目撃者探しは絶望的なんだよね。実際、見たって人も心当たりがあるって人もいないし」
「ここはやはり、こちらから先手を打つしかないだろう」
「先手を打つ、ったってどうするんだ?」
ローズハート先輩の提案に対し、グリムは首を傾げる。
「例えば、次に狙われそうな生徒に当たりをつけて、ボクらでこっそり警護する。事件が起こったら速やかに生徒を保護し、周囲の捜索と犯人の追跡を行う」
「と言うとつまり、大会での各寮の選手候補、って事ですよね」
「そーゆー事。実は、選手候補の中でも狙われそうな生徒、何人か目星はつけてあるんだ。マジカメのメッセで共有するね」
先輩がスマホを操作した後に、エースとデュースもスマホを手に取った。エースが見せてくれた画面には、選手の顔写真と一緒にマジカメのアカウントや所属寮、選出理由やちょっとした行動傾向などが細かく記載されている。何人か、どころの騒ぎじゃない。全部完全に把握しようと思ったら一晩かかる。
「情報量エグ……」
エースの呟きに思わず頷いていた。
「エーデュースも、気になる子がいたら教えてね。この人数同時には警護できないから、絞り込みの意見は大歓迎!」
「……あの、そのエーデュースっての、なんなんスか」
「ん?二人とも『ス』で終わるからまとめていいかなって。いつも一緒にいるじゃん?」
「別にいつもじゃねーけど!?」
「やめてください」
後輩たちの辛辣な声に、いいと思ったんだけどなぁ、とダイヤモンド先輩は不服そうだ。
「明日の放課後、もう一度集まろう。一年生には馴染みのない顔も多いだろうし、実際に顔を見れば気付く事があるかもしれない」
「じゃあ今日の所は解散ね。明日、忘れないでよ」
「あ、先輩たちは夕飯どうするんですか?」
「トレイに夕飯を届けないと。今日は寮で摂るよ」
「じゃあ、オレもお供しまっす!」
ローズハート先輩にダイヤモンド先輩が追従を示す。……多分、護衛の意図もあるのだろう。真意は不明だが『寮長が狙われた』わけだし。……彼らの考え方的に心配と言うよりは『頭を狙うなんぞナメくさった真似しやがって』的な気持ちの方が正しいだろうが。僕としてもダイヤモンド先輩がついていてくれるなら安心できる。
お腹も空いてきたし、ひとまずそのまま解散となった。僕たちはその足で大食堂で夕飯を食べて、ついでに帰りに購買に寄ってカーディガンも買っておく。何色かあったので、グリムとお揃いの濃い灰色にした。ゴーストは似合うと褒めてくれたし良しとする。
どうなる事かと思ったが、思わぬ強力な味方を得る事が出来た。
……何事も無ければいいのだけど。