2:果てを望む砂塵の王




 調査と言ってもどこを探すのか、なんて聞く前に飛び出してしまった。
 なのでまずは保健室に向かう。利用者名簿があるなんて聞いた事はないけど、ひとまず何かしらの手がかりがあるかもしれない。
 もしなければ職員室に行って、どの生徒が怪我をしたか訊くしかないだろう。内密に調査しろ、とは一言も言われてない。
 ちょうど室内には生徒が二人いて、足首の手当をしているところだった。手当を受けていた生徒が、僕とグリムを見て表情を明るくする。
「オンボロ寮の監督生とグリムじゃん。お前らも怪我したの?」
 見れば二人ともハーツラビュルの腕章をしていた。僕たちは顔を知らなくても、向こうからすれば有名人、というわけだ。
「学園長に言われて、保健室の利用者の調査をしてるんです」
「利用者の調査?」
「ここ数日、利用者が増えたと仰ってて、学内の設備に何か不備があるんじゃないかと気にされてました」
「そうだったのか。大変なんだなぁ」
 話している間に包帯を巻き終える。
「捻挫ですか?」
「ああ。昨日、階段から落ちちゃってさ。湿布を替えにきたんだ」
「不運だよなぁ。せっかく今年は選抜メンバーになれそうだったのに」
 グリムと顔を見合わせる。昨日怪我をした生徒は彼のようだ。
「階段から落ちた、と。何か不審な事などありませんでした?」
「不審な事?」
「手すりが揺れたとか、足に何かぶつかったとか、踏み板がおかしかったとか」
「いいや。なんか……フワッと足が動いて、気付いたら転がり落ちてたんだ」
「俺もその時横にいたけど、変な感じは無かったなぁ。何が起きたのかもわからなかったけど」
 二人は特に不審なものは感じなかったようだ。これ以上訊いても何もなさそう。
「ご協力ありがとうございます。お大事になさってください」
「役に立てたなら良いけど。……そうだ、怪我した人を調べてる感じだよな?」
「はい、……そうですね。怪我の原因の特定や安全を確認する場所を絞るための調査なので」
「だったら階段じゃないけど、俺のクラスの奴も昨日、放課後に火傷したってんで大騒ぎになってたんだ。あいつポムフィオーレだから、薬とか自前で用意して保健室には行ってないかもしれない」
「そうなんですね。早速お話を聞いてみます」
「多分、今日も放課後居残って勉強してると思う。いなかったら寮を訪ねてみてくれ」
「大変なところ、ご親切にありがとうございます」
 深々とお辞儀をして、保健室を後にする。
「うーん……やっぱタダのドジじゃねえかぁ?」
「まだ一件しか調べてないよ」
 しかし、そこそこの怪我だが保健室に行ってない例がある、というのは盲点だった。魔法薬学なんて授業があるんだから、治療薬を自力で作れる生徒がいてもおかしくない。もしそういう例が他にもあるなら、被害者はもっと多い事になる。
 教えて貰った教室に向かった。授業が終わって随分経つが、まだ数名の生徒が談笑しながら勉強道具を広げている。名門校だけに、勉強熱心な生徒が多いらしい。
 覗きこんで見える範囲に、ポムフィオーレの紫と赤の腕章の人がいた。そっと教室に入り近づく。
「なぁなぁ、昨日の放課後、怪我した生徒ってお前か?話を聞かせるんだゾ」
 グリムの口を塞いでおくべきだったと後悔。
 片方の生徒は、右手が包帯でぐるぐる巻きになっている。もう一人は彼を手伝い、自分のノートを書き写しているらしい。
「キミ!失礼じゃないか!!彼は今度のマジフト大会に万全のコンディションで出られないかもしれないと落ち込んでいるというのに!!」
「失礼しました。グリム、ちょっと黙って」
「良いから怪我した時の事をさっさと話すんだゾ!」
 僕の制止を振り切ってグリムが詰め寄ると、怪我をしている生徒が表情を一層険しくした。
「なんて失礼な人なんだ!人が心を痛めているというのに!」
「オマエの心が炒まってようと関係ないんだゾ!こっちだって大会出場がかかってるんだ!」
「……もう我慢ならない!」
 怪我をしている生徒が立ち上がり、懐から何か取り出して床に叩きつけた。見れば白い手袋が落ちている。
「決闘だ!手袋を拾いたまえ!」
 いきなりの奇行に思わず固まる。グリムも意味が分からないのか動けずにいた。手袋を叩きつけた生徒は鼻息荒くこちらを睨んでいて、隣の生徒も真剣な表情でこちらを見つめている。
 どう事情を説明すべきか、そもそも説明すべきなのか、先に殴った方が早いんじゃないか、いくつかの選択肢が頭を駆けめぐった。その結論が出る前に、後ろから声がかかる。
「おや、決闘とは穏やかではないね」
 振り返ると、まず目に留まったのは派手な帽子だ。本体は地味な色合いだが、派手な羽根飾りがついている。顔立ちは目つきが鋭く見えるが、その表情や物腰は穏やかだ。まっすぐな金髪は綺麗に切りそろえられている。
「副寮長!」
 生徒たちが口を揃えた。見れば確かにポムフィオーレの腕章をしている。
「なかなか戻らないから心配してきてみれば。……何事かあったのかな」
「そこの彼が!あまりにも心ない事を言うものですから……」
 怪我をしていない生徒がグリムを指さす。ポムフィオーレの副寮長は静かにグリムを見た。グリムは居心地悪そうに目を逸らしている。
「君たちは、入学式の時に衆目を集めた子たちだね?」
「一年A組の羽柴悠と申します。彼はグリム。学園長の指示で、学内の安全確認の予備調査を行ってます」
「これはご丁寧に。私はルーク・ハント。ポムフィオーレ寮の副寮長をしているよ」
 以後お見知り置きを、と言いながら、帽子を胸に抱いて軽く一礼された。自分もお辞儀を返す。
「それで?どうして決闘なんて話になってしまったのかな」
「グリムが失礼な物言いをしたせいです。本当に申し訳ありませんでした」
 僕が二人に頭を下げると、グリムは不承不承、という顔で頭を下げた。
「彼は非を認め謝罪している、ならば戦う必要はないね?」
「……ええ、その通りです」
 床に落ちていた手袋は既に無くなっていた。興奮していた二人は着席する。
「学内の安全確認の予備調査、と言ったかな。学園長の指示で」
「はい。保健室の利用者がここ数日で増えているとの事で。学内の設備の不備などであれば本格的な調査と修理修繕が必要になります。その事前準備として怪我をした状況の聞き込みをしています」
「そうか。それならば我々も協力すべきだね。話せるかい?」
 怪我をしている生徒が頷くが、喋りはじめたのは隣の生徒だった。
「昨日の放課後、我々は実験室で授業の復習のため実験を行っていたんだ。手順を何度も確認し、材料も万全に揃えてから実験を開始した。その最中……彼は、薬の煮えたぎる鍋を素手で掴んだんだ!」
 芝居がかった口調と動作だったが、そのおかげで状況が掴みやすい。彼がどれほど驚いたのかも。
「更に鍋をひっくり返してしまい、実験どころではなくなってしまった。幸いにも処置はすぐに行えたが、利き手を負傷してはディスクの操作がままならない。……選抜メンバー入りは絶望的だ……」
「全部キミが言うのかい!?」
 負傷した生徒は思わずといった様子でツッコミを入れていた。面白いなこの人たち。
「負傷したご本人にお伺いしたいのですが、鍋を掴む前後、頭がくらっとしたとか、何かにぶつかられたとか、そういう事はなかったですか?」
「……いや、無かったと思う。本当に唐突に、自分でもよくわからないままに、手が動いていたんだ」
「ご一緒にいらした方も、気になる事はありませんでしたか?」
「……いいや、全くない。本当に突然、彼が自分の意思で鍋を掴んだようにしか見えなかったよ」
「そうですか……」
 やはり本人の不注意としか思えない状況。
「その、ポムフィオーレの方は魔法薬学に長けているので負傷しても保健室を利用しないかもしれない、と先の聞き込みで言われまして。ここ数日で、怪我をした人はいらっしゃいませんか?」
「……いや、私の知る限りいないよ。今のところ彼だけだ」
「そうなんですね」
 とりあえず追加調査の必要はなさそうだ。内心ほっとする。
 あの人に出くわしそうだから、ポムフィオーレにはあまり関わりたくない。
「ご協力ありがとうございました。一刻も早い回復を祈ってます」
「こちらこそすまなかったね」
「君たち、早く寮に戻った方が良い。勉強なら寮の談話室でも出来るだろう?また怪我をしないか心配だ」
「……はい。そう、なんですが」
 負傷した生徒を見る。
「……私のせいで、寮に迷惑をかけてしまった。この事を誰も責めたりはしない。解っている。それでも……申し訳なくて……」
 彼は悔しそうに俯いている。ハント先輩は静かにそれを見つめていた。
「キミの気持ちは痛いほど解る。だが、それで新たに怪我をしたら、それこそ良くない。放課後の校舎は人目も少ないからね。今度こそ取り返しのつかない事態になったら大変だ」
「……はい、すみません。副寮長」
 二人は素直に頭を下げて、帰り支度を始めた。いつの間にか他の生徒の姿はなく、僕たちだけが居残っている。
「僕たちも失礼します。ご協力ありがとうございました」
「ユウくん」
「はい?」
 呼ばれて顔を上げると、ハント先輩が真正面にいる。意味ありげに微笑んだ顔のまま、真っ直ぐに顔を見つめられた。
「えと……」
「……なるほど、ヴィルの言う通りだ」
 ひとり頷きながら呟く。蛇に睨まれた蛙ってこんな気分なんだろうか。妙な迫力があって動けない。
「……上着の袖丈はぴったりのようだけど、ベストが無い分胸周りが見ていて落ち着かないね。そろそろ寒くなる季節だし、カーディガンを着る事をオススメするよ」
「は、はぁ……」
「普段使いなら、購買部のものが安価で機能性も良い。丈夫だから多少暴れても支障はないよ。上着の前を開けても不格好にならないから動きやすくなるだろう」
 ぞわ、と背筋が粟立つ。
 まるで、僕が格闘技をやってる事を知ってるような口振りだ。
 見透かされた事に警戒して動けずにいると、ハント先輩はにっこりと笑う。
「さあ、君たちも寮に帰りなさい。くれぐれも気をつけて」
「あ……ありがとうございます」
 お辞儀をして、慌ただしく教室を出た。距離を取る事を優先し、昇降口まで辿りついた所でやっと足を止める。校舎を振り返るが、当然こちらを追いかけて来たりはしていない。
「どうしたんだ?」
「……いや、何でもない。とりあえず一回寮に戻ろう」
 考えすぎだと思う事にしよう。決闘なんか申し込まれて動揺したから過敏になってるんだ。きっとそうに違いない。
「グリム、怪我した人はみんな落ち込んでるんだから、ああいう言い方はやめようね」
「だって、調査だの何だのって、オマエに任せたら長くてまだるっこしいんだゾ!」
「だからって、信頼を損ねるような事を言ったら本当の事は教えてくれないよ。そうしたら調査が無駄になって、学園長が約束をナシにする理由になっちゃう」
「う、うぐぐ……」
「怪我をするのは痛くてつらい事だよ。自分の不注意でも悲しい事なんだ。怪我をしてる人には優しくしてあげて。黙って聞く事も優しさだよ」
「……わかった。約束をナシにされるのはやだからな」
 本当に理解したかは疑わしいが、指摘しても仕方ない。ひとまず良しとする。


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