2:果てを望む砂塵の王
寮に帰ってからもグリムはふてくされていた。
庭を走り回ったり空き部屋を探検したり何かと遊んでいる事が常なので、ソファでだらりとしている姿は最近では珍しい。
『どうしたグリ坊。なんだか毛艶が悪いな』
『マジカルシフト大会に出られなくて拗ねてるんだってさ~』
ゴーストたちがその周りをくるくる回っている。いつもならうっとおしい!と怒るのにそんな様子もない。
『そんなにマジカルシフトがやりたいなら、わしらが相手してやるぞ』
年嵩のゴーストが言うと、グリムの耳がぴくりと動いた。
『九十年前はわしも選抜メンバーに選ばれてキャーキャー言われとったんじゃ!』
九十年前はまだ生きてたのか……。ゴーストとしての見た目はゴーストでいた期間と生前のどちらが影響してるんだろう、割とパターン化した同じ顔に見えるけど、などとくだらない事を考えてしまう。
「七人いねぇとできねーんだろ?」
『試合はね。ただ遊ぶだけなら関係ないよ』
『確か、この寮にもゴールとディスクがあったはず~』
大きいゴーストがふわふわと壁の向こうに消えていく。
『さあ、庭に出るぞグリ坊!わしがディスクの持ち方から教えてやる!』
年嵩のゴーストは大張り切りだが、グリムは半信半疑の様子だ。渋々外に向かうのを追いかける。ちょうどその時、埃を被った棒と円盤を持ったゴーストがやってきた。
『あったあった~。これで遊べるよ~』
雑巾で綺麗にするのを手伝う。
割としっかりした造りの金属の円盤と、不思議な形の棒が何本かセットになっているらしい。棒を指示通りに組み立てると円盤がちょうど通るぐらいの輪がついた、見上げるぐらいの高さの器具になる。これがゴールのようだ。
『まずはお手本を見せようか』
年嵩のゴーストがディスクを手にする。金属に青い炎が点り、ふわりと浮き上がった。グリムは耳をぴんと立たせ、目を輝かせる。
『ディスクは浮かせた状態を保つのが基本じゃ。手の上が簡単だが、慣れたら頭でも足でも制御できるぞい』
投げる時は魔法で推進力を与える。ディスクを思い通りに投げるには、それだけ魔法の技量が必要だとゴーストは説明した。ひょいひょい軽々と大きなゴーストとパスをしながら言うので、いまいちわかりにくいけど。
『そしてあの輪がゴール。敵の妨害をかいくぐって、シュートする!』
ゴーストが鋭く手を振ると、それを追ってディスクが飛び出す。真っ直ぐな軌道で輪の中に吸い込まれ、火花のような光が弾けた。ディスクは輪にぴったりハマって止まっている。思わず拍手した。
『これが基本動作じゃな』
「オレ様もやりたいやりたい!」
ぴょこぴょことグリムが跳ねる。すっかり機嫌は直った様子だ。
グリムはまずディスクを持つところから大変だった。走る時に前足に持つとディスクを落とすので、基本は頭の上、投げる時は前足にディスクの制御を移す必要がある。それでも何度か挑戦すれば形になった。
『なかなか筋がいいぞ、グリ坊』
「ふふん、オレ様は天才だからな!」
すぐ調子に乗る性格のせいかコントロールがいまいちなので、シュートの成功率は良くないが、ディスクには結構な勢いがある。当たったら痛そう。
『ディスクを持ってる選手には、敵チームから魔法の妨害がある。それをかいくぐり、ゴールを目指すんじゃ』
大きなゴーストとディスクを取られたり取り返したりしている。年嵩のゴーストの指導も熱が入っていた。最初はおぼつかなかった頭から前足へのディスクの操作も、今やすっかりスムーズになっている。夢中でディスクを追いかける姿は楽しそうだ。
「機嫌直ったみたいで良かった」
『そうだね、グリ坊が元気ないとボクらも寂しいよ』
何と無く出た呟きに、小柄なゴーストが同調する。
『最初は何て騒がしいモンスターだと思ったけど、もうすっかりボクたちの仲間だ!』
ゴーストと思えないくらい屈託のない笑顔だった。その顔を見つめていると、ゴーストが感触は無いながら頬を擦り寄せてくる。
『もちろん、ユウもだよ。大事な大事な、ボクたちの寮の監督生!』
「あ、ありがとう」
礼を言いつつも内心は複雑だった。
やっぱり『忙しいから』で帰る方法の話は流されてしまったし、追求もしきれなかった。事情を知らない人間からの視線はとっくの昔に気にしてないけど、文化の違いやちょっとした認識の齟齬にストレスがないわけじゃない。毎日の授業でも感じるし、今日のマジカルシフトの話だってそうだ。
本当はこの状況も、もっと強く拒絶するべきなのだろう。このまま帰る手がかりがなく、見つけてももらえないのなら、ここから出て地道に足を使って探した方が良いと思う。
ただそれを実行に移すには、いくつかしなくてはいけない始末もあった。結局僕の生活にかかったお金は請求されそうだし、クローゼットの中の服を処分したら、それはそれで不義理になってしまう。
何よりグリムの事だ。
グリムは僕と二人で一人の学生として在籍を許されている。僕というストッパー兼補助役がいないと学業を成立させられない、という判断がある事も理解していた。
僕がいなくなった後、グリムはどうなる?
今の状態では間違いなく退去させられるだろう。マシになってきたとはいえ、人間の文化にもモラルにも疎い。マナーなんて全然解ってない。未だに食事中に横取りしようと飛びかかってくるし。
それはあまりにも、可哀想に思うのだ。
魔法士になりたいと自分からナイトレイブンカレッジにやってきた彼がやっと掴んだ夢への切符が、僕という他者の手でビリビリに破かれる事になる。客観的に見ても可哀想だし、自分のためとは言え、実行するのも嫌だった。
帰る手段が見つからないのなら、せめてグリムが一人で授業を受けられるようになるまで、僕はここにいるだろう。
それはいつになるだろうか。
体感で、この世界の暦の流れに違和感は無い。ここで長い時間を過ごすほど、元の世界でも同じだけの時間が流れている可能性がある。ただでさえ五ヶ月のズレがあるのだ。
特殊な時間の勘定がなされていると確定するまでは、元の世界で行方不明者になっているかもしれない、という不安は消えない。
家族や友達が心配しているかもしれない。
自分のせいで、自分の周りの人間に心労を与える事になる。
そう考えただけで、腹の奥がずしっと重くなった気がした。胃の中が気持ち悪い。
そんな思いは誰にも、二度とさせまいと思って、そのために頑張っていたのに。
「おや、マジフトですか。スポーツで汗を流す青春、結構!」
唐突に真横から声がして飛び上がる。学園長がいつもの杖を片手に立っていた。グリムもゴーストに言われて来客に気付いたらしく、面倒くさそうにこちらに走ってくる。
「いま一番テンション下がるヤツが来たんだゾ」
「寮内のゴーストさんたちとも仲良くやってるようですねー。感心感心」
「別に仲良くしてねーし!」
「何かご用ですか?」
「ええ、君たちに頼みたい事があってきました。談話室をお借りしても?」
学園の建物の使用を学園長が尋ねるというのも変な話だ。ゴーストたちが片づけは任せろと言ってくれたので、僕とグリムは学園長と共に談話室に入る。
「つーか、何だよ頼みごとって。オレ様たちはもう、雑用係じゃねーんだゾ」
不機嫌そうにグリムが言うが、学園長は涼しい顔だ。
「おや?私は君たちの衣食住をタダで保証するなんて一言も言ってませんが?」
グリムがぎょっとした顔になる。確かにそういう言い方はされていない。
「労働とは美しいものですねぇ~」
「お、おい、脅されてるんだゾ。どうすんだ」
「グリムが出て行きたくないなら、従うしかないよ」
「ぐぬぬ~……」
グリムは不満げだが、改めてソファに座り直した。傾聴の姿勢を示した事で、学園長は満足そうに笑う。
「では本題に入ります。実は最近、学園内で不審な事故による怪我人が続出していまして、それについての調査をお願いしたいのです」
階段からの転落など原因は様々だが、ここ数日で急に保健室の利用者が増えたのだという。
「昨日も階段からの転落事故があり、これで怪我人は十人目。誰も重傷には至っていないのが救いなのですが……」
「たった数日で十人、ですか……」
「ただのおっちょこちょいなんじゃねえのかぁ?」
「マジカルシフト大会が近づくと、学園全体が浮つくのは確かです。それにしても、例年と比べて怪我人が多すぎる」
聞いた話によれば重傷ではないというが、『保健室を利用しなくてはならない』程度ならば生活にも支障が出うる、それなりの怪我には違いないだろう。何十年とこの学校に勤めてきたらしい学園長が不審に思うなら、不自然な事なのかもしれない。
「しかも、怪我をした全員が、今年のマジカルシフト大会の選抜メンバーに選ばれると注目されていた生徒なんです」
「……全員ですか」
そこまでいくと偶然と言い捨てるにはさすがに不自然だ。
「ただ、事件とするには証拠が何もない」
全ての事故は人の目があるところで起きていて、目撃者はみんな口を揃えて『本人の不注意にしか見えなかった』と証言している。
「十件全ての事故に目撃者がいて、全部が本人の不注意?」
「いくら何でも出来すぎてる、と思いますよね?」
「でも、本人の不注意なんだろ。ソイツらがドジって事なんだゾ。はい、解決~」
グリムの態度の悪さに、学園長は首を傾げる。
「おやグリムくん。ずいぶん投げやりな態度ですね」
「だってオレ様には関係ねーんだゾ。どうせマジフト大会には出られねーし。どうなろうと知ったこっちゃねーんだゾ」
しっしっ、という感じの追い払う仕草をして、グリムは学園長に背を向けて丸くなる。尻尾が不機嫌そうにソファの肘掛けを叩いていた。
「そうですか……とっておきのご褒美も用意していたんですが……」
「へん!その手にはもう釣られねーんだゾ!ツナ缶百個積まれたって協力してやんねー!」
舌を出して学園長を睨み、またそっぽを向く。ふむ、と学園長は考え込むように口許に手を当てた。
「では、マジカルシフト大会の出場枠……というのはいかがです?」
ぴくりとグリムの耳が立った。
「事件解決の暁には、君たちの寮にマジカルシフト大会の出場枠を用意しましょう」
グリムが学園長を振り返る。
「大会に出られれば、その雄姿は世界中に放映される。更に、満席のコロシアムの喝采を浴びる事ができますよ」
学園長はそれっぽい声援を真似、グリムの目はまだありもしない栄光を捉えて輝きを増した。
「ですが、今回はご協力いただけないんでしたよね。残念ですが、この話は無かった事に」
「ちょっと待ったぁ!やる!やるんだゾ!」
「おやぁ、やるんですか?」
「大会に出してくれるんなら話は別だ!なっ、ユウ?」
「いや……マジフトって選手が七人必要で、寮に人がいないから出場登録できないって言われたんだから、枠だけもらっても無理じゃない?」
「そこはホラ。学園長がマジカルなミラクルでなんとかあと五人の選手を補填してあげます」
いやこれ絶対具体的な事は何も考えてないだろ。
解決したところで、なんだかんだと言い訳して何もしてくれない気がする。
しかしそんな機微などグリムには解らないし、どうでもいい。
「そんな細かい事は後でいいから、早速聞き込みに出かけるんだゾ!」
「二人とも、頼みましたよ~」
グリムに引っ張られて外に向かう僕の背後で、学園長は暢気に見送っていた。