2:果てを望む砂塵の王



 学校で一番偉い人がいる部屋なんて、学校生活でそう何度も来たい場所じゃない。
 放課後にわざわざ呼び出された事に内心ではうんざりしつつ、僕たちは約束通りに学園長室を訪ねた。
 学園長はいつもより穏やかに落ち着いた様子で出迎えた。特に怒ったりはしていない。
「先日のハーツラビュル寮の一件が一段落ついたので、君たちにもきちんと話をしておこうと思いまして」
 生徒たちにとってはとっくに終わった話だが、大人の間ではそうはいかなかったらしい。学園長のこの言葉は、そういう意味だろう。
 あの『オーバーブロット』という事象はそれほどの異常事態だったようだ。
「魔法士になるからには、ローズハートくんが陥った暴走状態について、詳しく知っておく必要があります」
「オレも兄貴から話を聞いた事くらいはあったけど……ブロットが溜まりすぎると、まさかあんな風になるなんてなぁ」
「なあなあ、ブロットってなんなんだ?」
「ブロットというのは、魔法の使用に伴う廃棄物のようなものです」
 学園長は、例として自動車を挙げる。
 自動車は燃料を消費して走り、同時に排気ガスを吐き出す。
 魔法は同じように、魔力を消費して発現し、同時にブロットが吐き出される。
 その例えが示すように、決して人体に有益なものではない。
「有史以来、現在に至るまでブロットについては様々な研究が進められていますが、その存在はいまだ謎が多い」
 ハッキリしているのは、非常に毒素が強く、溜めすぎると魔法士の心身を害するという事だけ、と学園長は強調した。
「大きな力にはリスクが伴う。どんなに優れた魔法士も、無尽蔵に魔法を使えるわけではないんです」
 学園長も過去に言っていたように『魔法は万能ではない』という事のようだ。
「魔法をたくさん使用すると、魔法石に黒いシミのようなものが現れる。それが魔法石により可視化されたブロットです」
「可視化、ですか」
「ええ。魔法石は魔法の発現を助けてくれるだけでなく、ブロットが直接術者の身体に蓄積されないよう、ある程度の肩代わりもしてくれる素敵なアイテムなのです」
 魔法士養成学校の生徒が使うのも当たり前の道具、という事になるだろうか。
「ブロットが蓄積するものなのは分かりましたけど、消す方法はないんですか?」
「もちろん、ありますよ。充分な休息を取れば、時間経過と共にブロットは消えていきます。よく食べよく眠る事で、大抵のブロットは解消されますよ」
 ローズハート先輩の状況を思い返す。
 寮のルールを違反した者にユニーク魔法を乱発、学年トップの成績、寮長としての仕事もあっただろう。休みたくとも休めそうにない。
「じゃあ、オレ様はいつもよく食べてよく寝てるから、大魔法士になってドデカイ魔法をバンバン使えるようになっても安心なんだゾ!」
 グリムはのんきに言っているが、学園長はちょっと呆れ顔だ。
「魔力量は人によって千差万別ですが、ごく一部の例外を除き、ブロットの許容量にそれほど大きな差はありません」
 強力な魔法を連発できるような優秀な魔法士ほど、ブロットの管理には気を使う必要がある、という事らしい。
「まあその点、君たち程度の魔力量ならそれほど気を遣わずとも大丈夫だと思いますが。良かったですね!」
「素直に喜びづらいんすけど」
 エースの冷ややかな視線を受けても学園長はどこ吹く風でニコニコしている。
「魔法の使いすぎで魔法石が真っ黒になると、みんなこないだのリドルみたいになっちまうのか?でっけー魔神みたいのも出てて怖かったんだゾ」
 グリムが身震いしながら尋ねる。
 思い返すのは、先輩の後ろにいた化け物。インク瓶の頭部を持った怪物。
 ドワーフ鉱山でも似たようなものを見たけど、あっちには繋がった人間の姿は無かった。
 その意味を思うと、薄ら寒いものを感じずにはいられない。
「ブロットの蓄積量は、魔法士自身の精神状態に大きく影響を受けます」
 怒り、悲しみ、恐怖、混乱など、負のエネルギーを抱えているほどブロットは溜まりやすくなり、オーバーブロットを引き起こしやすくなる、と学園長は説明する。
 ローズハート先輩の例で解りやすいのは怒り、だろうか。
 仮に寮生を痛めつける事に多少の楽しみを見いだしていたとしても、彼の心はまだその快楽に染まりきってはいなかった、と思う。
 だからこそ悩み、苦しみ、忙しさも相まってブロットの氾濫を招いたのだろう。
「暴走状態のローズハートくんの背後に現れた巨大な影……あれは負のエネルギーとブロットが融合して現れる化身だと言われていますが、実際のところ、詳しい事は解っていません」
 事例がそう多くないため、未知数であると学園長は続ける。
「事例が多くてたまるかっつーの。あんなの二度とゴメンだわ」
 エースが吐き捨てるように呟く。僕も思わず頷いた。
「ローズハートくんは幸いにもその場で正気に戻す事が出来ましたが、もしあのままだったら……」
「あのままだったら?」
「あぁぁぁーっっ!考えたくない!恐ろしい!」
 少しドキリとして先を促したのだけど、突然の大声で誤魔化された気がする。……いや、かなり悪い事になっていたんだろうとは理解したけど。結局なんなんだ。
「長々と話しましたが、魔法の使用には常に危険が伴う、という事です」
 みなさん、ゆめゆめお忘れなきように。
 学園長はそう話を締めくくった。素直に返事をすると、仮面の向こうの表情が笑顔に変わる。
「というわけで、優しい学園長の特別授業はここまで!さ、もう戻っていいですよ」
「……あの、学園長」
「はい?」
「僕が元の世界に帰るための方法は、見つかりましたか?ここに来て一ヶ月ほど経ちましたけど」
 学園長はきょとんとした顔で僕を見て、ああ~、と声をやたら長く伸ばす。
「もちろん探していますとも。忘れてなんかいませんよ。いやですねぇ、最近ちょっと忙しくて」
「……目が泳いでるんだゾ」
「嘘じゃありませんよ?いま私は今月に行われる寮対抗マジカルシフト大会の準備で大忙しなんです。この後も会議がありますし」
「マジカルシフト大会?」
 グリムと一緒に首を傾げる。
「えっ、ユウってマジフト知らねえの?」
「世界的に有名なスポーツだぞ。プロリーグもあるし、世界大会もある」
「全然知らない」
 エースとデュースが顔を見合わせる。エースが咳払いして説明を始めた。
 マジカルシフト、通称『マジフト』。
 七人ずつのチームに分かれて戦うスポーツ。一つのディスクを両チームが奪い合い、相手の陣地にあるゴールに入れて得点を競う。
 最大の特徴は『魔法を使う』事。
 ディスクを運ぶのがまず魔法を使えないとできなくて、守備や攻撃にも魔法を用いる。魔法の実用性だけでなく見た目も選手の評価に関わるらしい。
 名前はアメフトみたいな響きだけど、ルールは多分だいぶ違う。正直アメフトにも詳しくないけど、そもそもディスクじゃなくてボールだし。魔法使わないし。
「だからこそ!このナイトレイブンカレッジは、マジカルシフト強豪校として世界に名を馳せているのです!」
 学園長が力説する。なるほど、そういえば『名門魔法士養成学校』だった。
 卒業生にも多くのプロ選手がいるらしい。寮対抗のマジカルシフト大会は学校行事でありながら、プロリーグの関係者や世界中の魔法関係者からも注目を浴びているというのだから相当だ。
「当日はたくさん出店も並びますし、世界各国から来賓もたくさんいらっしゃいます。手に汗握るトーナメント戦は、中継のテレビカメラを通して世界中が熱狂する、一大行事なんです」
「世界中に放映される!?」
 グリムがぱあっと表情を明るくする。
「じゃあじゃあ、オレ様がその大会で活躍すれば、世界中がオレ様に大注目するんだゾ!?」
「もちろん!大会で活躍した選手は、世界中のプロチームや一流企業から引く手数多の人気者になる事間違いなしです!」
 グリムは更に目をキラキラと輝かせた。
「よっしゃ~!早速今日から特訓して、絶対に活躍して目立ってやるんだゾ!」
「あ、でもグリムくんは出られませんよ」
 大はしゃぎだったグリムが固まる。
「さっきから何度も『寮対抗』って言ってるじゃないですか。君たちの寮は寮生が七人に満たないから、出場登録が出来ません」
「えええええ~っ!?そんなぁ~!!」
 わざとかと思うほど、期待させて落としたなぁ。
 グリムはすっかりしょげてしまっている。
「当日は観客席でドリンクを売る仕事や、グラウンド整備の仕事など、やる事はいくらでもありますよ。フィールドに立つ選手だけが主役ではありませんから」
「やだやだ~!テレビに映って『きゃ~!グリムくんかっこいー!』『おい、今のスーパープレイ見たか!?』って言われながらチヤホヤされたいんだゾ~!」
「いやに具体的な妄想だな……」
「さっきまで名前すら知らなかったくせに……」
「うーん、人数が足りないのは仕方ない。来年オンボロ寮に新入生が入る事に望みをかけて、今年の出場は諦めるしかないだろうな」
 デュースは忘れているようだが、僕とグリムの入学は学園長による温情であり、特別かつ異常な例だ。僕の事でさえ学園長が『前代未聞』を連発していたのに、そんな事態が通例になるとは考えにくい。
 というか、僕は元の世界に帰るんだから、あと六人必要なワケだ。
 そんな特例が六人。
 奇跡でも起きないと無理がある。
 生徒が大勢負傷してどうしても空き枠が生じてしまったから、とかの方がよっぽど望みがありそうだ。
「そんなわけで私はこれで!」
 ああ忙しい、などと呟きながら、学園長は僕たちを追い立てる。
「さんざん期待させといてひでぇんだゾ~……ふなぁ……」
 グリムはしばらく恨めしげに、学園長室の扉を引っかいていた。


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