−1:その前の話



 始業式は問題なく終わった。どこの学校も多分そう。形式的なものだし、何か起こる事の方が珍しいだろう。
 問題はその後のホームルームで起きていた。
「……進路、かぁ」
 二年通った帰り道をいつも通りに歩きながら、独り言を漏らす。
 きっと二年の終わり際にはちゃんと考えている生徒の方が多かった事だろう。だがその時期は姉が侵略者の手に落ちている事が発覚したり、攻撃が苛烈さを増したり、色々いっぱいいっぱいだったのだ。僕だって好きで考えてなかったワケじゃない。
 ……と、言いたい所だが、仮に状況が違ったとして考えていたとは思えない。
 将来やりたい事、なんて何も思い浮かばないのだ。中学も高校も家から一番近い所を選んだし、このままだと大学も同じ理由で選ぶ事になるだろう。学部も一番単位が取りやすそうな所、とかにしそう。
 小さい頃の夢から探すのも良いと担任の先生は言っていたが、それに向き合う勇気は無かった。
 だってそれは、くしゃくしゃに丸めて捨てようとして、でも投げたらゴミ箱を外してしまって、改めて捨てに行くのも面倒でそのまま放っておいているようなものだから。
 たかだか七年前の話。でもまだ七年前の話。
 同じ傷を負った姉はとっくに吹っ切れて夢を見据えて歩き出しているのに、自分だけ膝を抱えて丸まったままだ。
 そんな自分の情けなさを思うと、深々とため息が出てしまう。ついでにお腹も鳴った。
 こんなに悩むのはきっとお腹が空いているせいだ、と気持ちを切り替える。早く帰って昼ご飯にするべきだ。
 顔を上げると、いつもの道に見慣れないものを見つける。そこそこ交通量の多い道路なのに、車道の真ん中に黒っぽい何かが蠢いている。
 近づいて見ると、それは一羽のカラスだと分かった。怪我をしているのか、バタバタともがいている。
 ちょうど周囲に人も車も見当たらない。でもこれから午後になれば、車道の交通量は確実に増えるだろう。気づかれず車に轢かれるかもしれない。
 でもカラスって拾ったり手当すると面倒な事があるんじゃなかったっけ。それに野生生物だからばい菌とか病気とかあるだろうし。
 放って置いても対処は間違いではない、とは思う。
 でもなんとなく、そういう気分にはなれなかった。
 車が来ない事を確認し、急いで駆け寄る。警戒する鳴き声は抱き上げると止み、歩道に戻った時には動きも大人しくなっていた。街路樹の脇にそっと下ろすと、礼か文句か一声鳴いてみせた。
 ここまで連れてきて、対処に悩む。こういうのって区役所でいいんだっけ。スマホを取り出して検索する。
 遠くから重い何かが近づいてくる音がした。車の走る音だと思った。ああ、間に合って良かった、とうっすら考えて、でも違和感を覚える。音がまっすぐこちらを向いている気がしたのだ。
 有り得ない。自分は歩道にいる。車が間違えて進むような道幅じゃない。
 思わず音がしている方を見た。迫ってきていたのは、黒馬だった。
「……は?」
 黒い馬は二頭いて、荷物を引いていた。見上げるほど大きな黒い馬車。立派な装飾がついているが、馬車など現代日本に日常的に走っているものではない。
 いや問題はそこではない。
 馬車はまっすぐに自分に向かってきているのだ。歩道など知った事ではないと言うように、道も街路樹もガードレールも無視して、否、すり抜けているように見えた。
 猛スピードで向かってくるそれを避けるには、困惑が長すぎた。あっという間に視界は黒い馬の顔に、その肌に塗りつぶされ、そこで意識は途絶えた。


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