7−5:虹色の旅路 後編

 ………

 久しぶりの雨の匂い。うっとおしく肌を打ちながらも、身体を心地よく冷やす水の気配。
 満点の寝心地とは言えないが、不思議と瞼を開ける気にはならなかった。
「おはようございます。レオナ陛下」
 老いた侍従長の声がすぐ近くで聞こえる。ここで目を覚まさなければ、きっとやかましく声を荒らげるのだろう。
 諦めて目を開き身を起こせば、やはりよく見知った侍従長の顔があった。素直に起きた事に満足そうな顔をしつつ、誉めたりはしない。
「ここにいらっしゃったのですね」
 白々しい笑顔で言ってから、咳払いして表情を厳しく変える。
「早速ですが、朝のご報告を」
「……言っただろ。報告書は時間がある時に紙で読む。読み上げるのは時間の無駄だ」
「ですが、王に日報を届けるのは侍従長の伝統でして……」
「それ以上続けるなら、香草を添えて食ってやるぞ」
 キファジは肩を竦める。別に悪いとも思っていないだろう。このジジイにはいつまでも勝てそうにない。
「……良い眺めですな、陛下」
 今のやりとりなんて無かったような顔で呟く。
 視界の先には、久しぶりの雨を受け止める広大な原野が広がっていた。緑豊かとは言えないが、ただあるがまま、可能性を肯定も否定もしない平等な世界。
「太陽の届くところ全てが、王である貴方の国だ」
 思わず笑みがこぼれる。
「穏やかなお前は気持ち悪いな。いつもは公務をサボると『棒で叩いて敷物にしますよ!』と喚くくせに」
 そんな事を言っても悪びれもしない。年の功とはよく言ったものだ。
「お前は昔からそうだ。どんな王子でも、立派な王の器に仕立て上げる」
 資質の有無など関係ない。王族としてあるべき姿を、相応しい振る舞いを、徹底的に叩き込む。
「例えそいつが、王位継承権を持たない王子でも」
 キファジは微笑んだ。それが当然という顔で、どこか誇らしげに。
「私が教育してきた王子の中でも、貴方はとびきり聞かん坊で、気位が高く、気難しく……そして聡明であられた」
 そしてその表情が真剣なものへと変わる。
「……ついにお気づきになられたのですな、レオナ殿下。ここが夢の中である事を」
「……ああ」
「流石でございます、王よ」
 先ほどまでと打って変わって、かしこまった態度を見せる。思わず鼻で笑った。
「王だと?お前の王は俺じゃないだろう」
「夢の中での私を王の侍従長に設定したのは、貴方様ご自身でしょう」
「ふん。もし俺が現実で王になったら、お前は即刻クビだ。横でピーチクパーチク小言を言われちゃかなわねぇ」
「おっと、これは困った。クビにされる前に最後の仕事をしませんと」
 キファジは後ろを振り返り、王宮へと繋がる扉に向かって手招きした。
 扉からは、所在なさそうな顔をしたユウが出てくる。おろおろしつつも、招かれるままにこちらに小走りに駆け寄ってきた。
「あ、あの……」
「ありがとうございます。レオナ殿下のために心を砕いていただいて」
 キファジの目は優しくユウを見つめていた。自分の夢の中の存在がユウを否定するワケがないが、ひとまず静観する。
「こちらこそ、ご協力に感謝します」
「どうかこれからも、レオナ殿下の事をお願いします。いま申した通り面倒な御仁ではありますが、道を誤った時は遠慮なく叩き直していただいて構いませんので」
「随分な言い草じゃねえか」
「ああ、そうそう。それからこれを貴方に」
 人の言葉をわざとらしく無視しつつ、キファジは懐に手を入れた。取り出した小さな石をユウに向かって差し出す。
 乳白色の内側に、赤黒い花のようなものが浮かんでいる石だ。宝石にしては輝いていないが、ただの石ころと呼ぶには華美に見える。特徴はあるが、特別なものとは思えない。
 しかしユウはそれを見て、ただでさえ大きい目を更に見開いていた。
「あああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!!!!!」
 悲鳴のような声に思わず仰け反った。耳が遠いのか予想していたのか、ジジイはその反応を見て上機嫌に笑っている。
「あ、え、な、なんでキファジさんが!?」
「いえね、レオナ殿下の周りをずーっとうろちょろしている蠅がおりまして。うっとおしいので、えいや!と叩いたら、このような姿に」
 口を開けたまま固まっているアホヅラも可愛い。
 ユウは数秒で我に返ると、慌ててスマホを取り出して何かの道具を呼び出した。キファジから受け取った石を、そのコンパクト状の道具に押し込む。表面に浮かんでいた画面の円グラフの割合が変わった。
 ……そういえば何かを探しているような様子だったな。なるほど、あの石が捜し物という事か。
「ありがとうございます、キファジさん!」
「礼には及びません。……あなたがかつて、レオナ殿下に真摯に向き合ってくださったからこそ、出来た事ですから」
 キファジの目は慈しむようにユウを見つめている。
「あなたがいてくれてよかった」
 穏やかな言葉にユウは面食らった様子で、ただ一度深々と頭を下げた。
 顔を上げたユウの頭を撫でて、少しだけキファジから遠ざける。
「……俺はもう行くぜ」
 特に感情を込めたつもりはない。その必要もない。
 キファジはただ呵々と笑った。記憶にある、時折見せる満面の笑み。よほど機嫌が良くて、そして自分も巧くやれた時にだけ見る事の出来る顔だった。少しだけ懐かしく感じる。
「それでよろしい!早くおゆきなさい。本当の貴方の居るべき場所へ!」
 自分が歩むべき道を見つけた時、きっと本物のキファジも同じように笑って自分を送り出すだろう。
 今は偽者で充分だ。
「……あばよ、クソジジイ」
 時はきたり。
 静かに呟く老いた鳥の声を確かに聞いた。
 その厳かな声に応えるように、呪文を詠唱する。
「俺こそが飢え。俺こそが乾き。お前から明日を奪うもの」
 この場ばかりは、正しく詠唱する事が求められる礼儀だろう。この別れを噛みしめる意味など無かったとしても。
「……平伏しろ!『王者の咆哮』!」
 魔法が発動し、キファジの姿が砂と変わり消えていく。最後の最後まで、侍従長は朗らかに笑っていた。
 偽りの玉座にしがみつく理由も、もう無い。王としての装束を、自分の今の立場に相応しいものへと変える。
 ナイトレイブンカレッジの、サバナクロー寮の寮長。
 まだ王ではない。ただの学生。
 だとしても、野心も矜持も持ち合わせている。
「他の誰かに自分が何者かを決められるなんて、冗談じゃない」
 空を見上げれば、雨の降る雲間に陽光が差していた。静寂の中で、広大な原野に向けて胸を張る。 
「自分の居場所も、どう生きるかも……俺が決める!!」

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