7−5:虹色の旅路 後編
………
「…………臭ぇんだよダボが!!!!!!!!!!」
上にのし掛かっていた偽者が服に手をかけようと身を離した瞬間に、全力で相手の腹を蹴り飛ばした。完全に油断していたのか、面白いくらい吹っ飛んでいく。
素早く起きあがり、唇を袖口で拭った。ついでに唾も吐き捨てる。ホントきっしょい。勘弁してほしい。
後ろを振り返ると、檻の中のキングスカラー先輩が目を丸くして固まっていた。完全に呆気にとられてる様子だけど、怪我は無さそう。
「先輩、大丈夫ですか!?」
駆け寄ると視線は動いたけど、反応は薄い。鉄格子を何とかしようと触れたら、簡単に崩れてしまった。不意打ち食らって維持出来なくなったのかな。首にかかっていた首輪も、触っただけで簡単に粉々になった。
「……キングスカラー先輩。お怪我は……先輩?」
「…………お前、いつもあんな事思ってたのか?」
「は?」
「……臭い、って」
「え、そこに傷ついてたんですか!?」
完全に予想外の言葉だった。もしかしてまだ混乱してる?
「いや、だってあれ偽者ですし。本物の先輩はいつもいい匂いしてますよ」
「……プリンセスはお優しい事で」
「いやだからホントなんですって!ちょっと失礼しますよ」
まだぼんやりしている先輩に顔を寄せる。いつもの、甘くて少し突き放すような印象の匂いがした。
「……うん、こっちが本物の先輩だ」
やっぱり間違ってない。
安心させたくて微笑みかける。
先輩は少しだけ泣きそうに目を細めて、それから微笑んだ。腕を伸ばしてくるので、頭を抱えるようにして抱きしめる。先輩も僕にしっかりと抱きついてきた。
時折不安そうに震える耳の辺りを優しく撫でて、気持ちが落ち着くように努めた。甘えるように胸元に顔を押しつけてくる姿は、いつになく幼くて愛らしく思える。
そんなに長い時間では無かった。自然にキングスカラー先輩の手が緩んで、僕も手を離す。先輩は穏やかな表情で僕を見ていた。
「……なんだよ、俺の都合の良い勘違いじゃなかったんだな」
「はい?」
首を傾げたけど答えてはくれない。唐突に『闇』が吹っ飛んでいった方を厳しく睨んで立ち上がるので、慌てて僕も立った。
『痛いじゃないか、プリンセス。俺の愛撫じゃご不満か?』
暗闇の向こうから先輩と同じ声がする。オーバーブロットした時のキングスカラー先輩の姿だ。
「ええ、顔だけ似てても別物ですし。本物の先輩は強引に迫っても逃げ道は残してくれる紳士なんでね!!」
これ見よがしにぎゅっと先輩の腕に抱きついて言うと、偽者は不愉快そうに顔を歪めた。
一方、キングスカラー先輩からはわざとらしい溜め息が聞こえる。
「その逃げ道を遠慮なく使うんだからお姫様はホントつれねぇよな」
「逃げ道を使っても許してくれるから信頼できるんですよ」
「なら次は徹底的に逃げ道を塞いで食っちまうか」
「そんな事する気無いくせに」
腕を離せば、先輩は僕の頭を撫でる。そうして自然に向かい合い、額を合わせた。
「何をしても俺を信じてくれる。どんな時も俺の望むお前でいてくれる」
いつもの意地の悪い笑顔とは違う。とても幸せそうで、柔らかな笑顔。
「たったひとりの、俺の運命」
低く穏やかで、甘い声。脳が奥の奥まで痺れてしまいそうな誘惑の囁き。
柔らかく唇が触れ合う。
夢中になってしまうから、戻れなくなるかもしれないから、いけないと解っているのに止められない。罪悪感も胸の痛みも、甘く蕩けてしまいそうなほど心地いい。
唇が離れると、先輩の表情は憎たらしいくらいの自信に満ちていた。照れ隠しに頬を軽く叩いても、その手にすり寄ってくる始末。それを可愛く思ってしまうのもなんだか悔しい。
「ガラでもねえよな。こんな簡単に敗者に甘んじるなんて」
『は、強がった所で何が変わる?』
「変わらねえな。だが、変えていく事は出来るさ」
さっきまで虚ろな顔をしていた人と同じとは思えないくらい、自信に満ち溢れた顔をしていた。もっとも、これがこの人らしい顔だと思うけど。
「俺は諦めない。……こいつの気持ちが変わるまで、何度でも口説いてやるとも。まだ勝ち目が無いなんて嘆く局面じゃないようだからな」
危うく見誤る所だった、なんて意地悪く笑う。
『無駄な事を!』
「何とでも言え。俺は姫君に相応しい王子様でいたいんだ」
僕の肩を抱き寄せて、これ見よがしにすり寄ってくる。
「こんな所に籠もってたら、祝いの式もしてやれねぇ。悪いが終わりにさせてもらうぜ」
キングスカラー先輩が不敵に笑えば、『闇』も憎たらしい笑顔を浮かべた。
『言ってるだろう。お前は永遠にここにいるんだ。そんなに滅びを早めたいなら、相応しい相手を用意してやるよ』
不意に周囲の闇が蠢く。不定形の『闇』が湧きだしたかと思えば、その姿が半端に人の形に変わっていった。明確に顔かたちが判るワケじゃないけど、シルエットが何となく僕に似ている。
『レオナさん』
そしてどこか歪に濁った声でキングスカラー先輩を呼んだ。僕に似てる気はするけど、不気味さが勝る。
僕の形をした『闇』は次々に現れて僕たちの周囲をぐるりと取り囲み、キングスカラー先輩の名前を責めるように口々に呼んでいた。
「……いったい何回作り直したんですか?」
「…………覚えてない」
ちょっと申し訳なさそうな声なので、おそらくこのぐらい居てもおかしくないくらいやったんだろうな。
まぁ仕方ない。無意識だし。
スマホを取り出して見れば、充電は何とか半分以上になっていた。変身できる。
しかしそれを相手が許してくれるとは限らない。
こちらが構える前に、僕の形をした『闇』が雪崩れてくる。構えなおすより早く、キングスカラー先輩が僕を強く抱きしめた。
次の瞬間、周囲に吹き荒れた砂嵐が『闇』を弾き返す。一部は不定形の姿に戻り、背景の暗闇に溶けて消えた。
『無駄な足掻きを!』
忌々しげな声が聞こえたかと思うと、偽者の姿が溶けて形を変える。痩せて年老いたライオンになったと思えば、いつの間にかその首はインク瓶へと変わっていた。
オーバーブロットしたキングスカラー先輩に寄り添っていたファントムだ。
『素晴らしい王には優秀な妻が添うものだろう?皆に愛される姫君なら勝者の証に相応しい!』
「おいおい、俺の運命の相手をトロフィー扱いか?勘弁してくれよ」
キングスカラー先輩は余裕の表情だ。
「獅子さえ素手で殴り倒す勇者を置物にするなんざ無理なんだよ。身の程を弁えるんだな」
そんな軽口を叩いて、ふと僕に視線を向けて微笑む。
「……そうだな。勇者の隣に立つには力不足かもしれないが……こいつを相手するぐらいなら丁度いいだろう」
周囲の気配が嵐のように渦を巻いた。ブロットがキングスカラー先輩の周りに集まり、その姿を黒く彩っていく。
たてがみのような黒い襟。くすんだアクセサリーに、光沢のある黒い革。左目の傷さえ飾りにしたような黒一色の化粧。
痛ましささえ感じたあの時と違って、今はとても頼もしく思えた。鋭い爪も強い力の気配も、僕を傷つける事は無いと信じられる。
「……お前は本当に怖いもの知らずだな」
姿が変わる間、じっと見つめていた事を言っているらしい。
特に何も言わないで微笑むと、爪で傷つけないように手の甲で僕の頬を撫でた。
この優しい笑顔を見れば、僕は何も間違ってなかったと思える。
「自分の身は自分で守りますから、先輩はご自分の事に集中してくださいね?」
「頼もしいこった」
にっこり笑顔を返し、スマホを取り出す。アプリに触れてから、スマホを構えた。
「ドリームフォーム・シャイニングチェンジ!」
衣装が変わると、キングスカラー先輩はちょっと面食らった顔になっていた。目敏く衣装のロゴを見つけたみたいで、顔をしかめる。
「カイワレ大根が一枚噛んでるのかよ」
「詳しい事情説明は後ほどさせていただきますよ」
「ああ、そりゃあもう。過不足無くしっかりと頼むぜ」
並んで構える。隣の気配がとても頼もしい。
ほぼ同時に前に向かって走り出した。ファントムは唸り声を上げ、周囲の『闇』が前を塞ぐ。キングスカラー先輩の魔法が『闇』を次から次に砂に変えた。一気に加速してファントムに迫る。
ファントムは素早く前足を振り下ろしてこちらを潰そうとするが、何とか避けられた。後ろに回り込んで仕掛ける前に、向こうも素早く方向転換してくる。
しかしそうすればキングスカラー先輩を後ろに回す事になるのだから、当然不意打ちが飛んでくる。後ろ足を蹴られてバランスを崩し、前足が空を切った。
ファントムが咆哮すると、『闇』がキングスカラー先輩に殺到する。相変わらず僕っぽい濁った声で名前を呼び続けていた。
「…………お前たちには申し訳ない事をしたとは思ってる」
尚も『闇』は殺到している。キングスカラー先輩は押しつぶされそうなのに避けようともしてない。助けなきゃ、と思うけどファントムが合流を阻んでくる。
「だからこそ、責任を取ってやらないとな」
……どうやら発生していた『闇』を全て引きつけた頃合いを見計らっていたらしい。
山のようにのしかかっていた『闇』が一瞬で砂に変わる。黒い砂を風で払いながら現れた先輩には、疲れもダメージも無さそう。さすがは先輩。
ファントムは焦った様子で一度どちらからも距離を取る。僕たちは悠々と距離を詰める。
『どうせ姫君はお前のものにならない!愚かなお前のために断言してやるとも!』
「そういうのはもう飽きた。時間稼ぎならもう少し面白い事を考えろ」
『こんな愚かな王子に愛されて嬉しいはずが無い!そうだろう!?』
「え、いや、嬉しいというか、光栄ですよ。普通に」
ファントムとキングスカラー先輩が同時に固まった。何でだよ。
「少し状況が違ったら、キングスカラー先輩の手を取っていたかもしれないってのは、普通に思ってますよ」
目を丸くしているキングスカラー先輩に微笑みかける。
「好きだと思えない人に『貴方を愛してくれる人がきっといる』なんて言うワケないでしょ。好きじゃない人なんかどうなってもいいんだから」
「…………プリンセスは口が達者でらっしゃる」
「あ、建前だと思われてたんだ。……嫌われてるかもしれないと思ってたのに、よくもまぁあんなに熱烈に口説けましたね?」
「うるせえよ。……堪えられてたんだ、あの時は」
「ふふ、僕みたいな嘘つきを好きになったのが運の尽きでしたね」
「はっ、愛しの姫君に騙されるなら本望だろ。嘘ごと愛してやるのが度量ってもんだ」
「ホント、かっこいい王子様ですね。先輩は」
もうどこにも隙が無い。ファントムは追いつめられていく。咆哮は助けを求める叫びのようにも聞こえた。
巨大な四肢は一撃でも食らえばかなりのダメージを貰うだろう。反面、四つ足の獣の弱点として移動しながらの攻撃が制限される。のしかかりのような大がかりな攻撃に限られ、またこの化け物はインク瓶の頭に牙を持たない。そうなると獣と戦う上での脅威は減る。
飛びかかってきたのを前に転がって避ければ、すかさずこちらにのしかかろうとしてきた。僕が避けようとするより早く、何かに襟首を掴まれて強引に引っ張られる。僕のいた場所にファントムが身体を叩きつけると、待ってましたとばかりに二匹の黒い獣が襲いかかった。
丸い耳と鋭い牙。多分、ハイエナだ。後ろを振り返ると、同じく丸い耳の獣が僕の装備から口を離す。お礼の代わりに頭を撫でると、ちょっと誇らしげに鼻を鳴らした。
三匹の黒い獣たちは何度払われてもファントムに食らいつく。継ぎ接ぎの皮を食い破り、中身の黒い砂を引きずり出す。脚が減るごとに動きは鈍り、とうとう完全に地面に伏せた。
もはや四肢が形を残していない獣に、キングスカラー先輩が静かに歩み寄る。
『……なあ、ちょっと待ってくれ。話し合おう』
「今更か?俺からはもう話す事は無い。お前はずっとここで崩れた玉座にしがみついているがいいさ」
先輩の右手がインク瓶の頭に触れる。逃がさないとばかりに力が入ったのが見ていても解った。
『……待て、よせ!!やめろぉおおお……っ!』
「最期に、お似合いの言葉を贈ってやる」
獣を見据えるその視線は、鋭く酷薄だった。
「……王よ、永遠に幸あれ!」
キングスカラー先輩の周囲で、魔法を使った時の光が閃く。
『ああ、真実の友よ……!』
恨むような嘆くような声と共に、インク瓶が砂に変わっていく。中身の液体も破れた皮も、何もかもが黒い砂になって、暗闇に溶けて消えた。
「真実の友、か」
先輩は獣のいた場所を見つめて、小さく呟く。
「ああ……そうだな。これからもテメェは俺の中に居座って、『王になりたい』と喚き続けるんだろう。爪と牙を折られても、諦め悪く……一生な」
諦めたような言葉。だけど、それは悪いものには思えなかった。
現に、先輩の口元には笑みが浮かんでいる。
「いいだろう。受け入れてやるよ。……そしてお望み通り、いつか必ず手に入れてやる。俺だけの玉座と、俺のための国を!」
強い決意の言葉だ。静かなのに人の心を打つ熱を帯びている。
普段の先輩ならこんな事を真剣に人前では言わないんだろうな。それでも滲むものがあるから、彼を信じている人もいるんだけど。
「俺は諦めないぜ……いつか必ず……ハハハ……アーッハッハッハッハ!」
なんか凄い開放感みたい。今回も盛り上がってるなぁ。
三匹の黒いハイエナは、やる事が無くて座ってる僕の肩や膝に頭を乗せてくつろいでいる。なんかすっかり懐いてくれたらしく、撫でても嫌がらない。可愛いなぁ。
「…………おい、お前ら。何のんびりしてんだ。もう帰れ」
ハイエナたちはちょっと非難めいた声を上げつつも、闇に溶けて消えていった。暗闇の中にはもう、僕とキングスカラー先輩しかいない。
「……で、だ。現在の状況についてご説明いただけるか?プリンセス」
「そうしたいのは山々ですが、ひとまずここを出ましょう。お話するなら安全な所でね」
変身を解除して、魔石器を手元に呼び出す。キングスカラー先輩はじっと僕を見つめていた。
「儀礼剣……いや、魔法道具か?」
「違う人の夢の中で妖精さんから預かったものなんです。色々ありまして」
「妖精?……まぁ詳しい説明は後か」
僕が腕を差し出すまでもなく、キングスカラー先輩はしっかりと僕を抱きしめる。短剣を持つ僕の手を支えるように自分の手を添えた。
「……何だ」
「いえ……察しが早くて助かります……」
魔石器の切っ先が光を放つ。光は真っ直ぐに空へと伸びていき、遙か上の方で天井にぶつかったみたいに広がった。
そこで一気に上へと引っ張られる。光に呑まれる瞬間、意識が途絶えた。
「…………臭ぇんだよダボが!!!!!!!!!!」
上にのし掛かっていた偽者が服に手をかけようと身を離した瞬間に、全力で相手の腹を蹴り飛ばした。完全に油断していたのか、面白いくらい吹っ飛んでいく。
素早く起きあがり、唇を袖口で拭った。ついでに唾も吐き捨てる。ホントきっしょい。勘弁してほしい。
後ろを振り返ると、檻の中のキングスカラー先輩が目を丸くして固まっていた。完全に呆気にとられてる様子だけど、怪我は無さそう。
「先輩、大丈夫ですか!?」
駆け寄ると視線は動いたけど、反応は薄い。鉄格子を何とかしようと触れたら、簡単に崩れてしまった。不意打ち食らって維持出来なくなったのかな。首にかかっていた首輪も、触っただけで簡単に粉々になった。
「……キングスカラー先輩。お怪我は……先輩?」
「…………お前、いつもあんな事思ってたのか?」
「は?」
「……臭い、って」
「え、そこに傷ついてたんですか!?」
完全に予想外の言葉だった。もしかしてまだ混乱してる?
「いや、だってあれ偽者ですし。本物の先輩はいつもいい匂いしてますよ」
「……プリンセスはお優しい事で」
「いやだからホントなんですって!ちょっと失礼しますよ」
まだぼんやりしている先輩に顔を寄せる。いつもの、甘くて少し突き放すような印象の匂いがした。
「……うん、こっちが本物の先輩だ」
やっぱり間違ってない。
安心させたくて微笑みかける。
先輩は少しだけ泣きそうに目を細めて、それから微笑んだ。腕を伸ばしてくるので、頭を抱えるようにして抱きしめる。先輩も僕にしっかりと抱きついてきた。
時折不安そうに震える耳の辺りを優しく撫でて、気持ちが落ち着くように努めた。甘えるように胸元に顔を押しつけてくる姿は、いつになく幼くて愛らしく思える。
そんなに長い時間では無かった。自然にキングスカラー先輩の手が緩んで、僕も手を離す。先輩は穏やかな表情で僕を見ていた。
「……なんだよ、俺の都合の良い勘違いじゃなかったんだな」
「はい?」
首を傾げたけど答えてはくれない。唐突に『闇』が吹っ飛んでいった方を厳しく睨んで立ち上がるので、慌てて僕も立った。
『痛いじゃないか、プリンセス。俺の愛撫じゃご不満か?』
暗闇の向こうから先輩と同じ声がする。オーバーブロットした時のキングスカラー先輩の姿だ。
「ええ、顔だけ似てても別物ですし。本物の先輩は強引に迫っても逃げ道は残してくれる紳士なんでね!!」
これ見よがしにぎゅっと先輩の腕に抱きついて言うと、偽者は不愉快そうに顔を歪めた。
一方、キングスカラー先輩からはわざとらしい溜め息が聞こえる。
「その逃げ道を遠慮なく使うんだからお姫様はホントつれねぇよな」
「逃げ道を使っても許してくれるから信頼できるんですよ」
「なら次は徹底的に逃げ道を塞いで食っちまうか」
「そんな事する気無いくせに」
腕を離せば、先輩は僕の頭を撫でる。そうして自然に向かい合い、額を合わせた。
「何をしても俺を信じてくれる。どんな時も俺の望むお前でいてくれる」
いつもの意地の悪い笑顔とは違う。とても幸せそうで、柔らかな笑顔。
「たったひとりの、俺の運命」
低く穏やかで、甘い声。脳が奥の奥まで痺れてしまいそうな誘惑の囁き。
柔らかく唇が触れ合う。
夢中になってしまうから、戻れなくなるかもしれないから、いけないと解っているのに止められない。罪悪感も胸の痛みも、甘く蕩けてしまいそうなほど心地いい。
唇が離れると、先輩の表情は憎たらしいくらいの自信に満ちていた。照れ隠しに頬を軽く叩いても、その手にすり寄ってくる始末。それを可愛く思ってしまうのもなんだか悔しい。
「ガラでもねえよな。こんな簡単に敗者に甘んじるなんて」
『は、強がった所で何が変わる?』
「変わらねえな。だが、変えていく事は出来るさ」
さっきまで虚ろな顔をしていた人と同じとは思えないくらい、自信に満ち溢れた顔をしていた。もっとも、これがこの人らしい顔だと思うけど。
「俺は諦めない。……こいつの気持ちが変わるまで、何度でも口説いてやるとも。まだ勝ち目が無いなんて嘆く局面じゃないようだからな」
危うく見誤る所だった、なんて意地悪く笑う。
『無駄な事を!』
「何とでも言え。俺は姫君に相応しい王子様でいたいんだ」
僕の肩を抱き寄せて、これ見よがしにすり寄ってくる。
「こんな所に籠もってたら、祝いの式もしてやれねぇ。悪いが終わりにさせてもらうぜ」
キングスカラー先輩が不敵に笑えば、『闇』も憎たらしい笑顔を浮かべた。
『言ってるだろう。お前は永遠にここにいるんだ。そんなに滅びを早めたいなら、相応しい相手を用意してやるよ』
不意に周囲の闇が蠢く。不定形の『闇』が湧きだしたかと思えば、その姿が半端に人の形に変わっていった。明確に顔かたちが判るワケじゃないけど、シルエットが何となく僕に似ている。
『レオナさん』
そしてどこか歪に濁った声でキングスカラー先輩を呼んだ。僕に似てる気はするけど、不気味さが勝る。
僕の形をした『闇』は次々に現れて僕たちの周囲をぐるりと取り囲み、キングスカラー先輩の名前を責めるように口々に呼んでいた。
「……いったい何回作り直したんですか?」
「…………覚えてない」
ちょっと申し訳なさそうな声なので、おそらくこのぐらい居てもおかしくないくらいやったんだろうな。
まぁ仕方ない。無意識だし。
スマホを取り出して見れば、充電は何とか半分以上になっていた。変身できる。
しかしそれを相手が許してくれるとは限らない。
こちらが構える前に、僕の形をした『闇』が雪崩れてくる。構えなおすより早く、キングスカラー先輩が僕を強く抱きしめた。
次の瞬間、周囲に吹き荒れた砂嵐が『闇』を弾き返す。一部は不定形の姿に戻り、背景の暗闇に溶けて消えた。
『無駄な足掻きを!』
忌々しげな声が聞こえたかと思うと、偽者の姿が溶けて形を変える。痩せて年老いたライオンになったと思えば、いつの間にかその首はインク瓶へと変わっていた。
オーバーブロットしたキングスカラー先輩に寄り添っていたファントムだ。
『素晴らしい王には優秀な妻が添うものだろう?皆に愛される姫君なら勝者の証に相応しい!』
「おいおい、俺の運命の相手をトロフィー扱いか?勘弁してくれよ」
キングスカラー先輩は余裕の表情だ。
「獅子さえ素手で殴り倒す勇者を置物にするなんざ無理なんだよ。身の程を弁えるんだな」
そんな軽口を叩いて、ふと僕に視線を向けて微笑む。
「……そうだな。勇者の隣に立つには力不足かもしれないが……こいつを相手するぐらいなら丁度いいだろう」
周囲の気配が嵐のように渦を巻いた。ブロットがキングスカラー先輩の周りに集まり、その姿を黒く彩っていく。
たてがみのような黒い襟。くすんだアクセサリーに、光沢のある黒い革。左目の傷さえ飾りにしたような黒一色の化粧。
痛ましささえ感じたあの時と違って、今はとても頼もしく思えた。鋭い爪も強い力の気配も、僕を傷つける事は無いと信じられる。
「……お前は本当に怖いもの知らずだな」
姿が変わる間、じっと見つめていた事を言っているらしい。
特に何も言わないで微笑むと、爪で傷つけないように手の甲で僕の頬を撫でた。
この優しい笑顔を見れば、僕は何も間違ってなかったと思える。
「自分の身は自分で守りますから、先輩はご自分の事に集中してくださいね?」
「頼もしいこった」
にっこり笑顔を返し、スマホを取り出す。アプリに触れてから、スマホを構えた。
「ドリームフォーム・シャイニングチェンジ!」
衣装が変わると、キングスカラー先輩はちょっと面食らった顔になっていた。目敏く衣装のロゴを見つけたみたいで、顔をしかめる。
「カイワレ大根が一枚噛んでるのかよ」
「詳しい事情説明は後ほどさせていただきますよ」
「ああ、そりゃあもう。過不足無くしっかりと頼むぜ」
並んで構える。隣の気配がとても頼もしい。
ほぼ同時に前に向かって走り出した。ファントムは唸り声を上げ、周囲の『闇』が前を塞ぐ。キングスカラー先輩の魔法が『闇』を次から次に砂に変えた。一気に加速してファントムに迫る。
ファントムは素早く前足を振り下ろしてこちらを潰そうとするが、何とか避けられた。後ろに回り込んで仕掛ける前に、向こうも素早く方向転換してくる。
しかしそうすればキングスカラー先輩を後ろに回す事になるのだから、当然不意打ちが飛んでくる。後ろ足を蹴られてバランスを崩し、前足が空を切った。
ファントムが咆哮すると、『闇』がキングスカラー先輩に殺到する。相変わらず僕っぽい濁った声で名前を呼び続けていた。
「…………お前たちには申し訳ない事をしたとは思ってる」
尚も『闇』は殺到している。キングスカラー先輩は押しつぶされそうなのに避けようともしてない。助けなきゃ、と思うけどファントムが合流を阻んでくる。
「だからこそ、責任を取ってやらないとな」
……どうやら発生していた『闇』を全て引きつけた頃合いを見計らっていたらしい。
山のようにのしかかっていた『闇』が一瞬で砂に変わる。黒い砂を風で払いながら現れた先輩には、疲れもダメージも無さそう。さすがは先輩。
ファントムは焦った様子で一度どちらからも距離を取る。僕たちは悠々と距離を詰める。
『どうせ姫君はお前のものにならない!愚かなお前のために断言してやるとも!』
「そういうのはもう飽きた。時間稼ぎならもう少し面白い事を考えろ」
『こんな愚かな王子に愛されて嬉しいはずが無い!そうだろう!?』
「え、いや、嬉しいというか、光栄ですよ。普通に」
ファントムとキングスカラー先輩が同時に固まった。何でだよ。
「少し状況が違ったら、キングスカラー先輩の手を取っていたかもしれないってのは、普通に思ってますよ」
目を丸くしているキングスカラー先輩に微笑みかける。
「好きだと思えない人に『貴方を愛してくれる人がきっといる』なんて言うワケないでしょ。好きじゃない人なんかどうなってもいいんだから」
「…………プリンセスは口が達者でらっしゃる」
「あ、建前だと思われてたんだ。……嫌われてるかもしれないと思ってたのに、よくもまぁあんなに熱烈に口説けましたね?」
「うるせえよ。……堪えられてたんだ、あの時は」
「ふふ、僕みたいな嘘つきを好きになったのが運の尽きでしたね」
「はっ、愛しの姫君に騙されるなら本望だろ。嘘ごと愛してやるのが度量ってもんだ」
「ホント、かっこいい王子様ですね。先輩は」
もうどこにも隙が無い。ファントムは追いつめられていく。咆哮は助けを求める叫びのようにも聞こえた。
巨大な四肢は一撃でも食らえばかなりのダメージを貰うだろう。反面、四つ足の獣の弱点として移動しながらの攻撃が制限される。のしかかりのような大がかりな攻撃に限られ、またこの化け物はインク瓶の頭に牙を持たない。そうなると獣と戦う上での脅威は減る。
飛びかかってきたのを前に転がって避ければ、すかさずこちらにのしかかろうとしてきた。僕が避けようとするより早く、何かに襟首を掴まれて強引に引っ張られる。僕のいた場所にファントムが身体を叩きつけると、待ってましたとばかりに二匹の黒い獣が襲いかかった。
丸い耳と鋭い牙。多分、ハイエナだ。後ろを振り返ると、同じく丸い耳の獣が僕の装備から口を離す。お礼の代わりに頭を撫でると、ちょっと誇らしげに鼻を鳴らした。
三匹の黒い獣たちは何度払われてもファントムに食らいつく。継ぎ接ぎの皮を食い破り、中身の黒い砂を引きずり出す。脚が減るごとに動きは鈍り、とうとう完全に地面に伏せた。
もはや四肢が形を残していない獣に、キングスカラー先輩が静かに歩み寄る。
『……なあ、ちょっと待ってくれ。話し合おう』
「今更か?俺からはもう話す事は無い。お前はずっとここで崩れた玉座にしがみついているがいいさ」
先輩の右手がインク瓶の頭に触れる。逃がさないとばかりに力が入ったのが見ていても解った。
『……待て、よせ!!やめろぉおおお……っ!』
「最期に、お似合いの言葉を贈ってやる」
獣を見据えるその視線は、鋭く酷薄だった。
「……王よ、永遠に幸あれ!」
キングスカラー先輩の周囲で、魔法を使った時の光が閃く。
『ああ、真実の友よ……!』
恨むような嘆くような声と共に、インク瓶が砂に変わっていく。中身の液体も破れた皮も、何もかもが黒い砂になって、暗闇に溶けて消えた。
「真実の友、か」
先輩は獣のいた場所を見つめて、小さく呟く。
「ああ……そうだな。これからもテメェは俺の中に居座って、『王になりたい』と喚き続けるんだろう。爪と牙を折られても、諦め悪く……一生な」
諦めたような言葉。だけど、それは悪いものには思えなかった。
現に、先輩の口元には笑みが浮かんでいる。
「いいだろう。受け入れてやるよ。……そしてお望み通り、いつか必ず手に入れてやる。俺だけの玉座と、俺のための国を!」
強い決意の言葉だ。静かなのに人の心を打つ熱を帯びている。
普段の先輩ならこんな事を真剣に人前では言わないんだろうな。それでも滲むものがあるから、彼を信じている人もいるんだけど。
「俺は諦めないぜ……いつか必ず……ハハハ……アーッハッハッハッハ!」
なんか凄い開放感みたい。今回も盛り上がってるなぁ。
三匹の黒いハイエナは、やる事が無くて座ってる僕の肩や膝に頭を乗せてくつろいでいる。なんかすっかり懐いてくれたらしく、撫でても嫌がらない。可愛いなぁ。
「…………おい、お前ら。何のんびりしてんだ。もう帰れ」
ハイエナたちはちょっと非難めいた声を上げつつも、闇に溶けて消えていった。暗闇の中にはもう、僕とキングスカラー先輩しかいない。
「……で、だ。現在の状況についてご説明いただけるか?プリンセス」
「そうしたいのは山々ですが、ひとまずここを出ましょう。お話するなら安全な所でね」
変身を解除して、魔石器を手元に呼び出す。キングスカラー先輩はじっと僕を見つめていた。
「儀礼剣……いや、魔法道具か?」
「違う人の夢の中で妖精さんから預かったものなんです。色々ありまして」
「妖精?……まぁ詳しい説明は後か」
僕が腕を差し出すまでもなく、キングスカラー先輩はしっかりと僕を抱きしめる。短剣を持つ僕の手を支えるように自分の手を添えた。
「……何だ」
「いえ……察しが早くて助かります……」
魔石器の切っ先が光を放つ。光は真っ直ぐに空へと伸びていき、遙か上の方で天井にぶつかったみたいに広がった。
そこで一気に上へと引っ張られる。光に呑まれる瞬間、意識が途絶えた。