7−5:虹色の旅路 後編

 ………

 引きずり込まれ、暗闇の中を落ちていく。
 周囲に景色が見えないので、速度は感じられない。身体に強い圧力も感じない。だが何故か『落ちている』事だけは理解できていた。
 その落下が唐突に止まる。退屈で長い時間だった。相当落ちてきたのは間違いない。
「ラギー!ジャック!聞こえるか?」
 上に向かって声を張り上げたが、どこも同じ深さの暗闇で、声が響いた様子は無い。暗闇に全ての音を吸収されているように思えた。
 先ほどの光景を思い返す。世界に無秩序に走っていた亀裂の奥、暗闇の中に見えた更に深い色の影。
 あの混乱のどさくさに紛れて、『姫君』をさらった悪党の姿。
 ……あれは、紛れもなく。
『人生は……不公平だ』
 真正面から声が聞こえた。よく知っている男の声。
『どうして俺は王になれない?先に生まれた能天気な兄。そして後から生まれた愚かな甥。アイツらは昼寝をして歌を歌っていたって、いずれ王になれる』
 聞き覚えのある恨み言を語りながら、暗闇の中にその姿が浮かぶ。
 そこにいたのは自分だった。黒く薄汚れた獅子。絶望に呑まれて嘆きの獣と化した、かつての自分。
『なのに、俺は……アイツらがいる限り、絶対に王になれない!アイツらが憎い!谷底に突き落としてやりたいほどに……!』
 嘆きの咆哮が正面から打ち付けられる。痛いほどよく解るその感情を受け止め、しかし同情する気も起きない。
「あれは……俺か?なんて惨めな姿だ」
『惨め?ああそうだ。俺はひどく惨めな気分なんだよ』
 鏡を見ているようなのに、酷く不愉快だった。みすぼらしい目の前の獣が自分だなんて認めたくはない。
『俺より無能な奴が王になれるのに、俺は永遠に王になれない。俺はずっと二番手のまま。こんな不公平があるか?』
「……ああ、全くだ。本当にやってられないな」
『……お前ならそう言ってくれると思ってたぜ』
 言われた事はいちいち理解できてしまうのが虚しい。喜びを分かち合う相手もいない自分を見せられているようで、酷く惨めだった。
『無能な奴らは俺の事を全く理解しない……いや、理解できないんだ!俺が王になれば、ファレナの千倍にも値する名君になれるのに!』
「千倍だ?随分と大きく出たじゃねぇか」
 思わず笑ってしまった。
 嗚呼……本当に見たくない。愚かな自分の姿だ。
「口でならなんとでも言えるよな。……だが実際、お前が王になる確率はゼロに等しい」
『なんだと?』
「周りの人間を見下しているくせに、承認欲求だけは人一倍。そのくせ、他人に認められる努力をしようともしない」
 ほんの少し愛想良く振る舞うだけで、変えられた事がどれだけあったか。
 そのままの自分を愛されたいなんて考えで我が儘を言って、一体なんの意味があったのか。
「挙げ句『誰も俺を理解しない』とふてくされている」
 自分は誰を理解できたのか。理解しようとした事さえ、ろくに無かったくせに。
「本当に惨めだ。……うんざりするぜ」
 しかし目を背けてばかりもいられない。
 自分の置かれた状況を理解して、拗ねていても許される年齢はとうに過ぎている。まして自分は王族だ。自分の殻に籠もっていて許される立場では無いという現実を、受け入れなくてはいけない。
 そんな事も出来ないで、王になりたいなどと駄々を捏ねては、本当にみっともないばかりだ。
「だが……これが、俺か」
 呟けば、目の前の獣が上機嫌で笑い出す。
『そうだ、これが俺だ!誰よりも優秀だと嘯きながら、自分の実力で勝負しようともしない』
 歪んだ笑顔に不快感が湧く。今すぐ殴り倒して黙らせてやりたい。だがそれをすれば負けを認めているような気がして動けなかった。
『本気で勝負して負けでもしたら、今まで必死に守り続けてきたプライドはズタズタになっちまう。そんなのは、とても耐えられないもんなァ!』
 周りが劣っているから、優秀でいられる。そんな事は解っていた。目を背けてきただけで。
 劣っている者に負ける事など、あってはならない。なのに、その可能性は戦う限りゼロにはならない。
 だから戦わないという選択肢を取るのが賢く優秀な自分のやり方だと思って、逃げ続けてきた。
『そうだろ、真実の友よ……!』
 何も言い返さない自分に安堵したように、獣は穏やかに微笑む。
『ここから出ていく事は許さない。お前は俺と共に、ここでプライドを守っていくんだ!お互いが滅びるまで……永遠にな!』
「こんな何も無い所で、永遠に暮らせってのか?むごい事を言いやがる。俺はこんなところは出て行く」
『……ほう、良いのか?そんな事を言って』
 獣の傍らで闇が蠢いた。人の形に闇が薄れて、そこにいる者を露わにする。
「ユウ!!」
 咄嗟に駆け寄ろうとしたが、いつの間にか自分と獣の間に檻のような鉄格子が張り巡らされていた。ならばと砂にして通り抜けようとすれば、その瞬間に首に衝撃が走る。
「がっ!?」
 受け止めきれずに地面を転がった。その重さには覚えがある。
 リドル・ローズハートのユニーク魔法『首をはねろ』によって装着される魔法封じの首輪だ。効果も再現されているのか、魔力が無理矢理塞がれている感覚まであの時と同じだった。
 獣は余裕の表情を浮かべて、ユウを腕に抱く。気を失っているらしく動かないユウの頬を撫でた。
『ああ……やっと手に入れた。俺の愛しの姫君』
「ユウから離れろ。何をする気だ!」
『決まってるだろう。愛を交わすんだ。意気地なしのお前には出来ないようだからな』
「は……」
『なあ。ほんの少し魔法を使って縛ってやれば、唇どころか純潔も簡単に奪えただろ?眠っている間に触れるだけ、なんてセコいやり方で我慢しなくても』
 獣は嘲笑で自分を見下ろしていた。
『そうしたらコイツはとっくにお前のものだった。手籠にして逃げ道を塞いでやれば、二番手以下に甘んじる事など無かった』
「…………違う、俺は……」
『嘘をつけよ、本当は貪りたくてたまらなかっただろ?いい匂いがして柔らかくて、きっと極上の味がするって確信してた』
 感情がうまく言葉にならない。図星だなんて思いたくない。でも否定しきれない。
『心から愛されたいなんて悠長な事を考えている割に何もせずにいて、結果はどうなった?』
 彼の事情を知った時には既に、彼を守ろうとしている者がいた。その人物にはすぐに思い至ったが、どこかで高をくくっていた。
 二人はそんな仲になるはずは無い、と。
 だって彼は自分の運命の相手だから。
 ……そんな思惑は砕かれてしまった。『運命の相手』のくせに、簡単に彼の心を奪われてしまった。
『間抜けとしか言いようが無い。容赦しないとか言っておきながら、本気を出す前に負けちまってるんだから!』
 何も言い返せない。
 気づいた時には、心は完全に自分じゃない男のものになっていた。
 本人がどんなに否定していても見れば解る。解ってしまう。愛しているから。
 あの幸せそうな笑顔を曇らせる事なんて、自分には出来なかった。
『それで考えた言い訳が「俺の運命はお前だけど、お前の運命は俺じゃなかった」ってな。惨めで無様で最高だ』
 何も言い返せない。
 あの玉座にいる間、何度も彼を作ろうとした。傍に置いて、幻だけでも満たされようとした。
 でもどうしても出来なかった。現実での姿を思い返してしまい、耐えられなくなって、望んでいたはずのすり寄って甘えてくる彼を何度も砂にした。何度も何度も何度も。
 もう遠ざけるしかなかった。
 何でも叶うはずの夢の中でさえ、愛し合う事が叶わない。
 自分が信じていた運命なんてものは存在していなかったのだと、気づかされてしまった。
『運命の人は異世界にいた。だから自分は愛されなかった。この人を逃せばもう、誰にも愛される事なんて無いと信じていた』
 だがそんな事実は存在しない。
 異世界にすら、自分を愛してくれる人はいない。 
『だからもう、お前はいらないんだよな?』
「……あ……」
『なら、俺のものにしてもいいよなぁ?』
 自分に似た獣が醜悪な笑みを浮かべる。無抵抗の姫君を地面に引き倒し、その身体に覆い被さる。
「や、めろ。やめろ!そいつから離れろ!!」
 鉄格子を掴んでもびくともしない。手を伸ばしても届かない。
 獣は姫君と唇を重ね、その身体をまさぐる。
『ああ、ユウ。俺の愛しい番』
「ユウ!目を醒ませ!そいつをぶっ飛ばせ!」
 声の限り叫ぶ。暗闇の中で声は響かない。届いているかも解らない。
 そんな中で、ユウの瞼がうっすらと開く。しかしまだ意識が朦朧としているのか動きが鈍く、獣に唇を奪われてもされるがままだ。
『愛してる。……だから味わわせてくれよ。頭から爪先まで、全部な』
「やめろ、やめろぉぉぉぉ!!!!」
 もう見ていられない。なのに目を離せない浅ましい自分が憎い。
 やっと押し返そうと動いた手を掴んで床に押しつけて、深く唇を貪る。わざとらしく水音を立てて唇を離し、食らいつくように首筋に顔を埋めた。
 艶めかしく吐息が漏れる。弱々しい抵抗は縋りついているようにも見えてしまい、大柄な男の下から逃げようと動く足が余計扇情的だと思った。
 見ている事しか出来ない自分が惨めで仕方ない。心が絶望に塗りつぶされていく。目の前が真っ暗になるような心地だった。

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