7−5:虹色の旅路 後編
オルトに揺さぶられて目を覚まし、身を起こせば日差しの雰囲気が変わっていた。なんか結構しっかり眠っていたみたい。
『一時間以内に放課後になりそう。ご飯と水分補給は手早く済ませる事を推奨するよ』
授業中も昼休みも屋台は営業していたみたいで、現在も変わらない。むしろ放課後に立ち寄る生徒たちに備えて、不足が無いよう準備をしているように見えた。
まだ食べてなかったカボチャとサツマイモのドーナツとハイビスカスジュースを貰い、最後の腹ごしらえ。
いやめっちゃ助かったなぁ。夢の中だからカロリーは無いし売り切れも無い。でもおいしいから心は満たされる。
他のメンバーも程度に差はあれど、結構休めたみたい。
そうこうしている間にチャイムが鳴る。
ベンチの方へ移動しつつ校舎を見ていると、淡い色の制服を着た生徒たちが外に出てきた。段々と人数が増えていく様子から、放課後になったのだと理解できる。生徒の中には屋台に立ち寄り、帰り道のおやつを確保しているものもいた。
天国だけど、気を抜いたらあっという間に太りそう。
似たような外見の生徒が多くて見失いそうだなぁと思いながら、校舎から出てくる生徒たちに目を凝らした。
『そろそろラギーさんが出てくるよ』
……そっか、『S.T.Y.X.』の方でマーキングしてるんだから見ておく必要も無いのか。
ブッチ先輩は同級生らしき少年たちと談笑しながら歩いていた。屋台には見向きもせず、笑いながらゆっくり歩いている。
自分にも馴染みのある、普通の下校風景。放課後の時間の使い道を話しながら、学校の外へ向かっていく。
「おい!どうするんだよ、アズール先輩。ラギー先輩たち、行っちまうぞ」
焦った様子でジャックがアーシェングロット先輩に声をかける。しかしアーシェングロット先輩は動かない。否、懐に手を入れて何かを取り出した。
「それは……一マドル硬貨?」
いかにも意味ありげに手にしたそれを前に差し出し、指から落とした。石畳の道に落ちて、小さく音を立てる。
その瞬間、池の向こう側を通り過ぎようとしていたブッチ先輩が素早くこちらを振り向いた。あまりの反応速度に僕たちも思わず身を竦める。
「うわっ!?急にどうしたんだよ、ラギー?」
「なんか……今、呼ばれた気がして」
「呼ばれたって、誰に?特に何も聞こえなかったけど」
「空耳……ッスかね?」
ブッチ先輩は首を傾げながら、また歩き出そうとする。
「う、嘘だろ。この雑踏の中で、一マドル硬貨が落ちる音が聞こえてる?」
「さあ、どんどんいきますよ。次は五マドル硬貨です!」
言うが早いか、アーシェングロット先輩は五マドル硬貨を地面に落とした。さっきよりも大きな音がして、またブッチ先輩は足を止めてこちらを振り返る。
「今の音……どっからッスか!?ベンチの下?今度は絶対に空耳じゃない!」
「えっ!何が!?」
「どうしちまったんだよ、ラギー?」
困惑している友人たちに対し、ブッチ先輩の表情は真剣だ。
「ごめん、二人とも、今日は先に帰っててくんないッスか。オレ……この音がなんなのか確かめるまで帰れないッス!」
「ラ、ラギー!?」
そう叫ぶが早いか、ブッチ先輩は人目も気にせず植え込みやベンチの下を探し始めた。明らかに異常な行動だけど、下校していく生徒たちが諫める事はなく、不思議そうな顔で通り過ぎていく。
「あの音、一体なんの、なんの音ッスか?鈴みたいな……でも、もっとワクワクする綺麗な音!」
呟きにしては大きな声。どこか弾んだ声音が、心の奥の高揚を感じさせる。
めっちゃ効いてる……のか?
「ふふふ……やはり。予想通りだ。そろそろ本気を出しますよ」
アーシェングロット先輩は百マドル硬貨を取り出す。
「彼の深層心理に、高らかに響かせてみせましょう!この音を!」
落ちた百マドル硬貨は先の二枚よりハッキリとした音を立てて、石畳を転がっていく。
もちろんブッチ先輩は大きく反応した。立ち上がり周囲を見回して、大きな目を爛々と輝かせている。
「今の音……さ、さっきより少し……いや、少しどころじゃない。二十倍はドキドキする」
高揚を押さえるように胸元を掴みながら、視線は石畳の上を注意深く探っている。
「この美しい音色は一体?君の姿を……オレに見せてくれ!君のことは、オレが絶対に見つけたい!!」
恋に燃える少年のように、熱烈な語り口。しかしその相手は百マドル硬貨である。
その様子にアーシェングロット先輩以外は呆然とするばかりだ。ジャックの話を聞くに『守銭奴』という表現がぴったり合う人ではあるけど、硬貨が落ちる音ひとつでここまでテンションが上がるとは思わなかった。
「ラ、ラギー先輩まさか……音だけで硬貨の種類を判別しているのか!?」
「ええ。僕も彼のあの能力に気づいた時には、背筋に震えが走りましたよ」
アーシェングロット先輩は眼鏡に触れながら冷静に話す。
ブッチ先輩はモストロ・ラウンジにバイトに入る事も多い。その中でアーシェングロット先輩は彼の能力に気づいたという。
具体的にはレジ締め中に寮生が落とした小銭を詳細に言い当てて、更に落とした時の音と硬貨の性質から転がった場所まで推測し、数分で回収してみせた。
獣人属は祖先の動物の身体能力を継いでおり、聴覚や嗅覚が人間より秀でている事も多い。その前提を鑑みても、硬貨の種類まで聞き分けるのは特殊すぎる気がする。
「すげぇぜ、ラギー先輩……!一体どれだけ耳を鍛えりゃ、そんなふうになれるんだ?」
「た、たしかに驚異的な聴力だ。だが、使い所が限定的すぎではないか!?」
『RPGの斥候ジョブなら頼りになりすぎるスキルだけど、日常生活で必要かって言われると……』
ジャックが純粋に尊敬を口にする一方で、セベクとシュラウド先輩はいくらか冷静だ。間違いなく凄いんだけど、誇って良いのかは若干迷うよね。
僕たちまで困惑している中でも、ブッチ先輩はまだ地面を這いつくばって硬貨を探していた。もう周りの事なんて全く気にしてない。すんごい集中力。
「一体どこにいるんスか?オレをこんなに惹きつけてやまない君は……あっ!!」
そしてぱあっとその顔が明るくなった。素早くゴミ箱の前に駆け寄ると、完全に止まっていた百マドル硬貨をつまみ上げてガッツポーズをする。
「やったぁーーー!百マドル硬貨ゲットッス!もうけ~っ!!」
満面の笑みで高々と硬貨を掲げ、しかしふと我に返る。
「……って、あれ?な、なんでオレ……たかが小銭を拾ったくらいでこんな大喜びを……?」
疑問を口にした瞬間、その表情が苦悶に歪んだ。世界の輪郭が曖昧になって、足下があやふやになっていく。
「あ、頭が……ッ!どう、して?オレ、小銭なんか全然欲しくないはずなのに……!」
「……あなたならソレに飛びつくと信じていました」
苦しむブッチ先輩に、アーシェングロット先輩が歩み寄る。僕たちもその後ろに続いた。
「これが見えますか?ラギーさん」
ブッチ先輩は苦しみながらもアーシェングロット先輩の手元に視線を向けた。そしてこぼれ落ちそうなほど目を見開く。
「そ、それは……五百マドル硬貨!?」
「……どうしたんです?何やら顔色が悪いですねぇ。冷や汗までかいて」
「ソ、ソイツをどうするつもりッスか?」
「この地を再び訪れる事を願って、そこの池に投げ込んで帰ろうかと思いまして」
「な!ご、五百マドル……そんな大金を!?正気ッスか!?」
アーシェングロット先輩はあくまで穏やかに語っているが、ブッチ先輩はこの世の終わりみたいな声を出した。そうして、自分の発言に驚き戸惑う。
「いや、違う!五百マドルは大金なんかじゃ……小銭のはず……っ!」
「手持ちのコインがこれしかなくて。でも……たかが小銭でしょう?」
アーシェングロット先輩はブッチ先輩の言葉を肯定する。それなのに、ブッチ先輩の表情は絶望を前にしているような苦しみを映している。
「では、いきますよ!」
「や、やめ……やめてくれ……!」
恋人を人質に取られているような、悲愴な表情。その目には五百マドル硬貨しか映っていない。
アーシェングロット先輩はあくまでも穏やかな笑顔のまま、五百マドル硬貨を握り直す。
「そらっ!」
「うわあああああぁあああぁあ!!!!」
そして硬貨を池の方に投げた。
五百マドル硬貨は綺麗な放物線を描いて池に飛んでいく。それが水面に触れる前にブッチ先輩の手が受け止めた。しかし先輩自身は勢い余って、池に頭から突っ込んでしまう。
「た、躊躇い無く飛び込んだ!?」
「すげぇ執念なんだゾ……!」
「ふっ、ふふふ……ははは!」
池の中で五百マドル硬貨を握りしめたブッチ先輩を見下ろしながら、アーシェングロット先輩が高らかに笑い始めた。さっきまでとは異なり、凄く意地の悪い笑顔を浮かべている。
「要らぬ要らぬと言いながら、身体は正直ですねぇ!」
まだ自分の行動を理解できていないブッチ先輩に追い打ちをかける。
「本当は欲しくてたまらないんでしょう?素直になりましょうよ、ラギーさん」
ブッチ先輩の手の中の硬貨を指さしながら、アーシェングロット先輩は彼を追いつめていく。ブッチ先輩は硬貨を反射的に隠そうとして、また自分の行動に戸惑っていた。
『アズールさん、ラギーさんを覚醒させるためにやってるのはわかるんだけど……』
「セリフが悪役すぎる……」
外野の声など気にせずに、アーシェングロット先輩は畳みかける。
「我慢は身体に悪いですよ。素直に言えばいいじゃないですか。『欲しくて欲しくてたまらない』と!」
優しく甘く、しかし抉るような言葉。動揺した心を更に揺さぶって、奥底に隠した欲望を暴き出す。
ナイトレイブンカレッジで学ぶ強かなハイエナの獣人属ならば、笑って誤魔化しかわしきれるだろう。
でも飢えを忘れた獣には、急所を知り尽くした知恵の弾丸をかわす術は無い。
「オレは、オレは……ッ!!ああ、頭が割れるぅ……!」
水に濡れたまま、ブッチ先輩が頭を抱えて悶える。池の水が溢れて音を立てるはずなのに、世界が歪んでいるから彼の苦しむ声しか聞こえない。
呻き声は絶叫に変わる。喉を引き裂くような叫び声。咆哮と呼ぶにはあまりにも悲愴だった。
声が止むと、世界の歪みも治まる。俯いたブッチ先輩の顔はよく見えない。でも前髪の隙間から覗く口元は、僅かに弧を描いていた気がした。
「……あ、あはは……思い出した、全部……。オレ、どうして……」
「おい、ラギー!?なんで池になんか飛び込んでるんだよ!」
「様子がおかしかったから心配になってきてみりゃ……何やってんだ、一体!」
タイミング良く、ブッチ先輩と談笑していた二人の生徒が駆け寄ってきた。ブッチ先輩を池から引きずり出し、風の魔法で服を乾かしてやっている。僕たちの事は存在しないもののように扱っていた。
「五百マドル……」
「え?」
「五百マドルが、池に落ちるところだったんス……」
呟くような言葉に対し、ハイエナの級友たちは緊迫した表情を僅かに崩す。
「な、なんだよ五百マドルくらいで……」
「五百マドルくらい?」
明るい笑顔で何気なく吐いたような軽口に、ブッチ先輩の耳がぴくりと動いた。
「五百マドルあればさぁ……食堂でサラダ付きエビグラタンセットに、オプションでカニクリームコロッケとエッグマフィンがつけられるんスよ……」
ナイトレイブンカレッジの食堂では、基本メニューのビュッフェの他に有料の料理も提供している。学生向けの食堂なので、その価格は外に比べると割と良心的だ。メイン料理を頼めばトッピングも破格の値段で頼めるので、日替わりで内容の読めないビュッフェよりこちらを好む生徒も少なくはない。
しかしそれはナイトレイブンカレッジの話。
「は?何言ってるんだよ。うちの学食は全部タダだろ!?」
アイボリークリフ・アカデミーは違うらしい。だけど、ブッチ先輩の表情は晴れない。
「オレらの学校は国立でも王立でもねぇから、基本メニュー以外は全部自費。ケチくさいったらねぇよ」
ブッチ先輩は辛辣に吐き捨てる。
「制服や運動着だって、最初の一着はくれるけど、それを駄目にしちまったら自分で買わなきゃならねぇ」
「ラギー、お前、まさか……?」
「はは、見てくださいよ。あちこち泥だらけになっちまって。こんな淡い色のジャケットじゃ、洗ったって絶対にシミは残っちまう」
池に落ちた時に、底の泥が制服に付いたのだろう。とっさに水分は乾かせても、泥は別で落とさないといけない。
国立の学校で無償の環境……という以前に、夢の中の都合の良い世界で制服の汚れなんか気にする訳がない。
どんなに現実に近くとも、現実には即していない。
「だからオレはちょっとやそっとの汚れじゃ目立たねえ、ナイトレイブンカレッジの黒い制服が好きなんスよ!」
ブッチ先輩が二人を睨みつける。そんな彼の姿を見て、ジャックがぱあっと明るい表情になった。
「ラギー先輩!目が醒めたんすね!」
一方、敵意を向けられた友人らしき二人は慌て始める。
「待て!よく考えるんだ。ここにいればもう二度と飢えることはない」
「そうだよ、ラギー!僕たちハイエナは、王様の仲間なんだぜ。なのに……裏切るっていうのかよ!」
「王様の仲間?そりゃあいいッスね」
一瞬だけご機嫌な笑顔を見せたけど、目は全く笑ってない。
「でも……どんな王様にバンザイするかは、オレが自分で決める。偽物の王様なんか、いらないッス!」
強かな獣が信念を掲げ牙を剥く。
説得は無駄と考えたのか、戸惑っていた友人らしき二人の顔から表情が抜け落ちた。下校途中の生徒たちも足を止め、無機質な顔でこちらを見ている。ホラー映画みたいな光景だけど、こうなる事は割と予想できていた。
しっかり休憩を取った僕たちは気力も十分。迎撃体勢バッチリ。
形は人のまま『闇』が襲いかかってくる。近距離に二人いるブッチ先輩の所にはすかさずジャックが助けに入り、アーシェングロット先輩も援護していた。僕たちはブッチ先輩の所に行かないようにとにかく頭数を減らす。
獣人属特有の高い身体能力を生かして飛びかかってくるものの、ナイトレイブンカレッジの生徒のような悪辣さが無いせいで攻撃は単調だ。『闇』の状態の方がバリエーション豊富なぐらいかもしれない。
殴り飛ばし切り捨て焼き払い、凍り付かせぶっ飛ばして、『闇』は次々に地面に溶けていく。
「ああぁ……バンザイ……王様……バンザイ……」
そんな名残惜しげな声を残して、最後の『闇』が消える。もう生徒の姿は無い。屋台の女性も消えていた。多分、襲いかかってくる『闇』の中に紛れてたんだろう。
辺りはすっかり静かになっていた。