7−5:虹色の旅路 後編
とは言ったものの、相手はあのすばしっこいブッチ先輩。あっという間に姿が見えなくなってしまった。
人が行き交う市場は活気に満ちあふれている。絹の街の市場とも雰囲気が近いかも。
遙か前の方で、誰かの朗らかに笑う声が聞こえた。時折ひらめく光の粒が、市場の人に囲まれているのはブッチ先輩だと知らせてくれる。とはいえ人が多すぎて追いつけそうにない。
「ラギー坊やは今日も元気だねぇ」
「学校でも優等生だって話さ」
「あのラギーがねぇ」
市場の人たちはブッチ先輩の話をしている。その声はとても穏やかだ。それだけでブッチ先輩がこの辺りで可愛がられている事が伝わってくる。
「出稼ぎに行ってた親父さんが一山当てて帰ってきてから、勉強も順調みたいだな」
「あいつのばあちゃんにはガキの頃に世話になってるんだ。いつかは恩返しもしてぇなぁ」
「立派な学校も出来て、治安もよくなった。第二王子殿下のおかげさね」
ここに夕焼けの草原の出身者はいない。だからこの夢の世界が現実と比べてどうなのか、知る事は出来ない。
こうして地元の人に愛されているブッチ先輩が、現実でも同じように愛されているのかは解らないのだ。
……そういえば、ウインターホリデーの時に山ほど食料を持ち帰りながら『近所の連中に食わせる』なんて言ってたような気がするし、意外と現実でも可愛がられてそうだな。
ブッチ先輩がどこに行ったかもう全く分からないんだけど、見失う前に霊素反応のマーキングが出来たみたい。オルトの先導に従って街を進んだ。
広場から市場を通り抜ける間に、街の雰囲気が大きく変わった気がする。最初の広場の周辺は背が高くて近代的な建物も多かったように思うが、この辺りは少し時代が逆行しているような雰囲気があった。
見渡す限りの荒野に引かれた道を歩き続ければ、原始的とすら言えそうだった景色が一変する。
真新しい石造りの門の奥に、大きな池の真ん中に立つ銅像。更に奥には巨大な建物。建物は王都の広場にあったのと同じ近代的な建築、だと思う。
原始的な雰囲気の周囲とは少々不釣り合いに思えた。でも建物に向かっていく淡い色の制服をまとった少年たちは、特に疑問を感じている様子は無い。
「ここは学校……か?」
門を見れば『アイボリークリフ・アカデミー』と書かれている。知らない名前の学校だ。
「ここも魔法士養成学校?」
『どうだろう。少なくとも現実世界では、この場所に学校は存在していない。ラギーさんのイマジネーションで作り上げられた場所みたいだね』
門の内側を覗きこめば、ブッチ先輩と同世代の少年たちが楽しそうに話しながら何か食べている。池を中心とした広場はたくさんの果樹が生えていて、よく見たら奥の建物の前には食べ物を配っている屋台があった。生徒たちは果樹から実を採ったり、屋台で食べ物を貰ったりして、食べながら建物に入っていく。
「生徒たちの耳と尻尾……大半が獣人属のようだな」
「しかも、かなりハイエナ属が目に付く。見えてるだけでも、半分以上がハイエナじゃねぇか……?」
言われてみれば、生徒たちの大半はブッチ先輩と似た色形の耳と尻尾をしている。丸い耳に短い尻尾。
「あの池に立ってるのは、伝説のハイエナたちの銅像か」
「伝説のハイエナ?」
「『グレート・セブン』の百獣の王に仕えたハイエナたちっす。自分たちの権利向上のために、百獣の王と一緒に戦ったとか」
さっきの話によれば、ハイエナたちは自治区を独自の掟の中で暮らしていた。夕焼けの草原の歴史において、彼らが獅子に従っていなかった時代が存在する。
そんな歴史の中の転換点として、ハイエナと獅子が手を取り合った場面があり、それを成したハイエナが銅像の彼ら、という事のようだ。
「百獣の王は彼らを『真実の友』と呼んでいたらしい。ラギー先輩の地元じゃ、英雄みたいな扱いだって聞きました」
門の近くに守衛室などは見当たらない。恐る恐る入ってみたけど、生徒はほとんど校舎に入っているか屋台や果樹に夢中のようで、見咎める人もいなかった。
「はぁ……ここは街中の暑さが嘘のように涼しい。豊かな植栽と、水景設備のおかげでしょうか?」
校門をくぐった途端に気温が下がった気がするので、空調設備も何かあるのかもしれない。とにかく過ごしやすくなってほっとした。
ふとグリムを見下ろすと、周囲の木に生えた果実に目移りしている様子だ。
「……勝手に食べちゃ駄目だよ」
「ぎくぅっ!わ、分かってるんだゾ!」
怪しい。
とはいえグリムにばかり注意を向けてもいられない。
ブッチ先輩は学友らしき生徒たちと何か話しながら、果実を採ったり食べたりしていた。他の生徒たちは全く知らない顔。シルバー先輩もアーシェングロット先輩も心当たりは無さそうだから、ナイトレイブンカレッジの誰かとかではないんだろう。
市場を走っていた時は慌ててたように見えたのに、今は随分のんびりしている。夢の中だから時間感覚とか一定じゃないみたい。
「どうやら、この庭になっている果物は全て食べていいらしい」
「ナイトレイブンカレッジの食堂のテーブルにも、自由に食べていいフルーツが用意されてはいるが……この庭になっているものが全て食べ放題とは……すごいな」
あの席に座るの相当な執念が無いと難しいんだよね。普通に授業を終えて食堂に行ったらもう大体埋まってるし、席が空く頃にはフルーツも無いっていう。
でも食堂のバイキング自体に何種類かデザートは用意されてるし、菓子パンとかドーナツもあるし、最悪どうしても食べたければ購買部で買える。そこまで固執する席でも無いんだよなぁ。
「うわっ、なんだこの生き物!?」
とか思ってたら奥の方で悲鳴が上がった。つられてそちらを見れば、灰色の毛玉が木に登って果実にかぶりついている。もちろん足下にグリムはいない。
「うわっ、よく見たら魔獣じゃないスか!だ、誰か警備員を!」
ああ、もう。本当に面倒な事になった。
嘆く暇も無い。とにかく全力でグリムに駆け寄る。
「グリム、駄目だって言ったでしょ!?」
「だってオレ様、腹が減ったんだゾ!食べ放題なら良いだろ!」
「良くない!余所の学校にご迷惑をかけるんじゃありません!!」
「え、えーと……どちら様?」
「ああ、失礼。僕たちはナイトレイブンカレッジの者です。彼を回収しますので、少々お待ちを」
ついてきてくれたアーシェングロット先輩がマジカルペンを振ると、バナナを抱えたグリムが泡に包まれた。そのままふわふわと僕の腕まで飛んでくると、ぱちんと泡が弾ける。すかさず首根っこを掴んで捕らえた。
「本当に申し訳ありません」
グリムを抱えたまま深々と頭を下げる。ブッチ先輩は何だか呆気に取られた顔だ。でもすぐに機嫌の良さそうな笑顔に変わる。
「謝らなくてもいいッスよ。近所の子どもたちがメシだけ食いに来る事もあるし。腹が減ってるんなら、いくらでも食ってってくださいよ」
「ええ?」
「やったー!」
「国立魔法士養成学校『アイボリークリフ・アカデミー』は、学園内の食べ物は何でも、好きなだけ食べていいんス」
「本当に大丈夫ですか?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。『アイボリークリフ・アカデミー』のモットーは『連帯の精神』なんスよ」
その精神の元になっているのは、グレート・セブンの百獣の王に仕えた三頭のハイエナ。
彼らは百獣の王に仕えるまで、腹を空かせて泣く事が多かったという。そのエピソードが現代まで語り継がれた事で、ハイエナたちの間では食料に関する助け合いの精神が育まれているらしい。
「この学校では腹を減らしてるヤツがいたら、ハイエナの『連帯の精神』でメシを分け与える。それがこの学校の生徒じゃなくてもね」
そんな言葉を聞いているのかいないのか、グリムは我が物顔でバナナを頬張っている。あとでもっかい怒っておくべきか。
「そんな……あんたが俺たちに食い物を無償で分け与えるなんて!?」
ジャックが思わずといった様子で声を上げれば、ブッチ先輩は首を傾げた。
「ん?オレたち、どっかで会った事ある?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「ああ、申し訳ありません。僕たち自己紹介がまだでしたね」
アーシェングロット先輩がにこやかに自己紹介を始める。そのままついでのように僕たちの事も紹介してくれた。立て板に水。
「僕たちは黎明の国にあるナイトレイブンカレッジという魔法士養成学校の生徒でして、交換留学生としてこの学校に来たんです」
「オレはラギー・ブッチ。ラギーでいいッスよ」
ブッチ先輩は特に違和感を覚える事は無かったようだ。僕たちを知らない人として、普通に自己紹介している。
「それにしても黎明の国かあ……随分遠くから来たんスね。オレ、外国に行った事ないから、本当に君たちとは会った事はなさそうッス」
やっぱりナイトレイブンカレッジでの記憶は全く無いみたい。
口調は変わらないんだけど、眼鏡をかけてる分、ちょっと印象が違う。髪とか肌の色艶も何となく違う、かもしれない。いやよくわかんないや。ハント先輩だったらめちゃくちゃ詳しく違いを語ってくれるかもしれないけど、僕にはそこまでの洞察力はない。
「まあ、もし本当に昔のオレを知ってるヤツだったら、今のオレを見てもオレってわかんないかも」
「どういう事っすか?」
「いやぁ……恥ずかしいんスけど、ちょっと荒れてた時期があって」
本当に恥ずかしそうな顔で頬をかく。
「親父が出稼ぎから戻ってくるまでは、ろくに食い物も手に入らなかったから……オレも毎日腹を減らしてた。ずーっと食い物の事ばっか考えてて……しんどかったなぁ」
そう思い返す瞳はいつになく暗く、どこか悲しげに見えた。
でもすぐに笑顔に戻る。
「だから、腹減らしてるヤツは見過ごせないんスよね」
そう言って屈託無く笑う姿には一切の裏を感じない。
元から面倒見の良い所もある人だ。なんというか、今の姿が現実と違うのは間違いないけど、今の姿も何となく説得力がある気がする。
「あ、そうだ!フルーツ以外にもうまいもんがあるんスよ」
「ふなっ!なんだソレ?食いたい食いたい!」
「ほら見て、校舎の入り口のとこの屋台。あそこで配ってるのは、揚げたてのドーナツッス!」
「ドーナツ!?」
「頭を使うには甘いものってね!トッピングもし放題ッスよ」
目を輝かせるグリムに気をよくしたのか、店の前まで案内してくれた。大きな鍋で次々にドーナツが揚がって、油を切ったら店頭に並ぶ。並んだドーナツを店員さんが紙袋に入れて生徒たちに配っていて、受け取った生徒たちはセルフサービスのトッピングスタンドで好きな味付けをしてから校舎に入っていった。
ブッチ先輩もいくつかドーナツを受け取り、トッピングスタンドの方に僕たちを案内する。
「オレのオススメはプレーンのドーナツに、チョコソース。次にスライスしたナッツをかける」
スタンドに用意された紙皿にドーナツをひとつ乗せると、次々にトッピングをかけていく。無秩序に見えて、意外と綺麗にまとまっていた。食べるの大変そうだけど。
「さらにカスタードクリームと生クリーム、最後にベリーの甘酸っぱいジャムをかけて……っと。完成!ラギースペシャルッス!」
「ほあぁ~!こんな豪華なドーナツ見た事ねぇんだゾ!」
グリムが迷い無く受け取ってかぶりつく。とても幸せそうだ。
「プレーンにシナモンと砂糖だけ……とかも、たまんないッス!」
「俺はクリームやカスタードよりそっちの方が好きですね」
「んじゃ、キミはこっちのシナモンシュガーのドーナツをドーゾ。おかわりもあるッスよ」
言うが早いか、ブッチ先輩は手早く調味料をかけたドーナツをジャックに手渡す。
「なんて恐ろしい……チョコやクリームを山盛りに盛ったドーナツなんて。あれ一つで、一体どれだけのカロリーになるんだ!?」
『ここは夢の中だから、現実での摂取カロリーは実質ゼロだよ』
「失礼します、ラギーさん。そのドーナツ、僕も一ついただいても?」
『変わり身早すぎ、草』
ドーナツを受け取ったアーシェングロット先輩がウキウキとトッピングスタンドに向かう。凄く幸せそう。
「ほら、君もどうぞ。グリムくんは見といてあげるから」
「あ、ありがとうございます」
断れずに受け取ってしまった。お言葉に甘えてグリムを下ろし、いそいそとトッピングスタンドの前に立つ。
各種フルーツのソースにクリーム類、砂糖やシナモンパウダーなど、ドーナツのトッピングとして使えそうなものがこれでもかと並んでいた。見てるだけでワクワクする。
「ユウさんはどれにしますか?」
「そうですね……チョコも捨てがたいけど林檎ジャムとカスタードも良さそう……」
「アップルパイ風ですね。僕はトッピングにカラースプレーをかけようかと」
「うわーそれもいいなぁ!うう、カラースプレー乗せるなら生クリームの方が綺麗だし……迷う……!」
「僕はバナナ味のドーナツにチョコソースと生クリームだ!」
「え、セベクだけなんか違うの貰ってるぅー!!」
「くっ、ドーナツの味まで含めたら一体何通り作れるんだ……!?」
やいのやいの騒ぎながらドーナツを飾っていると、ジャックから若干冷たい視線を感じた。ごめんって。
「はは、グリムくんを諫めてた割に、君も楽しんでるッスね?」
「すみません。ナイトレイブンカレッジにはこういうの無いので」
「へぇ、そういうもんかぁ。この学校は大飯食らいのハイエナが多いッスから。食べ物が無いと一日持たないんスよ」
紙袋いっぱいのドーナツを受け取った生徒たちは、袋に砂糖とかココアをまとめて入れて振ってから建物に入っていく。あれが勉強の合間のおやつのようだ。
「この学校を作ってくれたレオナ王子に、よーく感謝するんだよ!」
店員の女性が生徒たちにそんな声をかけたものだから、僕たちは目を丸くした。
「この学校を作ったのが、レオナ先輩……だと!?」
「え?君たちレオナ王子を知ってるんスか?」
「え、ええ……」
困惑しつつも話を合わせる。
「しかし、この学校を設立されたのが彼だとは知りませんでした」
「レオナ王子は外国の魔法士養成学校に留学してて、去年卒業して戻ってきたらしいんスけど、ここだけじゃなく、国中いろんなところに学校やらマジフトチームやら作ってくれてるんスよ!」
えーと、現実だと三年生だけど、年齢的には二つ上だから……ダブってなければそうなるのか。
地味にブッチ先輩の願望が反映されている気がする。
「お前たちが上手くやれば、未来に輝いている全ては俺たちのものだ!……とか言って。くぅ~、かっこいいッスよねぇ!」
キングスカラー先輩のセリフらしき部分は低くかっこつけた声で喋っていた。全くからかっている調子じゃない。純粋な憧れみたいなものを感じた。
「この国の若い奴らには、第一王子のファレナ様より第二王子のレオナ様の方が人気なんスよ」
『そうなんだ。ラギーさんはレオナ王子に会った事ある?』
「直接ってこと?まっさかぁ。ただの学生が会えるわけないじゃないスか」
面識は無い。憧れはあっても、それは対面を望むようなものじゃない。歴史上の偉人を尊敬するような、遠くて現実味の薄い、だからこそ綺麗な感情だ。
話を遮るようにチャイムが鳴る。ブッチ先輩の表情が焦りに変わった。
「ヤバい、授業が始まっちまう!それじゃ、オレはここで。ばいばーい!」
引き留める暇も無い。ブッチ先輩は屋台の店員さんに追加のドーナツを貰うと、さっさと校舎の中へ入ってしまった。もう周囲に生徒の気配は無い。屋台もどこかのんびりした空気だ。
「……ひとまず、情報を整理しましょうか」
「池の奥にベンチがある。あちらで話すとしよう」
一応は人の目も気にしたい。オルトの異議が出ないなら、夢の範囲も大丈夫そうだし、異論も無い。
「じゃあ、とりあえずココアとバナナを三つずつと、プレーンを五つ。プレーンだけ別の紙袋でお願いしまーす」
「あいよー」
「貴様、一人で食べ過ぎだろう!?」
「なに言ってんの、みんなで食べる分だよ。ひとりひとり頼んだら手間でしょ」
「それは……まぁ……むぅ……」
『飲み物は僕とシルバーさんとジャックさんで持っていくから、セベクさんは自分の分を好きに頼んだらいいと思うよ』
「べっ、別に、そういうワケでは!!」
「僕は各フレーバーを二個ずつと、プレーンを五つ。彼と同じようにプレーンだけ別の袋で頂けますか?」
「ふなー!オレ様も全種類食べるんだゾ!」
「はいはい、ちょっと待っててねー」
アーシェングロット先輩が幸せそうな顔で紙袋を受け取り、プレーンのドーナツに砂糖をぶちこんでいる。ディップ用の容器に各種クリームやソースを詰め込んで、大変楽しそうだ。
僕もプレーンに味が乗る程度の砂糖を入れて振り、グリムの分の紙袋も持ちつつみんなに合流する。
池の傍のベンチはちょうど木陰になっていてとても涼しい。フルーツの甘い匂いもするし、心地よく休憩できそう。
オルトたちが貰っておいてくれたジュースは、手に余るぐらいの大きなカップに入っていた。水分補給には助かる。
最終的にはセベクもアーシェングロット先輩に負けないぐらい大きな包みを貰って合流し、ひとまずドーナツを食べながら一息つく事にした。
プレーンのドーナツはトッピングを前提にしてるからか甘さは無いけど、砂糖をかけるとどこか懐かしい味わいだ。揚げたてという事もありとても美味しい。
バナナやココアなどの割と定番のフレーバーから、カボチャやサツマイモといった野菜を練り込んだものなど、いろんなドーナツが並んでいた。中には馴染みのない食材の名前もあったけど、見た感じどれも美味しそうだったし、全て無料だと言うのだから驚き。
……まぁ、夢の中だからこその自由度、って奴だよな。現実にはそんなサービスあるワケないし、そもそもこの学校も存在しないし。