7−4:虹色の旅路

 ………

 何ていうか、通常営業だなぁ。楽しそう。
 ふと視線に気づいたのか、アーシェングロット先輩がこちらを振り向いた。戸棚の影から顔を出している僕を見て、恥ずかしそうに咳払いしてから歩いてくる。
「……いたのなら言ってくださいよ」
「なんか出て行くタイミングが無かったもので」
 エアドームに包まれている僕を見て、ちょっと訝しげな顔をしている。
「これ、邪魔ですねぇ。……入っても大丈夫ですか?」
「はい。僕のはグリムが入る前提で少し空気の量が多いそうなので」
「では失礼して」
 よっこいしょ、って感じでエアドームに入ってくる。海の中から入ってきたのに、外見は別に濡れた感じでもない。
「人魚からいつもの姿に変身したのに、海の中でも呼吸できてましたね」
「ええ、僕にとっては海の中は『呼吸できて当たり前の場所』でしょう?現実と違ってその認識が出来れば、陸でも海でも呼吸に支障は無いようです」
「なるほど……便利ですね」
「まぁ、自分の認識でどうにかなる今だけの話ですけどね」
 疲れた感じの息を吐く。どうにもしんどそう。というか、何か言いたそうにしている。
「…………あの」
「はい」
「その。……すみません」
「何が?」
「偽物のあなたに夢中になっていたのが、……申し訳なく思えて」
「あー。しょうがないですよ。現実の僕より遙かに良い子でしたもん。あっちの方が『お姫様』って感じだったし」
「あ、あなたの方が劣ってるとか!そういう事ではないんです!だから!えっと、その……呆れたり、してませんか?」
 最後の方は蚊の鳴くような声だった。凄く不安そうに僕を見ている。なんか意外な気持ち。
「そういうのは別に。……先輩は優しいですね」
「そ、そういう事では……ああ、もう。……あなたには本当に敵いませんね」
 困ったように笑う。とても綺麗。
 いつもの意地悪な笑顔だって良い笑顔なんだけどね。こっちも好きだなぁ。
「あなたが金庫にしまっておけるものなら、二度と外になんか出さないのに」
「怖い事を言いますね」
「例え話ですよ。あなたは僕にとって、それぐらい大切な宝物だって事です」
 頬を撫でられて、ごく自然に抱きしめられる。程良い包まれ具合。
「……ハグ、お上手になられましたね?」
「……練習の成果という事にしてください」
「先輩は本当に、大切に『僕』を愛してくれたんですね」
 小さく礼を述べる。
 抱きしめられていたのは自分ではないけれど、その事はなんだか嬉しくなった。不思議な気持ち。
 同時に二人を愛するとか一般的には批判を受ける事かもだけど、でも先輩の場合にはそういう事じゃないし。確かに僕も彼も同時に愛されてたんだと思う。
 ……彼は、それじゃ嫌だったみたいだけどね。愛って難しいね。
 アーシェングロット先輩は少し身体を離して僕を見つめる。その頬は少し赤くて、僕の肩を掴む手には力が入っていた。緊張しているようで呼吸も荒い。ちょっと泣きそうな雰囲気の青い目を、僕はただじっと見つめる。
 意を決したように、顔が近づいてきた。次の瞬間。
『ユウさん、アズールさん、怪我はない!?』
 店の扉が開いて、オルトが室内に飛び込んできた。後ろから仲間たちも続いている。
 アーシェングロット先輩は店の扉が開いた瞬間に固まっており、唇どころか吐息も触れていない。ちょっと可哀想な気がしてきた。
「僕は大丈夫だよ」
『よかった。ユウさんのエアドームの酸素量が急激に減り始めたから、何か起こったんじゃないかと思って』
 オルトは本気で心配しているように見えたけど、フロイド先輩の視線を見るに、どうもわざと邪魔するタイミングで入ってきてるな。
「イデア先輩。アズールのエアドームの分割をお願いできますか」
「結構です。僕はしばらく海に沈んで頭を冷やしてきますから」
「落ち着いてください先輩。あとそんな事してる暇ないです」
 逃げないように手を捕まえておく。動きが止まったのでよしとしよう。
「子分、石は回収できたのか?」
「うん、バッチリ。今回もみんなをありがとう、親分」
「にゃはは、さすがはオレ様の子分なんだゾ」
 エアドーム越しに前足と手を合わせる。この笑顔を見てるとほっとするなぁ。
『今回も乙でした。……その、大丈夫だった?』
「先ほどは見苦しい所をお見せしました。彼の事情は知りましたので、もう大丈夫です」
 シュラウド先輩は僕に訊いてたっぽいけど、先にアーシェングロット先輩が答えてしまった。その言葉に、フロイド先輩は訝しげな顔になって、ジェイド先輩は少し悲しそうに目を伏せる。
「ナニソレ。イイダコちゃんの事はどうでもよくなったって事?」
「そんな訳ないでしょう」
 フロイド先輩に言い返す、その瞬間だけ視線が鋭くなった。そして明るい表情になり、胸を張る。少し無理している印象だった。
「……ですが、彼の想いは受け取りました。僕が蛸壺に閉じこもる事を、彼は望まない。だから僕も、そのように振る舞うというだけです」
「……ん」
 その姿で、フロイド先輩は納得できたらしい。苛立ったような表情が消えた。
『あの子の性格や思考パターンを推測も交えて「記録」する事は出来ても、あの子から悪性情報だけを抜いて保護するような事は不可能だから』
 魔女の『呪い』が無ければ生まれてこなかった存在。
 彼がどんなに善良な人格だったとしても、『呪い』を切り離して存在させる事はどうしても出来ないという事らしい。
『あの子はここにしか存在できない。それだけはどうしても変えられなかった』
「……ええ。ですので……忘れないでいようと思っています。僕だけでも、せめて」
 アーシェングロット先輩が悲しげに目を伏せる。誰も何も言えない。
「……そうだ、オルト。この貝殻のペンダント、スキャンしてもらえる?」
『それは……「イミテーション」のユウさんが着けていたものだね』
「うん。情報だから実物は持って帰れないけど、『情報』だけでも無くなってほしくないんだ」
『わかった、任せて』
 オルトは優しく微笑む。
「一時はどうなる事かと思ったが、まぁ何とか目を醒ましてくれたようで良かったよ」
「……そうだ。ここが夢の中っていうのはどういう事ですか?僕たちは今、一体何に巻き込まれているんです?」
『あー、ざっと説明しますわ。オルト、お願い』
『はーい!それじゃ、この動画を見てもらえる?』
 シュラウド先輩のタブレットが横向きになって、例の動画を再生する。夢からの覚醒後恒例のイベントだ。
 アーシェングロット先輩は真剣な表情で食い入るように見つめている。
「ふむ。大まかな状況は理解できました」
 見終わった後、アーシェングロット先輩はひとり頷いていた。そしてすぐに鋭い目つきになる。
「つまり、マレウスさんが引き起こした魔法災害により、モストロ・ラウンジは強制的に営業停止に追い込まれ、数日が経過しているという事ですね!?」
『そこ~~~!?』
 シュラウド先輩のツッコミを無視して、アーシェングロット先輩は嘆き始める。
「厨房の冷蔵庫の食材は全てダメになっているかもしれない。リリアさん送別会に二次会がある事を見込んで、多めに仕入れていたのに!」
『マレウスさんの魔法により時空そのものが凍結されているから、食材の腐敗、生物の老化などは進まないものと推測されるよ』
「ああ、それは良かった!……いや、良くはないな!?オフィシャルホームページにお知らせも出さずに休業している事による、信頼性の低下は無視できない」
「まあ、モストロ・ラウンジを利用できる学園の生徒は全員寝ていますけどね」
「だとしてもだ!予告無く休業するオーナーだと思われる事は、将来的な売り上げの損失に直結します」
 いつかも思ったような気がするんだけど、本当に切り替えが早すぎるんだよなぁ。
 ……まぁ今回に限っては、その方が安心ではあるのだけど。
「マレウスさんにはきっちり落とし前をつけていただかなくては!この代償、高くつきますよ」
 怒りの表情を浮かべるアーシェングロット先輩を見て、リーチ先輩たちはむしろ楽しそうな笑みを浮かべていた。『そうこなくっちゃ』みたいな。
『それじゃあ、アズール・アーシェングロットさん。僕たちのパーティーに加わってくれるんだね?』
「ええ。一刻も早く現実に戻り、ラウンジの営業再開をしなくてはなりませんから」
『よかった!それじゃあ、これを渡しておくよ』
 オルトが例の招待状を取り出す。
『これはパーティー会場への招待状!アズールさん専用だから、大切に持っておいてね』
「ほう、イデアさんにしては随分と格式張ったデザインの招待状ですね」
『い、意味ありげな封蝋が嫌いなオタクはいないんで……』
 解る。かっこいいよね。
「いいでしょう。少しばかり使える魔法の才能を活かし……眠りに囚われた哀れな人々を、この僕がお助けいたします」
 言葉ばかりは謙虚ながら、そんな事は微塵も思ってない。
 とはいえ、その自信相応の実力がある人だ。また頼もしい仲間が増えてくれた。
「ふふふ、そうこなくては」
「んじゃ、早く次の夢に行こーよクリオネちゃん」
『ちょっと待って!』
 アーシェングロット先輩が戻った事でリーチ先輩たちもご機嫌だけど、オルトがノリノリの空気に水を差す。
『ジェイド・リーチさん。あなたの霊素の構成バランスに大きな乱れがみられる。速やかな休息を推奨するよ』
 さっきのアーシェングロット先輩との戦闘でも大分消耗している印象だった。ロストは回避できたとはいえ、無理は禁物。
『それに、フロイド・リーチさん。あなたのダメージ蓄積も深刻だ。自分の夢に戻って休息を取った方がいい』
「え、オレもぉ~?」
「お二人とも派手に喧嘩してましたからね……」
「足手まといは要りませんよ」
 アーシェングロット先輩は不服そうな二人を厳しく突き放す。
「お前たちはオルトさんの指示に従い、決戦まで回復に努めなさい」
「僕たちが負傷したのはアズールのせいなのに、その言い草。傷つきます……しくしく」
「げー、あの退屈な夢に戻らなきゃならねーの~?マジで寝る以外にやる事ねーじゃん」
 とはいえ、二人とも自分たちの状態に自覚はあるのだろう。それ以上の文句も言う気は無いみたい。
『うーん、同行人数も増えてきたから、バグ発生の懸念があるし……もう一人ぐらい休憩に入った方が良さそうっすな』
 シュラウド先輩が考え込むように少し沈黙する。
『次にダメージ蓄積が多いのは……ジャミル氏か』
「俺ですか?」
 バイパー先輩も少し考え込むような顔になり、そして意味深な感じでアーシェングロット先輩の顔を見る。
「俺ならもう少し同行できます。確かに疲れているので休憩は有り難い気持ちもありますが」
「僕の事ならお気遣いなく。ここまでかなり大掛かりな移動もあったようですから、ジャミルさんはゆっくり休んでください」
 火花が散った気配がした。
 さっとバイパー先輩が僕を抱え込む。
「なら、ユウも少し休んだ方が良いんじゃないか?今回もいろいろあって疲れただろう。一人だけ背負いこんでいる仕事も多いし」
「大丈夫ですよ。僕が全力でサポートしますから」
 二人が睨み合う。間に挟まれた僕はいたたまれない。誰か助けて。
『ユウさんは「イミテーション」対策に必要な人だから。今のところ目立ったダメージ蓄積も無いし、本人の希望でもないと一時離脱は現実的じゃないと思うよ』
『こっちでもバイタル等々のチェックはしっかりやってるんでご心配無く』
 三つ巴になりおった。
 ホント一生分のモテ期が来てる気分。心境は複雑だけど。
「ここまでバイパー先輩がたくさん助けてくれましたから、僕はまだ休まなくても大丈夫そうです」
「……本当に大丈夫か?君はいつも無茶をするから心配だ」
 顔を見れば、本当に心配そうな顔をしてくれている。大事にしてもらってるなぁ。
「先輩こそ、ここで働きすぎたらダメですよ。ツノ太郎と戦う時には、バイパー先輩の力が必要になりますからね!」
「……確かに、つまらない意地を張って肝心な時に戦えないのでは意味が無いな」
 つまらない意地だっていう自覚はあるんだ……。
 バイパー先輩は僕と額を合わせて、穏やかに微笑む。
「君はアズールを妙に甘く見ているようだが……くれぐれも油断しないようにな」
 でも言う事はコレである。
 曖昧な苦笑いを浮かべてやりすごす。そんな反応は解っていたという感じの顔だけど、文句も言わないでくれた。
 ごく自然な動作で僕をしっかりと抱きしめる。僕も先輩の背中に手を回した。気持ちが少し安らいだ気がする。
 時間にして一分もあったかどうか。なんとなくお互いに手を離して微笑みを交わす。
「……ではお言葉に甘えて、俺もここで離脱しましょう」
「ジャミルさんと共闘できる機会を失うのは非常に残念ですが、仕方ありませんね」
「なに、どうせすぐ再会する事になるさ」
 もう半分以上の寮長を仲間にしたんだもんね。旅の終わりは確実に近づいている。
 まぁ、あと何人起こしに行くのか聞かされてないけど。
「オクタヴィネルの寮長が仲間になってくださったんだ。この先、俺の何倍……いや、何十倍も役に立ってくれるに違いない」
 バイパー先輩は意地悪な笑顔で慇懃無礼な言葉を吐く。
 外野から見るとわざとらしくて嫌みったらしい言葉だけど、彼らには通じる最大の激励なのだと感じた。挑発とも言う。
「期待しているぞ、アズール」
「皆さんの期待を裏切らないよう、努力しましょう」
 アーシェングロット先輩も余裕の笑顔で受け止めてみせた。やはり通じているらしい。
 仲が良いなぁ。
『シルバーさん、セベクさん、グリムさん。みんな数値には大きなダメージがないけど……戦いが連続してる。無理はしてない?』
「へへん!オレ様は大魔法士になる男なんだゾ、オルト。コレくらい屁でもないもんね」
「不思議と疲れは感じていない。そんな事より一刻も早く、リリア先輩やマレウス様……そして眠りの中にいるみんなを救いたいんだ」
 グリムが胸を張って言い切れば、シルバー先輩も続く。セベクも頷いていた。
「きっとリリア様は、厳しい局面でも僕たちが折れる事なく戦い抜けるよう……長い時間をかけ、僕たちを鍛え上げてくれたのだろう」
 現役時代のヴァンルージュ先輩を見た後だと説得力があるなぁ。
 自分にも空手を習った『師匠』と呼べる存在はいるけど、親子のように過ごしたりしたワケじゃないから、彼らとは言葉の重みが全く違う。ちょっとうらやましいかも。
「それなのに、この程度で立ち止まっていては師匠に合わせる顔が無いというもの」
「ああ、そうだなセベク。俺たちはこの時のために、共に修行を重ねてきたんだと思う」
「僕たちはまだまだやれる。心配は無用だ、オルト!」
 元気いっぱいに声を張り上げるセベクに目を丸くしつつ、オルトは了解を返す。
『でも痩せ我慢すると、すぐにモニタリングしてるスタッフと僕にバレちゃうんだからね!』
「心強い。お前たちの支援に感謝する」
 釘を刺すオルトにシルバー先輩が感謝を述べれば一層空気が和んだ。
「話はまとまったようですね。では、時は金なり!すぐに次の夢へ出発しましょう」
『そうだね!じゃあ、旅立つ前にアズールさんのダミーデータを……』
 オルトが呟きながら、ホログラムを水中に出力する。自分とそっくりなタコの人魚を前に、アーシェングロット先輩は感嘆の息を漏らした。
「素晴らしい……これが僕のダミーデータですか」
『見た目だけじゃなく、行動パターンも学習済み。完璧なコピーですぞ。デュフフ!』
「なんですって!?という事は……このダミーデータさえあれば、二倍の生産性を生み出す事も夢ではないのでは!?」
 そこで『彼を再現できるのでは』とは口にしないのが先輩の良い所。良い人なんだよな、割と。
「このダミー……現実でも欲しい!」
 …………まぁ、これも本音ではあるんだろうけど。
「盛り上がっているアズールの事は放っておいて」
 ジェイド先輩が穏やかに微笑み話を切り替える。
「皆さん、この先をご一緒できず無念ですが……パーティー会場で、再びお目にかかれるのを楽しみにしております」
「オレも他のヤツの夢、もっと見たかったな~。でもまぁ、ウミウシ先輩と戦えんの楽しみだし、それまで大人しくしといたげる」
 フロイド先輩はいつも通りだ。気まぐれとは言え、大人しくしてくれるのは有り難い。
 器用な人だから、その気になればツノ太郎に気取られない程度にあの夢を楽しむくらい出来るだろう。
 ……逆にわざと暴れる気分にならないかは不安だけど、もうそれは祈るしかないな。
「醒めない眠りから解放され、自由を手に入れるために……君たちからお呼びがかかるまでは、自分の夢でじっくりと奇策を練る事にするよ」
 バイパー先輩は涼しい顔だ。もうすっかり気持ちは切り替えられている。
 僕の顔を見ると少し表情を和らげた。
「……心配するな。きっと上手くいくさ。道中、気を付けて」
 子どもにするみたいに頭を撫でられる。いつもより優しい声音に胸が暖かくなった。
「オレが飽きちゃう前に、早く迎えにきてねぇ~」
「皆さんのご活躍とご武運をお祈りいたします」
 一通りの挨拶を終えて、夢を渡る準備に入る。
 途中で離脱する面々と、次の夢まで移動するメンバーを分けて掴まる場所を吟味した。
 アーシェングロット先輩も夢の中なら腕力の調整に問題はないみたいだし、首だけ避ければ問題はないだろう。多分。
 ……仮に力が入りすぎたとしても、シルバー先輩ならギリギリ堪えられるかもしれないし。
 正直、飛行術の苦手なジェイド先輩がアレだったので不安ではあるが、でも不得手ではないシェーンハイト先輩もグロッキーになってたし、飛行術が苦手だから酔うとも限らない。
 なので『飛行術苦手な人は酔うかもしれないので警戒してください』とほぼ名指しみたいな進言をするのも気が引ける。
「では……出発するぞ!」
 悩んでいる間に準備が終わってしまった。
 大丈夫、きっと杞憂で終わる。アーシェングロット先輩だもの。きっと大丈夫。
「いつか会った人に、いずれ会う人に……『同じ夢を見よう』!」
 虹色の光が閃く。湿った空気が遠ざかっていき、次の夢への移動が始まった。

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