7−4:虹色の旅路


 誰かの笑う声がする。大嫌いな、頭が空っぽのヤツの笑い声だ。
 ……ああ。また誰かが僕を笑っているのか。
 このまま知らぬフリをしていたいのに、脳は目を覚まそうとしている。煩わしい。
「アズール……おい、アズール!」
 誰かが名前を呼ぶ。聞き覚えはある気がするが、誰か思い出せない。
 目を開いてもすぐには自分の状況が理解できなかった。場所は解る。母の店だ。店を貸し切っているのか、母の作り上げた上品な内装が下品な装飾に上書きされていて、店内に流れる音楽も下品で騒がしい。自分と同世代の人魚が大勢いて楽しそうに談笑、もとい馬鹿騒ぎしている。
 これがさっきまで見ていた夢の続きに等しい何かだと悟る。それだけなのに、何故か不思議と、もう彼はどこにもいないのだと確信していた。
 こんな最低な自分の夢に付き合ってくれた、愛しい人。
 愚かな夢に溺れて、偽物に騙されて、無様だったかもしれないけれど。
 君を大切だと思ったこの感情は、君が『ユウ』じゃなかったとしても、変わらなかったと思いたい。
「急にボーっとしてどうしたんだよ。お前が壁の花を気取るなんて、似合わないぜ!」
「ほら、早くフロアの真ん中へ行けよ」
「我らが『ゴールデン・トライデント』のリーダーをみんなが待ってるぜ!」
「え……ええ」
 促されるままに前に出れば、若者たちが歓声を上げる。状況や設定は不思議と頭の中にある。『いつものように』笑顔を浮かべた。
「みんな、今日はパーティーに集まってくれてありがとうございます!」
 誰も彼も、自分の内心の変化に気づく事はない。ただ盛り上がり、馬鹿騒ぎを楽しんでいる。
「今日の勝利は、みんなが力を合わせた結果。『ゴールデン・トライデント』パワーで、この海を支配してやりましょう!」
 空気が高揚していくほどに、腹の奥が冷えていく。こんな居場所を欲していた自分に吐き気がする。しかしそれを顔に出したりはしない。
「そこで……この『黄金の契約書』にみんなの署名を貰いたい!」
 高らかに『黄金の契約書』を掲げれば、さすがに馬鹿どもも首を傾げた。
「契約書に署名?なんでまた?」
「これはチームの勝利のためにこれからも全力を尽くす、という契約書です。チームの控え室に全員分を並べて飾れば、士気が上がるでしょう?」
 それらしい理由を並べれば、馬鹿はすぐに笑顔に戻った。誰一人疑おうとはしない。
「いいな、それ!気合い入るぜ」
「本格的!サインはここでいいか?」
「ええ、皆さんササッとお願いします」
 誰もが何も疑わずに契約書を受け取り、それぞれが妙に気取ったサインを書いていく。それをただ笑顔で見守ってやった。
「サインできた!」
「オレもオレも!」
「僕も書いたぜ。これで全員か?」
 まとめ役みたいな顔をした馬鹿が周囲を見回す。誰からも『自分はまだ』というアピールは無い。こちらも契約書の枚数を数え、人数と照らし合わせ相違無い事を確認する。
「ありがとうございます!ああ、よく書けていますね」
 わざとらしく褒めてやれば、馬鹿どもは上機嫌だった。
「だろ?いつかプロリーグに行った時のためにかっこいいサインを考え……て……」
 自慢げな馬鹿どもの顔が曇る。ほぼ同時に、例外なく全員の頭に、間抜けなイソギンチャクが生えた。
「あれ?なんだ?か、身体から力が抜けて……」
「おい、お前の頭の上にイソギンチャクがついてるぞ!」
「なにっ?あ、お前の頭にも!」
「なにこれ?取れない!」
 どよめく馬鹿どもがイソギンチャクを取ろうと四苦八苦している。その間抜けな姿に、もう我慢が出来なかった。
「くくく……あーっはっはっは!契約書は隅々まで読むのが常識ですよ」
 嘲笑と共に姿を変える。
 嘘偽りのない、紛れもない『今の自分』。
 ナイトレイブンカレッジのオクタヴィネル寮長としての姿で、馬鹿なイソギンチャクの群れを見下ろす。
「特記事項にはこう書いてあったんです。『私は無条件に全ての力を手放し、アズールの下僕になる』とね」
「そ、そんな!嘘だろ!?」
「後悔してももう遅い!正式な契約は破れません!」
 契約書に名前を書いた。それで『契約』は成立している。
 条件は満たされた。
「歌は途絶え、日は落ちる。憐れな魂に慈悲の手を。……さあ取引だ!『黄金の契約書』!!」
 契約書が輝き、その効力を誇示する。
「全員、僕の庭を飾る小さい花になるがいい!」
 間抜けな悲鳴が響きわたり、イソギンチャクどもが消える。代わりに店の外には、物言わぬ花が咲き乱れていた。窓から見えるその姿はさして美しくもなく、特に意思もなく潮の流れにそよいでいるばかり。
「はは、なんて哀れな姿だ。自分の愚かさを呪いながら、そこで岩礁に張り付いていろ。……それにしても」
 手にした『黄金の契約書』をめくって回収された力を全員分確認する。
「……どいつもこいつもしけた能力ですねぇ」
 ため息を吐きつつ契約書を丸める。
「僕はこの程度じゃ満足しないぞ……より価値のあるものを手に入れてみせる」
 こんな価値のない連中の『全て』など踏み台にもならない。
「金、地位、権力……それだけじゃない。もっと莫大な値打ちのあるものを手に入れるための契約を!」
 客観的な評価を無意味と言う気はない。それは普遍の価値である。
 だが世界は広く、まだ見ぬ宝がどこかにあるかもしれない。
 今この時に『最も価値があるもの』を決めつけるのは早計だ。
 狭い洞窟からでは見られなかった景色を見て、閉じこもっていては届かなかったものを掴む。
「値段をつけるのは他の誰でもない……この僕だ!」

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