7−4:虹色の旅路


 己の有利を確信して、アーシェングロット先輩は余裕の笑みを浮かべる。
「さあ、いい加減に諦めて、契約書を僕に渡しなさい!」
「やーなこった!べろべろば~!」
 言葉は契約書を持つ僕じゃなくて、リーチ先輩たちに向いていた。でもそんな命令を二人が聞くはずが無い。
 幼い子どものような挑発をされて、アーシェングロット先輩の表情が怒りに染まる。
「……キツいお灸を据えてやる必要があるようですね。お前の髪を全て砂に変えてやる!」
「げっ!ツルツル頭とかゼッテーやだ~!」
 嫌悪に歪んだ顔を見せたところで、アーシェングロット先輩の魔法は止まらない。それはフロイド先輩だって百も承知。
 止める様子が無い事に確信を得てから、フロイド先輩の表情が笑顔に変わった。
「……なーんちゃって。それを待ってたぜぇ、アズール!」
 アーシェングロット先輩は、その笑顔を虚勢だと思った事だろう。
 そう、恐らくはこんなお決まりの一言さえ、事を計画通りに進めるためのダメ押しだ。アーシェングロット先輩をよく知っている彼だからこそ出来る賭け。
「『王者の咆哮』!」
「『巻きつく尾』!」
 鋭く飛んできた魔法をフロイド先輩が危なげなく弾く。それはいつものテキトーな防御ではない。明確に意図を持って、魔法を狙った場所に当てるための一撃。
 フロイド先輩が導いた弾道に、魔法を遮るものは何もない。
「オーライ!!」
 アタッシュケースを前に突き出す。しっかりど真ん中に『王者の咆哮』が当たった感触があった。
 魔法はアタッシュケースにかけられていた防衛魔法を突き抜けて、守られていた中身ごと全てを砂に変えた。
 黄金の砂が辺りに舞い、店内を静寂が支配する。
「や……やったぞ!」
「あ、あああ……うわああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
 仲間たちの安堵とイソギンチャクのどよめきの向こうから、アーシェングロット先輩の悲鳴が聞こえた。
「大変だ!ぼ、僕は……可愛い契約書を、自らの手で……!全部、砂………に…………」
 これで現実を思い出してくれないものかと期待の視線を誰もが向けていた。
 床に膝をつき打ちひしがれた様子のアーシェングロット先輩は、ゆっくりと顔を上げた。
「……よくも」
 そう呟いたかと思えば、杖を手に立ち上がる。向けられた強い殺気に全身が粟立った。正面にいたリーチ先輩たちもとっさに動けない様子でいる。
「よくも、よくもやってくれたなぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
 なりふり構わない叫び声。杖からほとばしる雷が室内をめちゃくちゃに暴れ回る。敵も味方も関係なく襲いかかり、一際大きな光がダメージで思うように動けないジェイド先輩に迫っていた。
 フロイド先輩が手を伸ばすより先に、誰かがジェイド先輩と光の間に割って入った。雷は誰かの華奢な背中に吸い込まれ、激しい炸裂音が轟く。
「………ぁ……」
 アーシェングロット先輩の魔法が止まる。ほぼ同時に、ジェイド先輩の目の前に、背中を焦がした『イミテーション』の身体が転がった。
「イイダコちゃん!!!!」
「あ、ああ……あああぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!」
 アーシェングロット先輩は叫びながら、杖も投げ出して彼に駆け寄った。動かない彼を仰向けに抱き起こす。
「どうして、どうしてこんな……!治療を、医者を、いや治癒の魔法を……!!」
 慌てふためく彼の手を、『イミテーション』が握った。アーシェングロット先輩は恋人の顔を見る。
「……いいの……これで、僕の役目は終わり、だから……」
「何をワケの解らない事を……!絶対に助けます。諦めるなんて言わないでくださいよ!!」
「聞いて、アズール」
 荒い呼吸を抑えて、強く言葉を放つ。アーシェングロット先輩も狼狽えるのをやめて、『イミテーション』の顔を見た。
「僕は、本物のユウじゃないの」
「……何を、言ってる?」
「僕は悪い魔女の作ったニセモノで、あなたを騙すために『ユウ』の顔をして、あなたの本当に大切な人を殺すために、恋人のフリをしていたの」
 本物はあっち、と震える指で僕を指さした。そして手招きしてくる。素直に従って、傍に片膝をついた。
「ふたりとも、いままでごめんなさい」
 自分と同じ声。でもとても弱々しい。
 彼が人間じゃない事を示すように、その輪郭は滲んで、床には血の代わりに『闇』が広がり始めている。
「悠。……最後の始末を、お願い。僕が作り直される前に、もう彼の前に現れる事が無いように」
 その言葉に、アーシェングロット先輩がはっとした様子で僕を見た。
「……やめろ、やめてください。お願いだ、僕から彼まで奪わないでくれ!」
 彼を止めようと『イミテーション』は弱々しく触れるけど、アーシェングロット先輩が気づいた様子は無い。
 ぐちゃぐちゃの気持ちが溢れないように、唇を噛みしめる。キューブケースを取り出せば、案内音声が流れ出す。
『ウイルスを含む敵性体のバイタル低下を確認しました』
「やめろ、やめろって!お願いします!何でもします!だから!!」
『標的確認。ウイルスのコーティングを行います』
「いやだ。やめてくれ。どうして……」
「アズール……」
 嗚咽混じりの懇願の声が止まる。たった三秒の無機質なカウントダウンの向こうで、『イミテーション』が弱々しく呟いた。
「あなたに相応しいお姫様になれなくて、ごめんなさい」
『浄化エーテル、放出』
 白い光が視界を染める。『イミテーション』が悲鳴を上げる事はない。ただ静かに光が、全てを清めるように傲慢に広がって消えていく。
 光が止んだ後に残されたのは、小さな白い石が一つだけ。『彼』がいた最後の証は、アーシェングロット先輩の膝の上に転がっていた。
「あ、あ……」
 アーシェングロット先輩はその石を摘まみ上げると、両手で大切そうに包んだ。赤黒い花がうっすらと浮かぶだけの石を、呆然と見つめている。
「……アーシェングロット先輩。それを、こちらに」
 渡してください、と言う前にアーシェングロット先輩は僕から身を引いた。石をしっかりと握りしめて、子どものように首を横に振る。
「嫌だ。渡さない」
「アズール……」
「今の見てただろ。イイダコちゃんはニンゲンじゃなかったんだってば」
「関係ない!!!!」
 諫めるフロイド先輩に、アーシェングロット先輩は怒鳴り返す。
「誰にも渡さない。失ってたまるか」
 緊張が走る。ぴしぴしと何かがひび割れる音がどこからか聞こえていた。
「これは……僕のものだっ!!!!」
 アーシェングロット先輩の絶叫と同時に、海に面した窓ガラスが一斉に砕け散った。そこから溢れてくるのは海水……ではなく、どろりとした『闇』。
 瞬く間に室内へと広がり、石を抱きしめて床に蹲るアーシェングロット先輩を飲み込んでしまった。
 NPCは誰も彼も悲鳴も上げず『闇』に飲まれていく。僕たちも膝まで浸かった状態だ。
『オルト、急いで離脱を!』
『ジェイドさん、フロイドさん、僕に掴まって!』
「ですが、アズールが……!」
「オレたちも飛び込めば追いかけられるんじゃねえの!?」
『ダメだ、もう夢の崩壊が始まってる。夢の主以外が飲まれたら、どこに投げ出されるか分からない!対策済みの担当スタッフ以外は急いで離脱!』
「担当スタッフ?」
 オルトに掴まれたフロイド先輩が首を傾げる。それを横目に、スマホを取り出した。 
「ドリームフォーム・シャイニングチェンジ!!」
 身体が光に包まれて衣装が変わる。ついでに魔石器を取り出してから、みんなを振り返った。
「グリム、オルト!みんなをよろしく!」
「おう!オレ様に任せとくんだゾ!」
『ユウさんも気をつけて!』
 もう腰まで浸かりつつある。意を決して、息を止めつつ『闇』に潜った。
 今までは『闇』に潜ってもすぐに空気のある空間に出ていたけど、今回はいつの間にかエアドームが顔を覆っていた。どうやらアーシェングロット先輩のいる場所は海の中らしい。でも真っ暗で何も見えない。
 ただ暗闇の空間を落ちている気分だった。
「……アーシェングロット先輩の居場所を教えて」
 魔石器に語りかけると、細い光が下に向かって伸びていく。少し角度がついているけど、まだまだずっと下の方っぽい。
 ただただ静かな時間が続く。その間、頭を過るのは『イミテーション』の事だ。
 対象が夢から醒める前に『イミテーション』を倒してしまうと、こうなるのか。
 誰も悪くない。強いて言えば、僕の偽物を作って強い魔法士を誘惑するなんて、馬鹿げた事を仕掛けてきたあの女が全部悪い。
 だけど、もう少しうまくやれなかったのかと考えてしまう。あの状況では僕にはどうしようもなかったと、解ってはいるのに。
 景色が変わらない暇な時間を、己を無意味に苛む事に使って、注意が少し散漫になっていたのだろう。
 右足を何かに掴まれて我に返る。振り払おうとするより先に、凄い勢いで下に引っ張られる。魔石器を掴んでいるだけで精一杯だった。
 移動の勢いが緩んだと思った瞬間には、残りの手足や胴体、首にまで何かが巻き付いてくる。魔石器は弾かれてどこかに飛んでいってしまった。
『ああ……やっと捕まえた。僕の可愛いお姫様』
 溺れているかのような濁った声。その口調や雰囲気はアーシェングロット先輩のものとよく似ている。
 自分を捕らえているものを見ようとして、無数に並んだ巨大な吸盤が目に入った。全身を埋め尽くす嫌悪感を必死で抑えようとするけど上手くいかない。
「や……いや、離して、離してぇぇ!!」
『酷いですねぇ、ヒトの事を化け物みたいに』
 首に巻き付いたタコの足がキツく絞まる。息が出来ない。もがいても緩む事は無い。
『もう離しませんよ。これであなたは僕だけのものだ』
 意識が遠のいていく。身体から力が抜ける。
『この海の底で、永遠に愛し合いましょうね』

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