7−4:虹色の旅路


 モストロ・ラウンジは開店準備に賑わっている。寮服を纏った生徒の他に、頭にイソギンチャクを生やした暗い顔の生徒も何人か働いていた。
 そこに寮服姿の少年が入ってくる。誰も彼に気を留めたりはしない。そして誰よりも早く、彼の姿に寮長が反応する。
「おかえりなさい、ユウ。……ジェイドはどうしました?」
「寮までは一緒に戻ってきたんだけど、調べ物があるって」
「ふむ?」
「生えてた場所に行ってみたけど、なんだか気になる事があったみたいで。あまり良くない事なのかも」
「……まぁ、あまりにうまい話が過ぎますからね。そういう事でしたら、ジェイドの報告を待つとしましょう」
 あれの趣味もたまには役に立つものだ、などと呟いている。少年は何も言わない。
「ただいま戻りました」
「ただいまぁ~」
 ちょうど側近たちの声が店に入ってきて、店長は呆れ顔で振り返る。
「ようやく戻ってましたか。首尾はどう……」
 そして固まった。数秒の沈黙を空けて、震えた声で疑問を口にする。
「ジェイド、お前が持っているアタッシュケースは……僕が集めた契約書が入ったものでは?」
「ええ、そうです。金庫からベッドの下に移し替えたんですね」
 側近は淡々と肯定する。悪びれた様子もない。
「どうして勝手に持ち出したり……まさか、誰かに隠し場所がバレたんですか?」
 そして寮長も疑わない。彼の予測不可能な思考回路の存在を把握しながらも、無意味に不利益な行動はしないものと信じているようだ。
 信用を感じてか、側近も穏やかに笑みを浮かべる。
「実はそうなんです。あなたの契約書を狙う不届き者がおりまして」
「なんだって?くそっ、特注の金庫はまだ届かないのか」
 忌々しげに毒づいている姿に、普段の余裕は感じられない。沈黙を守る側近たちに何を思ったのか、笑顔で勝手に語り始める。
「今度は手癖の悪いハイエナに狙われても安全な、最新の網膜認証のものにしたんです。あれさえ届けば、僕の契約書は誰にも傷つける事は出来ない!」
「それはそれは……随分と大掛かりな金庫を用意しているんですねぇ」
 側近は微笑んでいる。その笑顔の冷たさに、寮長は気づかない。
「それが届く前に、手を打ててよかった」
「は?何をわけのわからない事を言っているんです」
 側近の呟きの意味を考えようとはせずに、寮長は側近へ手を差し出した。
「さ、そのアタッシュケースをこちらに渡しなさい。また別の場所に隠しておかなくては」
 側近たちは動かない。寮長は苛立った様子で声を荒らげる。
「おい、聞こえなかったのか?それを早く僕に……」
「アズール。あなたは本当に忘れてしまったんですか?」
 側近は静かに問いかける。
「現実ではとっくのとうに、契約書は失ってしまったというのに」
「現実?失った?何を言っているんです。僕は何も失ってなんかない」
 しかし彼には届かない。
「全てを手に入れたんだ。お前たちもそばで見ていただろう!?」
 寮長の苛立ちは更に募った様子だった。何も言わない側近たちに対し目を吊り上げる。
「なんだ、その目は?いいか、最早この学園には僕に逆らう奴は誰もいない。学園長ですらも僕の言いなりだ!」
 この学園に属するものは全て自分にひれ伏している、と自信満々に胸を張る。それなのに、見ている者には寒々しい虚勢のように感じられた。
 子どもじみた安っぽい自慢めいている。
「そんな僕に逆らえば、どうなるか解っているんだろうな」
 見た目とは裏腹に幼い子どものような彼の言葉に対し、側近たちは哀れむような顔をした。
「ああ……アズール。これ以上僕たちをがっかりさせないで」
「がっかりだって?がっかりしたのは僕の方だ!」
 その意図を理解できないまま、寮長は怒りを露わにする。信用していた側近たちに苛烈な敵意を向けた。
「僕の命令を聞けない無能な部下はいらない。しばらくそこで氷漬けになって反省しろ!」
「いいトコだけど、邪魔しちゃおうかな?『巻きつく尾』!」
 鋭く放たれた氷の魔法が、側近の魔法に弾かれて巨大なガラスにぶつかる。海の景色が見る間に広がった氷に遮られた。
「なにっ!?」
「おや、アズールの本気の一撃を逸らすだなんて、『本当に』今日は絶好調のようですね、フロイド」
「え~?アズールの魔法くらい、絶好調じゃなくても余裕で逸らせるけど?ギャハハハ!」
 今度は側近たちが笑顔になっている。寮長の顔に映るのは怒りではなく戸惑いだった。
「お前たちも……僕を裏切るのか?」
「裏切ってんのは、そっちじゃん。ぜーんぶ忘れといて、偉そうに」
 側近が冷たく突き放す。もう笑顔は無い。
「こんな偽物の世界でふんぞり返って満足してるなんて、つまんねー姿見せんなよ」
 それを決別の言葉と取ったのだろう。寮長は大声で笑い始めた。声音に込められた怒りの気配に、寮生たちは怯えた表情を浮かべ部屋の隅に逃げていく。
「……いいだろう。お前たちとの縁もここまでだ」
 表情が抜け落ちたアーシェングロット先輩は、傍にいた『イミテーション』を後ろに逃がすと同時に声を張り上げた。
「来い、僕のイソギンチャクども!アイツらをぶちのめせ!」
「はい……アズール様」
 虚ろな声が聞こえたかと思えば、そこかしこから頭にイソギンチャクを生やした生徒が出てくる。どれも『闇』で出来たNPCだから、出入り口がどうとか関係なく湧いているらしい。
「やべえ!ジェイドたちが囲まれちまったんだゾ」
『いくらなんでも煽りすぎちゃった?……あっ!見て、エースさんやデュースさんがいる!』
「それだけじゃない。リドル、レオナ先輩……って、おい!カリムもいるじゃないか!アズールと契約させるだなんて、この夢にいる俺は何をやっているんだ!?」
『え、待って……?拙者もいるじゃん!拙者とて、絶対にアズール氏と契約なんかしませんぞ!!解釈違いすぎる!』
 見知った顔やら自分自身やら、出てきたイソギンチャクたちに見ている仲間から感想や抗議の声が上がる。
「お前ら、そんな事に文句を言っている場合か!」
「すぐにジェイドたちに加勢しよう!」
 返事もそこそこに、僕たちもモストロ・ラウンジへ飛び込んでいく。不意打ちを食らったイソギンチャクの悲鳴で、店内の全員がこちらに気づいた。
「ジェイド、フロイド!加勢する。背後は任せろ!」
「ありがとうございます、皆さん」
「あはっ。じゃあみんなで一緒に暴れちゃおっかぁ」
 シルバー先輩が勇ましく宣言すると、リーチ先輩たちは笑顔で応えた。
「小エビちゃん、このアタッシュケース持っててぇ」
「任せてください!」
 投げて寄越されたアタッシュケースは、素晴らしいコントロールで手の中に入ってきた。竜の卵みたいにずっしりと重たい。
 荷物から解放された二人が楽しそうに構える。不利な状況なんかものともしていない。
「やっちゃおうぜ、ジェイド!」
「フロイドが楽しそうで何よりです」
 そんな彼らの様子に、アーシェングロット先輩は忌々しげな顔だった。
「この僕に逆らうとは……なんて不幸せで、哀れな人たちなんでしょう」
 そしてこちらを睨んでくる。
「あの雑魚からアタッシュケースを取り返してきた奴には特別手当を出してやる!とっととかかれ!」
 アーシェングロット先輩の指示を受けて、イソギンチャクたちの一部がリーチ先輩たちじゃなくてこちらに押し寄せてきた。もちろんみんなが戦ってくれるけど、さすがに頭数に差がありすぎる。
「ヒャッハー!それを寄越しな、草食動物ちゃーん!」
 こんなテンションのイソギンチャクまでイメージしたんか、アーシェングロット先輩。それとも実際にいたのかなぁ。
 それはそれとして、隙間を縫ってきたその獣人属らしき生徒の頭部に、アタッシュケースを叩きつけた。凄く良いタイミングだったので、耳と耳の間に綺麗に入り、イソギンチャクごと叩き潰された生徒はそのまま床に倒れて動かなくなる。
「……え?」
 彼に続いていた生徒の動きが困惑で鈍った。躊躇いながら踏み出した一歩で、一人がこちらの間合いに入ってくる。今度は斜め下から振り上げたアタッシュケースの角がその生徒の顎に思いっきり当たった。
「……ナイスショット」
 ぼそっとバイパー先輩が呟いた声が、二人目の生徒が倒れた音に紛れる。
 一方僕はといえば、あまりに簡単に敵が倒れていく光景に痺れていた。
「楽しい~……」
『発言と表情が完全にヤバい人な件について』
「あんな晴れやかな笑顔を見るのはヴィル先輩と行動していた時以来だな……」
「ユウ。重量のある殴打武器は隙が大きい。あまり前に出過ぎないように気をつけてくれ」
『今のを見て、言う事それ!?』
「了解でーす」
 アタッシュケースの取っ手を握り直し、目の前で倒れている二人を踏み越える。僕を狙っていたはずのイソギンチャクたちがたじろいでいた。
「ほら、特別手当が欲しいんでしょ?標的の雑魚はここだけど?」
 アタッシュケースを身体の前に抱えてみせるけど、みんなも一緒に構えてくれてるのですぐには飛びかかっては来ない。
「来ないならこっちから行っちゃおうかな!」
 まるで殺人鬼を前にしたような悲鳴を上げて、イソギンチャクたちが部屋の隅に逃げていく。
「魔法も使えない奴相手に何で逃げてるんだ!お前たちもかかれ!止めてこい!」
 アーシェングロット先輩はイソギンチャクの生えた寮長たちに指示を出すけど、どうも動きが鈍い。
「アタッシュケースを武器にして戦うのは校則違反じゃないよ」
「校則違反じゃなくても暴力行為だろ止めろよ!」
「さすがは俺の見込んだ草食動物だ」
「後方腕組み彼氏面してんじゃねえよ!」
「なんか楽しそうだよな!止めるの可哀想じゃないか?」
「アタッシュケースで殴られて倒れてる奴らの方が可哀想だろ!」
「ヒィィィ無理無理無理!!あんなので殴られたら拙者潰れたトマトになっちゃう!!」
「ヒョロガリが物理で立ち向かおうとすんな!頭を使え頭を!!」
 どうやらイマジネーションが強くて再現度が高すぎるあまりに、イメージと思惑がぶつかり合って制御が難しいらしい。いや一部は大分キャラが違う気がするけど。まぁでも、こっちには好都合。
「アーシェングロット先輩の人生の重みを食らえー!!」
「他人の人生を勝手に武器にするなー!!」
 イソギンチャクたちは無理矢理身体を動かされて、半泣きでこちらに向かってくる。魔法はアタッシュケースを盾にして防ぎ、殴りかかってくる奴を避けては逆に殴り倒す。
「ああくそ、どいつもこいつも役立たずが!!」
 アーシェングロット先輩は痺れを切らしたように魔法を放つ。敵も味方も巻き込むような攻撃だ。逃げまどうイソギンチャクたちが邪魔で、こっちも思うように動けない。
 僕のここでの仕事は『その時』までのアタッシュケースの保守。アーシェングロット先輩がヤケクソになってくれたのは計画的に助かるけど、『王者の咆哮』を使ってくれないと意味がない。
 そして、その時にフロイド先輩が動ける状態じゃないと作戦も進まない。
 夢の主にはオーバーブロットなんて起きないだろうし、僕の異様さだって見慣れてしまえばイソギンチャクたちが気勢を取り戻して戦えるようになるかもしれない。現に寮長のイソギンチャクたちはアーシェングロット先輩の援護に入っている。
 長引くほどこっちが不利だ。
「ぐはっ!」
 強化されたアーシェングロット先輩の雷撃の魔法を防ぎきれずに、ジェイド先輩が膝をつく。
 そういえばリーチ先輩たちは前の夢で殺し合いみたいな大喧嘩してたし、その後セベクの一撃を食らってる。平気そうな顔してるけど、消耗してるのは間違いない。
『ジェイド・リーチの構成霊素に深刻なダメージが見られます。ただちに修復プロトコルを実行してください』
 オルトが無機質なアナウンスを口にした後、きゅっと眉を吊り上げる。
『ジェイドさん、下がって!これ以上ダメージを受けると、リスポーン出来なくなるかもしれない』
 その声が聞こえているかは解らない。覚束ないながらも、ジェイド先輩は立ち上がり尚もマジカルペンを構えている。
『アズール氏、さすがのイマジネーションですな』
「自分を強化してくるだけでなく、両脇を寮長クラスの『闇』で固めてくるとは。厄介な!」

56/60ページ