7−4:虹色の旅路


 空気がまた湿気を帯びる。大きなエアドームが僕たちを包んでいた。
 周囲の光景は今まで見たどの水中よりも明るい。
『霊素シグナル・トラッキング成功。指定された座標に到着しました』
 少しだけ無機質なオルトの声が、いつものように到着を宣言する。そして僕たちを見回して人なつっこい笑みを浮かべていた。
『……アズールさんの夢に到着!誰もはぐれたりしていないかな?』
 落下中に人が離れた様子は無かったし、それは問題なさそう。海底に足を着けた僕たちは互いを見る。
「今のがシルバーさんのユニーク魔法、ですか」
 初めて夢渡りを終えたジェイド先輩がにこやかに微笑んでいる。が、その顔は明らかに血の気が引いていた。
「飛行術とはまた違った浮遊感があり……うっ……ぷ!」
「げっ!ジェイド、まさか……!!」
 逃げようとする片割れをジェイド先輩が掴む。僕たちが助けに入る間も無く、惨劇が始まってしまった。ジェイド先輩の濁った声を覆い隠す、フロイド先輩の悲鳴。
 ……衣装が『情報』で良かったと思うべきか、それにしたってフロイド先輩の服に吐く必要があったのか。
 ジェイド先輩の行動には謎が多いなぁ。
 そんな現実逃避をしている間に、二人は魔法で人魚の姿に変わり、どちらともなく水の中に飛び込んでいった。続いてシュラウド先輩が無言で粛々とエアドームを分割し、吐瀉物の気配と臭いを消していく。大半をフロイド先輩の服が受け止めてくれたので、大変な大掃除という感じではなかったものの、空気は重かった。
『ジェイド・リーチさんは夢渡り酔いをする体質みたいだね』
「大変だなぁ……」
 水の中で追いかけっこしているウツボの人魚たちを目で追いつつ、話も進まない。やがて疲れたのか幾分スピードを落として、先輩たちがこっちに戻ってきた。
 ジェイド先輩はスッキリした顔、フロイド先輩は対照的に疲れ切った顔をしている。
「マジでしんっじらんねぇ。なんでオレまで……」
「いやぁ、よかった。周りが海で助かりました」
「なにもよくねーんだけどぉ?」
 フロイド先輩が睨んでも、ジェイド先輩はケロリとしている。なんか可哀想になってくるなぁ。
「大丈夫か、ジェイド?どこかに座って休んだ方が……いや、海の中で『どこかに座って』というのも変か」
「ふふ。ありがとうございます、シルバーさん。冷たい海水に浸かってスッキリしたのでもう心配ありません」
「オレは逆にお前のせいでドンヨリしてんだけどぉ~?」
 フロイド先輩は細々とジェイド先輩の発言につっかかっているのだが、ジェイド先輩は完璧にスルーしている。本当にメンタル強いな、この人。人間からしたら怖くてしょうがないんだけど。
 やがてフロイド先輩も無駄を悟ったのか飽きたのか、殺気を引っ込めた。それに気づいた風でもなく平然と、ジェイド先輩は口を開く。
「それにしても……少々予想外でした。アズールの夢の中が、海の底とは」
「しかも、オレらの故郷で目新しさゼロの珊瑚の海じゃん」
 と言うからには、ここは珊瑚の海らしい。海底火山のあった所や、フロイド先輩が漂っていた所とは違って、明るくて色鮮やかな景色が広がっている。どちらかというとアトランティカ記念博物館があった辺りに近いのかも。
「てっきり、陸で商売を大成功させている夢を見ているとばかり」
「そーだねぇ。もしかして、オレたちみてーに陸で楽しみまくった後、やる事なくなって海に帰ってきてるのかも」
「せっかちなアズールの事です。有り得ますね」
 ジェイド先輩は頷く。
「陸でモストロ・ラウンジの全国展開を成功させ……珊瑚の海にもついに出店!……という夢かもしれません」
 陸上の、世界中のどの国にもモストロ・ラウンジがある。
 凄く壮大だなぁ。自分の店を持つというだけでも、僕には想像つかない事なんだけど。
 でもなんていうか、真っ当で大きくて、綺麗な夢だな。もしそうだったら、だけど。
「『モストロ・ラウンジを大きく育て、いつかは母のリストランテを超えてみせる』。彼は口癖のようにそう言っていましたから」
『いかに夢の中と現実では時間経過が違うとはいえ、そこまで大掛かりな夢を叶えてたらアズール氏はもうすでにオジサンの姿になってるんじゃ……?』
「夢の中で若返っていたり、他人や動物の姿になっている事は稀にあるが……歳をとっているというパターンは、まだ遭遇した事がないかもしれない」
「おい貴様ら、立ち話はそれくらいにしろ。さっさとアズール先輩を……」
 僕らを諫めるセベクの声すら覆い尽くすような歓声が、割と近い所で響いた。思わず身を竦めるような大きさだったけど、間違いなく悲鳴ではない、はず。
 とはいえバイパー先輩は警戒するように声のした方を睨んでいた。
「今の何でしょう?」
「歓声、のように聞こえたが……」
「行ってみるんだゾ!」
「何があるか分からない。慎重にな」
 走りだそうとしたグリムをバイパー先輩が諫めてくれた。ジェイド先輩とフロイド先輩が、少し高い所を泳いで先を見てくれる。
「あーはいはい。なるほどね」
「なるほど、とは?」
「見た方が早いよ」
 どうやら危険は無さそう。
 もうさっきほどの大きな歓声は無いけど、近づいていくと賑やかな気配が感じられた。遠くに人魚の姿がたくさん見える。
 やがて丘を超えた先に、開けた運動場が現れた。水中なんだけど砂の上には線が引かれていて、人間の世界の運動場と同じに見える。
 運動場では沢山の人魚が泳ぎ回り、彼らを見守るようにもっと沢山の人魚が一定の距離を保って並んでいた。
 まるでスポーツ観戦のスタジアムみたい。客席の境界は曖昧だけど、秩序は保たれているらしい。
「またゴールが決まったー!『ゴールデン・トライデント』の猛攻が止まりません!」
 実況の声と共に、観客から歓声が上がる。チアリーディング部っぽい一団もいて、何かの道具を手に踊っていた。
「点差は三十点以上!昨年の優勝チームである『レッド・キャンサーズ』、非常に苦しい戦いです。残り時間は五分を切りました。ここから追いつけるか!?」
 実況の声を無視して、競技場の人魚たちは陣形を組み直し、試合を区切る笛の音が響く。
「なんだあれは?人魚たちが光るボールを追って泳ぎ回っているが……」
「彼らがやっているのは『コーラル・ラッシュ』という水中競技です」
『確か、珊瑚の海発祥のスポーツで、今では世界中の人魚にプレイされているんだよね』
 水中に浮かんだゴールリングに、魔法で操った球を打ち込むらしい。よく見ると人魚だけじゃなくてイルカも泳いでる。……いや、イルカに人魚が乗ってる?
『SNSの動画では見た事あったけど、生で見るのは初めてだ!うわー、すごい迫力だなぁ!』
 確かに、人魚の水中を泳ぐ速度は人間が走る速度より速い感じがする。ディフェンスの間をすり抜ける動きの緊張感は独特だ。陸上を走ってるのとはまた違う感じ。
「マジカルシフトに似ているな」
「あー、確かに似てるかも。マジフトだと箒に乗るポジションがあるけど、『コーラル・ラッシュ』はイルカに乗るんだよ」
「ほう、ポロのような要素もあるのか」
「ポロ?……ってなんなんだゾ?」
「馬に乗り、ステッキ状のもので球を打つ球技だ」
 また違う競技の名前が出てきた。球技あんまり詳しくないんだよなぁ。
「『コーラル・ラッシュ』は人魚には大変人気のある競技です。プロリーグもありますし、クラブを持つ学校もたくさんありますね」
 ジェイド先輩が馴染みのない僕たちにも分かるようにすらすらと説明する。
「特にハイスクールチームの試合は、大きな注目を集めるスポーツイベントです。選手たちや観客の様子を見るに、このゲームも学生チームの試合でしょう」
「本当に『海のマジフト』という感じだな」
『水中用のアタッチメントがあれば、僕にもプレイできるかな?すごく楽しそう』
 水中用アタッチメント……どんな感じなんだろう。機械的な人魚みたいな感じ?それともペンギンみたいなデザインかな。うーん、かわいい。
『ウッ……設定の端々から圧倒的な社交的地位の高さを感じる』
 妄想の世界に逃避している僕と違って、シュラウド先輩は何らかのトラウマを刺激された様子で呻いていた。
『いわゆる「花形」と呼ばれるスポーツをやってる奴らなんて、ナルシストなオレ様系マッチョばかり』
 ……何だろう、特定個人を指している気がする。キングスカラー先輩とか。
『拙者やアズール氏のようなインドア派のボドゲ部員とは無縁のオハナシですな~』
 シュラウド先輩の通り無縁な場所だとすれば、アーシェングロット先輩はここには近づいてこないかも。陸上で生活する僕らにとっては物珍しい光景ではあるけど、観戦も適当な所で切り上げるべきかもしれない。
 ……でもなんか、みんな楽しそうに見てるから言い出しづらいな。
「ここに来て、あの『レッド・キャンサーズ』食らいついていく!果敢にもディフェンスの隙間を掻い潜りゴールリングを目指していきます!」
 実況も熱が入る。三十もの点差をつけられた昨年王者の猛追に、客席も盛り上がっていた。
「その勢い、砂浜を素早く横切るカニのごとし!エンドゾーンは目の前です!」
 …………でもなんか、あんまりかっこよさそうに聞こえないな。いや人魚基準ではかっこいいって褒めてるのかもだけど。
 逆転を狙う彼らは、しかし攻撃に転じる事は叶わない。
「ああーっと!!ゴール直前での痛恨のターンオーバー!」
 また会場の空気が変わる。落胆の声と引き替えに、相手チームのサポーターの歓声が一際大きくなる。
「目にも留まらぬ速さでボールを奪取したのは『ゴールデン・トライデント』の守護神!アズール・アーシェングロット選手~~~~ッ!!!!」
 ………………………なんて?
 誰もがフィールドに視線を向ける。遠目で、しかも色とりどりの人魚が入り乱れていたから気づかなかったけど、確かに暗い色の肌をした人魚がいた。
 光るボールを手に巧みに足を操って、人魚たちの合間をすり抜けて普通の人魚たちと遜色ないスピードで競技場を泳ぎ回っている。その快進撃に客席は沸き、チアリーダーたちも軽やかに舞って盛り上げる。
「すごい、すごいぞアズール選手!『レッド・キャンサーズ』のディフェンスをものともせず、ぐんぐんゴールへ向かっていく!」
 実況も絶好調だ。アーシェングロット先輩は場の勢いに乗って、あっという間にゴール前に辿り着く。
「クラーケン・ショットオォォオォ!!」
 距離があるのに聞こえてくる、必殺技コール。スポーツ漫画ではよく見かけるけど、現実ではそうそう見ない。でもかっこいいからやりたいよね、わからなくはない。
 アーシェングロット先輩のシュートは綺麗にゴールに滑り込む。ゴールに入ったボールから光が弾けシュートが決まった事をアピールされれば、会場の歓声は耳を塞ぎたくなるくらい大きなものになった。
「決まったーーー!アズール選手、見事なフィニッシュを決めました!」
 実況の声に続き、試合を区切る笛が鳴らされる。また歓声が大きくなった。
「そしてここで試合終了!『ゴールデン・トライデント』の勝利~!」
 勝利チームの人魚たちがアーシェングロット先輩の所に集まっていく。負けたチームの人魚たちは、落ち込んだ様子で競技場の端へと泳いでいった。
『ドエエエエェ!?ナンデェーーー!?アズール氏、拙者と並んで運動が苦手なはずでは!?』
「ギャハハハハハハハハハハ!アズールが『コーラル・ラッシュ』の選手~!?ありえね~っ!」
 困惑と爆笑は歓声に遮られて周囲には聞こえていないようだけど、それにしても不思議な事になってるなぁ。
「……チアリーディング部の方に『イミテーション』がいないかと思っていたが……それらしい人物はいないな」
『スポーツクラブのエースとチアリーディング部のマドンナは定番の組み合わせだもんね』
「まぁ、僕そういうキャラじゃないですし……」
「ここは夢の世界だ。アズールのイマジネーションが及べば、歌も踊りも完璧な君がいるかもしれない」
「……ですね」
 どんな気持ちでいればいいのか分からなくなってきたなぁ。
「しかし関係者席と思しき所にもいない。マネージャーでもないなら……さすがにこの観客の中から探すのは難しいな」
「ひとまず、アズール先輩の所に行ってみよう」

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