7−4:虹色の旅路
「わかった。どこまでやれるかわからないが……とにかく真摯に語りかけてみよう」
そう宣言したシルバー先輩が、勇ましくフロイド先輩に近づいていく。
フロイド先輩はこちらの作戦会議など少しも気にした様子もなく漂っていたが、フロイド先輩を啄んでいた小魚たちはシルバー先輩が近づくと逃げていった。
「フロイド、少しいいだろうか」
「あ~?ナニ、クラゲちゃんたちまだいたのぉ?」
「俺が今からする話は、全て真実だ。落ち着いて聞いてほしい」
シルバー先輩の真剣な様子を見て、フロイド先輩もさすがに僕たちの方に目を向けた。
ここまではいいんだけど。
「フロイド。今お前が見ている世界は、現実じゃない。全てマレウス様が作り出した、夢の世界なんだ!」
「……はぁ?」
「俺たちはこの歪んだ夢から覚醒すべく、仲間を集めている。どうかお前も、俺たちの仲間になってほしい!」
先輩の言葉に嘘は無い。僕たちはそれを事実だと知っている。
でも現実世界での話、こんな突拍子もない事を大して親しくもない人間から真剣な顔で言われたら、大半は同じ反応をするだろう。
「…………急に何言ってんの?」
だよね。
「あ、もしかして……胡散臭い石板とか怪しい魔法石を売りつける系のヤツ?」
そうだったらまだマシな方、なんだよなぁ。
なんかヤバいもん受信しちゃった?みたいな。金が関わってない方が怖い時あるでしょ、こういうの。
とにかくフロイド先輩の目が不審人物を見る目になってる。何とかして打開しないと話が進まない。
「……あー、お前に何かを売りつけるつもりはない」
咳払いしつつバイパー先輩もフロイド先輩の前に進み出た。彼の目を見ながら語りかける。
「突拍子も無い話で驚いたと思うが……お前自身、少しこの世界に違和感を覚えているんじゃないか?」
「イワカンって?」
真剣である事がよりヤバさを際立たせる事ってあるよね。
まともな精神状態だったら話をするだけでもヤバいと思っちゃいそうな流れだけど、幸いにしてフロイド先輩は飽きが極まりすぎて耳を傾けてくれている。
これを逃すワケにはいかない。
「よく思い出してみてほしいんだが……お前はそんなに何でも負けなしの男じゃなかったはずだ」
「ああ。俺の記憶では、お前はナイトレイブンカレッジの入学式の日に既に敗北を経験している」
「……入学式ぃ?」
シルバー先輩が語り出す。
先輩たちの入学式の日、つまり僕たちが入学する一年前の話。
どの学校でもお決まりの『学園長の挨拶』の途中でそれは起こったという。
学園長の話は長かった。年頃の子どもには毒にも薬にもならないような、道義的に無難でいてつまらない話を延々と喋っていたらしい。
……目に浮かぶようだ。
シルバー先輩が眠気を我慢できなくなり、意識を手放しかけたその瞬間、鏡の間に爆発音が轟いた。ほぼ同時に、当時の新入生たちの頭上を炎に包まれたフロイド先輩が飛んでいったという。
「えぇ!?オレが空飛んでったの!?」
「ああ。俺はもう、本当に驚いて……完全に目が覚めた!おかげで眠る事なく入学式を終える事が出来、お前には本当に感謝している」
シルバー先輩としては、入学式で居眠りをしてツノ太郎やヴァンルージュ先輩に恥をかかせたくなかったので、フロイド先輩の奇行は感謝に値する、らしい。……なんかズレてる気がするんだよなぁ。
一方、フロイド先輩は訝しげな顔だった。
「はぁ?全然記憶にねぇんだけど。誰がオレをぶっ飛ばしたわけ?」
「リドルだよ」
もたらされた答えに、フロイド先輩は目を丸くする。
「リドルって……ちっちゃくて赤い、あの金魚ちゃん?」
「ああ。二年生であの日の騒ぎを覚えてないヤツはいないだろうな」
バイパー先輩は穏やかな顔で言う。
フロイド先輩に追撃せんと暴れるローズハート先輩。それを必死に押さえ込む先生たち。鏡の間に響き渡るほどの大声で爆笑しているジェイド先輩。ちなみにアーシェングロット先輩は他人のフリをしていたらしい。
なんだろう。一瞬も見た事ないのに、目に浮かぶようだ。
「フロイド。オメー、一体なにやったんだゾ」
「だから知らねーって。マンタせんせぇの話はすげー長くてダルかったけど、オレいい子にしてたもん」
「同じ部活になったリドルに、後から話を聞いたんだが……お前は急にあいつの髪を掴んで『赤いのに熱くない』と言ったらしい」
フロイド先輩は人魚だ。当たり前ながら人間とは育った環境が違う。
先輩は特に興味があったら周囲の空気とか気にせず割と気軽に首を突っ込みそうなタイプだし、やりそうではある。
「リ、リドル先輩の髪を!?」
『あの鬼教官相手に、なんて命知らずな!』
セベクとシュラウド先輩の怯えっぷりも解らなくはない。
今は大分丸くなったけど、入学式当時のローズハート先輩は話を聞く限りかなり苛烈な性格だったはず。
……いや、今でもいきなり同級生に髪の毛掴まれたらぶっ飛ばすくらいはするな。多分。
「へー、なにそれウケんね。作り話なんだろーけど、退屈な入学式よりそっちのが面白そ…………うっ!?」
内容を否定しつつも、興味は引かれたらしい。
そして突拍子も無くフロイド先輩は呻いて頭を抱え、周囲の景色が揺らぐ。
「なんだこれ……頭が、痛ぇっ!」
『これは……もしや、夢よりも現実に面白味を感じた事によって、夢の世界が崩れかかっている?』
夢の世界では最強負けなしと認識していても、現実の記憶がその人の脳から失われたワケじゃない。特にフロイド先輩はナイトレイブンカレッジの記憶を中途半端に持っている状態だ。
設定を徹底していない分、綻びも出やすい。
『もっと「現実の方が面白そう」「そっちの方が良かった」って思ってくれれば、目が醒めるかも!』
「おい、貴様ら!他にもっと奴が面白がりそうな話はないのか?」
先輩に頼む態度じゃないのよ。今更いちいち指摘するのも面倒だけど。
『あっ……さ、三年生との合同の防衛魔法の授業で、軽くあしらわれてたの見た事ある』
『もっと具体的に!』
『え、えと……模擬試合でケイト氏と当たって、「弱そうなヤツに興味ねんだけどぉ」とか言って舐めプしてたら、ユニーク魔法で返り討ちにあってた』
「……確かにオレのユニーク魔法と、ハナダイくんが増えるあの魔法、メッチャ相性悪そう……」
冷静に答えつつも、また頭痛に襲われたのか顔を歪めた。
フロイド先輩の『巻きつく尾』は射程の存在する魔法を弾く事が出来る。ただしどこに飛んでいくかは完璧に制御されない。
ダイヤモンド先輩の『舞い散る手札』は精巧な自分の分身を複数体作り出す魔法。分身も魔法を使ってくるし、本体を見分けるのは非常に難しい。
この口振りから察するに、『巻きつく尾』で一度に弾く事が出来る魔法は一つだけ。弾いた先を制御出来ないから頭数を効率よく減らすような戦略も取れない。一斉に多方向から攻撃を受けた場合の対処が出来ない。
なるほど相性が悪そう。
『それからもマレウス氏とかレオナ氏とか、拙者なら絶対絡みたくない相手に挑んで負けてるところばっか見た』
まぁシュラウド先輩は争う土俵が違うって感じだもんなぁ。参謀役とか、そっち方向のイメージがある。戦ったら戦ったで結構しっかりした戦法で一矢報いるイメージもあるけど。
フロイド先輩は戦闘狂とまではいかないにしても、戦う事自体は楽しんでそうだから、その辺りに臆さず向かっていったというのも割とイメージ通り。
「バスケットボールの練習試合でも、俺のマークを振り切れた事はほぼ無いな」
しれっとバイパー先輩が入ってくる。
「パワープレイこそ光るものがあるが、力押しだけじゃどうにもならないのがバスケだ」
「うぐっ……その退屈な話、耳にタコができるくらい聞いた事ある気が……っ!」
よっぽどやり合っているらしい。そして振り切れなくて『助言』されているらしい。
「一年生の頃、どうしてもダンクシュートを習得したいと夜に体育館に忍び込み、夜通し練習した事でバスケットゴールを二つ叩き折ったのは部内での語り草だ」
そりゃ大柄な分、体重もパワーもあるだろうけど、それにしたってバスケットゴールを折るって凄まじい……。
「そして罰として学園長に一週間の体育館掃除を命じられていたぞ」
「……なんだよそれ……その話に出てくるオレ、バカすぎねぇ!?」
痛みに呻き、驚愕し呆れつつも、その表情は段々明るくなってきている。
「でも……何でも簡単にできちゃうより、面白そーかも……」
もうあと一押し。そんな感じがする。
あとひとつ何か、彼の心を動かすエピソードが必要だ。
「期末テストの時も、オレ様と子分に出し抜かれてたんだゾ」
そこでグリムがぴょんと前に出てくる。
「オメーらオクタヴィネルがインチキ契約して、オンボロ寮を奪ってモストロ・ラウンジの二号店にしようとしやがった」
「危うくイソギンチャク奴隷の仲間入りさせられるところでしたね」
「でもオレ様たちの活躍でオメーらの計画は大失敗。いい気味だ!へへーん」
「サバナクローの協力ありきだったけどね」
「嘘だろ。小エビちゃんたちにオレたちが負けるわけが……っ!?」
グリムの言葉を軽くあしらっていたのに、表情は一際不愉快そうに歪んだ。
「き、期末テスト……?」
内心の動揺を映すように周囲の景色が大きく揺れる。強い痛みを示す苦悶の声を上げながら、フロイド先輩は頭を抱えて暴れていた。
「そ、そうだ……あの時、オレらはすげーポカやって、アズールが……!」
珍しく怯えたような声音。
……フロイド先輩にとって、アーシェングロット先輩のオーバーブロットは『良くない』記憶なんだ。悲しいとか不安とか、そんな感じの雰囲気が声から漏れ出ている。
あの時、アーシェングロット先輩が戻った後は飄々としているように見えたけど、彼なりにショックは受けていたんだ。
「知らないはずなのに知ってる……なんだよ、この記憶は!」
悲鳴のような声に応えるように、揺れる景色の隙間から『闇』が滲む。
身構える僕たちの目の前で『闇』は大きく膨れ上がり、人に近い形を取った。
「こんなところにいたんですね、捜しましたよフロイド」
低く穏やかな声に、フロイド先輩が顔を上げる。
彼の目の前には『闇』から作り出されたアーシェングロット先輩とジェイド先輩がいた。
ジェイド先輩はフロイド先輩そっくりの姿で、アーシェングロット先輩は下半身がタコになっている。
アーシェングロット先輩はオーバーブロットした時の姿にも似ているけど、ブロットの飾りは無い。黒っぽい表皮は元からなんだ。眼鏡が無いからか、はたまた肌の色が違うからか、陸にいる時より妖艶な顔立ちに見える。
「話は聞かせてもらいました」
嘘をつくにしたってもっとまともな嘘をついてほしいものだ、と肩を竦めて、呆れた顔で首を横に振る。その仕草はアーシェングロット先輩そっくりだ。
「お前は俊敏な泳ぎと鋭い牙で獲物を捕らえる捕食者、ウツボの人魚。暗闇で光る金色の目を見ただけで、サメもシャチも震え上がる」
アーシェングロット先輩が当然という顔ですらすらと褒め言葉を並べ立てる。日常の彼なら思ってても絶対言わなさそう。
「そんなお前が、陸の人間に負けるですって?」
「有り得ません。陸の人間のつまらない言葉に耳を貸すのはおやめなさい」
「フロイド!彼らに近づくな!もっと深い眠りに引きずり込まれてしまう!」
フロイド先輩は痛みのせいもあって、彼らが唐突に現れた事にはあまり違和感を抱いていない様子だった。警告の声も聞こえてるのか分からない。
偽者の人魚たちは僕たちを冷たく一瞥して、しかしフロイド先輩には優しい笑みを向ける。
「彼らを蹴散らすのは簡単ですが、きっとエビを追い払うよりも退屈です」
ジェイド先輩がフロイド先輩に手を差し出す。
「さあ、こちらへ。一緒にもっと楽しい事をしましょう」
「楽しい……こと?」
「今日はあなたのやりたい事に何でも付き合いますよ」
「難破船でサメと取っ組み合い?恋に悩む人魚を唆して、ひと稼ぎするのも悪くない」
アーシェングロット先輩も笑顔を崩さない。僕たちの事は眼中にない、って感じ。
「つまらない陸の事なんか忘れて、楽しくやっていきましょう。これからもずっと、三人一緒に海の底で」
「三人、一緒…………」
「ああ、なんて素敵な生活。これ以上何を望むというんです?」
呆然としているフロイド先輩をどう思っているのか、偽物の人魚たちはうっとりと夢を語る。
でもなんか、すっごいイヤな予感がした。グリムを抱えて後ろに下がる。
バイパー先輩やシルバー先輩も同じように感じたらしく、フロイド先輩から距離を取っていた。
「……言わねぇだろ……」
ぼそりとフロイド先輩が呟く。偽物たちが首を傾げると、フロイド先輩は勢いよく顔を上げた。
「そんなつまんねぇこと、お前らは絶対言わねぇだろ!!」
怒鳴りつけるその顔は、完全に怒りに染まっていた。
目の前の二人が偽者だと確信している。
「誰だよ、テメェら……その顔で、その声で、気持ち悪ぃこと言ってんじゃねぇよ!!」
明確な拒絶を示し、すぐに表情が苦悶に歪む。巨体が砂を巻き上げながら暴れ、痛みに苦しむ声が叫びに変わった。
偽者の人魚たちがおろおろしている間に、フロイド先輩の動きが止まる。もう叫んでもいない。人間で言えば興奮に肩を弾ませているようなところだろう。代わりに殺気立った視線を偽物の人魚たちに向けた。
「……くっそ、頭いってぇ……」
捕食者という表現が似合う、剣呑な表情。近づいたら危ないと見ただけで理解できる。
「本物のジェイドだったら、オレの失敗談とか全部聞き出そうとするし……いくらアズールが息するみたいに嘘つくヤツでも、陸がつまんねーとか、三人でずっと一緒にとか……絶っっっ対に言わねぇわ!!」
いつも割と気の抜けた調子の彼には珍しい、力の入った言葉だった。それほどに『闇』の言葉は彼の不興を買ったらしい。
「乗り気じゃないなら、ついてこられないなら……構わず置いていく。それがオレらのルールなんだよ」
いつも三人一緒に見えるけど、彼らなりの決まりがある。
まぁ、ナイトレイブンカレッジに入学した同郷の人魚なんだから、いつもつるんでいてもおかしい事ではないよね。別にめちゃくちゃ気が合うってワケじゃなくても、逆に反りが合わないって感じでもないみたいだし。『やる事が無いから故郷に帰る』という発想のある彼なら、つるむのに同郷の仲間を選んでしまうというのも違和感は無い。
気分屋で気まぐれで予測不可能。でも常人には全く共感できないワケでもない。彼にも人間に近しい情がある。
「それなのにさぁ……お前らマジでキメェし、ムカつく。難破船の隣に沈めてやるよ!!」
……まぁ、今の彼からは『情け』というものが全く感じられないんですけど。
決めてしまえば行動は速い。尾の一撃で偽者がぶっ飛ばされる。不意打ちで無様に水中を揺れる身体を、鋭い爪が引き裂いた。
素早い上に一撃の威力が高すぎる。前に僕らを追いかけてた時はあれでも加減してたのか。
「フロイド、どうして……?」
「僕たち……親友……でしょ……」
致命傷を受けた『闇』はその輪郭を滲ませながらも、装っている人魚と同じ声で戸惑いの言葉を吐く。
その声ごと、太く長い尾が海底に叩き潰した。黒く濁ったものが砂と一緒に巻き上がり、水に溶けて薄れていく。
「最後までうぜぇな。二度とそのツラ見せんな、雑魚がッ!!」
しかしフロイド先輩の怒りは収まらない。彼らが潰れた場所を何度か打ちのめした後、すぐ傍の沈没船にも尾を叩きつけた。沈んで尚も形を保っていた頑丈そうな船が、攻撃される度に砕けて木片や部品を辺りにまき散らす。