7−4:虹色の旅路


 涼しい朝の空気を通り抜けて、青く広がる世界を見下ろす。
 上を見れば青い空、下を見れば青い海。その境界は色の深みで示されているものの、それ以外の何も見つけられない。そんな余裕無い。
 このままだと海の中にまっさかさまだ。水着なんか着てないし、耐水性の服を着ているワケでもない。え、このまま落ちるの?
 密かに身構えていると、オルトが僕たちをまとめて抱え上げた。足からジェット的なものを噴出して宙に浮いている。
『霊素シグナル・トラッキング成功。指定された座標へ到着しました』
 いつもの事務的な到着アナウンス。どうやら目標地点はここで間違いないらしい。
「ふな~!オルトにしがみついてる人数が多すぎて、オレ様潰れちまいそうなんだゾ!」
「もうちょっと我慢して、グリム!多分誰かがなんとかしてくれるから!」
「貴様、自分で何とかする気はないのか!」
「だって僕、魔法使えないもん!!」
 不毛な言い争いをしている僕たちに呆れた眼差しを向けてから、バイパー先輩がおもむろにマジカルペンを取り出す。海面に向けて振ったかと思えば、魔法の光が届いた場所を中心に氷が広がっていった。楕円形に広がった氷は規則性を持ってところどころ隆起して、気づけば一隻の氷のボートが完成している。これだけの人数が乗っても大丈夫そうな大きさだった。
「オルト、俺たちをあそこに降ろしてくれ」
『了解!』
 オルトの誘導を受けて、ひとりずつボートに降り立つ。海上だけど波は穏やかなので、全員危なげなくボートに座る事が出来た。グリムは僕の膝の上に乗っている。
 その間にシルバー先輩が海に魔法を放って、氷の櫂を作っていた。ひとまずこれで推進力も確保できた事になるかな。……めっちゃ海のど真ん中っぽいけど。
「よし、櫂ができたぞ。柄を握る時に冷たいが、無いよりは良いだろう」
『さすがは二年生の先輩たちだ。頼りになるね』
「全員を一度に抱えて飛んでいたお前ほどじゃないさ」
 バイパー先輩の言葉にシルバー先輩も頷いていた。一方、他の一年生はちょっと憮然としている。
「……それで?どうして僕たちは急に海の上に放り出される羽目になったのだ?」
「見渡す限り海で、陸地も見えない。夢の主はどこにいるのだろう」
 セベクが不機嫌そうに口火を切れば、シルバー先輩も続けて疑問を口にする。
 大体これまでの通例として、夢の中を移動してきて最初に降り立った場所からそう遠くない所に夢の主がいた。いきなり目の前にいて声をかけられる事もあれば、少し離れた所にいて見つけた事もあるので、距離感は一定じゃないけど。
 しかしその前提を置いたとしても、現在地は陸地も見えないような海のど真ん中。夢の主がここから見えない陸地のどこかにいるのなら、近い海の上じゃなくて多少距離が遠くても地上に降ろされる気がする。
 だとすれば、夢の主はこの近くで漂流しているか、海の中にいるかのどちらかだ。
「海と言えば思い当たる人物が数名いる。そして、その全員に共通するのは……」
 多分似たような事を考えていたらしいバイパー先輩が口を開く。
 その途中で、ボートに大きな衝撃が走った。船底に何かぶつかったような感じ。
 風も無いのに海面が大きく波立って、ボートが大きく揺れている。
「なんだ!?ボートに何かがぶつかったぞ!」
 驚いていると、また何かがぶつかった。氷の船が音を立てて軋んだ、気がする。
「ふなあぁ!グラグラしてるんだゾ!海に落ちちまう!」
『ボートの下に巨大な霊素反応あり!猛スピードで再び接近中!』
 オルトが冷静に分析する。海面を見下ろす目の動きを見るに、かなりのスピードで動き回っているらしい。
「ま、まさか……人喰いザメ!?」
「ひっ、人喰い!!??」
「きっと久しぶりの餌が来たから、はしゃいでるんだ……凄くお腹を空かせてるのかも……」
「あばばばばばばば、お、おおおおオレ様おいしくないんだゾー!!」
「落ち着け、グリム!ユウも、必要以上に怯えさせるな!」
「……サメのワケないだろう、とは言わないんだ?」
「……夢の世界だから、生態を理由に無いとは言い切れない」
 セベクが真面目に答えたので、グリムは完全に白目を剥いて固まってしまった。でもホントに人喰いザメだったら洒落にならない。海の中じゃ殴れないし。
「このボートを転覆させようとしているのか!?まずい、このままじゃ……」
 警戒の声を遮るように、ドカンと一際大きな衝突音。下から突き上げる衝撃と同時に、体が一瞬空中に浮き上がる。そして平行を失った船から僕たちは投げ出される。
 悲鳴と派手な水音が重なった。身体が冷たいものに包まれる。
 ヤバいスマホ防水だったっけ!?ああこういう事考えたらむしろ壊れちゃうのかな。
 とかパニックになったのも束の間。
「がぼごぼげべべ!息が出来ねぇんだゾ~~!」
「落ち着け、みんな!敵の襲撃に備えて……ん?水の中なのに、普通に声が出ている?」
 はたと気づいたシルバー先輩の言葉で、みんなも我に返って自分の状態を冷静に観察し始めた。
 みんなの身体がそれぞれ巨大なシャボン玉のようなものに包まれていた。僕とグリムは同じシャボン玉の中にいる。呼吸も出来るし、身体も少しひんやりするぐらいで、極端に寒くはない。それどころか水に濡れてもいない。
「本当だ!呼吸が出来るぞ」
「これは一体……?」
『魔導ナノマシンで作られたエアドームだよ』
「イデア先輩。魔導ナノ……なんなのだそれは?」
『平たく言うと、凄く小さいロボットが合体して作り出してる潜水用カプセル』
 酸素の補給や圧力の制御機能を搭載しており、水の中でも自由に動ける。今はさっきの生体反応を追いかけて海底を目指している状況との事。
 普通に考えて『S.T.Y.X.』が次の行き先を指定してるワケだし、そこで潜水の必要があると思えばその装備を用意してないハズが無い。
 ……つまりこの夢は海に縁深い、夢の領域として海底を構築していても違和感の無い人物の夢って事。となると、バイパー先輩の思い当たる人たちの誰かかもしれないなぁ。
「助かった!これでボートを襲ってきた生物と戦える」
 セベクはやる気満々。シルバー先輩も警戒を強めていた。
 海の底へと向かうにつれて、辺りはどんどん暗くなっていく。前に海中を歩いて博物館へと向かった時とは全く雰囲気が違った。整備が完璧でないとはいえ、あの辺りは地上の人間にとっても歩きやすい場所だったのかもしれない。
 やがて海底の砂や海藻が見えてくる。建物のような黒い影は、沈んだ船みたいだ。凄く立派だけど、かなり古い時代のものっぽい。ちょっと怖い。
 海底に足が届いた頃、オルトが顔を上げた。
『前方十メートル先に霊素反応あり。体長、おおよそ四メートル!あの大きさ、ボートを転覆させたヤツに間違いない』
「四メートルだと?かなりの大物だ。魔法で確実に仕留めるぞ!」
 バイパー先輩の声に、シルバー先輩とセベクが頷く。
「ユウ、君は下がっていろ」
 エアドームに包まれた状態だと、物理攻撃は難しい。多分割れちゃう。ここはバイパー先輩の指示に従うべきだろう。
「わかりました。気をつけてくださいね!」
「人喰いザメかもしれねえからな!」
 言いながら、グリムも僕に抱えられたままみんなと同じ方を睨んでいる。多分、守ってくれるつもりなのだろう。
「さあ、いつでも来るがいい!!」
 セベクが声を張り上げる。海面の船に体当たりしてきたような海の中の生き物が、この大声を聞き逃すとは思い難い。
 しかし僕たちの思惑とは裏腹に、標的は襲ってこない。エアドームが空気を入れ換えるぽこぽこという間抜けな音がするばかりだ。
「なんにも襲って来ねぇんだゾ」
『確かに十メートル先に反応はあるんだけど……さっきから、ピクリとも動かない』
「仕掛けてこないのなら、こちらから行かせてもらおう」
 周囲を警戒しつつ、前に進む。他に危険な生物はいなさそうな雰囲気だけど、何が起きるか分からないし。
 恐る恐る沈没船の向こうを覗きこむ。
「はぁ~~~~~~~~………だり~~~~~~…………」
 気の抜けきった声が辺りに漂う。こっちまで脱力しそうだ。
 沈没船の影になる所にいたのは、体長四メートルとの分析に違わぬ巨大な生物……もとい、人魚だった。
 海の水の色に同化するような肌色、左右で違う目の色。筋骨隆々とした人の形の上半身も、身体の半分以上を占める太くて長い尾も、脱力しきって海藻のように漂っている。
 その無気力な人魚の周りを、夢の主の証である鳥の形をした光が舞っていた。
「面白そうな事が起きたと思ったのに……ただの陸の人間かぁ……」
「フロイド!?」
 名前を呼ばれたフロイド先輩は、面倒くさそうにこちらに視線だけを向けてきた。
「ん~……オレのこと知ってんのぉ?なんかぁ……陸の人間ってみーんな同じように見えて……あれ?」
 そう呟いて首を傾げたかと思うと、ぬるりとみんなの合間を縫ってこちらに泳いできた。グリムがひぇっと声を上げる。
「小エビちゃんにアザラシちゃんじゃん。こんな所で何してるの?」
「え?ええっと……」
「どうしたの?アズールと喧嘩した?またジェイドが余計な事した?」
「ちょっと待て。何でそこでアズールの名前が出てくるんだ」
「だって小エビちゃん、アズールの番だし」
「…………ツガイ?」
『恋人。婚約者。結婚相手。まぁそんな感じの意味だと思われ』
 首を傾げるグリムに、シュラウド先輩が説明する。
 ああそっかー、なるほどここでもそんな感じかー。
 そういえば、いつぞやのデートも発案はフロイド先輩だったな。アーシェングロット先輩の恋路については全肯定な感じなんだ。ちょっと意外。
「なぁに、面白そうな事なら相談乗ったげるよ」
「え、ええっと。そういうワケでは……」
「アズールと喧嘩したのかもしれない、とは考えても、俺たちの誰かがユウの浮気相手かもしれない、とは考えないんだな」
 バイパー先輩が多分純粋な興味で尋ねる。……いや何て事訊いてんだコイツ。
 僕の内心の焦りには気づいた様子もなく、あるいは興味もなく、それでいてフロイド先輩はつまらなそうにバイパー先輩を振り返る。
「それはないっしょ。トド先輩とかベタちゃん先輩とかなら分かるけど。つか、いくら小エビちゃんがアホで間抜けで考えなしでも、浮気相手なんかオレの前に連れてくるわけないじゃん」
 …………アホで間抜けで考えなしだと思われてるんだぁ……。そりゃまぁ、賢くはないけど。ちょっとへこむ。
「つか、ホントに喧嘩したわけじゃねえの?」
「あ、はい。それはないです」
「えー、なぁんだ。つまんね~……」
 フロイド先輩はまた無気力に海を漂い始める。
『ねえ、フロイド・リーチさん』
「ん~?」
『アズール・アーシェングロットさんとユウさんは、どんな経緯で番になったの?』
「え~?……どうだったっけ。確か、マンタせんせぇが小エビちゃんをこき使ってたから、アズールが助けてあげたんじゃなかったっけ」
 なんか微妙に現実とリンクしてんな。
「アズールが服買ってあげたりデートしたり、小エビちゃんもモストロ・ラウンジ手伝ってくれたり、一緒にメニューのアイディア出したりして」
 やっぱりなんか微妙に現実にあった事が被せられてるなぁ。
 フロイド先輩は僕の顔を見てニヤリと笑う。
「アズール、小エビちゃんにベタボレだから。ちょっと浮気したぐらいじゃ離してくれねーよ?相手の男は無事じゃ済まないだろうけど」
 この人に言われるとそんな気がしてくる。浮気した恋人は許すけど、浮気相手の男は消息不明になるみたいな。
「いや浮気なんかしませんけど!!??」
「だよね。小エビちゃん割と真面目だもん」
 とか言いつつまたふわふわ漂い始める。
 僕たちは何となく顔を見合わせた。
『フ、フロイド氏ってこんなキャラだったっけ……?』
『どうだろう?かなりの気分屋だという情報はあるから、今は気分がローなだけかもしれないよ』
「ナイトレイブンカレッジの記憶はあるみてーだな」
「……でもあの感じだと、現実と違う所が結構ありそう」
 まぁ見えてる違和感は『僕とアーシェングロット先輩が恋人になってる』って所なんだけど。
 おそらくアーシェングロット先輩が僕に好意を持った経緯が異なっていて、つまり現実であったオンボロ寮乗っ取り計画もフロイド先輩の夢の中では起きていない可能性が高い。
 …………そもそもアーシェングロット先輩って、どうして僕の事を好きになったんだろう。そういえば聞いた事ないかも。
 あの騒動が終わってから極端に態度が軟化したと思うから、バイパー先輩よりは分かりやすいきっかけがあったんだと思うけど、そんなもん僕が知るワケないし。
「もう少し情報が必要だな」
 シルバー先輩がぼんやりしているフロイド先輩に近づく。
「フロイド、アズールやジェイドはどうした?」
「えぇ~……なんでオレに訊くの?小エビちゃんの方が知ってるでしょ」
「お前たちはいつも一緒にいるだろう。どうして今は一緒にいないんだ?」
「別にいつも一緒じゃねーけど。オレはもう陸に興味ねーしぃ」
「お前は一人で海に戻ってきたのか?」
「んー……だって、つまんねーから」
「つまらない?」
「だって、何やっても上手くいくんだぜ……はぁ……」
 言葉とは裏腹に、なんだか疲れ切っているように聞こえた。
「オレさぁ、陸には海にいないような面白いヤツがいっぱいいるんだと思ってたわけ。でも、みーんな弱くて噛みごたえの無い雑魚ばっか」
 失望を映すように声音にも力が入っていない。どれかと言えばふわふわした喋り方をする人ではあるが、輪をかけてあからさまに無気力だ。
「どいつもこいつもアズールにあっさり騙されちゃってさぁ……イソギンチャクも、もういらねーよってくらい手に入ったし」
 …………そこのやり方は変わらないんだ。
「あっという間に二号店、三号店も開店して……アズールはもっと店舗を増やすんだ~ってはしゃいでた。ジェイドもそれについてっちゃった。別にいいけど」
「……『アズールにあっさり騙されて』という不穏な発言が気になるが……順風満帆ではないか。何が不満なのだ?」
「なにっていうか、全部がつまんなくって……もうどうでもいいや~ってなっちゃってぇ~……」
 何となく感じるのは、フロイド先輩の欲しいものは『結果』ではなく『課程』にあるという事。
 細やかな計画を立ててその通りに進行する事より、行き当たりばったりでアクシデントを越えながら進める方が恐らく性に合っている。
 もっとも、やる気をなくす事がある以上、『障害があった方が燃える』タイプでもないと思うけど。

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