7−4:虹色の旅路
ふと気付けば世界が赤い。
……何してたんだっけ。
ぼんやりと目の前の光景を眺めていた。たくさんの人が整列している。その前に立った誰かが楽しそうに笑っていた。
独特な雰囲気の調度品。見覚えのある内装。毒々しく赤黒い窓の外。
ここがスカラビア寮の談話室だと思い至る頃には、これまでの経緯も何となく思い出していた。
バイパー先輩の夢の中で、目醒めそうなところで邪魔が入って、先輩と一緒に『闇』に飲み込まれて意識を失った。
正面にいた笑っている誰かは、見慣れた寮服を纏ったバイパー先輩だ。整列している人たちはスカラビアの寮生たちで、その列の先頭にはアーシェングロット先輩の姿がある。でもリーチ先輩たちの姿は無い。
起きあがろうとすると身体が重い。ふと手元を見て、見覚えの無い服を着ていると気付く。
どうにか身を起こして自分の姿を見れば、どう見ても女物のドレスを着せられていた。なんかキラキラした赤い生地で、ところどころに金の装飾がついている。頭も重いから何か付けられてるみたい。
「ああ……お目覚めかな、俺のプリンセス」
バイパー先輩が微笑みながら近づいてくる。どんな顔したらいいのかわからない。
「バイパー先輩……」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてくれよ。敬愛を込めて『ジャミル様』でいい」
「そっちの方がどうかと思いますけど!?」
「君の未来のご主人様だからな。今から慣れておいた方が良いだろう?」
バイパー先輩は僕の隣にどっかりと腰を下ろし、強引に抱き寄せてくる。花の蜜と香辛料を混ぜたような、複雑で独特の香りがした。
「未来のご主人様って」
「これからアイツを使って、君の身柄を学園長から引き受けるんだよ」
アイツ、という部分でアーシェングロット先輩を指した。アーシェングロット先輩は無反応だ。整列している寮生たちも含め、どうやらバイパー先輩のユニーク魔法を食らった状態っぽい。
「そうしたら戸籍も作って、君をうちに迎える。成人したら晴れて俺の伴侶というワケだ」
「ぼ、僕の意思は!?」
「別に文句は無いだろう?俺たちはとっくの昔に相思相愛じゃないか」
「はい!!??」
覚えが無いなんてレベルじゃない。
この場面がウインターホリデーのあの騒動の『うまくいった』場合なら、そもそも僕とバイパー先輩にあの時点での接点なんてほとんど無かった。マジフト大会の情報収集で喋ったくらい。
大混乱で呆然としている僕の顔を、バイパー先輩が覗きこんでくる。
「……ほら、いつもみたいにキスしてくれ」
その目が怪しく光る。ヤバいと思った時には、身体が勝手に動いていた。
自分からバイパー先輩に抱きついて、唇を触れ合わせる。
我に返って突き飛ばそうとしたけど、読まれていたのか腕を掴んで防がれた。むしろ深く抱き込まれて、何度も口づけられる。わざと音を立てられて恥ずかしいなんてレベルじゃない。
「……本当に君はかわいいな」
抵抗しきれなかった事を指してるんだろう。一発殴ろうと思ったけど、また捕まっても嫌なのでとにかく距離を取った。袖口で思いっきり口元を拭うと、バイパー先輩は気にしてないようで意地の悪い笑みを浮かべて離れていく。
ふとアーシェングロット先輩の方を見ると、なんか涙目でぷるぷるしていた。操られているけど反応はするんだ……バイパー先輩、よっぽど見せつけたかったんだな……。
「ああ、とても清々しい気分だ……。これが『自由』か!最高だ」
そんなアーシェングロット先輩を全く気にした様子もなく、バイパー先輩は立ち上がり、のびのびと悪い笑顔を全開にしている。
「一番目障りだったカリムはすでにいない。そしてアズールも俺の手中に落ちた」
名前を呼ばれたアーシェングロット先輩は、恭しく一礼する。まだちょっと涙目になってるけど。
「アズールが握っている学園関係者の秘密を上手く使えば、俺の手を汚す事なく他の寮長も失脚させる事が出来るかもしれない。そうだろう?アズール」
「……はい、ご主人様」
「手始めにリドル・ローズハートだ。アイツは世間知らずの石頭だし、寮生たちから恨みも買っている。楽に追い出せそうだな」
それはどうだろう。
ローズハート先輩には、クローバー先輩とダイヤモンド先輩という情報収集と根回しに長けた厄介な側近が二人もいる。
寮生の恨みは買ってるけど、それは割とどこの寮でもあるあるな気がするし、弱みを握ったくらいじゃ返り討ちに遭いそう。
「次にレオナ・キングスカラー。いつも寝てばかりで怠惰の極みのくせに、なぜ寮長に?」
まぁ寝てばっかりで補習もサボるアレな人だけど、魔法士としての実力は学内トップクラス、頭も回るし、ツノ太郎を除けば戦闘能力は一番高い可能性もある。
そもそも獅子の獣人属で身体能力に恵まれてて、ユニーク魔法もかなり強力だ。『強さ』が物差しのサバナクローでは絶対的な評価を受けるに相応しい存在だろう。
「どうせアイツも実力じゃなく、コネで寮長になったんだろうよ。ふんぞり返っていられるのも今のうちだ!」
なんかすっごい私怨を感じるのは気のせいだろうか。何かあったのかな。
「ヴィル・シェーンハイト、イデア・シュラウド、マレウス・ドラコニア……他の寮長も、叩けば埃が出そうな奴らばかり。学園を去る寂しげなアイツらの背中を見るのが楽しみじゃないか」
甘い願望を語って楽しそうに笑う。
ここはバイパー先輩の夢の中。バイパー先輩の思い通りになる世界。
だから先輩の分析が雑でガバガバでも、望めば叶ってしまう。
……でも、そんな勝ち方で、バイパー先輩は本当に満足なんだろうか。
「寮長たちを全員追い出したら、次は学園長だ。アイツは教師の風上にも置けないクズ野郎。どんな手を使っても、絶対に引きずり下ろしてやる」
いつになく語気が荒い。本当に学園長の事が憎くてたまらないって感じだ。
……アジーム先輩って編入なんだよね。後から入学許可証が届いたって話してたと思う。
ナイトレイブンカレッジに入学する事でアジーム家から一時的に解放されたバイパー先輩にとって、入学許可証を送ったであろう学園長は諸悪の根源に等しいって事か。
彼にとって、学園長の追放は復讐なんだ。
「そして学園長も追い出したら……この学園は俺の意のまま。俺がこの学園の支配者だ!ははは……あーっはははははは!!!!」
都合のいい計画を語りたいだけ語って、心底楽しそうに笑う。気持ちいいぐらいの大笑いだ。しかし整列した寮生もアーシェングロット先輩も全く反応しない。僕も正直反応に困っていた。
「ジャミルーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!」
「ぐはっ!?」
そんな空気を流星のように現れた少年が切り裂く。
どこからか飛び出してきたアジーム先輩は全力でバイパー先輩に駆け寄り、その勢いのまま右拳で思いっきりバイパー先輩を殴っていた。勢いに押されたバイパー先輩が尻餅をつく。
「な……カリム!?どうしてここに!?」
アジーム先輩は肩で息をして、問いには答えない。ただ強い眼差しをバイパー先輩に向けていた。
アジーム先輩の飛び出してきた方向に顔を向けると、シェーンハイト先輩とグリムがこちらに駆け寄ってくるところだった。その後ろにはセベクとシルバー先輩、オルトの姿もある。
「よかった!無事だったんで……」
言葉の途中でシェーンハイト先輩に強引に抱き寄せられる。間髪入れずに唇を塞がれた。咄嗟に呼吸の仕方を忘れて、苦しくなって肩を叩いて訴えたけどなかなか離してくれない。
唇が離れるとまず呼吸で必死になった。しかし息つく暇もなく、シェーンハイト先輩は僕の顎を掴むと、懐から取り出したリップクリームを唇に塗る。
「自分で唇すりあわせて馴染ませなさい」
言われるがまま唇をむにゃむにゃ動かす。出来てるか確認するつもりで顔を見上げれば、満足そうに微笑まれた。
「よくできました」
そしてもう一回、今度は軽くキスされる。先輩は僕の頭を撫でてから、自分のリップを直しはじめた。それはいいんだけど。
「えーっと……どうなってるの?」
『ジャミルさんとユウさんが「闇」に飲まれたのを追いかけてきて、作戦を立てながらジャミルさんの悪巧みを聞いてたら、カリムさんが飛び出しちゃったから僕たちも開き直って出てきたところだよ』
「説明ありがとう、オルト」
さり気なくひっついてきたオルトの頭を、お礼を言いつつ撫でる。
「おい、この服登れねえんだゾ」
「ああ、はいはい。ほらおいで」
足下でスカートをぺちぺち不満げに叩いているグリムを抱き上げる。すると僕の首もとに抱きついて、頭を押しつけてきた。
心配してくれてたみたい。
背中を宥めるように撫でると尻尾が不満げに腕を叩いていた。
一方、バイパー先輩は乱入してきた先輩たちに敵意を向けてくる。いやまぁ、当たり前なんだけど。
「他寮の人間が何の用だ!学園を退学して、療養のために入院しているカリムまで引っ張り出してきて!!」
「馬鹿野郎ッッ!!!!!!」
怒りのままに非難を口にしたバイパー先輩に対し、アジーム先輩は更なる怒りをぶつけた。こんなに怒ってる姿は初めて見たかもしれない。
「ば……馬鹿!?」
「大馬鹿だよ!お前、言ってたじゃないか。誰にも遠慮する事なく、正々堂々と実力を出したかったって」
バイパー先輩は言葉に詰まる。
「なのに、汚い手を使って他人を陥れようとするなんて、全然正々堂々としてないじゃないか!お前が欲しかったのは絶対、そんな方法で手に入るものじゃないだろ!」
まっすぐに突きつけられた言葉に対し、バイパー先輩は目を逸らせない様子だった。それほどにアジーム先輩の言葉には強い想いが込められている。
「今すぐ目を醒ませ、ジャミル!」
バイパー先輩は明らかに動揺しているように見えた。
「……俺が欲しかったもの、だと?」
そう呟いたと思うと、周囲の景色が歪む。バイパー先輩は頭を抱えて苦しんでいた。
アジーム先輩の言葉、バイパー先輩には凄く響くみたい。さっきもアジーム先輩の話だけで目を醒ましそうな雰囲気だったし、今度こそいけるかもしれない。
「……くそ、好き勝手言いやがって……能天気なお前に、俺の何が分かる!」
そんなあっさり終わるはずは無かった。
バイパー先輩はアジーム先輩を殴りつけた。いいパンチ。多少加減はしてるかもしれないけど、アジーム先輩はちょっと吹っ飛んでた。
しかし、それで諦めるアジーム先輩じゃない。すぐにぐっと四肢に力を入れて立ち上がった。
「……わ、わかんねぇよ。『空気を読む』とか『察する』とか、オレがすげー苦手なの、ジャミルが一番わかってるだろ!?」
言い返しながらバイパー先輩を殴り返す。バイパー先輩は醒めかけてるせいか避けられなかった。
不意打ちではないアジーム先輩のパンチを受けてしまい、屈辱と痛みに顔を歪めつつ、言葉も手も止めない。
「開き直るな、図々しい!お前のそういうところが、大っっ嫌いなんだ!」
真正面から腹部を狙った一撃。アジーム先輩は呻いたけど、今度は倒れなかった。
「言ったな!オレだって……お前の裏表あるところが大っ嫌いだ!」
そして同じところを殴り返す。
お互い真正面から睨み合う。
「その裏表に気付いたのは最近だろうが!この鈍感野郎!」
「細かい事ばっか気にすんじゃねぇよ!この皮肉野郎!」
「間抜け!」
「嫌味!」
「うすらバカ!」
「わからずや!」
殴り合い蹴飛ばし合い、ついには相手に掴みかかり押し倒し、談話室の中を転げ回る。筋力はバイパー先輩が上だけど、アジーム先輩も柔軟性では負けていない。押さえ込もうとしても互いに上手く逃れ、馬乗りになる立場が何度も入れ替わる。
「何だあれは。まるで子どもの喧嘩だ」
殴り合う二人を見て、セベクが呆れたように言う。
とはいえ二人の気迫は相当なもので、『闇』であるスカラビア寮生たちやアーシェングロット先輩まで、呆気に取られた様子で立ち尽くしている。好都合ではあるけど。
「だが、これは好機!カリム先輩に加勢するなら今だ。いくぞシルバー!」
「いい、セベク。大丈夫だ」
鼻息荒く参戦しようとしたセベクをシルバー先輩が諫める。
「……気が済むまでやらせてやろう。気持ちのこもった拳は、時に言葉よりも強く相手に響く。……俺もそうだった」
彼の柔らかい微笑みを見たセベクは、武器を納めて見守る姿勢になった。オルトも、シュラウド先輩も、シェーンハイト先輩も何も言わずに見守っている。グリムでさえ加勢するという発想はなさそうだ。
「いってぇ!畜生、本気でやりやがったな!頭がくらくらしてきたぜ……ッ!」
「ならいい加減、降参したらどうだ。それで、さっさと実家に帰れ!」
「やなこった!ジャミルこそ、息が上がってるぞ」
傷だらけで立ち上がり、何度目かの掴み合いになるか、と思われた時、アジーム先輩の唇が弧を描いた。
「へへ……へへへ……あっはっはっは!!」
そのあまりに楽しそうな笑い声を前に、バイパー先輩も毒気を抜かれて立ち尽くす。すぐに不機嫌そうな表情になって、アジーム先輩を睨んだ。
「こんな状況で、何を笑っている?」
「なあ、ジャミル!十七年一緒にいて、初めてだな。こんなふうにお前と喧嘩するのは!」
「はぁ!?当たり前だろうが!」
屈託無く笑うアジーム先輩に、バイパー先輩は不機嫌を隠さずに返す。
「現実でお前をボコボコにしたら大問題…………あ?」
そして自分で言った言葉に疑問符を浮かべた。
周囲の景色が歪む。バイパー先輩の表情がまた苦悶に歪んだ。
今度こそ目を醒ましてほしい。
祈るような気持ちでいると、談話室のテレビが唐突に点いた。『闇』以外の誰もが、突然の現象に思わずそちらを見る。
大きな横長のテレビの真ん中に、棒状の映像が浮かんでいた。スマホで撮影された動画をテレビで紹介する時みたいなレイアウトだけど、映像の両側の空いたスペースは真っ暗だ。
縦長の映像の中心には、バイパー先輩がいた。今まさに殴り合ってボロボロの状態の、そのままの姿で。
「…………え?」
バイパー先輩が声を漏らす。
映像の下の方に、文字列が見えた。増え続ける視聴者数と経過時間。そして『ライブ配信中』の表示。
マジカメのライブ配信画面だ。バイパー先輩の映ってる角度を見れば、撮影者は誰か判る。
バイパー先輩は棒立ちしているアーシェングロット先輩を振り返り、その上着を探った。予想通り、スマホが不自然な位置にセットされている。
まるでバイパー先輩の一挙手一投足を逃さず撮影しているみたいだ。
バイパー先輩はスマホを奪い取り配信を止めようと操作しているが、全く止まった様子はない。その間にも視聴者数は恐ろしい勢いで増えていく。
「なんで、なんで……!?」
カメラを塞いでも配信映像はバイパー先輩を映し続けていた。焦っている姿を笑い物にするみたいに。もうどこから撮影してるかなんて分からない。
経過時間を見るに配信が始まったのは恐らく、僕が目を覚ました後ぐらいからだと思う。
つまりバイパー先輩の悪巧みも、アジーム先輩との取っ組み合いの喧嘩も、全部リアルタイムで配信されていた事になる。
もっとも、これは夢の中だ。そんなもの現実には流れていない。彼の名誉は守られている。
だけどバイパー先輩にとってここはまだ『現実』だった。
「ああ……あああぁぁぁぁぁぁああああああっっっ!!!!!!」
絶叫しながらアーシェングロット先輩のスマホを床に叩きつける。テレビの中の画面もヒビが入っているのに、それでも配信は止まらない。
「どうし……誰か、……父さん、母さん……ナジュマ……!!」
バイパー先輩は自分のスマホを取り出して必死に操作している。家族に連絡しているんだろうけど、繋がった様子は無い。
「おい、ジャミル!しっかりしろ!どうしたんだ!」
アジーム先輩が駆け寄って肩を揺さぶっても、スマホから目を離さない。
ふと顔を上げると、アーシェングロット先輩の偽者もスカラビア寮生も、歪な笑顔を浮かべてバイパー先輩を見ていた。
「僕を『傲慢な魔法士』と思って油断していましたね」
アーシェングロット先輩が聞き覚えのある台詞を放つ。
「熟慮の精神をモットーとするスカラビアの副寮長ともあろう者が、ザマァない」
明らかな嘲りを向けられても、バイパー先輩は彼の顔を力なく見上げるだけだった。
「もっとも……『自由』があなたの望みでしたよね?これで叶いますよ」
「な、何を、言って」
「もう従者を続ける必要はない。守るべき家族なんて、どこにもいないんですからね」
冷ややかな言葉を受けて、バイパー先輩はスマホの画面に視線を落とした。目を見開いたかと思うと、その手からスマホが滑り落ちる。
固い音を立てて床に落ちた画面には、咄嗟に送ったような短いメッセージだけ。
『にげて』
『げんきでね』
バイパー先輩を責める言葉は無い。ただ状況だけが察せられる。
それだけで、トドメを刺すには十分だった。
「……ぁ…………ぁぁぁぁああああああああああああああっっっ!!!!!!!!!!」
絶望の叫びに呼応するように、轟音と共に地面が揺れて天井が裂けた。裂け目から『闇』が噴出して、世界を飲み込んでいく。
「これは、ヴィル先輩の時と同じ!」
『夢の世界が崩壊する!急いで離脱して!!』
「ジャミル、しっかりしろ!ジャミル!!」
「俺は……俺は、何のために、今まで……」
バイパー先輩はアジーム先輩の声も聞こえない様子だ。
シェーンハイト先輩の時と同じなら、このままだと世界が崩壊して、更に深い『闇』の中に落とされる。
夢の主であるバイパー先輩がシルバー先輩と離脱できるか分からないし、もしかして平静を取り戻せば崩壊も落ち着くかもしれない。
「バイパー先輩!」
「ジャミル!」
僕と一緒にグリムが声をかける。そこでやっと声に反応した。
「落ち着いてください。これは現実じゃない!ご家族は無事です!」
「現実……じゃない……?」
「そうだよ、これは夢なんだ!」
「ウインターホリデーの時は、アズールたちが嘘ついてたんだゾ!ハイシンなんかしてないって!」
「…………もう、いい……」
バイパー先輩が力なく首を横に振る。それに応えたみたいに、近くの天井が崩れて瓦礫が降り注いだ。衝撃で地面が更に割れて『闇』が溢れてくる。
「もう疲れた。もう……ほっといてくれ……」
僕らのいる床も今にも割れそうだ。また落っこちる事になりそう。
「……グリム、アジーム先輩。みんなと一緒に離脱してください」
『ユウさん、ダメだよ!ユウさんも一緒に……!』
「『イミテーション』がまだいるんだから、僕は残らなきゃ。バイパー先輩にこれ以上何かされるワケにはいかない」
『でも……!』
「充電は満タンだから大丈夫!……絶対どうにかしてくるから、信じて」
オルトはそれ以上何も言わない。グリムを見る。
「そういうワケだから、親分。みんなの事をまたよろしく!」
「おう、任せるんだゾ!オレ様がみんなを守ってやる!」
前足と拳を突き合わせれば、グリムは頼もしく笑ってくれた。
再び大きな揺れと衝撃が襲う。見ればバイパー先輩の足下の床が傾き、その身体が『闇』へと落ちかけていた。
「ジャミル!」
「先輩!」
咄嗟に僕とアジーム先輩がバイパー先輩の腕を掴む。ぶら下がった状態のバイパー先輩は、僕たちを呆然と見上げていた。
「……離せ、もういいだろ」
「良くない!!!!」
「ひとりで行かれるのは、ちょっと都合悪いですね……!」
僕一人ではバイパー先輩を支えるのは厳しい。だけど、アジーム先輩をここに残すわけにもいかない。
「オルト!アジーム先輩回収して!」
『……ごめん、カリムさん!』
「うわぁっ!」
オルトがアジーム先輩の身体を無理矢理持ち上げた。その拍子にバイパー先輩から手が離れて、その分、腕にかかる重みが増す。
「……君も手を離せ。俺と心中する気か?」
「生憎、まだ死ぬ気は全くないですね!アンタに死んでもらうつもりも、ないです!」
「なら手を!」
「僕と幸せになるんでしょう!?」
バイパー先輩の視線が揺らぐ。
「それとも、ああいうの全部嘘だって言う気!?結局好きでもなんでもなくて、ぜーんぶ自分の立場のための打算だって!」
「違う!」
世界が崩れる中で、その声ははっきりと僕の耳に届いた。表情はさっきまでの生気の抜けたものじゃない。
「君が好きなんだ!ろくな事をしてこなかったのは分かってる。きっかけだって曖昧だった。それでも……愛してるんだ」
やっと絞り出したような声で続ける。
「俺を、信じてくれ」
今までも時々見せてくれてはいたんだろうけど、バイパー先輩の本心の中でも、柔らかくて優しい部分に初めて触れたような気がした。
「分かった、信じます」
気力がみなぎる。バイパー先輩の手を握る力を更に強めた。
「信じるから、絶対に手を離すな!」
バイパー先輩は驚いたような顔をして、でもずっとぶらさがったままだったもう片方の手で、僕の手を握ってくれた。
その瞬間、ついに僕の身体が乗っていた床が崩れて『闇』に落ちていく。飲み込まれるまでの短い時間で身を寄せ、互いをしっかりと抱きしめた。