1:癇癪女王の迷路庭園



 そこまで見届けて、もたれてくる重みが増した事に気づく。見ればローズハート寮長は、すっかり元の姿に戻っていた。金色の王冠がコロンと地面に転がる。脈と呼吸は確かめたが、眠っているように穏やかだ。
「リドル!!」
 クローバー先輩が駆け寄ってくる。生きている事は伝えたが、その表情は暗い。
 オーバーブロットは稀な事象。恐ろしい事が起きるとは知られていても、明確な内容までは伝わっていないとの事。彼が目覚めるまで油断は出来ない。
 クローバー先輩にローズハート寮長を託した。彼は何度も身体を揺さぶり呼びかけるが、目覚める気配は無い。ダイヤモンド先輩がその傍らに座り、クローバー先輩を宥めながらも呼びかけに加わる。
「お疲れ、ユウ」
 後ろから声がかかり、振り返る。エースとデュース、グリムが微笑んで立っていた。
「二人とも、頭大丈夫!?」
「聞き方おかしいだろ」
「ああ、とりあえず今は何ともない」
「で、でも一時的にでも気絶するぐらいの衝撃だったんだから油断しちゃダメだよ!えっと、保健室とか、とにかくちゃんと検査をしないと!」
「大丈夫だって!……ホント、お前って変な奴」
 エースが笑って頭をこづいてくる。デュースも笑っていた。
「人が怪我してる時だけ別人みたいだな」
「自分もボロボロなの解ってる?」
 言われて自分の身体を見下ろせば、枝が身体を掠めた時の傷がそこかしこについていた。破れただけで済んだ所もあれば、血の滲んでいる所もある。右腕は火球を防ぎきれなかった部分が煤けてるし、土埃舞う中を走ったり転がったりしていたので泥汚れもひどい。でもそれは、ずっと化け物と戦っていた彼らや先輩たちだって同じ事だ。
「僕はそんな長い時間戦ってないし、大した怪我ないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないからね!?」
 見かねたダイヤモンド先輩が割り込んでくる。
「魔法も使えないのに突っ込んでくるし、トレイくんは囮にしようとするし、火を上着で防ごうとするし!!」
「あ、その節はありがとうございました」
「だっ……あーもう、今年の一年生めちゃくちゃな奴ばっかりじゃん……」
 ダイヤモンド先輩が脱力する。なんだか申し訳ない気持ちになりつつ、再びエースたちに向き直った。
「助けてくれてありがとう。……グリムもありがとう」
「オレ様は親分だからな、弱っちい子分を助けてやるのは当然なんだゾ」
「デュースにぶん投げられてなっさけねえ悲鳴あげてたけどなー」
「ふ、ふな!あ、あれは雄叫びなんだゾ!悲鳴じゃねえ!」
「着地もエースに手伝われてたじゃないか」
「べ、べべ、別にあれぐらい自分でもどうにか出来たんだゾ!ホントだゾ!」
 思わず笑ってしまった。憮然と振り返るグリムを抱きしめる。
「本当にありがとう、親分」
「ぐぅ、く、苦しい……」
 べちべちと肩を叩かれる。くしゃくしゃで泥だらけの毛並みを軽く整えてから下ろした。ちょっと居心地悪そうな顔をしている。
「皆さん、ご無事ですか!?」
 学園長が寮の方から走ってきた。真っ先にローズハート寮長に駆け寄り、その様子を見て嘆くようなため息をつく。
「保健室に運びましょう。……皆さんも手当をしないと」
「リドル!」
 学園長の指示を遮るように、クローバー先輩の声が聞こえた。思わず覗き込むと、ローズハート寮長の瞼が震えている。
「リドル、大丈夫か?リドル!」
 必死の呼びかけに応えるように、ローズハート寮長が目を開いた。緊張が解け、一斉に安堵の息を吐く。
「……ボクは、いったい……?」
 まだ状況がうまく飲み込めていない様子だった。顔色も良くないし、早く休ませた方が良さそう。
「今は何も考えなくていい。寝てろ」
「あー、そうやって甘やかすからちょっと怒られただけで暴走とかするんすよ!」
 エースがクローバー先輩に食ってかかる。
「庭はめちゃくちゃだし、こっちもヤバいトコだったんだからな!」
 ローズハート寮長は、きょとんとした顔で皆を見回している。誰も彼も泥だらけ、綺麗な庭園はズタボロで見る影もない。学園長からの説明もあって状況は察したらしく、表情が明らかに沈んだ。
「……ボク、本当はマロンタルトが食べたかった」
「……………へ?」
 ぽつりと呟いた言葉に、今度は周囲が呆気にとられる。
「薔薇は白だっていいし、フラミンゴもピンクでいい。お茶に入れるのは角砂糖より蜂蜜が好きだし、レモンティーよりミルクティーが好きだ。みんなと食後のおしゃべりだってしたい……」
 ルールに縛られて育ち、母親というルールから離れた後も、数多のルールを敷くハーツラビュルに所属して、ルールを破らない生活を守り続けた。それが正しいと信じて。
 寮生たちも不満を抱えていたが、彼だって我慢の限界だったという事だろう。
「ずっと、もっとトレイたちと、遊びたかった……」
 言葉と一緒に涙が溢れだす。元より幼い顔立ちは年齢以上に幼くなって、朗々と法を語った声は威厳を失い、幼子の泣き声になっていた。
 その変化に周囲の誰もが呆然としている。皆がどうかは分からないけど、僕は何だかほっとしていた。ずっと押し殺してきた彼の感情が息を吹き返したように感じて、それはとても喜ばしい事だと思えた。
 クローバー先輩も似たような感想を抱いているに違いない。泣きじゃくるローズハート寮長にハンカチを差し出す。
「俺も悪かった。お前が苦しんでるのを知ってたのに、ずっと見ない振りをしていた。……だから、今日は言うよ」
 ローズハート寮長は、しゃくりあげながら親友の言葉を待っていた。クローバー先輩は優しい目で、真っ直ぐに彼を見つめる。
「リドル、お前のやり方は間違ってた。だからみんなにちゃんと謝るんだ」
「……ごめんなさい、……ごめんなさい……っ!」
 こちらを見て、わずかながら頭を下げる。少なくとも今は、自分の正しさを主張するような気持ちは無いと解る。まだ気持ちが整理されてないだろうし、精算は後からでも出来なくはない。
「……オレ、寮長が今までの行動を謝ってくれたら、言おうと思ってた事があるんすけど」
 エースが真剣な顔でローズハート寮長に向き直る。寮長もエースを見つめた。
「ゴメンの一言で済むわけねーだろ!!ぜっっっったい許してやらねーっ!!!!」
 エースと寮長以外の全員がずっこけた。寮長はあわあわと困った様子でエースを見ている。
「この空気でそれ言う!?」
「こっちは今日まで散々っぱらコケにされてんだ、せっかく苦労して作ったマロンタルトも捨てられそうになったし!涙ながらに謝られたくらいで許せるかよ!」
「コイツ、オレ様より根に持つタイプなんだゾ……」
 グリムが呆れた様子で言う。確かに、ローズハート寮長のギャン泣きの効果は絶大だった。第三者から見たらこっちが悪者にされそうなくらい。とはいえ、それぐらいで帳消しには出来ない、という気持ちも解らなくはない。黙って行方を見守る。
「そんな……じゃあ、どうすれば」
「……オレ、しばらくは誕生日じゃないんだよね」
「は?」
「だから、『なんでもない日』のパーティーのリベンジを要求する!」
 真面目な顔で言い放った。誰も口を挟ませずに続ける。
「オレたち、結局パーティーに参加できてねーし。そんで、今度はお前がタルト作って持ってこいよ。あ、トレイ先輩に手伝ってもらうのはナシだから!自分で苦労しろ!」
 一気にまくし立てて、語気を弱める。
「そしたら、許してやらない事も、ない」
 少し恥ずかしそうに言う。素直じゃないなぁ。
「自分だって手伝ってもらったくせに……」
「う、うっせえな、外野は黙ってろよ!」
「お?こんだけ巻き込んどいて都合の悪い時だけ外野扱いか、おい」
「痛い痛い痛い今度こそ死ぬ!ギブギブ、オレが悪かったですごめんなさい!」
 手をばたつかせて許しを請うエースの姿がおかしかったのか、ローズハート寮長はくすくすと笑っていた。他のみんなも笑っていて、エースはぶすくれた顔で首をさする。
「と、とにかく!作ってこいよ、わかったか!」
「………うん、わかった」
 ローズハート寮長は神妙な面もちで頷いていた。
 話は終わったとばかりに、ダイヤモンド先輩が伸びをする。
「そんじゃ、オレたちはお庭の片づけといきますか」
「俺も手伝う」
「トレイはリドルくんを保健室に運んできて。……オーバーブロットしちゃったわけだし、一度先生に診せた方がいい」
「ダイヤモンドくんの言う通りです。私も付き添いましょう」
 学園長に付き添われ、クローバー先輩はローズハート寮長を抱えて会場を出ていった。
「あ、じゃあオレも、頭打ってるし監督生に関節技かけられたし、念のため保健室に……」
「今ピンピンしてるよね?こんだけほっといて何ともないなら、保健室行っても何も言われないでしょ」
「え、ええ!そんなぁ……」
「諦めろ。……どうせ僕たちの仕事なんだから」
 肩を落とすエースに、デュースが励ましにならない言葉をかけた。
「寮生たちにも連絡したから、もうちょっとしたら来るはず。ユウちゃんとグリちゃんは……」
「皆が働くのに一人だけ帰るわけにもいきませんよ。出来る範囲で手伝います」
「うげぇ……オレ様やだ。いっぱい魔法を使って腹が減ったんだゾ!」
「じゃあせめて邪魔にならない所にいなよ」
 むすっとした顔だったグリムは、ハッと顔を上げて鼻を動かす。芝生をかき分けて、何かを拾い上げた。
 光を吸い込んでしまうような、真っ黒な石。直線的な見た目は宝石のようだけど、輝きは少しもない。
「コレ、ドワーフ鉱山で落ちてたのと同じヤツだ!」
「……本当だ、どこから落ちてきたんだ?」
「今度は食うなよ……ってもう食ってる!」
 グリムは石を口に放り込み、幸せそうな顔をしていた。初めて見るダイヤモンド先輩が引いてる。
「はわぁ~……こってりとした甘みがありながら、ほんのりとビターな香ばしさを感じさせるお味!この間のヤツとはまた違った旨味がある石なんだゾ!」
 玄人はだしの食レポは健在だ。本人は満足そうだけど、こちらとしては不気味なものを感じずにはおれない。
「本当におなか壊さないのかなぁ……」
「まあ、モンスターだからオレらとは胃の造りが違うんじゃね?」
「それにしても拾い食いは良くないと思うが」
「この芝生も、食べてみるとなかなか爽やかでイケるお味なんだゾ」
「こ、こら!そんなものまで食べるんじゃない!」
 デュースと一緒に慌てて止めに入る。エースが肩を竦め、ダイヤモンド先輩は笑顔でスマホを構えていた。やがて他のハーツラビュル寮生がやってきて、壊れた生け垣の撤去やまだ無事に見える薔薇の木の植え戻しを進めていく。夕焼けの空が紺色に染まりきるまで片づけ作業は続いた。


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