7−4:虹色の旅路


 気がつくと真っ暗な空間にいた。もはや慣れてきた『闇』の中だ。
 とりあえず立ち上がり、身体に異常が無い事を確認する。スマホの充電は目標の七割にギリギリ到達していた。
 サポートツールを開くと、オプションに魔石器の項目が増えていた。ありがたい。選択すると、手の中に短剣が現れた。
「……お願い。シェーンハイト先輩のいる方向を教えて」
 そう声をかけると、魔石器から細い光が放たれる。すぐに光が伸びている方向に走り出した。
 ただひたすら、彼の無事を祈りながら走り続ける。
 確かシュラウド先輩は『黒薔薇の魔女』の魔力の事を『ウイルス』だと表現していた。ツノ太郎の魔法領域は夢の主を害するように作られていない、けれど『イミテーション』はその限りではない、とも。
 この夢は『黒薔薇の魔女』に汚染され、夢の主を害するものへと変質させられたのだ。どんな影響があるか不明だったとはいえ、よりにもよってシェーンハイト先輩の夢でやられたのは本当に悔しい。
 だけど腐ってはいられない。魔石器は道を示した。ならシェーンハイト先輩はこの空間にいる。さっきも僕の声に反応はしていた。まだ希望は残されている。
 どれくらい走っただろう。スマホの時計は止まっているし、景色は黒一色で変わり映えがない。
 やがて魔石器が激しく明滅し始めた。確認してから前方に目を凝らせば、人影らしきものが見える。魔石器を消して、息を整えつつ人影の方に向かった。
『僕の愛しの王子様』
 歌うような声が聞こえる。聞き慣れた自分と同じ声。だけど誰かの声が重なっているような、不気味な響き。
『ずうっとずうっと、ふたりでいっしょにいましょうね』
 どこか夢を見ているような、不安になる雰囲気があった。
『あなたを愛さない現実なんて忘れましょう。努力しても報われない世界なんて要らないでしょう?』
 人影は地面に座り込んでいた。膝の上に載せた誰かの頭を、愛おしそうに撫でている。
『だから、もう休みましょう。全部全部、投げ出してしまいましょう』
 僕が近づいている事には気づいているだろうに、『イミテーション』はまるで無視をしてシェーンハイト先輩に語りかけている。シェーンハイト先輩は『イミテーション』の膝に頭を乗せて横たわっていた。その目は虚ろで何も映っていない。僕にも気づかないけど、『イミテーション』の声にも反応した様子が無かった。
「シェーンハイト先輩から離れて」
『……どうして?僕の王子様なのに』
 勝ち誇った笑顔をこちらに向けてくる。その顔は僕と同じなのに愛らしい雰囲気で、悍ましい気配があった。
 男には見えない華奢な身体に黒いドレスを纏い、髪は黒い花で飾っている。花びらか鳥の羽のようなスカートは闇に溶けそうな薄さで、その下から透けている足には太いリボンが巻かれていた。
 …………この衣装もシェーンハイト先輩の願望が反映されているんだろうか。こういうの着たら喜んでくれるのかな。いやでも僕の今の体型だと絶対似合わない。肩とか脚とか。
 咳払いと共に雑念を追い払う。
「シェーンハイト先輩の意思確認もせずに王子様とかホントやめてください!ご迷惑がかかるでしょうが!」
『ふぅん、空気読めないと暗黙の了解も解らないものね。ご愁傷様』
「紛い物の分際で恋愛指南とか笑っちゃうんでやめてくれません?」
『僕は紛い物じゃない。……これから紛い物じゃなくなるの』
 邪悪な笑みを浮かべて『イミテーション』はシェーンハイト先輩の背中を撫でる。
『どうせアンタが本物かどうかなんて誰にも判らない。安心して死ぬと良いよ。残った身体と魔力は、ちゃんと有意義に使ってあげる』
 冷たい殺気が向けられる。
 このままだと、動けないシェーンハイト先輩を人質に取られるかもしれない。先に先輩の安全を確保しないと。せめて意識を取り戻してもらわないと戦えない。
『僕はヴィルと幸せになる。ヴィルの事を幸せにしてあげる。疫病神のアンタには出来ない事、アンタの身体で僕が全部やってあげるよ』
 沸いてくる怒りをどうにか身の内に留める。
「…………あんた誰?って言われたくせに」
 でも少しぐらい言い返したい。『イミテーション』の顔から笑顔が消えた。
「洗脳状態でも見破られちゃうんじゃ、身体乗っ取ったところでうまくいかないんじゃない?」
 嫌悪感を露わにして言う。別に演技でも何でもない、本心だ。
「やめてよね、その程度の演技力の大根が『僕』になるとか言うの。冗談でも笑えないから」
 苛立った様子で、目尻がひくりと震えるのが見えた。
 さぁ相手はどう出るか、と思っていると背中に冷たい風が触れた。振り返る前に、誰かの腕が自分を後ろから抱きしめてくる。
『捕まえた。アタシのかわいいお姫様』
 優しく甘い、でも溺れているように不明瞭な声が耳をくすぐる。視線を向ければ、血の気の引いたシェーンハイト先輩の横顔が見えた。
「なんっ……」
 何で先輩が、と思った瞬間に猛烈な眠気が襲う。
『もう誰にも渡さない。どこにも行かせない』
 眠気に抗いながら、必死で頭を動かす。
 恐らく、これも『闇』の一部だ。オーバーブロットしたシェーンハイト先輩の姿をしている理由は不明だけど、僕を捕縛するために動いているにすぎないのだろう。
 すぐに変身しなかった事を今更悔いた。今の腕力じゃ振りほどけない。スマホの入っているポケットの中に手を入れようとして、その前に掴まれた。
『ダメよ。抵抗は許さない。アナタはアタシのものだから』
 首に柔らかいものが触れる。悪寒が体中を駆けめぐって、身体から力が抜けそうになる。立っているのがやっとの僕をダンスでも踊らせるように回転させて、向かい合う体勢にした。肩を押して離れようとしているのにびくともしない。
『愛してるわ、ユウ。ここで永遠に、ふたりきりで過ごしましょう?』
 手に力が入らない。瞼が重くて、意識が飛びそう。近づいてくる綺麗な顔は、あの時と同じ。
 ……ダメだ、せっかく託してくれたのに。好きな人も守れないなんて。
 悔しさすら意識と一緒に遠ざかろうとする。抵抗空しく瞼は閉じて、吐息が顔にかかるのを感じていた。
「……その子に触らないで!!」
 叫ぶような声と同時に、風が吹き荒れた。先輩の姿をした『闇』が悲鳴を上げて離れていく。と同時に、支えを失った身体が誰かに抱き留められた。朦朧としていた意識が一気に覚醒する。
 鋭い眼光も、頬を濡らす汗も、眉が怒りに吊り上がる様すら綺麗。肩で荒く息をしながら、『闇』を睨みつけ真っ直ぐにマジカルペンを突きつけていた。
「シェーンハイト先輩!」
 思わず声を上げると、先輩の視線がこちらを向いた。いつもの優しい微笑みを浮かべてくれる。
「助けるのが遅くなってごめんなさいね。怖かったでしょう」
「せ、先輩~~~……」
 間違いなくいつもの先輩だ。目を醒ましてくれた。
 安堵に涙が溢れて止まらなくなる。抱きついて泣きじゃくる僕の背中を、先輩が撫でて宥めてくれた。
「あらあら、アタシのお姫様はいつからこんなに泣き虫になっちゃったのかしら?……いつでも、これくらい素直に甘えてくれたらいいのに」
 優しい声。嬉しくて飛び跳ねてしまいそう。
『…………どうして?なんでその子なの?』
 呆然と呟く声が聞こえる。
『僕はアナタの理想の「ユウ」でしょう?髪もつやつや、肌もぴかぴか。体型だって顔に合わせて細くしなやかに整えて、何もかもアナタの望んだ姿なのに!』
「…………確かにそうね。アンタの姿は、アタシが思う最も愛らしいユウの姿だわ」
 怒りと嘆きをぶつけてくる『イミテーション』に対し、先輩は少しも動揺していない。愚かな人間を蔑むような、冷ややかな目を向けている。
「でも、アンタは論外。アンタはユウじゃない」
『そんなハズ無い!その子であるために必要なものは全部持ってる!!』
「仮にそうだったとしても、余分なものがついてるからには評価は変わらないわ」
『なっ……』
「アンタには『ハシバユウ』が持っていてはいけない『毒』がある。……この子が何度生まれ変わっても持てないような、とんでもない悪性がね」
 今度こそ『イミテーション』が言葉を失う。
「それを捨てられない限り、アンタはユウにはなれない。もっと違う個性を追究する事をオススメするわ」
 吐き捨てるように言って、先輩は改めて腕の中の僕に目を向ける。
「さて、詳しい事情は解らないけど……コイツらを片づけない事にはゆっくり話も出来ないわね」
「そうですね」
 僕も涙を拭く。安心したら身体中に力が湧いてきた。
「先輩に情けないところばっかり見せられないや」
「まあ。このまま素直に守られてくれてもいいのよ?」
「ちゃんと装備を貰ってますので!」
「……ふふ、そうね。……さっきの姿、とても素敵だった」
 シェーンハイト先輩の顔が正面にある。宝石みたいな瞳が、愛おしそうに細められて、それを見ているだけで幸せな気持ちでいっぱいになった。
「アタシが挫けそうな時に、いつもヒーローみたいに助けに来てくれるのね」
「先輩だって、僕には世界一かっこいいヒーローですよ。いつだって僕の事を守ってくれるじゃないですか」
「あら。じゃあアタシたちって最高のカップルだわ」
 こんなにいちゃついてたらヤジの一つも飛ぶところだろうに、何の空気を読んでいるのか『闇』も『イミテーション』も動かない。好都合だけど。向こうへの嫌がらせにもなりそうだし。
「勇敢で優しい……世界一かわいい、アタシのお姫様」
 蕩けてしまいそうな甘い声。蜜に溺れるような心地に身を委ねて、唇の触れ合う感覚を享受する。どこか切ない感傷のようなものが胸をよぎっても、幸福感の方が圧倒的に強い。
 目を閉じて額を触れ合わせて、充分な余韻を味わって、ほぼ同時に目を開く。
「さ、やりましょうか」
「ええ。とっとと終わらせましょう」
 シェーンハイト先輩はマジカルペンを構え直し、僕はスマホを取り出す。
 僕たちが臨戦態勢に入るのを待っていたように、周囲の暗闇が塗り替えられる。
 現れたのは『VDC』の設営がなされたコロシアムだ。シェーンハイト先輩がオーバーブロットした時と同じように、コロシアムを覆う結界の向こうで嵐が吹き荒れている。さっき世界が崩れる直前に立っていた、ステージと客席の境目に僕たちはいた。
 シェーンハイト先輩はステージにいるオーバーブロットした自分の姿をした『闇』に向き直る。
 僕は彼と背中合わせに立って、客席の間にいる『イミテーション』を見た。
 相手は憎しみを込めた視線を僕に向けてくる。僕の方は何の感慨もない。もう憎む必要すらない。
 排除すべき敵。それだけだ。
 アプリに触れてから、スマホを宙に放り投げる。落ちてくるそれを掴む頃には、起動準備は終わっていた。
 節目の戦いの時は、変身でも最高にかっこつけるって決めてる。その方が強くなる気がするもん。
「ドリームフォーム・シャイニングチェンジ!」
 呪文を唱えれば姿が変わる。身体が軽くなって、視界も明瞭、思考も明快。
「敵性体『イミテーション』を排除、『黒薔薇の魔女』の魔力を回収する!」
『……やれるもんならやってみろよ!!』
 醜悪に歪んだ顔で『イミテーション』が叫ぶ。さっきまでの華奢で愛らしい『ユウ』はいない。いや外見は変わっていないけど、完全に別人のような雰囲気になっていた。
 まぁそんな事を気にしている暇は無い。
 噴き出す殺気は生身なら恐怖を感じるぐらいのものだけど、今は何も怖くない。もはや負け確ムーブ丸出しの悪役相手に怯えてやるほど、魔法少女は弱くない。
 そのダサい振る舞いが僕を陥れる罠だというなら上等、罠ごとぶっつぶしてやる。
 再び跳び蹴りが交差する。今度はすぐに向こうが吹っ飛んだ。さっきと違う展開に戸惑っている相手に、拳をお見舞いするがギリギリ避けられる。
 身体が軽い。今ならなんでも出来そう。
 蹴りを受けても装備がダメージを完璧に防いでくれて少しも痛くない。逆に脚を掴んで投げ飛ばす。客席の椅子を巻き込みながら、派手に吹っ飛んでいった。
 綺麗なドレスもぴかぴかの肌も、埃に汚れてボロボロ。
 みすぼらしくなった黒鳥が、舞台上の王子様に縋るような視線を向ける。
『たすけて、ヴィル……このままじゃ、僕、消されちゃう……』
「ねえ、イキリ散らかしてたくせに負けそうになると人に助けを求めるとか、僕の顔でそういうダサい事するのやめてくれない?」
 うるうると可愛く泣いていた顔が、一気に豹変する。構えとか前兆とか一切無く、どういうバネしてんだって動きで飛び蹴りを放ってくる。防御はギリ間に合った。
『ずるいずるいずるいずるい!!お前ばっかりずるい!僕だって愛されたい!!』
「うるせー!勝手に人の真似しといて八つ当たりしてくんな!!」
 何となく顔を殴るのは憚られたんだけど、向こうは容赦なく狙ってくるし、もう構っていられない。
 客席の椅子を倒したりぶっとばしたりしながら、同じ顔の人間と取っ組み合いの喧嘩をする。貴重な経験だなぁ、という感想の直後に『これ下手したらあと四回やるのか』とうんざりした気持ちが湧いた。
 バレエの振り付けみたいな綺麗な回し蹴りをしゃがんで避けて、がら空きの胴を殴りつける。怯んで下がる相手との距離を詰め、渾身の力を込めてもう一度腹を真っ直ぐ殴った。防御もまともに出来なかった相手は吹っ飛び、コロシアムの壁に激突する。
『が、は……』
 漫画みたいなひび割れの走る壁から、『イミテーション』の身体が地面に落ちた。起きあがろうとしているが、明らかに力が入っていない。よく見ればその輪郭が黒いモヤへと変わりつつあった。
 ここだ、と勘が働いた。ポケットからキューブケースを取り出せば、チャンスを知らせるように輝いていた。ケースを開くと、真ん中にはめ込まれた透明な石から光が溢れる。
『ウイルスを含む敵性体のバイタル低下を確認しました。ケースを開いた状態のまま、対象に向けてください』
 音声アナウンスが流れてくる。言われるまま、ケースを構えて『イミテーション』に向けた。
『標的確認。ウイルスのコーティングを行います』
 無機質な印象の女性の声がカウントダウンを行う。
 たった三秒。
 やっと起きあがった『イミテーション』は、怯えた顔をこちらに向けていた。
『浄化エーテル、放出』
 宣言した瞬間、オルトの出すビームみたいなものがキューブケースから放たれた。物理的な攻撃力は無いらしく腕に衝撃とかは感じないけど、真っ白な光が周りを染めるので見た目のインパクトは凄い。
『ああああああああああああああっっっ!!!!!!』
 そして『イミテーション』にはしっかり効くらしい。恐怖に満ちた断末魔が響いた。それが聞こえなくなると、ビームも止まる。目がちょっとしぱしぱした。
 もうそこに人の姿は無い。壁際に歩いて近づけば、乳白色の結晶が落ちていた。拾い上げてよく見ると、中に赤黒い花のようなものが見える。
 キューブケースの真ん中の石に結晶を触れさせると、そこだけ材質が変わったみたいになって、結晶を飲み込んでいった。コロン、と中に何かが入った音がすると同時に、前面に浮いた円グラフの割合がわずかに変わる。
『ウイルスを正常に回収しました』
 音声アナウンスが無機質に告げる。初めてのお仕事はどうにか成功、という所か。
 残りは恐らく七割くらい。
「……先は長いなぁ」
 思わずため息が漏れた。

15/60ページ