7−3:蒼炎の砦
外の明かりが入らない暗い部屋に、スマホの振動音が響いている。
つけっぱなしのパソコンから薄青の光が漏れているが、それが日常なので全く気にならない。
防音完備の部屋の中は雑音が聞こえない分、余計に振動音が響いていた。
「…………んん、っるっさいなぁ……誰だよ」
薄目を開けてスマホの画面を見た。アドレス登録者なのは間違いないが、名前もろくに見ないで応答ボタンをスライドする。
『あー、やっと出た。おーい、もう朝だよ』
スピーカーから少年の声がする。よく知っている気がするけど、意識が朦朧としていてとっさに名前が出てこない。
「……あんた誰……?」
『誰って……実の弟の事、忘れたの?僕だよ、オルト』
「……オルト?」
やっと意識が覚醒してくる。
ベッドから起きあがって見回せば、そこは見慣れた自室の中だった。雑然とした室内で、パソコンの横に不自然にぽっかりと空いた空間がある。
「ああ……なんだ、夢か」
呟きながら、どうにもおかしくて大声で笑い出す。スマホの向こうの誰かが戸惑って怯えた様子だが気にしない。
『ど、どうしたの?兄ちゃん』
「ネトゲでレア素材ドロップしまくったのも、推しのSSR三枚抜きしたのも……マッスル紅氏がネトゲ引退してないのも、入学式生身で出たのも、幼なじみの清楚な癒し系で僕だけの事が大大だーーーい好きな超絶かわいい婚約者も、ぜーーーーーんぶ夢っ!!ゼロから百まで拙者の願望っ!!!!はい、オタクの妄想乙!!!!!!!!」
言ってて悲しくなってきた。こんな事態に誰がした。
『え?え?なに言ってんの?』
「はァ?『なに言ってんの?』はこっちのセリフですわ」
沸き上がる苛立ちのままにスマホを掴む。
「僕の弟は、ロイヤルソードアカデミーなんていう胸がムカムカするほど陽キャ揃いのキラキラ学園になんか通ってない。ナイトレイブンカレッジに僕と入学したヒューマノイドのオルト。それから、暗くて陰気臭い『冥府』にいるファントムのオルト。僕の本当の弟は、そのふたりだけだ!」
画面の向こうで圧倒されたような、息を呑む気配がした。慌てた様子で話をしようとしてくるけど知ったこっちゃない。
『ま、待って、兄ちゃん!僕の話を聞いて!』
「あー、あー、あー。悪いんだけど。ゲームやアニメの年下キャラ以外に『お兄ちゃん』って呼ばれて喜ぶ趣味はないんだよ」
こんな得体の知れないものを『弟』だと思いこまされていたなんて、悍ましくて吐き気がしてくる。
「ねえ、アンタ誰?誰がこんな悪趣味な夢を僕に見せてんの?幻覚魔法?それとも悪の組織の洗脳ヘッドセット?それにしたってシナリオにセンスがなさすぎ」
相手の返事は一切待たずにまくし立てる。言葉を重ねれば重ねるほど、どんどんイライラしてきた。
「『幸せな結末』が迎えられなくなったから勝手にリセット?余計なお世話もいいとこだ」
困難に直面しても、諦めずに乗り越える。
取り返しのつかない過ちを飲み込んで、それでも前に進み続ける。
例え苦しみ悲しみ後悔ばかりだったとしても、その旅路は無駄なんかじゃない。
自分は無駄になんかしない。
だから他人に否定なんかさせない。
「それがどんな結末であれ……ハッピーエンドかどうかは僕が決める!」
宣戦布告のように、剥き出しの敵意を叩きつける。
画面の向こうではおろおろと『あー』とか『うー』とか言ってる気がするけど、返事なんか待ってやらない。
「後でカスタマーセンターにレシート並のお気持ち長文を送らせていただきますわ!じゃ!!」
力任せに画面を押して通話を切る。荒くなった息を整えている間に、画面はホームに戻った。しつこく折り返してくるようなら着信拒否してやろうと思ったけど、その様子は無い。ひとまずほっといて良いだろう。
スマホを放り出して、パソコンの前に立った。
「……オルト、そこにいるんだろ?」
モニターに向かって語りかけると、勝手にビデオチャットが起動した。画面の中で、見慣れたヒューマノイドのオルトが微笑んでいる。
『おかえり、兄さん』
思わず安堵の息を吐く。それは画面の向こうのオルトも同じだったように見えた。
『驚いたよ。僕もここに再び来るのに苦労したのに、まさか兄さんが自分で戻ってくるなんて……』
「ただいま、オルト」
笑顔で返しつつ、どうにも放っておきたくない事を最初に片付けたくなる。
「その……まずは、謝らせて。お前をたくさん傷つけた。本当に……ごめん」
『ねえ、兄さん。そんな事よりさ……僕、ひとりで宇宙に行ったんだよ。それに、マレウスさんとのバトルは危機一髪だった』
弟は無邪気に自分の活動を報告する。兄のくだらない罪悪感や後悔を押しのけて笑った。
『兄さんが寝てる間に、スター・ローグの主人公にも負けない大冒険をしたんだ』
嬉しそうに、誇らしげに言ったかと思えば、意地の悪い笑みを浮かべる。
『そんな弟に対して「ごめん」よりも言うべき事があるんじゃない?』
「……すごいよ、オルト。よく頑張ったね」
素直な賞賛の言葉が溢れた。きっと本当に頑張ってくれたのだと思う。
こんな事を言ってくる事は、今までに無かった。彼の『心』の存在を確かに感じて、思わず笑みも浮かぶというもの。
「宇宙一カッコよすぎて、兄の威厳がズタボロですわ」
『ふふふ!そうでしょう!なにせ僕は……「異端の天才」が作り出した世界一のヒューマノイドだからね!』
「そういやそうだった。拙者たちなら全宇宙を支配する日もそう遠くありませんな……なんつって」
軽口を言い合って、笑い合う。間違いなく幸せなひとときだった。
「………………で、だ」
ひとしきり和んだところで、無視できない本題を切り出す。
「あのー、拙者……自室でふて寝からのシームレスにイマココなんだけども……一体全体、何が起こってるわけ!?」
マッスル紅氏の引退で全てのやる気を無くし、ディアソムニアの副寮長であるリリア・ヴァンルージュのお別れ会も欠席したほどだった。それがいきなり意味不明な妄想の世界にぶっ飛ばされているのだから混乱もするだろう。
オルトは時系列を追って説明してくれた。
マレウス・ドラコニアによる魔法災害。
展開された魔法領域の現状と、その構造理解に至るまでのオルトと『S.T.Y.X.』の活動。
してくれたのだが、ちょっと聞き捨てならない言葉のせいで途中でちょっと意識が遠のきかけた。ごまかすように長々と溜め息を吐く。
「…………なるほど、理解……と言いたいところだけど、母さんにパソコンの中身を全部見られたショックがデカすぎて……マレウス氏が、どチートすぎる事しか理解できなかったが……?」
これでも『魔導工学の天才』なんて呼ばれているし『S.T.Y.X.』という組織の一員であるからには、情報セキュリティに対する意識は高い方だと思う。具体的には、自分に匹敵する情報処理能力がなければ突破できない造りにしていた。
当然だろう。誰にも見られたくないし、見られてはいけないものだってたくさんある。情報の流出というのはそれほどに重いのだ。
それなのに。
その自慢のセキュリティが破られた。よりにもよって実母に。いやまぁ、身近であのセキュリティを破れる人間は、確かに実母ぐらいなものだろうけど。
何がイヤって、実家のパソコンは完全趣味用のサブと趣味と仕事がごっちゃのメインがあるんだけど、寮の端末とクラウドで情報を共有していたのがメインの端末だって事。メインとサブを比べればメインの方がセキュリティも一段上にしてるし。
そこには、マジカメから拾って集めた盗撮投稿含むハシバ氏の写真とか、願望止まりだけど着てほしい衣装の参考写真とか、そういう趣味丸出しプライベートモロ出しの他人には見せられないものもクラウド経由で送って保存していた。
寮の端末が比較的クリーンな代わりに、実家のメイン端末にはそういうものが山のように入っている。今更見返すのも恥ずかしいけど勿体なくて消せなかった作品と呼びづらい代物なんかも大量に。
それらが全部、母親に見られた。全部。
『き、緊急事態だったから……元気出して』
「嘘でしょ?絶対アレとかソレとか全部見られてるぅ…………シテ……ドウシテ……」
オルトが画面の中で悼むように俯いている。気遣う余裕は僕にはない。
「僕が何をしたっていうんだよォ!完全に無関係!もらい事故!拙者、リリア氏の送別会すら行ってないし!」
マレウスの悪趣味なユニーク魔法に巻き込まれた事自体は、大変に不愉快だがさほど問題じゃない。でもそのせいで起こった事が死角から自分を抉ってくる。
「なのに何で母親にパソコンの中身を見られる事態になってるの……意味分からん……精神的に被ダメが五百億ポイント超え……」
思わず地面に倒れ込む。
『それは本当にそう。誰にも予想ができない、不幸な事故だった……』
オルトが穏やかに、沈痛な面もちで語る。倒れたまま動かない自分を見かねてか、励ますように明るく声をかけてきた。
『だ、大丈夫だよ兄さん。母さん、特に何もコメントしてなかったし……』
「ぐあぁ~~!そのちょっと気遣ってる感!男子高校生として、逆に一番されたくない忖度!」
思わず跳ね起きる。画面の向こうでオルトが目を丸くしていた。
「拙者がブロットを焼却する体質じゃなかったら、オーバーブロットもんですぞ!!!!マレウス氏めぇ~~~~~~~~~~!この恨み……はらさでおくべきか~~ッ!!」
怒りが喉から迸る。
「こうなったら、普段から強キャラムーブを崩さずスカしまくりのあの男が、鼻水垂らしながらギャン泣きして許しを請う情けない姿を見ないと気が済まない!」
早口で一気にまくし立てる。怒りを突き抜けたら、今度は自然と笑みが浮かんできた。
「さあ、どうしてやろうか……」
情報は得られる。弟たちや『S.T.Y.X.』の協力もある。
このふざけたユニーク魔法を打破し、マレウスを潰すのも不可能じゃない。
自分は『異端の天才』なのだから。
『な、なんて悪意に満ちた企み顔……。これは……絶対に怒らせちゃいけないヒトを怒らせちゃったかもしれないね』
「見せてやりますわ。陰気な『冥府』で鍛えた究極の陰キャの力」
兄弟揃って邪悪な笑顔を浮かべてしまう。
僕たちなら何でも出来る。相手が強大な竜の妖精であろうと関係ない。
魔法は万能ではない。どんなに強力で隙が無さそうに見えても、必ず弱点はある。現に、それによって魔法領域内の自分と外部が連絡可能になっているのだから。
「待ってろよ、マレウス・ドラコニア」
いかにも強キャラです、という感じの奴の顔を思い浮かべれば、再び怒りが燃え立つ。
「とっておきの弱みを握って仕返ししてやるからな!!!!」
薄暗い室内を怒りの赤い炎が煌々と照らしていた。