7−3:蒼炎の砦
そうして始まった日常は、とてつもなく充実していた。
ネトゲに潜ればサブジョブの装備にまで素材が回せる勢いでレアドロしまくり。ソシャゲはちょうど推しがメインのイベントで、ガチャを回せば最高レアリティの限定カードを三枚抜きという、SNSで自慢必至の絶好調ぶり。
婚約者との日常も問題ない。そもそも毎日顔を合わせられるだけでも幸せだ。顔を見る度に嬉しそうに微笑まれ、部屋に招いてふたりきりで雑談だって出来る。ネトゲでもソシャゲでもフレンドなので、現実でもネットでも楽しく過ごせた。ネット上の友人関係も平穏そのもの。
毎日が幸せだ。こんな幸せがあっていいのか。
別に気にする事じゃない。解っているんだけど、どうしてもネガティブ人間は自分の幸運を信用しきれない。
「……明日あたり、全デバイスのバックアップデータが復旧不可能なレベルでクラッシュしたりして……」
自分で考えておいてぞっとした。そんな代償を払ってまで幸せになりたくないだろ、普通。……念のためにバックアップ機器のメンテナンスでもしようかな。
そんな事を考えていたら、画面端に通知が浮かぶ。ビデオチャットの呼び出しだ。相手は『ORTHO』。思わず首を傾げる。
オルトからの電話は、いつも私用のスマホに普通にかかってくる。わざわざオンラインゲーム用のアカウントでビデオ通話なんてしない。そもそもアカウントを教えた記憶もない。ユウから聞いたとか、知る手段が無いではないけど、とにかく不自然だった。
だからといって、これがオルトじゃないとは不思議と思わなかった。事情は通話を繋げて聞けばいい。
という事で、特に深くは考えずに通話の開始ボタンを押す。
「うぃー、どしたん?オンゲのヘルプの呼び出しと……か……」
画面に表示された相手の姿を見て言葉を失う。
『やあ、兄さん。こんばんは』
そこにいたのは、確かにオルトだった。自分と同じ青い炎の髪に金色の瞳。だけど姿がいつもと違う。
「ど、どどどうしたのオルト!?拙者、オルトにコスプレの趣味があったなんて初耳ですが?!しかもいきなり造形バリバリの凝った衣装!高校デビューにしても突然すぎ……ん?」
見るからに出来の良いアンドロイド風の衣装の衝撃に呑まれかけていたが、その違和感も何故か聞き逃せなかった。
「『兄さん』……?」
自分の反応を見た画面の中の少年は、愛おしそうに目を細める。
『この世界では、はじめまして。僕の名前はORTHO。あなたが作った、自律型AI搭載の魔導ヒューマノイドだよ』
「………………は?」
脳味噌が理解を拒んだ。気がする。
それでも何とかいろいろと推測や情報を繋げて答えを見つけだす。
「……あ、あ~~!ああ~~、はいはいはいはい!理解!さてはそれ、ビデオチャットのアバターですな?」
カメラで写した人物に衣装のレイヤーを重ねた映像を送るなんて、今や出来て当たり前の技術だ。それに写真を合成してアバターを作る事も平面ならさほど難しくはない。いずれにしても出来が良い。もしかしたら、このドッキリをするために隠れて準備していたのかもしれない。
「びっくりしたー。オルトにしてはトガッたビジュアルのバーチャル美少年をチョイスしたもんですな」
どうだ見破ってやったぞ、という気持ちも込めて笑いかけたが、画面の向こうの弟の反応は想像と違った。
画面の向こうのオルトは目を伏せ、物憂げな表情で考え込む。
『やっぱり、すぐに「覚醒」するのは無理……か』
そう呟いた。その言い回しに、不思議と心がざわつく。
「え?なに?か、『覚醒』……?」
間抜けに聞き返す自分に、オルトは真剣な表情を見せた。
『兄さんがすぐに現実を受け入れられないのも無理はないよ。きっと兄さんは今、すごく幸せな生活を送っているんだろうから』
「えっと、話が全然見えないんだけど……。も、もしかして、今期の新アニメの話?」
『誤魔化そうとしても無駄だよ。本当はもう気づいてるんでしょう?』
この言葉にはドキリとした。心の中の動揺の波がどんどん大きくなっていく。
『この世界は何かがおかしいって事』
息を止めそうになった。確かにずっと違和感を覚えている。
いやしかし、そんな事は割と些末な事だ。
単刀直入に言うよ、と画面の向こうのオルトが前置きする。
『世界を救うために、あなたの力を貸してほしいんだ……イデア・シュラウドさん!』
驚きのあまり、雷に打たれたように身体を跳ねさせた。興奮で心臓が踊っている気がする。
「……パ、パソコンの中から美少年ヒューマノイドが拙者に助けを求めている!?ラノベで五億回読んだ展開!ついに拙者が選ばれし者となる『その刻』が来てしまった……ってコト!?」
一息に感想を述べている間に、画面の向こうのオルトは調子が悪そうに咳きこんでいた。落ち着いたところで、改めてこちらを見る。
『……そうだよ。兄さん、刻は来た』
少年の言葉が静かに紡がれる。この後の展開が予想できない。ただ自分には固唾を呑んで見守るしかない。
『目を醒ますんだ……その夢から!』
「夢?」
そう言われた瞬間に、頭に鋭い痛みが走った。
酷い眼精疲労の頭痛を更に悪化させたような、理不尽なぐらいの痛み。思わず頭を抱える。目の前のモニターまで歪んで見えた。
何も考えたくないのに、映像が頭の中に流れ込んでくる。
目の前の画面にいるオルトと、ナイトレイブンカレッジで過ごしている自分の姿。ビデオチャットのアバターなんかじゃない。現実に存在して、手で触れて、話をしている。
おかしい。だって自分の弟は人間だ。じゃあこれは誰?
僕が作った?なんで?弟は生きている。生きているのに、必要ないだろう。
これじゃあまるでオルトの代替品みたいじゃないか。
ガツン、と頭が割れそうな痛みが襲う。疑問を呈する事すら拒絶しようとする。なのに頭の中に流れてくる映像は止まらない。
あの日。自分の愚かな勇気のせいで恐怖を味わったあの日。
奇跡なんか起きなかった。奇跡を起こせる人なんかいなかった。
「僕の弟は、オルトは……あの日……!」
頭が痛い。耳鳴りがする。何も考えたくない。
不意に机の端に置いていたスマホが震えだした。不明瞭な視界の端に、何故かはっきりと発信者の名前が見える。
「オルト……ッ!?」
頭痛でまともに頭が働かない。手を伸ばしたけれど、画面に触れられた自信は無かった。
でもスマホからは弟の声がしてくる。
『兄ちゃん!騙されちゃダメ!その機械のオルトは偽物だよ!』
「に、偽物ッ……!?」
尚も頭の中には知らない映像が流れ続けている。
本当に知らないのか、なんて答えは誰も教えてくれない。
『偽物が兄ちゃんを洗脳しようとしてるんだ!信じちゃいけない!』
『……やっぱり、何の対策もしてないわけがないよね』
画面の向こうのオルトがぽつりと呟く。
『夢から醒めそうになると、NPCが夢の中に留めようとしてくるってわけか。なんて高度な自律型魔法……』
誰かに向かって恨み言のような皮肉のような言葉を呟いているが、それを遮るようにスマホのスピーカーからオルトが叫ぶ。
『そこを動かないで、いま助けに行くよ!兄ちゃん!』
頭痛が酷すぎて視界が霞む。時間の感覚さえ吹き飛びそうだった。
「おまたせ、兄ちゃん。僕が来たからもう大丈夫さ」
「オ、ルト……?」
気がついたら目の前にオルトがいる。ロイヤルソードアカデミーの白い制服と声で判別がついたものの、顔まで視線を上げる事が出来ない。
それを察したように、目の前を手が塞ぐ。感覚がひどく曖昧で、温度も何も感じない。真っ暗でもう何も見えない。
「何も考えなくて良いよ。兄ちゃんはゲームのやり過ぎで疲れてるだけ……少し眠って」
「う……うう……」
オルトの声に導かれるように、痛みから逃げるように、意識が遠ざかっていく。永遠のように思えた苦痛の時間は気づかないうちに過ぎて、いつの間にか眠りに落ちていた。