7−3:蒼炎の砦


 なんとか遅刻は免れて、入学式が予定時刻通りに始まった。
 ユウの所属は無事にイグニハイドに決まって、ほっと胸を撫でおろした。眼鏡の術式もうまく働いているようで、地味な新入生としてすっかり溶け込んでいる。
 寮長の挨拶もどうにか終わらせられた。箸にも棒にも引っかからない、無難な挨拶だが目立たずに役目を終えるにはマストだ。ユウも微笑んで聞いてくれていたので、思ったより緊張しすぎずに話せた。
 身構えていた割に、拍子抜けするくらいあっさり終わった。もちろん、何も起こらないに越した事はないが。
 各寮の寮長が、新たな所属者となった新入生を引き連れて寮へと戻っていく。その流れをなんとなくぼんやりと見つめてしまっていた。
「シュラウド寮長。そろそろイグニハイドも移動を始めましょう」
 そして寮生の声で我に返る。
「あ……りょ。じゃあ新入生は僕についてきて」
 従順についてくる寮生たちを引率し、鏡舎へ向かう。鏡の間から出る頃に、最後に残ったディアソムニア寮の寮長が、寮生に向かって話をしている声が聞こえてきた。
「僕はマレウス・ドラコニア。ディアソムニア寮の寮長だ。お前たちの入寮を歓迎する。後についてくるがいい」
 何の変哲もない、普通の挨拶だ。おかしい所は何も無い。
 なのに何か物凄い違和感を覚える。何がおかしいのか全く説明できないのに、何かがおかしいと感じる。
「シュラウド寮長?どうしたんですかキョロキョロして。何か忘れ物でも?」
「いや、そういうんじゃないんだけど……」
 忘れ物ではない、はず。しかし違和感は消えない。でも説明できないものにいつまでも悩んでいても仕方ない。
「……ま、いいか」
 違和感の事を頭の隅に追いやり、鏡の間を後にした。
 イグニハイド寮へ繋がる鏡まで案内したら、寮内の設備やルールについて説明。部屋割りなどの事務連絡に質疑応答と、やる事は山積みだ。
 それが終わったら自由時間。イグニハイド寮では歓迎会の類はやらないので、夕食は食堂が用意してくれた食事を各自で適当に摂り、話したければ話す、話したくなければとっとと部屋に帰る、といった感じだ。
 良くも悪くも他人を気にしない生活。
 まぁ勉強しに来てるんだから、そういう生活でも別に問題ないだろう。
「イデア……先輩」
 部屋に帰ろうとした背中に声がかかる。振り返り、周囲に人がいない事を確認して、彼に微笑みかけた。
「ユウ、お疲れさま」
「先輩こそ、お疲れさまでした。入学式、かっこよかったです」
「いやいや、お世辞言わんでいいから」
 愛らしい微笑みで褒められたら、例えお世辞でも天にも昇る心地だ。必死でそんな自分をひた隠しにするけど、全部バレているような気もする。
「ユウこそ、寮生活は大丈夫そう?」
「まだ分かりませんけど……嘆きの島出身の子が一緒なので、大丈夫です」
「あー……そっか、彼もいるんだよね。同じクラスだっけ」
「はい。だからちょっと安心です」
 実は今年の『嘆きの島』出身の入学者はユウの他にもう一人いる。『S.T.Y.X.』の情報処理班に所属する分析官と、カローンで実働員をしている女性の夫妻の一人息子だ。
 細身で大人しそうな外見だが、父親から多岐に渡る情報分析の英才教育を受けており、魔導工学は勿論、父親と同じく古代魔法の分析にも興味を示しているとか。非魔法士揃いの『S.T.Y.X.』に魔法士としての学びを加え、最新の分析官となる未来を期待されている。
 余談だが、家族揃って水泳とサーフィンが得意、とかいう理解しがたい家庭でもある。
「そっか。もちろん、分からない事があったら僕を頼ってくれていいからね」
「はい。……改めて、よろしくお願いします。寮長」
 ユウは深々と頭を下げる。そんな礼儀正しさが愛おしくてたまらない。
 軽い気持ちで頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。可愛い。今すぐ抱きしめたいがぐっと堪える。
「それじゃ、またね。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
 手を振って別れ、自室へと戻る。
 どっと疲労感が押し寄せたが、不思議と気分は良かった。
 実家にいた時は毎日顔を合わせていたから、この二年平気だったかと言われると全くそんな事はない。毎日のようにメッセージを送っていたし、オルトからも様子を聞いていた。
 やっぱり実際に顔を合わせて、手を触れられる状態だと回復効果が段違いだ。
 学校とはいえ親元を離れた場所にいるのだから、もう少し前に進んだ関係になれても良いはずだ。キスとか、……あわよくばそれ以上、とか。
 自室の防音設備をもう一段階引き上げようか。もう十分すぎるくらい整えたつもりだけど、念には念を入れて。
 そんな事を考えていると、スマホが着信を知らせて震えだした。オルトからだ。
『兄ちゃんやっほー。入学式どうだった?』
「え?うんまぁ……つつがなく、って感じ」
『ふぅん?ユウちゃんの前でドジ踏まなかった?』
「踏んでませーん!残念でしたなぁ?……あ、ユウも僕と同じ寮になったよ」
『知ってる。教えてもらった。式典服の写真も送ってもらったよ。可愛かった』
 いつの間に。いやオルトとも仲が良いから別に普通の事ではあるんだけど。
『今度ユウちゃんとツーショット撮ってあげな?ちょっと寂しそうだったよ』
「え、どゆこと?」
『兄ちゃんが写真嫌がるの知ってるから言えなかったって』
「う……だ、だって自分が横にいても公開処刑だし……」
『結婚するってなったら比べものにならないくらい撮影する事になるよ。母さん、ウェディングフォトの資料とか衣装のカタログ取り寄せて楽しそうにしてたもん』
「う、うへぁ……勘弁してほしい……」
『あきらめが肝心だよ、兄ちゃん』
 幼い頃から現実として認識しながらもどこか漠然としていた未来が、いつの間にか随分と間近に迫っていた。それを不安に思う気持ちも、嬉しく思う気持ちもある。
 彼との関係が未来まで続く確かなものになる。
 それだけで安心している自分がいた。うまく説明は出来ないけど。
 咳払いして誤魔化す。
「オルトの方は?初日どうだった?」
『一年の頃は四人部屋でプライベートが無くて最悪だったーって、兄ちゃんに散々脅かされてたからさぁ。こっちの学校も寮生活じゃん。どうなるんだろうってちょっと緊張してたんだけど』
 意外な心情の吐露にちょっと面食らう。明るく社交的な弟も、そんな気持ちを感じる事があるのだと、当たり前の事なのにどこか知らないものを見たような気持ちになった。
 兄の戸惑いとは裏腹に、弟は明るい声で続けた。
『僕、ルームメイトたちとはうまくやっていけそうだよ』
 共通の話題が持てた事で、話も盛り上がったようだ。小さく安堵の息を吐く。
「ま、オルトは拙者と違って陽の者ですからなぁ」
 オルトにはロイヤルソードアカデミーから入学許可証が届いた。一応、最高レベルの魔法士養成学校なので、これだけでも世間的には随分名誉な事だ。それなのに最初は『僕もナイトレイブンカレッジがいい!』と我が儘を言っていたのである。
 けれどいつしか、ロイヤルソードアカデミーへの進学を受け入れていた。
 ……いま思えば、自分とユウの婚約が決まったから、身を引いたのだと思う。ユウが『幼なじみ』以上の存在なのは、オルトも同じだ。彼にとっては直接の命の恩人でもある。
 気づいていた。解っている。でも譲れなかったから今がある。
 弟の想いを気にするくせに身を引く気が無いのなら、彼を全力で幸せにしてやる事が、自分のすべき事だろう。
 それはそれとして、兄として家族として、弟の新しい環境での様子に安心もしている。
「……よかったよ。お前に新しい友達ができて」
『……うん』
 そんな気持ちを素直に口に出せば、電話の向こうで、弟も穏やかに頷いているようだった。
 そして、はっと息を飲む。
『あ、やばっ!寮長が見回りに来たみたい』
 向こうの消灯の時間なのだろう。ロイヤルソードアカデミーの寮長は真面目らしい。見習おうとは思わないが。
『また電話するね、兄ちゃん。おやすみ!』
「おやすみ、オルト」
 通話が切れたスマホをベッドに投げ出して、その横にだらりと寝転がる。天井を見上げて溜め息を吐いた。
「……これからまた新しい一年が始まるのか……」
 呟きながら、猛烈な違和感を覚える。説明できないけど、何かがおかしい。
「……なんだろ……なんか、すごく大事な事を忘れてる気がするんだけど……」
 口に出しつつ、頭の中では毎日のルーティーンの過不足を考えてみている。いつもと違う事をしたから何かおかしくなっているのかと思ったのだが、思い返してみても全く解らない。ただの勘違いにしては、随分と感覚が消えてくれない。
 でも、考えていても解らない事に時間を割くのも勿体ない。
「……ま、いいか」
 違和感には蓋をする。
 きっと珍しく早起きなんてしたから眠くて脳が不具合を起こしているのだろう。そうに違いない。
 このまま寝てしまおう。
 部屋の明かりを消して、ベッドの上で寝やすい姿勢を整えた。モニターの薄青の光が室内を薄く照らしている。いつもより光源が少ない気がしたけど、その理由に思い至る前に目は閉ざされ、意識は眠りに落ちた。

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