1:癇癪女王の迷路庭園



 休日の図書室は静かだった。ちらほらと人の姿はあるけれど、他人を気にするような様子はなく本や勉強に没頭している。
 別に隠れる必要もないのに、僕たちは書架の後ろに隠れて入り口を見張っていた。暇つぶしにタイトルを眺めるけれど、小難しい名前が並んでいて用途すらぴんとこないものばかり。
 そういえば『帰る方法を探すために』図書室の利用を許可されたから、ここを探せばヒントが見つかるのかもしれない。……手がかりも何もない状態でここを探すのは、海で砂粒大の宝石を探せと言われているに等しい気がするが。
 帰る方法なんて、本当に見つかるのだろうか。何から探せばいいのか皆目見当もつかない。学園長も探してくれるとは言っていたけど、果たしてどこまで信用していいのだろうか。ここでうまくやっていこうとすればするほど、立場を忘れられてしまう気がする。それが何だかとても恐ろしい事のように思えた。
「おい、来たぞ」
 エースが肩をつついてくる。見れば、沈んだ表情のクローバー先輩が図書室に入ってくる所だった。誰とも無く、返却の手続きをしている背中に歩み寄る。
「クローバー先輩」
 デュースが声をかけると、先輩は弾かれたように振り返った。僕らの顔を見て小さく息を吐いた。
「お前たちか」
「オレたち、やっぱ寮長のやり方に納得いかねーんだけど」
「……だろうな」
 先輩の表情は暗い。疲れているようにも見える。それを察して引くエースではない。
「アンタ、実際アイツの事どう思ってんの?小さい頃からそうやってずっとアイツにぺこぺこしてきたわけ?」
 エースの言葉で表情が変わった。
「誰から聞いた?」
「チェーニャという奴からです」
「チェーニャ……そうか、あいつか」
 やっぱり知り合いらしい。呆れたような諦めたような顔でため息をつく。
「つーかよぉ、リドルよりオマエの方が年上なんだろ?ビシッと怒ってやればいいんだゾ」
「もちろん、必要があればそうするさ。……でも、俺にはあいつを叱る事なんか出来ない」
 自分の言った事を自分で否定する。不服そうな態度のエースに対して、先輩が怒ったりする様子は無い。ただ淡々と、現在の状況に諦めを抱き続けている。
「リドルの全ては、厳しいルールの下で造られたものなんだ」
 ローズハート寮長の両親は、地元では知らない人がいないほどの『魔法医術士』らしい。特別な医者の事だと、自分とグリムに向けて補足してくれた。
「特に母親は優秀な人で、リドルにも優秀である事を求めた。リドルは起きてから寝るまで、学習プログラムが分刻みで決まっているような生活をしていたんだ」
 食べるもの、着るもの、消耗品から友達まで、全部決められていた。
 どう聞いても一般家庭の自分から見れば異常な状況だ。友人たちにもそんな家庭育ちの奴はいない。多分、エースもデュースもだろう。理解不能って顔だった。
 ローズハート寮長は両親の期待に応えるために、分刻みのスケジュールも何かも決められた生活も受け入れて過ごした。ミドルスクールから学年首位を保持し続けているのも、その生活に順応した本人の努力の賜物と言えるだろう。先輩の口振りから察するに、十歳でユニーク魔法を完成させた、というのもかなりの早熟のようだ。
 相手の魔法を封じる魔法。
 敵対者に能力を封じられたという屈辱の烙印を押す、首輪をかける魔法。
 でもこの話を聞くと、違う意味のように思えてしまう。
 同じ苦しみを分かってほしい、お前も味わえと叩きつけるような叫びなのかもしれない。
「リドルは、厳しいルールで縛る事が相手のためになると思ってる。厳しいルールで縛られて、恐れで支配してこそ成長できると信じてるんだ。……かつて自分がそうだったように」
 実際はそんなはずはない。
 みんながみんな、彼のように優秀ではない。押さえ込まれれば反発したくなる人だっているし、押さえ込まれた型が合わなくて萎縮した結果、伸びるはずの芽さえ枯れてしまう人だっている。
 けどきっと彼はそれを知らない。思いつきもしていない。
 努力したと自覚のある優秀な人間は、他人のスペックの優劣を努力の差だけで判断しがちだ。自分と同じ努力をすれば、誰でも自分と同じ優秀な人間になれると思ってしまう。
 実際は絶対にそんな事ないのに。
 そして思うように成長しない人間を『努力が足りない』と追いつめてしまう。
 本当によくある話だ。自分だって格闘技を習って、生徒によって教え方を変える師匠の姿を見ていなければ解らなかったかもしれない。
 クローバー先輩もそんな事には気づいているのだろう。けれど伝えたくても、その説明は簡単な事じゃない。
「そして、あいつはルールを破るのを絶対的に悪だと思ってる」
「……ルール違反を肯定すれば、ルールによって造られた自分の全てを否定する事になるって?」
 クローバー先輩は黙って頷いた。
「お前たちがリドルを横暴に思うのは解る。リドルのやり方が正しくない事も。だけど、俺には……やっぱりあいつを叱る事なんて出来ない」
 場が静まりかえる。デュースは沈痛な表情だし、グリムもなんだかしょんぼりしていた。
 ……クローバー先輩は出来ないと言うけど、ローズハート寮長を説得できる可能性があるのもクローバー先輩しかいない。一番距離が近く、彼を理解しているのはクローバー先輩なのは間違いないんだ。耳を傾けてくれる可能性は一番高い。
「今の話を聞いてよーくわかった」
 エースの声が沈んだ空気を苛立たしげに引き裂く。
「リドル寮長があんななのは、アンタのせいだわ」
 クローバー先輩の表情が険しくなった。気遣わしげなデュースの視線を無視してエースは続ける。
「リドル寮長が親を選べなかったのはしょうがない。でもアンタは、少なくとも寮長の親が寮長にやってきた事は間違ってるって昔から思ってたんでしょ?」
「……それは……」
「今の寮長が親と同じ間違いしてるって思ってるならちゃんと言えよ。直してやれよ。可哀想な奴だからって同情して甘やかして、アイツがみんなに嫌われて孤立してくの見てるだけ?」
 先輩は何も言い返さない。デュースが止めようとするけど、エースは手で制した。
「それとも何?アンタも首をはねられるのが怖くて黙ってるって?ダッセえな!そんなんダチでもなんでもねえわ!!」
「コラーッ!!図書室では静かに!!」
 興奮したエースの声をかき消すような大声が後ろから聞こえた。振り返れば本を手にした学園長がこちらに歩いてきている。
「アンタの声が一番デケエんだゾ」
「おっと失礼」
 学園長が咳払いする。
「ダメですよ、図書室ではお静かに。読書や自習の生徒の邪魔をしないでください」
「すみません、学園長」
 僕たちが謝ると、学園長は満足げに頷いていた。
「学園長はどうしてこちらに?」
「いえ、ちょっと調べものをしておりまして。彼を故郷に帰す方法を探さないといけませんから」
 僕を横目で見ながらにっこり笑っているが、エースは疑わしげな表情で学園長の手許を見ている。
「……ソレ、さっき新刊棚に置いてあった本っすよね」
 ぎくりと学園長の身体が強ばった。
「オレら来た時、学園長いませんでしたよね。話してる間に来て、今はもう出口に向かってた。調べものするには短すぎません?」
「いやあ……あの……ははは……」
 全員から疑惑のまなざしを向けられ、学園長は苦笑する。
「そ、それより、さっきから一体何を話していたんです?揉めてるようじゃありませんか。学園内での私闘は厳禁ですよ」
「したくても出来ないっすけど」
 エースは学園長に自分の首輪を示した。そこで学園長はデュースとグリムをまじまじと見て、あれまぁ、と間の抜けた感嘆を漏らす。
「確かに、それなら私闘はできませんね。平和で結構!」
 がくっと三人がずっこける。
「こっちはわけわかんねールールで縛られて息苦しいんすよ!破ったら首輪、授業に支障が出るのも時間の問題っすよ!」
「そうは言いますがね。寮ごとの伝統的なルールの遵守については、寮長に一任されています。伝統を重んじる姿勢そのものを否定する事は出来ませんよ」
 生活に支障が出るレベルの重傷者が出ている、制御が出来ない魔法を使ってるなど、明らかに度を超えたものならばまだしも、寮長自身がコントロール可能な魔法による懲罰の行使については、学校側から彼に『やりすぎ』を諫める事はない、という事らしい。エースが剣呑な雰囲気になってきた。
「ハーツラビュルの空気が合わないという事であれば転寮という方法もありますが」
「逃げるみてーだからオレはやだ」
「そうですか。……こちらとしても手続きとか儀式とかめんど……複雑なのでその方が助かります」
 デュースも転寮は考えていなさそうだ。何となくだけど、どちらもローズハート寮長がハーツラビュルのトップにある事には文句が無さそう。実力は圧倒的だし、じゃあ他に適任がいるかと言われると入学して数日の僕たちに挙げられるワケもない。
「では、ローズハートくんに決闘を申し込んで寮長になる、というのはどうでしょう」
 学園長の提案に、エースもデュースも目を丸くした。完全に思考の範囲外だったらしい。
「決闘……!?」
「寮長になるには、先代の寮長から指名されて就任する場合の他、寮長に決闘を申し込んで勝利するなどいくつかのパターンがあります」
 平和的な前者はともかく、後者の手段が用意されている事に驚いてしまう。名門とはいえ、学校の寮だ。内申点に影響は多少するだろうけど、決闘してまで得るものだろうか?
「ローズハートくんも、入学して一週間で寮長に決闘を申し込み、勝利して就任しました」
「一週間!?」
 それはつまり、一年生の時点で上級生の、寮長に選ばれるような人を打ち負かしたという事だ。十歳でユニーク魔法を完成させた彼ならば、簡単な仕事だったのかもしれないけど。
 下級生、それも入学して一週間の一年生にあんな首輪をかけられたら、対戦相手のプライドは粉々に砕けた事だろう。顔も知らない人ながら同情を禁じ得ない。
「寮長に挑む権利は、入学した瞬間から全ての生徒に与えられています」
 どうしますか?と学園長はエースの顔を見る。
「やる。やってやろうじゃん」
 その表情には、恐れも不安も無い。にやりと不敵に笑って胸を張る。
「アイツの鼻っ柱折って『ボクが間違ってましたごめんなさい』って言わせてやる」
「学園長、僕もやります」
 デュースが挙手すると、クローバー先輩はぎょっとした顔になった。
「デュースまで!?」
「不満があるのに渋々従うなんて、自分には出来ません。それに……男ならテッペン狙うもんでしょ!!」
 デュースの表情はいつになく攻撃的だ。とても生き生きしている。
「オレ様も戦いたい!」
「グリムくんはダメです」
「なんで!?」
「寮長に決闘を挑む権利は、同じ寮の所属者に与えられるもの。君はハーツラビュルの寮生じゃありませんから」
 ぐうう、とグリムは不満げに唸る。
「お前たち、本気で言ってるのか?魔法でリドルに勝とうなんて」
「魔法では勝ち目がないかもしれませんが、喧嘩なら自信あるんで!」
「あ、決闘では魔法以外の攻撃手段は使用禁止ですよ」
「えっ」
「うちは魔法士養成学校ですよ。当たり前でしょう」
 学園長は呆れた顔をしている。確かにそこが無法だと何でもありだし、ローズハート寮長に逆らう人間がもう少しいてもおかしくない。あの華奢な少年が腕っ節まで強いとかなら話は別だけど、どうもそういう雰囲気はなかった。多分、腕力勝負なら二人でも勝てる。
「ただ、決闘の前にハンデとなるものは排除されるルールだから、二人の首輪は試合前に外す事にはなるだろう」
 魔法を使える状態にはしてもらえる、との事だけど。
 さっきのティーパーティーでの様子を思い出す。魔法と言うだけあって、発動の前触れなんてほとんど分からなかった。首輪が次の瞬間には対象の首にはまっていて、何かが飛んでくるといった予備動作の類も無かったように思う。複数人にも同時にかけられるようだった。避けたり防ぐのは至難の業だろう。
 魔法は具体的なイメージが出来るほど強くなる。彼の『首をはねろ』は簡単に解除できない強固な魔法封じだ。発動すれば相手の攻撃も防御も封じられる。これ一つ成功させれば勝てる、という事は、他の選択肢に迷う必要もない。
「向こうの魔法封じが発動するより早く攻撃するか、攻撃を防ぐか避けるかして反撃する…………無理そう」
「おい、やる前からやる気削ぐなよ」
「やってみないと分からないじゃないか」
 でも正直言って、気合いだけで勝てる相手では絶対にない。気合いでどうにかなるなら、とっくに首輪は外れてるだろう。
「では、決闘の手続きを進めておきます。明日の昼までに終わりますので、それ以降であれば挑むタイミングはご随意に」
「そんなすぐに!?」
「何か問題でも?」
「いや……気軽にやるんだなと思いまして」
「とんでもない。伝統ある正当な手段ですから、手続きの迅速化が進んでいるだけです」
 珍しい事ではない、という事らしい。能力が高くて負けん気が強い、がこんな所にも表れているようだ。
 学園長は決闘の準備を進めると言って去っていった。実に楽しそうな顔で、足取りは心なしか弾んでいる。この学園での『決闘』は、外野にとっては楽しいイベントのようだ。
「お前たち、本当にやるのか」
 クローバー先輩は諫めるような調子でエースたちに問うが、二人はもちろん、と答え笑ってみせた。
「絶対に勝って、今までの横暴を謝らせてやる。あんなわけわかんねールールとはおさらばだ!」
「正直自信はありませんが……やる前から逃げるような真似、する気はありません」
 気合い十分な二人の一方、グリムは首輪を引っかきながらいじけている。
「決闘が出来ないなら、オレ様の首輪はいつになったら外れるんだ」
「オレが勝ったら外すように命令してやるよ」
 エースの発言にデュースも同調する。途端にグリムの表情が明るくなった。
「オマエら、明日は絶対に勝つんだゾ!オレ様の首輪がかかってるんだからな!」
 何だか変な激励の気はするが、盛り上がってる三人に水を差すのも気が引ける。どこまでも呆れた顔のクローバー先輩が僕を見た。
「ユウ、君も止めてくれ。君は勝ち目がないと分かってるんだろ」
「どうでしょう。勝負はその時になってみないと分からないものですよ」
 ドワーフ鉱山の時のように命がかかっている場合はともかく、今回は学園長も立ち会う学内での決闘だ。物騒な名前の魔法を使うローズハート寮長が相手ではあるが、命を奪うものではない事は今までの様子から解っているし、おそらくそこまで危険はないだろう。止める必要が感じられない。
「決闘をしてもしなくても、事態がこじれて直りようがないのは変わりませんし」
「……それは、そうだが……」
「負けてもまぁ、彼らの勉強にはなるし、何もしないのと結果は変わりません。万が一にも勝ったら大団円です」
「……二人が謝るように説得はしてくれない、と」
「僕が皆さんに怒ってないとでも思ってらっしゃいます?」
 クローバー先輩の顔がひきつった。そういう事か、と小さく呟いている。
 睨み合う僕たちに、エースがおもむろに近づいてきた。僕の肩を抱いて、クローバー先輩をまっすぐに見る。
「戻ったら寮長に伝えといてくださいよ。『首を洗って待ってろ』ってね」


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